松岡美術館 「松岡コレクション 屏風と掛軸ー大画面の魅力・多福対」
前期2017年10月4日~11月26日、後期2017年11月28日~2018年1月21日
(今は後期展なのですが、前期の日記です)
前から楽しみにしていた展覧会です。
魅惑の大画面。
西洋画の宗教壁画などの大きい画も素晴らしいですが、日本の大画面は格別。
シンプルで数本くらいの線で描いただけでも、その部屋を豊潤な別世界にしてしまう。
かと思えば、この大画面にそこまで描き込むか⁉ってくらいに、ウォーリー君もびっくりな細密なものもある。
HPに展示リストがなかったのですが、行ってみてびっくりのビッグネームぞろい。前宣伝に力を入れる展覧会が多い中、なんと謙虚な。
以下、とりわけ心に残ったものの記録です。(スマホのシャッター音が出ないように設定すれば、写真も可)
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まずは狩野春笑(1646~1715)「養老勅使図」で和む。
お金持ちの発注と思しきりっぱな金屏風だけれど、人物がゆるくていいのよ。
狩野の中でもやまと絵寄りの鮮やかな屏風。あちこちにお花見スポットだって散りばめてある。
狩野春笑は、狩野秀頼(元信の次男)を祖とする分家筋の山下狩野の絵師。この雅びさ明るさは、先日京博の国宝展一期で見た、秀頼の「観楓図屏風」を継承しているのだろうか。
作者未詳の「源平合戦図」江戸時代 数ある源平合戦図でもこれは秀逸。細密の極み。
六曲一双の屏風なのに、全体を撮り忘れるという失態を犯してしまったのですが、
右隻は「一ノ谷の合戦」、左隻は「屋島の合戦」。(パウチした解説が何枚か置いてあるので、手にもって見比べられます)
有名シーンだけでなく、私などでは知らない小ストーリーまで描きこんである!。これだけで源平合戦が学べそう。
全部でいったいどのくらいの人がいるのだろう。千人は超えていると思う。
たいへん細密なのに、その一人一人の動きは生き生きと臨場感がある。人物は大きめの目でかわいい感じゆえ印象に残る。描きこんだ場面からは、ウマの足音、合戦の雄たけびまで聞こえそうなほど。
また、着物の柄の美しさ、波の青の美しさや、木々の描き分けの豊かさまで、細やかに丁寧に仕上げてある。一分のスキもないのでは。
内裏の内には、安徳天皇、母の建礼門院、祖母の時子が見える。御簾の透け感まで気を抜かない。
一の谷の合戦前夜に、愛妾を呼び寄せた平通盛。それをいさめる弟の教経。
有名なひよどり越えの逆落とし。90度(‼)傾斜をものともせず、向かう方向は(ちょうど映り込んでしまった非常口の)矢印通りに平家の陣に一直線。
平家の越中前司盛俊は、猪俣則綱に騙され、田んぼに突き落とされて討たれる。
薩摩守忠度(清盛の弟)は、右腕を切られ、六野太忠純に討たれる。くっ無念じゃっ。
そして合戦の舞台は、瀬戸内海の屋島へ向かう。
左隻は青色と白波の海がたいへん鮮やか。海の美しさがこの屏風の特徴の一つでしょう。
でも現場では、海上の混戦ぶりがすごい。イモ洗い状態に人馬がひしめき合ってる。
那須与一の扇を射抜くシーン。この絵では、すでに扇が射抜かれて宙を舞っている。
弁慶がいた。7つ道具で身を固めているとのこと。熊手,薙鎌,鉄の棒,木槌,鋸,鉞,さすまた(諸説あり)のうちのいくつかが見える。
屋島の安徳天皇の内裏に火を放つ。木々まで、緊迫感を感じているよな。陰影や立体感まで丁寧に描かれている。
あっちもこっちもドラマ満載。いくら時間があっても足りないほど素晴らしいのに、作者は未詳とは。いったいナニモノだろう?。きっとほかにも屏風や絵巻を手掛けているはず。いつかこの人、または工房と思しき「作者未詳」の作に出会えるかもしれない。
