はなな

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●松岡美術館「美しい人々」後期

2017-04-30 | Art

松岡美術館「美しい人々」後期 2017.3.22~5.14

 

前期に続いて、楽しみにしていました。前期の時に、後期の半額券をいただけるので400円なのが嬉しい。

後期に展示替えになったものだけ、備忘録。(前期の日記はこちら

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お目当てのひとつ、渡辺省亭。4月2日に百回忌となる省亭の回顧展(加島美術)にあわせ、都内各美術館で連携した展示で、こちらでは5点。

なかでも、おおと思ったのが鯉を描いた二作。

どちらも重なり、ひしめき合っている。お庭の池の鯉は、こんなふうに集まってきていたのが思い起こされる。あんなにのっかられて重くないのかな、鯉どおしの蝕感てどんな感じなんなだろう。

でも、省亭の「遊鯉図」1897は、くっついていても、すうっとした浮遊感。

たっぷりの余白に、墨のみの淡い色彩。鱗もエラのすじまでも、こんなにリアルに描いてある。省亭は鳥やお猿の”目線”を感情をこめて描きいれていたけれど、魚の目線さえもおろそかに扱っていなかった。どんな生き物でも、しっかりすくい取っている。


「藤花下遊鯉図」 はこの季節にさわやかな、さらに美しい情景。

水面につきそうな藤のラインは、ストレートに真下へ。見下ろす私の視線がそこへ入る。顔を上げて見上げる鯉の視線が斜め上45度に伸びてくる。

省亭の画のなかは、いろいろなベクトルが交錯するのがcool。

淡い木漏れ日がかすかに水面に映っているようだった。

藤の花びらも、達者な描きぶりでやっぱり見とれる。藤でも、つるの先端までねっとりと精をこめた藤もあるけれども、省亭のはどこかあっさり。お砂糖のはいらないアメリカンコーヒー?、すっきりした日本茶?的な。もったりしたものを取り除き、気合いれましたよ感を残さない、洒脱さ。


「桜に山鳥の図」

U字の幹に、かぶせU字のごとく交差する山鳥の目線と尾。さくらは細密に花びらの形をとらず、ざっざっとした筆使いなのに、きれい。羽毛の柔らかさと、尾の硬さも実感。


「寒菊図」

外隈に藁を入れるのみで、雪を表現している。雀の目線のさきには、藁に守られた雛のようなあどけない菊たち。


「青梅に雀の図」1896(部分)

さっと薄墨がひかれているのは、雨なのかな。梅を上部にのみ持ってきて、下の方は大きな余白。雨の日は虫が低く飛ぶから、雀はそれを狙っているのかな?。むっちり太った梅の実と、雀のふかふかのおなかに、ほっこり。


どの絵も、その季節の空気をたっぷり吸い込ませていただいてきた。

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もうひとつのお目当ては、伊藤小坡(1877~1968)。4点。

前期展で、人妻のちょっとゆらめく美しさに感じ入った小坡。伊勢の猿田彦神社の宮司の家の出。磯部百鱗に学んだあと、京に出て、昭和3年から竹内栖鳳の竹杖会に学ぶ。


「秋の夕」 月を愛でようと簾をあけたところ、虫の声に気付いたか、優しい視線を向ける、と。

上村松園にそっくりと思ったら、竹杖会で先輩弟子の松園の作を研究して描いたものだとのこと。松園のほうが二歳年上。

上村松園「夕べ」 昭和10年

 

小坡も、松園に負けず劣らすの、丁寧で繊細な線。

松園の作を寸法まで踏襲しつつ、わずかに小坡らしさに寄せている。

フジバカマを足し、着物や帯も少し落ち着いた色合いにしている。顔も少し大人びているような。

そして、どちらも月は描かれていないけれど、うちわにすてきな月が描かれている。松園のほうが明るい月の光。小坡の月は、暗がりの秋の夜空の月だった。

ふたりはどんなふうに交流していたんだろう?

小坡は、竹内栖鳳の門下で学ぶようになってから、画風が変化する。「やわらかな運筆は、この時期から細くシャープな線描と」なった(こちらの小坡美術館から)。前期でみた「はくろめ」もこれと似た、昭和13年の作だった。きっとこの「夕べ」の少しあとに描かれたものなんだろう。


「ほととぎす」昭和16年

かさを閉じたら、余白のさきの画面の外に、描いてはいないけれど鳥の声。

振り返った顔がちょっとだけ悲し気で、無防備。鳥の声に呼び起こされた感情は、どんなものだったんだろう。

似た美人画でも、松園とは少し違う。感情の隠している部分がごくごくわずかに見えかくれするような、このころの小坡。

 

「麗春」昭和初期、は少し印象がちがう。

京都に来てから歴史、物語をテーマにした絵を描くようになったということなので、これもそんな一枚だろうか。


さらにさかのぼって、床の間に飾られていた「虫篭」は大正後期の作。京都の来る前、伊勢時代の小坡の絵。

少しふっくらした頬や鼻がかわいらしい女の子。茄子をうすく切って虫にあげている。座り方も子供らしくて、ほほえましい。

小坡の子供の三姉妹も、小学校から高校生くらいでしょう。優しいお母さんのまなざし。

小坡のたどった道が少しだけ感じられた、貴重な展示だった。

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他に心に残ったもの

美人画は、小坡だけでなく、松園、清方、深水と続く。同じ昭和10年代の同時代に描かれた美しい人々。

 

上村松園「春宵」1939(昭和14年) フェルメールを思い出したり。

 


そして同じ年、同じタイトルで伊藤深水の「春宵」1939年

 

鏑木清方「しょうぶ湯」1934年(昭和16年)

 

池田蕉園・輝方夫婦の合作、「桜舟・紅葉狩」1912年 は目を引く大屏風。

桜船の左隻が蕉園

紅葉狩は夫の輝方

鴛鴦夫婦と言われていたそうで、本当によく似た画風にしているのに驚き。微妙に蕉園のほうが細やかに描きこんであるかなくらい。

解説には、輝方20歳、蕉園17歳で婚約するも、直後に輝方が失踪。紆余曲折を経て1911年に結婚、この絵はその新婚時代に描かれたもの。失踪によるものか筆の落ちた輝方を妻は補佐し、アトリエの仕切りを取り払い、行き来しながら描いたそう。ただ1917年には、蕉園は31歳で亡くなり、4年後に輝方も亡くなる。

