私は俳句の世界にうといのだけど、
たった17文字の言葉がこんなに視界と五感を広げてくれるのか、と心動かされている。
つい先ほど目にした俳句、
一瞬に心つかまれ、その後にじわじわと様々な思いへ広がっていく。
〈かき氷 含めば青き 海となる〉
さーっと、私の目の前に青が広がった瞬間だった。
小林凛さん。
現在は17歳くらいかな。
いじめを受けた小学生の頃から俳句を作り、句集も発表。ご存知の方も多いのでしょう
俳句のはのじもよくわからない私が、引き込まれて、次々と別の句も読み進めてしまった。
〈 葱坊主触れたくなりし下校道 〉
小さいもの、弱いものと共にある。まさにそこに彼自身が立っている。
小さいものが、めいっぱいに抱える心情が、こらえきれずに堰を切ってしまいそう。
〈いじめられ 行きたしいけぬ 春の雨〉
日野原重明さんに送った句は、思いつめて苦しくなるようなときにも、ぽーんと天井が抜けて、空が見えそう。
〈 百歳は 僕の十倍 天高し 〉
こんなに素直な思いを表現にできるってすごい。
うそのない、虚飾もない、素直な優しいものの見方をするひとを想像。
そして孤独を知るひとの強さ。
小林一茶の「やせガエル 負けるな 一茶これにあり」、が一番好きな句なのだそう。
〈春の虫 踏むなせっかく 生きてきた〉
これはいつ頃の句だろう。
〈生まれしを 幸かと聞かれ 春の宵〉
10代のひとの句に、ひとつひとつ立ち止まる、人生後半の私。
生きるとはなにか
生きるとは「抗う」ことである
と。
こちらから
以下、yahooニュースからの転載
壮絶ないじめ体験を乗り越えた注目俳人、小林凜に長谷川櫂氏が贈った大きなエール
7/18(水) 6:00配信
壮絶ないじめ体験を乗り越えた注目俳人、小林凜に長谷川櫂氏が贈った大きなエール
エッセイにも登場する愛犬すみれと小林凜
地球上にはさまざまな人がいる。いてもいい、いや、いるべきなのだという思想は二十一世紀の現代に確実に広まりつつある。しかし、それはまだ社会の表面のできごとにすぎず、いったん人々の日常に分け入れば、世界には人種、民族、性別、障害などによる差別や迫害に苦しむ無数の受難者がいる。
小林凜君をはじめて知ったのは十年近く前のことになる。毎週、朝日俳壇に寄せられる六、七千枚のハガキの中に「小林凜 小三」と書いた一枚がまじっていた。
紅葉で神が染めたる天地かな
小学校三年生にしては、ずいぶん大人びた句だと思った。同時に九歳の子どもを早々と大人びさせてしまった巨大な孤独の存在を一枚のハガキの向こうに感じた。
あとで知ったことだが、凜君は九四四グラムの未熟児で生まれ、その後も発達が遅れたために小学校では、彼の言葉を借りれば「クラスメートの格好のオモチャにされた」。中学校に進んだものの「いじめ」のために不登校になってしまう。
知っておくべきことは、凜君をいじめたのは子どもたちばかりでなく、多くの場合、学校と先生たちも「いじめ」を否定し無視するという形で「いじめ」に加担したことである。悲しいことにこれが学校の現実である。こうした孤立無援のただなかで凜君は俳句に出会い、俳句を作りつづけてきた。
今、俳句は小学校から教える。子どもたちは友だちや先生といっしょに俳句を作る。たしかにそれは学校における幸せな俳句の姿といえるかもしれない。凜君と俳句の関係はこれとは明らかに異なる。クラスメートや先生の「いじめ」に対抗してただ一人、凜君が俳句という無防備な砦に立てこもっている構図になるだろうか。
田に帰す小さき命やちび蛙
葱坊主触れたくなりし下校道
壮絶ないじめ体験を乗り越えた注目俳人、小林凜に長谷川櫂氏が贈った大きなエール
『生きる』小林凜[著]小学館
雀、蛙、蜘蛛。凜君はしばしば小さな動物を詠む。あるいはタンポポや葱坊主のような小さな植物。どの句からも凜君の思いやりと優しい心が感じられる。しかし、これらの句は小さな動物、小さな植物を虐げるものへの抗議と抵抗であることを忘れてはならない。
生きるとはなにか
生きるとは「抗う」ことである
「生きるとは」という詩の冒頭の二行。平均的な十六歳(当時)の高校生の人生観と比べれば、悲壮すぎるくらい悲壮である。しかし悲壮には悲壮でなければならない理由がある。
これからも凜君は俳句とともに闘いつづけるだろう。そして俳句とともに闘うことの苦難と幸福をやがて知るだろう。
存分に闘いたまえ、小林凜君。
[レビュアー]長谷川櫂(俳人)
1954年熊本県生まれ。俳人。朝日俳壇選者、ネット歳時記「きごさい」代表、東海大学文芸創作学科特任教授、神奈川近代文学館副館長。「蛇笏賞」「奥の細道文学賞」「ドナルド・キーン大賞」選考委員。『俳句の宇宙』でサントリー学芸賞、句集『虚空』で読売文学賞受賞。『俳句の誕生』『四季のうた』ほか著書多数。読売新聞に詩歌コラム「四季」を連載中
小学館 2018年7月18日 掲載