先日ですが、東博の常設を見に行きました。
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渡辺崋山(1793~1841)が描いた「佐藤一斎(五十歳)」1821年 に再会。
怖いのですよ、この儒学者。気難しそうで、猜疑心強そうで、いい加減にしてたりテキトーにすまそうとしたら怒られそうで。
佐久間象山や渡辺崋山も一斎のもとで学び、教えを受けた者は3000人。
崋山が28歳の若いころに描いた師の肖像。内面をえぐるほどに見透して描き出す崋山がこう描くのだから、実際もこんなような人物だったのだろうと思う。
隣には、この一斎(1772~1859)の70歳の肖像も展示されていた。
崋山の弟子であり友でもある、椿椿山が1841年に描いた二幅。
一斎は70歳になっても、鋭いまなざしと気迫は健在。
むしろ、ますます気骨が深みを増した感。
比べると、崋山の描いた50歳の一斎には、多少まだ青臭さもあったかに見える。
崋山の鋭すぎる感性のせいかもしれない。
椿山がこの肖像を描いたのは、1841年。
すでに崋山は蛮社の獄で蟄居の身。そして田原の自邸の納屋で自刃したのが、この1841年の11月23日。この肖像が描かれたときはおそらく、崋山は生きていたかもしれない。
椿山は、崋山を助けようと奔走し、蟄居後は経済的な支援をしたりしたけれど、一斎は崋山を擁護するために何もしなかった。椿山の縁者(椿山の長男の嫁の父)に崋山救済運動に力を貸すよう頼まれても、その者に、懇意であると示すことは賢明ではないと忠告さえした(このあたりは、ドナルド・キーン「渡辺崋山」に詳しい。)。一斎の本心はわからないけれども。
それにしても、お気の毒に見えて仕方ないのは、左幅に描かれた一斎の奥様。
この面持ち、さぞやストレスMAXの何十年だったのでは…。
こんな気難しそうなだんな様に仕えて、気の休まる日はあったのだろうか。「茶がぬるい」とか叱られそう…。
二幅を同時に見ても、今とは時代が違うとはいえ、叱ってる人と、叱られてる人、みたいにも見える。
2016年に、実践女子大学で、佐藤一斎の晩年の書を見たことがある。(日記:「1797年江戸の文化人大集合ー佐藤一斎収集書画の世界ー」実践女子大学香雪記念資料館)
気迫と激しさのあるかすれ。丸みも柔らかみもない、厳しく強い印象。
一斎の肖像と重なる。書はその人を良く表すのだろうか。
書というと、この日の東博には、大好きな中林梧竹(1827~1913)の書も展示されていた。
梧竹の字は、いつもリズムが流れている。
初めて梧竹の書を見たときは、書というより、絵画だ!ミロか?!、と感動したものだった。
この作品も、字と字の間の、何も書かないところにも、リズムが流れている。字と字のあいだの白い「間」のところにも、音楽があり、「間のはば」もたいせつな音楽を構成する一部であり、表現の役割を担っているのだ。
ほれぼれと梧竹の作品に取り込まれたあと、隣の大久保利通の書を見る。立派な料紙だ。
字と字の間に間隔がないことで、とたんに息苦しさを覚えるような気がしてしまった。大久保利通の書には、音楽はない。(勝手に偉そうにごめんなさい、大久保さん。)上から下までまっすぐに、間をおかずに突き進んでいる。
しかし、その隣の西郷隆盛の書を見ると、おおらかさが感じられ、ほっと呼吸も復活。筆を動かし、リズムにのっている西郷の腕の太さ、頼もしさが思われた。
脱線してしまいました。
東博はもう年末休み。新年は1月2日から。
常設の年間パスを買ったので、今年はこまめに行けると嬉しいのだけれど。
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