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東洋陶磁の部屋も堪能。

静かな空間でゆっくりした時間を過ごせて、松岡美術館に来るといつも来てよかったなあと思う。

ランチに、イエローカレーがおいしい(白金には珍しいアングラな感じがお気に入り)SOI7へいったら、定休日。ショックで隣のカフェに飛び込む。

奈良のコンセプトショップのようで、とてもおいしい大和茶。LIVRER(HP

目に優しい山野草に和みながら、50度でていねいに入れてくれた玉露をいただく。

はっとするほどのおいしさ。

それから魅力的な小さな鉄瓶で熱いお湯を持ってきてくれて、二度目と三度目をいただく。さわやかなおいしさのお茶に変わっている。

最後に、ポン酢でやわらかくなったお茶の葉をいただく。緑色が鮮やかで、滋味深いおひたしのような味わい。

ゆっくりと心を整えてくれるような風雅な時間。いつもちゃちゃっと適当にお茶入れている自分を反省。

松岡美術館に行ったら、また伺おう。


●加島美術「美祭」

2017-04-29 | Art

加島美術「美祭‐BISAI‐」 2017.4.22~5.7

先日、加島美術さんの今年の「美祭」を拝見。

http://www.kashima-arts.co.jp/events/index.html

日本画、洋画、そして書。

 

書の展覧会は行く機会もあまりないので、たいへん新鮮。

白隠、勝海舟、徳川慶喜の書など東博や展覧会で見かけた記憶のある人々だけでなく、田中正造、花岡青洲、山内容堂などなど、多彩な人々の真筆。

カタログでは私の好きな中林梧竹もあったのですが、この日は展示されておらず残念。

そんななかで、好きな字だと思ったのが、若山牧水

「いついつとまちし桜のさきいでて 今はさかりか 風ふけど散らず」

若山牧水といえば「いく山河 越えさり行かば 寂しさのはてなむくにぞ けふも旅ゆく」のひとだったかな?としか知らず。しかもこんなに達筆だとは。

若山牧水記念館のページで見ると、恋と旅と(お酒も)ともにある人生。

こちらのページなどで)短歌を見ると、恋の思い、旅から感じたことなどが歌ににじむ。

自然の情感の歌が、とくに山を離れたクマの心にしみじみ。

‐かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな

‐つと過ぎぬすぎて声なし夜の風いまか静かに木の葉ちるらむ

牧水のこの書は、心の余白に少し寂しさ。旅の感じに重なる。

 

と、昨年の美祭の図録(渡辺省亭展でいただいた)をめくってみると、牧水の同じ歌の書が。

全然印象が違う。

こちらは、なにか強い思いを抱えたときのような。学生の頃の園田小枝子との恋と破局では、長く苦しんだ。結婚を申し込んでから、実は人妻だったと知ったその恋の時。もしくは、生涯抱える芸術上のことや、生活苦のことからの感情の発露。とか。

ともあれ、最初の文字が好きだと思ったのは、素人にとっては、文字と文字のあいだの余白が重要なとこだったのかもしれない。そして、少しこころもとないくらいに、押しすぎてこない筆の強さとか。

書も短歌も興味でてきました。

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絵も、とても興味深く拝見。

渡辺省亭、池大雅、応挙、森狙仙、安田靫彦、松園と、眼福眼福。

山本梅逸を見られる貴重な機会が嬉しい。

「芙蓉鶺鴒図」

 

山元春挙「清流香魚図」 もこの季節に心地よいです。山岳画家ともいう春挙。少し腰をおとして見上げると、山岳の絵でなくとも上へ上へと3D感があるのに感嘆。

 

河鍋暁斎の「天狗の図」にはくすっ。

なんやかんや絵を批評する人々の鼻が。中には結んじゃった鼻も。落款を、奥の天狗の掛け軸に押しているところがツボ。


蘆雪の鹿は、戦闘モード。手出しできない感じの目。さすが蘆雪、ふつう鹿はこんなふうには描かないよね。

蘆雪は「鬼の手」も。

これを京橋の瀟洒な通りの、外ウインドウの一枚に展示する加島美術さんに感服。

ダークサイドな蘆雪ワールド、魅力的。


楽しみにしていた柴田是真、小林永濯がすでに展示されておらず残念。でも拝見するだけで、丁寧に対応していただいて、恐縮しきり。ありがとうございました。


●加島美術「美祭」特別企画 伊藤若冲展

2017-04-26 | Art

加島美術「美祭」特別企画 伊藤若冲展 2017.4.22~5.7

京橋の加島美術さんの「美祭」を拝見したあと、角を曲がってすぐの和田画廊へ。
美祭の特別企画ということで、若冲の作品を拝見。



ビルの三階だけれども、再開発予定なのか他フロアの郵便ポストはガムテープで目張りしてあった。
小さな部屋に6〜7点、水墨の作品のみ。

若冲の墨の作品が個人的に大好き。動植綵絵や極彩色の作品も素晴らしいですが、あの濃密な執拗さとうってかわって、水墨の作品はシンプル。そしてどこかユーモラス。

お土産に買ったクリアファイルに、今回みた掛け軸のキャラが集まっている。



若冲の水墨と言えば、ニワトリ。やはり、速っ!一気呵成に若冲によって紙の上に生み出された。

釣瓶に鶏図

ニワトリにつられて、いつも眼をみはる。(写真はチラシとお土産に買ったクリアファイルから)
瞬間移動したかのような、コンマ01秒の世界。筆の巧みさ、速さ。
私はずっと若冲の墨のニワトリを見るたびに、勢いで描きあげているのだと感嘆していたけれど、以前に岡田美術館(日記)で、実はものすごく細密な線を入れていることを知ってますます驚いた。
この絵も、丁寧に筋を入れている。墨の濃さも何段階かを組み合わせて計算している。
綿密に手順を構築してから、描きあげている。

