ご長寿で知られる3人の画家が描いた椿が並びます。
(写真は、著作権が残っているものがあるため、会場全体を撮る感じであれば可とのことです。)
土牛は101歳、亡くなるその歳まで描き続けました。
堀文子も100歳まで描き続けました。
小倉遊亀の椿は、写実的な堀文子とは逆かもしれません。デフォルメされた花、金泥の空間の亀裂のような枝。椿は椿にして椿を出る、みたいな。
しばらく展覧会に行けない生活だったので、投稿も久しぶりです。
東博に来たのも、昨年の12月に年間パスポートを作って以来。年パスの意味が…。
平成館ではやまと絵展が開催中なので、この日の常設の2階でもやまと絵を中心に展開されていました。
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一階では、柴田是真の四季図屏風に再会。色も鮮やかなまま保たれ、どこを切り取っても完璧です。
「光風斉月帖」1936にも再会。
橋本関雪、小林古径、前田青邨、安田靫彦、大観、鏑木清方、玉堂、菊池契月、富田渓仙、和田英作の合作の巻物。
なんとなく画家の字と絵の線がシンクロしていて、ほほえましい。幅、リズム、きっさき、筆勢、字は絵も性格もあらわすのかな。
特に、前田青邨の魚のピチピチ生動感は、青邨の字にも重なります。字がそのまま生きた魚に見えてきたり。
横山大観 字のままですね。
安田靫彦
見惚れるのは、菊池契月の「八幡伝説」
色紙大の小さな紙に、洒脱な短い線で素速く人と馬を生み出し、金と胡粉をすうっとはいただけなのに、無限の広がり。
2階では「近世のやまと絵-王朝美の伝統と継承ー」特集。
宗達工房の屏風から、土佐派、住吉派、板谷派も。さらには琳派、復古やまと絵まで、あしかけ300年をひとめぐり。
印象的だったのは、宗達工房の「四季図屏風」17世紀。
一つ一つの花の存在感が強く、気を発しているよう。
400年たっても古い感じがしないのがすごい。
嘉永の大嘗祭の悠紀屏風(1948)土佐光孚 は、青い色があまりにきれいでくぎ付け。
孝明天皇の即位の大嘗祭のもの。近江が描かれています。
金だけじゃなく、青いすやり霞を見たのは初めて。
と思っていたら、昨日(11月27日)放送のNHKの「大奥」で、将軍家茂が上洛して、孝明天皇に拝謁するシーンの間に、このような青い霞が。
先述の屏風も孝明天皇の時代。
現在の京都御所もこのような襖絵であるようだ。
NHKの美術さんの時代考証は抜かりない。
(それにしても、NHKの時代劇の襖や掛け軸、着物は、人物のキャラや状況に合わせて、しかも美しくて、つい人物のうしろにくいついてしまいます。「大奥」でも、江戸城の家茂の間は狩野派っぽい水墨の山水画だし、和宮とその母の間は豪華なやまと絵ふうだったり。「どうする家康」でも、大阪城の金の襖絵の豪華なことときたら。)
細部は土佐派らしく細やかで、菊が美しいのでした。
近衛信尹の和歌屏風(安土桃山~江戸)も見入ってしまいました。
ゆるまないスピードと打ち付けるようなリズムで書きつけられる書。信尹がはりつめた中に興に乗って、最高のステージに達した短い時間、これまた400年たってもライブ状態。
本阿弥光悦、松花堂昭乗とともに寛永の三筆と称される信尹。秀吉とのなんやかやで数年薩摩に流され、その時に書体も変化をしたらしい。島津の庇護のもとで充実した暮らしだったらしいですが、どのように変化したのか、見る人が見れば、この書がいつ頃のものかわかるのでしょうか。
非業の死を遂げた復古やまと絵派の二人、冷泉為恭と田中訥言が並ぶ一角もありました。
田中訥言「舞楽図」17世紀
左に陵王と、右側の蛇を持つのは還城楽。平面の画なのに、動きが迫真で鮮烈な印象。
両者とも息ぴったり。二人で左上がりの無限「∞」ループのかたちをなしているよう。
訥言ファンとしては嬉しいことに、別のコーナーに、平等院鳳凰堂の模写も6面展示されていました。
田中訥言模写「日想観図」19世紀
田中訥言模写「中品上生図」19世紀
冷泉為恭「後嵯峨帝聖運開之図」19世紀
百姓から献上された米を洗ったところ、亀が現れ、運が開けて天皇になれたという言い伝えとのこと。
まるでその場の会話が聞こえそうなほど、人物が自然な感じに再現されていました。
藤袴の足元の亀がかわいいです。
栄花物語図屏風 土佐光祐 17世紀
女性だけ着色されていないので、未完なのかと思ったら、こういう趣向のよう。(姫君の塗り絵用にも使える?)
