はなな

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●東博 渡辺崋山と椿椿山の「佐藤一斎」

2022-12-30 | Art

先日ですが、東博の常設を見に行きました。

渡辺崋山(1793~1841)が描いた「佐藤一斎(五十歳)」1821年 に再会。

怖いのですよ、この儒学者。気難しそうで、猜疑心強そうで、いい加減にしてたりテキトーにすまそうとしたら怒られそうで。

佐久間象山や渡辺崋山も一斎のもとで学び、教えを受けた者は3000人。

崋山が28歳の若いころに描いた師の肖像。内面をえぐるほどに見透して描き出す崋山がこう描くのだから、実際もこんなような人物だったのだろうと思う。

 

隣には、この一斎(1772~1859)の70歳の肖像も展示されていた。

崋山の弟子であり友でもある、椿椿山が1841年に描いた二幅。

一斎は70歳になっても、鋭いまなざしと気迫は健在。

むしろ、ますます気骨が深みを増した感。

比べると、崋山の描いた50歳の一斎には、多少まだ青臭さもあったかに見える。

崋山の鋭すぎる感性のせいかもしれない。

 

椿山がこの肖像を描いたのは、1841年。

すでに崋山は蛮社の獄で蟄居の身。そして田原の自邸の納屋で自刃したのが、この1841年の11月23日。この肖像が描かれたときはおそらく、崋山は生きていたかもしれない。

椿山は、崋山を助けようと奔走し、蟄居後は経済的な支援をしたりしたけれど、一斎は崋山を擁護するために何もしなかった。椿山の縁者(椿山の長男の嫁の父)に崋山救済運動に力を貸すよう頼まれても、その者に、懇意であると示すことは賢明ではないと忠告さえした(このあたりは、ドナルド・キーン「渡辺崋山」に詳しい。)。一斎の本心はわからないけれども。

 

それにしても、お気の毒に見えて仕方ないのは、左幅に描かれた一斎の奥様。

この面持ち、さぞやストレスMAXの何十年だったのでは…。

こんな気難しそうなだんな様に仕えて、気の休まる日はあったのだろうか。「茶がぬるい」とか叱られそう…。

二幅を同時に見ても、今とは時代が違うとはいえ、叱ってる人と、叱られてる人、みたいにも見える。

 

2016年に、実践女子大学で、佐藤一斎の晩年の書を見たことがある。(日記:「1797年江戸の文化人大集合ー佐藤一斎収集書画の世界ー」実践女子大学香雪記念資料館)

気迫と激しさのあるかすれ。丸みも柔らかみもない、厳しく強い印象。

一斎の肖像と重なる。書はその人を良く表すのだろうか。

 

書というと、この日の東博には、大好きな中林梧竹(1827~1913)の書も展示されていた。

梧竹の字は、いつもリズムが流れている。

初めて梧竹の書を見たときは、書というより、絵画だ!ミロか?!、と感動したものだった。

この作品も、字と字の間の、何も書かないところにも、リズムが流れている。字と字のあいだの白い「間」のところにも、音楽があり、「間のはば」もたいせつな音楽を構成する一部であり、表現の役割を担っているのだ。

 

ほれぼれと梧竹の作品に取り込まれたあと、隣の大久保利通の書を見る。立派な料紙だ。

字と字の間に間隔がないことで、とたんに息苦しさを覚えるような気がしてしまった。大久保利通の書には、音楽はない。(勝手に偉そうにごめんなさい、大久保さん。)上から下までまっすぐに、間をおかずに突き進んでいる。

 

しかし、その隣の西郷隆盛の書を見ると、おおらかさが感じられ、ほっと呼吸も復活。筆を動かし、リズムにのっている西郷の腕の太さ、頼もしさが思われた。

 

脱線してしまいました。

東博はもう年末休み。新年は1月2日から。

常設の年間パスを買ったので、今年はこまめに行けると嬉しいのだけれど。

 



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