それでいて、ちっともそんなふうに見せない。

若冲は、速度、それも瞬間を、紙の上に固めようとしている。肉眼じゃ追えない、動画の一時停止の先取り。

価格表を見ると、1200万円(o_o)。高いのか廉価なのか?見当もつきません。

 

「鯉図」も筆の妙味が光っていた。(写真は部分)



鱗は筋目がき。線を引くことなく、滲みによって鱗を表し出す。独特のリアルさ。

かなり難しいらしい。若冲はこの筋目がきを、動植綵絵を描くかたわらで、何年もかけてあみだした。

若冲は、立ち止まらない人なんだろう。いつも新しい表現に挑戦し続ける。深化と未踏の挑戦を並行して行う。



そんな若冲にとって、伏見人形は若冲のココロの友?。以前山種美術館で見たのは複数だったけれど、今回は単体。




今回の一番のお気に入り作品は、笑う布袋さん。

「布袋図」 実物では上部にたっぷりと余白をとり、布袋さんだけを描いている。



月を見上げているのでしょう。と思ったら、タル腹が月だ。月を抱えている。
これは愉快。

若冲の水墨はやはり楽しい。

他には「関羽図」、丸いシルエットの「双鶴図」「蘆鴨図」など。眼福。

 


●新日春展 東京都美術館1階

2017-04-25 | Art

新日春展 東京都美術館 2017年4月19日~4月24日

 

バベルの塔展でにぎわう東京都美術館。それも早く見たいところだけれど、この日はひとつ上のフロアの新日春展へ。

第50回を区切りに2015年に終了した日春展(日展日本画部春季展)を母体に、今年から場所を東京都美術館に移し開催されている。第一回展。

日展よりも一回り小さな作品が並んでいる。日展と重なる方が多いので、日展で興味を持った画家のかたの作品を見られるのが嬉しい。しかも描きあがってまだホカホカの作品。

技術的なことはわからないので、好きな作品を記録。(記名して腕章をつければ撮影可)

加藤晋「昔の約束」 おそらくにこにこして観ていたかもしれない。

 日展で出会った素敵な加藤晋さんワールドに、もう一度遊びに行く。

こっそり、いろんなものが姿を現すのですもの。

鶴は、姿を見られたしまった夕鶴だろうか。


三蔵法師一行が旅をし(ぽっちゃりの猪八戒がかわいい)、

玉手箱と羽衣の間で途方に暮れているのは、天女の羽衣の夫か浦島太郎なのだろうか?

ウサギと亀はいいとしても、タヌキやマレーバクはどういうつながりなのかわからない♪

他にも白蛇、龍、猫は発見したけれど、実はもっともっとひそんでいるかもしれない。

始めにパッと見たときは、その奥行き感に驚いた。濃い緑や青の色彩が、幻影のようでとってもしみてくる。山並みのむこうの月を見ていると、空も山並みもどんどん奥に深くなり、遠くそのまた遠くへ。山のむこうには何があるんだろう、と、子供のころ二階の窓から山を見ながら思っていたのを思い出す。

他の絵を観ていてもやっぱり見たくて、もう一度戻ってしまった。加藤晋さんは1955年東京生まれ、多摩美大を出られた。展覧会を熱望。

 

池内璋美(あきよし)(1947~)「さくら」

「桜」と銘打つ絵は多けれど、こんな桜もあるなんて。

花は少しの花びらだけ。伝わってくる、ほろりほろりしたもの。花じゃないけれど、「金のしずく ふるふるまわりに」の詩がうかんだ。

描き込んだ構成の絵が多い現代日本画の中で、はっとするシンプルさ。それだけに、質感の厚みに引き込まれた。

(写真では見えにくいけれど)子犬の毛並み感に感嘆。触れそう。

誰かを待っているのか、遊び疲れたのかな?。そこまで描かない。さくらの花びらも、丁寧にほんのり。

地の金がまた素晴らしく。金一色なのに深い奥行き。地面や空気や木立やいろいろなものに置き換えられる。

子犬、桜とともに、地そのものが主役の一つになっているようだった。

 

池内さんの不思議な世界。昨年日展で見た絵も、撮影してあった。

水路を行く」

水に触れそうなほどで、どんなふうに描いているんだろうと、可能な限り近づいてしげしげと観た記憶がある。

どんな景色でも、身近な小さな出来事でも、こんなにとくべつなものにしてしまう。犬の毛並みや水や、慣れすぎてあたりまえすぎて感じなくなってしまう手触りを、指先にまざまざと感じさせてしまう画家さんて、すばらしいなあと思う。

画像検索すればいくつかの絵が見られたけれど、この方の絵は是非実物を見て、蝕感を感じたいもの。

 

土屋禮一「苑樹」

なんてなまめかしく、官能的な木肌なんだろう。

 

きりがないので、あと少しだけに

福田知恵「天高く」


 

平木孝志「舞う」

 

前田廣子「春を待つ」

 

佐藤龍雄「水温む頃」

 

最後に、伊東正次「月下独猿図」

先日京王プラザのロビーで見た、お猿にもう一度会えた(その日記)。

同じ題、同じモチーフの絵。でも印象が違う感じ。

京王プラザの絵よりも、猿に主役感が。はっきりこちらを見ているのを感じ取れた。冷たい岩の上で、猿の体温。はぐれざるなのかな。端正な顔立ちの猿だった。伊東さんはどこかでこの猿と出会ったんだろうか。


展示数380点(!)と大変多く、かなりはしょりながら見たけれど、へとへとでした。


●東博常設 渡辺始興・狩野元信

2017-04-22 | Art

日春展のあと、東博で4月23日まで渡辺始興の代表作のひとつが展示されていることに気づき、急行。

「屏風と襖絵―安土桃山~江戸」のコーナー。

 

「吉野山図屏風」6曲一双 渡辺始興(1683~1755)18世紀

これは個人蔵で写真不可だったので、Wikipediaから部分の画像

全体ではこんな感じ(例によって下手なメモ恥)。

春うらら。始興はこんなにほのぼのした絵も描くのね!始興の絵を観たいと思ってから、一年に一枚やっと見られるくらい。観るたび画風が違い、どれもひかれる。始興はなんでも描けるらしい。