よくよく見ると、色をつけずとも、着物の柄は線で大変精緻に書き込まれていたり、胡粉で盛り上げてあったり、型押し?で凹凸がつけられていたり、
↓この打掛は、白地に白で微かな模様。アンミカの「あんな、白には200色あんねんで。」が脳裏に浮かんだ瞬間。
土佐派のお顔は、ほっぺたほんのりなのがかわいいです。
住吉具慶の源氏物語絵巻 17~18世紀
萩の美しいこのシーンは心に残りました。住吉派もお顔がかわいいです。
「車争図屏風」狩野山楽 1604年
六条御息所と葵の上の車争い。もとは、淀殿が養女と新郎のために新築した九条御殿の襖絵だったものとか。このシーンを新婚の家に設える淀殿って…。
しかしどこを見ても見飽きないのです。山楽すごい。
右の整列から、左の蜂の子を散らしたような騒ぎへ。解説には、乱闘場面あたりが「円環状の構図」をなしているとあったけれど、たしかに、旋風のごとく渦を巻いています。
どの人物も手を抜かない山楽。表情と動きにただただ圧倒されました。
乱闘だけでなく、周囲の庶民のようすもおもしろいです。
この屏風ひとつを映画に再現したら、何十分にもなるであろう中身の濃さ。そして外観上の構成の妙。たいへんおもしろい時間でした。
このころには疲れてしまって、屏風ルームに来たときにはもう、真ん中のソファに座りこんで一休み。
色鮮やかで精緻なやまと絵を見てきた後だからか、一見しただけでは、この部屋の3方向どの屏風も、状態も悪く色もうす暗い印象。そう目の端に感じつつ、絵も見ないで休んでいました。
ところが。しばらくして顔を上げると、まるで別世界だったのです。
目の前にこのぽっかりとした山。
深江芦舟「蔦の細道図屏風」18世紀
自分がここに入りこんで立っているような不思議な感覚。楽しい体験でもありました。描きこまないシンプルな形が、疲れたところにちょうどいい。
深江芦舟は尾形光琳の門人らしい。絵から頑張っちゃってるところを抜いた感じ(どんなん)が通じるかも。
そして左を見ると、ナビ派を想起させる森。
なんだか洋画を見ているようで、400年も前の絵師が描いたという感じがしない。
「桜山吹図屏風」伝俵屋宗達 17世紀
↓このあたりのナビ派に重なったのでした。ナビ派もジャポニズムの影響を受けているので、あながち的外れでもないかも。
この屏風もナビ派も、せかせかコマコマしていなくて、ゆるいひと時。深い休息の呼吸が戻ってきます。
それでも、近づくと、この桜の生気に圧倒されたのでした。
そして最後の一作を見ると、またしても最初の印象が一変。月がこうこうと輝いていたのです。
「柳橋水車図屏風」作者不詳 16~17世紀
恐ろしいほどに独特。
二隻にわたって大きくかけられた橋が大胆。黒々とした幹をしならせる動きに目を見張る。
それに対して、柳の葉や水流の線は乱れず規則的という、このギャップ。
水車は設計図レベル。
クレイジーなこの絵師は何者??
(2024年1月追記:これとそっくりな「柳橋水車図屏風」が香雪美術館にあります。長谷川等伯筆の重要美術館。人気の画題だったらしく、長谷川派の工房作のものが他にも30程度あるそう。)
これが定型なのか、非定型なのか。定型と非定型を両方を兼ね持つのが、日本の伝統なのか?
題材や技法は伝統的なものであるのに、400年500年たっても、全く古びないと思えるのは、どうしてなのか?。絵師が唯一無二なところで描いているからなのか?。
精緻で雅びなやまと絵のあとに、なぜこんなざっくりとした屏風をここに揃えたのかと不思議に思ったのですが、この体験を狙った構成だったのかと勝手に解釈し、東博ってすごいと充幅に包まれて帰しました。
やまと絵という日本古来の伝統的な絵の特集の日だったのですが、その系譜のいくつもの作品に、古風を感じず、なんなら今より自由で、突き抜けた作ぞろいであることに、固定観念を壊されたのでした。