お山がぽかりぽかり。丸かったり、おにぎり型だったり。萌える緑もほんわか。山は平塗に、ほんの一部に深い緑でニュアンスいれているのが、粋。

桜の花はレース編みみたいにパターン化されていて、かわいいなあ。

金もたっぷり、しかも山間にも満ちる春霞は金砂子。金がふんわりとした役割をしていて、なんて贅沢な。「仁清や光琳の装飾意匠を借りた京風の明るく雅な造形美」とあった。

きっと近衛家や公家の発注品だと思うので、御前様や姫や女房にも喜ばれたでしょう。私もあやかり、楽しい気持ちになった。


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この部屋の他の二作

伝土佐光則(1583~1683)「源氏物語図屏風(若菜上)」

六条院の庭で、女三宮と蹴鞠をしていた柏木が出会い、道ならぬ恋に落ちる。

その御簾をあけてしまった犯人ネコがかわいい^^。唐猫ってこういう模様だったのね。

やんちゃものそうなネコの顔。

瞬間に恋に落ちた、柏木の女三宮を見る悩まし気な目線ときたら。

とっさのことで、女三の宮の目線とはからんではいない。

土佐光則って、こんなに繊細な心持を描きだす人だったとは。土佐光吉の子、光起の父。

 

俵屋宗達「桜山吹図屏風 」6曲1双 17世紀

水平線と、桜の木の垂直線、そこにクジラの背中が浮かんだような山が、おおらかで気持ちよい。

桜は胡粉で、山吹は金で盛ってあった。

アレアレてふてふと、ひらひら蝶が舞うような色紙は、1605年に描かれたもの。屏風は1624年に描かれ、あとからあわせたのにうまくはまるもの。普段使いの美意識に感じ入った。

色紙の読める字を追って少しだけ調べつつ。

「浦近くふりくる雪は白波の末の松山越すかとぞ見る」藤原興風(拾遺和歌集)

「山里は秋こそことにわびしけれ 鹿の鳴く音に目をさましつつ」 壬生忠岑 古今和歌集

 

みよしのの山の白雪つもるらし 故里さむくなりまさるなり?。かな?なんか違う。少し勉強しなくては。

 

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この日はもう時間がなく、23日までの展示の「禅と水墨画」だけはと、他の作に目をふさぎ直行。

狩野元信「四季花鳥図屏風 」6曲1双 16世紀室町時代 これだけは見たかった。

これも写真不可で残念。本物を冒涜するレベルで申し訳ない限りだけれども、記憶のよすがのメモ。

右隻は、力強い松の大木と岩から始まる。鶴の母と子供の鶴が会話している。気づけば水辺にも鴨の父母と元気そうな三羽の雛。空には飛び交う鳥の方向線が交錯している。足元には、小さなたんぽぽやすみれも発見できて、あたたかい春の世界。

左隻は、空気が一変、温度が20度くらい下がっている。葉を落とした枝には雪が積もっている。渡り鳥が降り立とうとする先には、先に到着した仲間が口々に鳴きたてている。枝にとまる叭々鳥?がそれを見る。他の小鳥たちも、それぞれ見ている先がある。

木があって鳥がいる、という構成なのだけれど、全体に流れるストーリーがある。描かれている鳥や花や木といったパーツにも、意志と心がちゃんとあって、会話がある。鳥は体のひねりや首の傾げ方も動きに満ちていて、黒目がとってもかわいい。細部もどこを観ても、見どころになる。

それにしても筆さばきの見事さに感動。

くねり立つ太い幹や、湾曲する岩、対照的にまっすぐ伸びる太い竹の根元。描かれているものすべてに力がみなぎっている。元信の強い精神に触れたような。

地面の方には、一瞬でひとはらいで描きあげられた笹の葉。先に雪を描き出しているから、見事に一枚一枚の葉に雪が積もっている。

高いところの笹の葉は密集してるので、かたまって雪が積もり、重みがかかっている。

右隻、左隻両方でたっぷりとった真ん中の余白には、牧谿のようなかすかな世界。目を凝らすと木立があるのに気づき、その深淵さに何とも言えない心持ちになる。

観られてよかったとしみじみ。元信は見るたび見惚れる。

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その他駆け足で見たもの。

「山姥と金太郎図 」月岡雪鼎筆

やさしそうで、ちょっと寂しそうな影のある山姥。

微かに糸が見える。山姥は機織りをしていたとか、里で機織りを手伝ったとか、各地で伝説が残っているよう。

クマかわいい。

東博のHPを見ると、版画も、喜多川歌麿の山姥と金太郎シリーズがそろっていたようだった。こどもの日に合わせたのかな。5月14日までの展示なので、今度ゆっくりいこう。

みられなかったけれど、いつもと少しディスプレイが変わっていて、平成29年度に新たに国宝・重要文化財指定されたもの46件を展示した部屋ができていた。(5月7日まで)

http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1860

東博のものだけでなく、全国にわたるお寺や、美術館、大学、JR東日本などの企業と、所蔵元も広範。一度に見られる貴重な機会かもしれない。

 

 


●「伊東正次展」京王プラザホテル本館3階ロビーギャラリー

2017-04-16 | Art

「日本画 伊東正次展」京王プラザホテル 本館三階ロビーギャラリー

2017.4.11~19

 

作年の日展で伊東さんの「野仏図」を見てひかれ、よくよく見たらこの大きな画が気の遠くなるようなペン描きから成っているのに気づいて目を見張り、他の絵も見られる機会を楽しみにしていた。(日展の日記

 

 ホテルのロビーに大型の3点と、ティーラウンジのわきに花の小品。半地下のギャラリーには、スケッチやはがきサイズの絵等、約50点。

ホテルなので人が行きかい、美術館とはまた違う環境だけど、至近で見られる。パブリックな場所というのも絵を観る本来の場所のひとつであるし、中国語やスペイン語やスマホで話すビジネスマンの声も気にならず、むしろホテルの程よい雑踏感がいい感じ。不思議なことに美術館よりも没頭して見ていたかもしれない。

 

 まず、「桜図(三春の滝桜からイメージして)」という大襖絵に圧倒。

わ!と声が出てしまった。墨と銀の地に、気のとおくなるような膨大な桜の花びら。これだけの数をよくも描けるものだと、この方はどれだけの時間をこの絵とともに過ごしたのでしょう。

もうなんだかどう形容していいかわからない。

伊東さんも「どうやって描いたか思い出そうとしてもあまり思い出すことができません。たぶん無我夢中だったのだと思います」と。

福島の有名な滝桜ですが、絵を超えたなにかを内から放っているよう。

左の方の太い幹をみると、りゅうりゅうとうねるようで、内から盛り上がりあふれるような。

無骨な古木の幹の細部は細かく無数の筆で描き込んであり、その膨大な流れを目で追うと、伊東さんのリズムにとりこまれ、なんだか見るこちらもその血流?と同期化してしまう感じ。幹に生命はみなぎり、流れるものがある。実物の桜をみているのじゃないのに。

この古木の幹のなかに、襖をあけて入っていくことを想像すると、桜の木の精気が体に流れ込んできそう。

それから襖の右のほうに歩くと、闇夜にはらはら散る花びら。

咲きほこる花も、散る花びらも、夜の闇も美しくて、やっぱりなんかもうどう形容していいかわからない。

この闇夜の襖をあけてこの中にはいったら、どんなに幻想的な夜の世界なんだろう。

咲いて、樹を離れて散っていく花のかすかな呼吸。

まだこの三春の桜を見たことがないけれど、この絵で観られただけでもよかった。観るというより、感じる時間だった気もする。

 

それからこの絵の前を離れて、「岩上独猿図」へ。

少し高いところに展示してあったので、まず下の方の枯草が目に入る。それが筆ではなく、銀箔を貼っているのに驚き。それも荒々しく。

岩の放出するパワーときたら。岩の「意」が迫ってくるような。

 着色でというよりは、これも日展の絵のように、ペンでみっしりと描いてこの岩の立体感、硬い岩肌を表し出している。岩が、中の中まで無限の粒子でできてることを思い出す。どこの細部を観ても、膨大なもの。自然のものも、どれだけつき詰めていっても空でなく、膨大な細胞からなっていて、最後は元素に行きつき。とか思ったり。

これだけ緻密なのに、「暴力的」という言葉が浮かぶ。適切ではないのかもしれない。どうしてそう思ったのかなと思うと、たぶん人力を超えた自然の圧倒的なものを感じ、畏れの念がよぎったのかも。この長い作業の間に、伊東さんは岩の中にそういうものを感じていただろうか。

気付くと猿がこちらを見ている。目が合う。はってある銀箔もきっちりではなく、ゆらりとこの情景がゆれるような。逆光が輝く。ふと幻惑されるような。

 

それから「枯松上梟図」 壁一面の大きさ。

長谷川等伯の水墨(日記はこちら)を思い出す。あの絵ではカラスとふくろうの関係性に悩んでしまったのだった。

これは梟も烏も朽ちた木も森もすべてで、自然の気となる。人間の領域じゃないよう。

そしてこの樹の無数の枝↓↓のところには、心がいっぱいになった。突き放されたようで、泣きそうになる感覚。

凄い、としか。自然から受けた意をそのまま私はここで感じたような。写実なのか細密なのか、描く人が自然の意を体に取り込んで、そのまま腕から筆先からペンの先から表出させたよう。

 

三点の絵それぞれの、自然に憑依していたような膨大な時間と行為。伊東さんの絵を観て打たれるのは、そのかけた時間と行為によって、自然の内にある呼吸、精、めぐるもの、エネルギーなどをそのままに感じてしまうからなんでしょう。

鑑賞というより、感じる体験だった。

 

伊東さんは1962年 愛媛の久万高原生まれ。多摩美大を出、昨年の日展の出品作では特選も取られた。

花の絵やギャラリーに展示されていた木のスケッチも、心に残る気配を放っていました。

特に木のスケッチでは、山歩きのネイチャーガイドさんに聞いた話を思い出した。木は中が空洞になって、外側だけになって立っているものもあるけれど、養分や水を取り込んでいるのは外側の部分なので、立派に生きているのだとか。空洞で朽ちたような外観は壮絶ですらあるけれども。

次に伊東さんの絵を観て感じられのを待ち遠しく楽しみにしていよう。


●浅草寺「大絵馬・寺宝展と庭園拝観」

2017-04-09 | Art

浅草寺「大絵馬・寺宝展と庭園拝観」http://e-asakusa.jp/culture-experience/5154

2017年3月10日(金)~5月8日(月)

 

先日、浅草を通りがかりに歩いていたところ、「伝法院大絵馬寺宝展」のポスターに遭遇。

柴田是真、歌川国芳、鈴木其一の文字に吸い寄せられ、浅草寺の本堂の南側の伝法院へ。伝法院は浅草寺の本坊。将軍や宮様の貴賓室として使用されていたそうで、この時期の期間限定公開。


絵馬は宝物殿に展示。所蔵200点の内の約60点。幅も高さも4m超えの巨大絵馬がびっしり。もとは本堂にかけてあったけれど、戦前に本堂修復の際に蔵に移されていたために、焼失を免れたそう。

写真不可だけれど、ガラスケースもなく、足止めすらもなく、むき出しでかえってひやひや。木肌の傷みや絵の具の剥落までく見える。

浅草寺の歴史もこの機に勉強になりました。推古天皇の時代にさかのぼること1400年。時の権力者に庇護され、江戸時代以降には庶民にも愛されたお寺。

絵馬は、元来は生きた馬が奉納されたのですが、次第に土や木材で作られるように。

 

室町後期~桃山時代の寄木造の神馬(幅約170センチくらい)は、目が玉眼で、ただならぬ気配。ご神体の風格。

 

それがいつしか、絵で描かれるように。

徳川秀忠(上段)、家光(下段)がそれぞれ奉納した、繋馬(つなぎうま)の金蒔絵もさらっと展示。

写真では同じ大きさだけれど、実際は家光のもの(下段)が一回り小さい。父に遠慮したのだとか。


いくつかの絵馬のうち、谷文晁の「神馬」1831 はとりわけ凄みがあった。

「絵馬がよなよな田畑を荒らすので、左甚五郎が綱を描きいれたら止まった」というあの伝説は、浅草寺の寛永の絵馬にまつわるものなのだとか。これはそれより年代が後の作なんだけれども、それを念頭にしたものか、絵から暴れ出てきそうな激しさ。

 

馬以外に、様々な題の絵馬が描かれるようになったのは、中世以降のこととのこと。

江戸中期になると都市の発展とともに力をつけた町民も、絵馬を奉納するようになる。

この町民パワーによる絵馬がとても面白かった。

奉納者の威信をかけた?巨大さ。(本来の絵馬の意味とまったく関係ない)モチーフの奇抜さ。もはやお披露目することが一大イベント、庶民の楽しみとして、話題もちきりだったかもしれない。


どれも超逸品だったけれど、年代不順に勝手に絞ってみた。

★★妖しの3TOP

人気町絵師の高嵩谷 (こうすうこく 1730-1804 )「源三位頼政ぬえ退治」1787(天明7年) は幅約4m。

描かれた人物のほうが観る者より大きいので、大迫力。頼政の眼がぎょろり。必死の抵抗をみせる黒々したぬえ。

その弟子の高嵩渓の「猩々舞」も、幅4mと圧巻の大きさ。大きい絵馬を頼むなら高さんとこって定評だったのかな?


歌川国芳「一つ家」1885年(安政2年) は吉原の遊郭「岡本楼」の発注。

浅草の近く、花川戸に残る伝説。ここに住む宿屋の老婆が娘を使って呼び込んだ客を襲って金品を奪う。999人目の客の稚児をかばった娘を、老婆は知らずに殺してしまう、するとその稚児は観音様だった、という伝説に基づく。

国芳の肉筆が嬉しい。

国芳は、この絵馬のお礼の宴席に呼ばれ、泊っていくよう勧められたけれども、断って帰ったところへ安政の大地震。岡本楼は倒壊し、国芳は命拾いをしたという逸話付きの絵。


柴田是真 「茨木」1883年(明治16年)

鬼の茨木が、羅生門で切り落とされた腕を、乳母に化けて取り返してきたところ。赤い腕をしっかり抱えて、ぶわっと風を巻き込んでいる鬼。振り返る鬼の緊迫感としてやったりの表情ときたら。

浅草に住んでいた是真。これは五代目尾上菊五郎の発注で、興行中は仕切り場に飾り、終了後に奉納されたもの。

 

★★歴史の名場面:日本編3TOP

寒川雲晃「盟神探湯(くかたち)」1870年

幅3.6mとこれも大きい絵馬。疑いを晴らすために、熱湯に手を入れ、真偽をはかる「くかたち」の場面。手を入れているすごい気迫のおじいさんこそ竹内宿祢。

覗き見る男女の目線と、もうもうとした湯気が印象深かった。

 

狩野一信「五条橋の牛若丸と弁慶」1847年(弘化4年)

なんだか三角形のバランスがいいというか。


長谷川雪旦「錣引き(しころびき)」1840年(天保10年)

歌舞伎の見えを切ったような、決めポーズで静止している感に拍手喝采送りたくなる。

源平物語のエピソードを描いた絵馬はいくつもあったけれど、これも屋島の合戦。(上側の)悪七兵衛景清が、三保谷四郎の兜のしころを引きちぎるシーン

長谷川雪旦(1778~1843)はもう一点あった。めったにないけど思いがけず作品を見かけ、そのたび足が止まってしまう雪旦。狩野派の門人。雪舟に私淑し、のち長谷川派を称した江戸生まれの絵師。

 

★★歴史の名場面:中国故事編2TOP どちらも悔しすぎな場面。

堤等林(三代)「韓信股くぐり」(天保期?)

漢の武将、韓信が若いころ、チンピラたちに股をくぐれという辱めに耐えたという、史記の逸話。チンピラたちがいかにもワルそう。こんな場面を絵馬にするのはどのような理由かあるのかな。

 

入江北嶺(1810~81)「子譲刺衣」1841(天保12年)

晋の子譲は、恩人の敵を取ろうとして捕らわれる。その忠義に免じ放免されるが、願い出て敵の衣をもらって刺し、自害する。

 

無念さがすごい。

函館生まれの絵師。この絵の評判を聞くため、3年間「乞食」にまじって、浅草寺に寝起きしたとか。子譲と同じく、執念の一枚。

 

★★おや、ここにあの方が!編

お、渡辺省亭の御師匠様では。 菊池容斎「堀川夜討」1848嘉永元年 

義経の寝所が急襲され、家臣の土佐坊昌俊が弓を貼る。さすが師匠。緊迫感と共に美しいなあ。奥で女性に起こされるのが義経かな。

省亭は、最初は上述の柴田是真に弟子入りを願い出たけれども、キミの絵なら菊池さんとこのほうが合ってるんじゃない?と言われ(たぶん)、是真が連れて行ってくれたとか。当時の絵師付き合いが面白そう。

 

おや、高橋由一の息子の高橋源吉が。「商標(ヤマサ←かさかんむりにカタカナのサ)感得」。油彩の絵馬も出てきた。

ヤマサ醤油の創業者が商標を考えていると、夢に娘が信心している浅草観音が現れ、筆を取らせたというもの。

机の紙には、ヤマサマークが書いてあった。額の下のところに、奉納者の「醤油の元祖、千葉県銚子港 濱内儀兵衛」と書いてある。展示の中では他に油彩はなかったと思うけれど、どうして高橋源吉に頼んだのかな。なにかつながりがあったのか、それとも広告効果を狙ったのかな?

 

鈴木其一「伽陵頻伽」1841年

サントリー美術館の其一展でも展示されていたけれど、ここではガラスなし、じっくり至近で見られて感激。木の傷みや絵の具の剥落まで。

奉納は「吉原二丁目の佐野槌屋」。

サントリー美術館では目がいかなかった額装も、解説があり、これは裏に額師として「源路房」と名があるとか。他の絵馬も木枠だけでなく、金物のあしらいのあるものも。きっと額装も見る目のある方が見れば見どころなのかもしれない。

 

★番外編:眠れない夜にはコレ

沖冠岳「四睡」1870年

見たときも今も、つられてあくびがでた。寝ているのは、寒山と拾得と虎。それが4mを超す大画面で、こんな顔して寝られちゃったらもう。


他には、川辺御楯、抱一の弟子の池田孤邨も。夢中になった絵馬めぐりでした。

 

 伝法院の庭は、混雑の仲見世とうってかわって美しく静か。拝観料300円の効果は絶大。

 

起伏にとんだ庭は、小堀遠州の造園。水辺もあり開放的で美しい上に、歩くと小川、木陰、ちょっと奥まった東屋、ひっそりした小径など隠れ家感。花も様々見つけられて、発見が楽しかった。

名前はなんだったかな

木瓜

カジイチゴ

シャクナゲモドキ

 この日は五重塔は改修中でしたが、塔みたいなフォルムのルピナスが代役を務めているかも。


 


●山種美術館 「日本画の教科書ー東京編」

2017-04-08 | Art

山種美術館 「日本画の教科書ー東京編」 2017.2.16~4.16

先日ですが、京都編に続き、行ってきました。

京都編では、伝統と文化を大切に思う民間人の心意気を感じました。産業としても振興させたいという現実味も印象深い。

今回の東京編は、絵が素晴らしいのとはまた別に、近代国家を目指す首都ならでの多少きな臭い面もにじみ出ていました。画家たちはどう活躍の場を得たのか、二大潮流の日展系と院展系に分けて展示してありました

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1887年に岡倉天心らの尽力で開校された東京美術学校(現藝大)は、天心のゴタゴタにより98年には在野の日本美術院(院展)へとつながる。この辺りは映画「天心」にも描かれたけれど、天心よりも彼を取り巻く画家のほうがたいへんだったんじゃないかと思ったり。

一方、1907年に「文部省美術展覧会」として出発した官営の文展は、フランスの官設サロンに倣い始まる。その後帝展、新文展と変遷、そして今の日展に至る。

そして、二大潮流に属さず、「孤高」と呼ばれたり、新しい美術団体を立ち上げたりする画家も、存在感があった。

 

渡辺省亭(1851~1918)も、そんな一人なんでしょう。どこにも属さない。展覧会への出品もやめてしまう。だからこんなに画力があって、当時売れっ子でも海外でも評価されていたとしても、時がたつにつれて、観られる機会がなくなっていく。mottainai。

昨年東博で「赤坂離宮花鳥図下絵」に出会ったのは、偶然じゃなくて、没後100年という節目で仕掛けていた人たちがいたからこそ。ありがたいです。
加島美術さんでも、省亭の一枚の絵に出会った方の熱意から始まり、加島美術さんの回顧展はじめ関連展示が開催中。

山種美術館でも、省亭が二点。

渡辺省亭「葡萄」 省亭の鳥ばかり見ていたので、ねずみは初めて。

葡萄はうすく描かれ、枯れた枝と欠けた葉、それでよけいにねずみの生々しさが際立ってしまう。その(苦手な)ねずみときたらこっちを向いているし、その足が今にも駆け寄ってきそうだしで戦慄がはしり、退散。お餅なんかといっしょに描かないところがいいんだけれども。


渡辺省亭「月に千鳥」は掛け軸。この筆の速さ。”日本的らしい絵”というと私にはよくわからないけれど、この線のキレ、無駄のなさは、日本の魅力では。

穏やかな菱田春草のあとに観たので、省亭の線の速さがよけいに際立って感じられる。そして画面も急に外へ広がっていく。墨でざっとひかれた岩や草も、書道のように一気呵成。どちらも一瞬に、省亭によって絹本の上に生みおとされている。

千鳥は、三羽。画面の外へと羽ばたいている。それぞれの体のひねりと動きを、省亭はとてもよく見てとらえているみたい。千鳥の眼はなにかを伝えてきて、しみじみ寂寥感もあるのだけれども、べたつかない。やっぱり孤高という言葉がしっくりくる。

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山種美術館では、入ってすぐの壁にどの絵を持ってきているかが、小さな楽しみだったりする。

今回は、松岡 映丘(1881~1839)「春光春衣」。やまと絵風の雅な絵から始まっていた。

映丘は柳田国男の弟、やまと絵を近代に復興させた。文展に入選して以来官展系で活躍した、と。本流なんでしょう。彼の弟子(高山辰夫、橋本明治、山口縫春、山本丘人)も個性的な画家がそろっている。


でも二枚目の、橋本雅邦「ヤマトタケルの尊」を観ると、東京編の冒頭は、こちらでもよかったのかも?とふとよぎる。いえこれじゃ重厚すぎ?。もしかしたら今回はこれら正反対の二枚で、冒頭セットなのもありかも。

ふんㇴっ。手にもぐぐっと力がこもっている。

明治の西洋化の反動によって、洋画家が歴史の主題を取り入れ始めたなか、日本画界でも歴史画は重要な位置をしめたそう。


心に残った絵。

菱田春草「釣帰」、1901頃の、煙雨が淡くなんともいえないほど。蓑の漁師の人影も丸みがあり、心にしみわたるようで、大好きな絵になった。 

春草の「月四題」は、この日は秋と春の二幅。1910年、亡くなる1,2年前。

月の姿は、秋と春でこんなに違う。秋は明瞭に澄んでいた。それに対して、春はおぼろ月でほのかなのだった。

秋の葡萄の葉は、ところどころの濃い墨が空の暗さのようでとても美しかったのだけれど、桜は、花影のなかに光を照らすように、胡粉が点々と重ねられていた。

はらはらと高いところから舞い落ちる花びらが、心もとない感じ。

こんなに繊細な春草の感性に触れてしまうと、若くして亡くなってしまったのが悲しくなってしまう。


西郷孤月(1873~1912)「台湾風景」1912 は、遠目にも目に飛び込んできた、異国の印象的な絵。孤月の絵を岡田美術館で見て以来、絶筆ともいえるこの作品を観たかったところだった。

ヤシの木は頭で切り取り、横長にトリミングされた画面。そこへ垂直な線。風景のむこうに、煙突工場。さらに遠景に山並み。よく見ると水牛も歩いて、なんだか望郷のような。

雅邦の娘婿でありながら、転落?人生。再起をかけた、斬新な意欲作なのだけれども、焦っている気もせず非凡な才が際立っているような。放埓がたたったとか言われているけれども、なんで日本でうまくやれなかったかなあと、長い事情を聴いてみたくなる。

 

下村観山「不動明王」1904 31歳、留学中の作。陰影など西洋画の影響を受けたと解説にあった。彫像も見たのだとしたら、何をみたのだろう?。痩せマッチョ。筋肉美の絵では日本初だったりするかな?

細密な線で描かれた顔、眼力がすごい。


観山の「老松白藤」1921年 は二度目。前回も胸がいっぱいになるほどだった。でも今回は感動とともに、観山はこんなに色気のある絵を描くのかと意外に思えた。以前に観た寿星と鹿の表情も、もしかしたら情愛だったのかなと思い返す。


松の力強さ。目にしみるような青々とした松葉は、生気あふれている。したらせた藤の花は、女性がやわらかな透けるショールを、ふわりと松の背後からかけるような。藤の枝もまるで両腕を松にからませ抱き着くようで、官能的にすら見えてくる。

 

石井林響(1884~1934)「総南の旅からー隧道口」1921、初めて知る画家、そして大好きになった絵。

林響は、雅邦の弟子。「歴史画を描いていたが、大正には新南画や琳派をへて風景、自由実あふれる絵を描いた」。

文人画みたいな、岩のむこうにいっちゃった岩。自由で、池大雅を思い出す。形にとらわれずに意を描いてるよう。

トンネルのむこうに明るい村、輝く海が!手ぬぐいの女性もいい顔していて、平和。

三幅対で、他の二幅は、千葉の「仁右衛門島の朝」と「砂丘の夕」という。画像で見る限り、文人画のようなとてもひかれる絵。セットで見たいもの。

 

小林古径「清姫」1930、初めて本物をみることができた。

古径は、過去の文学や絵に依ったものでなく、「伝説を意識に浮かべながら絵画化したもので、いわば私のでたらめにすぎない」と。

「寝所」 そおっと屏風を押して安珍を見る、なんだか子供みたいな恋心がいじらしい。でも不穏に漂う空気、清姫の一筋乱れた髪。

「日高川」 まっすぐになびく髪が、とめられない気持ちのようで、一度見たら忘れられないシーン。

「鐘巻」 安珍が隠れた鐘を焼き尽くそうとするシーン。白い身体に赤い舌が印象的。でも力の強くはない女性っぽくて、そんなに怖くなくて。恐ろしい大蛇に変貌しても、精いっぱいの姿がこれかと思うと、なんだかかわいそうになる。焼こうとしているのではなくて、安珍に出てきてほしくて鐘に手をかけて懇願しているのかもしれない。

「入相桜」 古径は、8枚組のこのシリーズの最後をはらはらと散る桜でしめていた。花も蕾も、今はもうかわいらしく描いていた。

清姫によりそう古径の気持ちが、やさしいなあと思う。

 

落合朗風(1896~1937)「エバ」1919 再興院展に出品された。

圧倒的な緑に、ほろほろ鳥、ケシ。エバがヒンズー風の女性なら、禁断の実は桃に。眼を見張る大きな屏風。

こんな大作なのに、この人の他の絵を観たことがない。この時にまだ23歳。若気の至りと情熱の持ち主に、神が落とした絵なのかもしれない。

朗風は、働きながら川端画学校に学び、のち小村大雲に師事。院展、帝展に出品したが、青龍社に参加。のち脱退し、自由で明朗な芸術を目指したそう。

 

そして、後半は戦後の画家たち。

官展は、戦後1946年に日展に改名。特徴を「厚塗り・抽象・内省的」と解説していたけれど、なるほど。高山辰夫、東山魁夷、杉山寧らの展示だった。

一方院展は、「院展らしい清澄な画風」と。土牛、安田靫彦、前田青邨、小倉遊亀、これもなるほど納得。

高山辰夫「座すひと」1972

蓼科で山を見ていると、人がいるような感じをうけたと。

 

安田靫彦「出陣の舞」は、信長の狂気と、行く末まで暗示している。

 

前田青邨(1885~1977)は「腑分け」1970と「大物浦」1968。この日はとくに「大物浦」が心に残った。

前田青邨では同じく平家物語を描いた「知盛幻生」の海も忘れられないけれども、この嵐の波と、海の碧さとにも見入ってしまった。83歳の作とは。

なすすべもない小舟には、弁慶と義経の姿も見える。

青邨の婚礼の媒酌は下村観山とか。前田青邨展もあるといいなあ。

 

前田青邨の弟子、岐阜で同郷の、守屋 多々志(1912-2003)「慶長使節支倉常長」1981


パウロ五世に謁見した常長。守屋 多々志も1954から二年、政府留学生としてローマに留学していた。その自分の実感を重ねたような、常長のたたずまい。サンピエトロ大聖堂や遺跡も詳細に描かれていて、白い柱は長い時間も描きだしていた。

黄色い風景や白黒タイルが現代風なのに、お侍さん。ロマンあふれてて、海みたいな大風景も時間軸も広やかで、ゆったりした気持ちになれてよい。


小倉遊亀「涼」1977 も気持ちがゆったりした絵。

先斗町の料亭の女将。これだけの存在感なのに、おおらかで涼やか。人物の器の大きさ哉。遊亀は「写実に徹して、写実にとらわれず、虚にして真実をつかみたし。大市さんの顔はむつかしきかな」と言っている。

朱塗のお盆のつややかさ、九谷の器の質感も、見とれた。


ここで閉館の時間になってしまい、残りは3分くらいで駆け足で見ました。お楽しみの和菓子もいただけずに残念。