始めの二作ですっかり時間を取られてしまった。閉館時間は5時。後は急ぎ足に。
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この日の床の間は、松花堂昭乗の「菊図」。畠山美術館でこの人の鶏とひよこを見てからファンなのだ(日記)。
小さいので細部は単眼鏡でも見えにくかったけれども、一輪の菊と、それを待っているかのように置かれた花入れ。床の間全体がいいしつらえ。
解説によると、一枝の菊を描くのは、唐時代の「折枝花」という画題。昭乗はよく折枝花を描いており、特に菊は「一本菊」と称して知られるとのこと。ちなみに後期では、応挙が昭乗の菊を模して描いた「菊図」が展示される。これも行かねば。
昭乗は、書は近衛前久に、画は狩野山楽、山雪に学んだとのこと。師匠も素晴らしい。
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荒木十畝「春秋花鳥図」は、前期は右隻の展示。春の情景。
桜の木もいいけれど、むしろ地面に目が行く。ほんのりと桃色の桜の花びら、土筆、スミレ、雀が、たっぷりとした余白に遊ぶ。春の地表の情景。
左隻は後期展示。
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円山応挙の大きい作が2点も。これを独り占めできる至福の時間。
円山応挙「遊鯉水禽図」1971(48歳)
右隻は夏の木陰。金の雲間を漂いながら、いつの間にか水中に。水の透明感は幽玄な深い藍だった。
水辺に、カメ、鯉。その自由さは、さらさらと気持ちがよくて、肩の力も抜ける。
カメの泳ぐ姿って、癒される。なんであんなに重い甲羅を背負っているのに沈まないんだろう・・
鯉がいい顔している。
さすがは応挙、鯉のうろこや、水辺の鳥も毛や足まで細密に描いている。青紅葉、シダや萩の葉も清々しい。
左隻では、季節は一変。凍てつく雪景色。湖面は凍っている。
厳しい自然環境と対照的に、雁たちはとても温かみをもって描かれている。
雪を目で追うものもいる。そこには一時、日差しがさしてほんのり。
応挙の人柄が偲ばれるような屏風だった。
円山応挙のもう一作は、「猿鶴之図」18世紀 のちの大正天皇の立太子礼のお祝いとして、一条侯爵が献上したもの。
両幅の枝が呼応し、大きな弧を描いている。猿の視線は二羽の鶴へと受け継がれ、ここにも円環が。贈り物としても円満な感じ。
猿がピースフルな顔で。
両福で、縁:少しの黒:さらに少しの赤。この比率と配置がいい感じ。
これも応挙のハートフルな作だった。
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寺崎廣業「春海雪中松図」1914 角がないふっくらした感じがお気に入り。
右隻は、松林のすきまを海風が通り抜ける感じで清々しい。海面のさざ波も涼しげ。
対して、左隻は、しんと留まった空気。動きはない。
でも重苦しい空気ではなくて、雪の翌日の晴れた日の明るさ。ぽってりとした雪がいいなあ。
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狩野常信は二点。どちらもとてもよかった。
二幅対「富士三穂図」 いろいろな世俗事に悩まされた後の、今はもう達観して凪いだ境地のよう。
右幅 すうっとした稜線が心地よい。松も海も、各々が主張せず、静か。
左幅
右が高さなら、こちらは水平。海と雄大な山々を遠くに望み、小さなことなど忘れそう。
でも着陸すると、太平洋の波が寄せ、松の確かな息遣い。そこにいるような気持ちになる。
手慣れた描きぶり。大人の平常心。でもふと細部には経てきたドラマティックがあるような?。もはや受け入れて久しく、少し孤独さが漂っているかもしれない。
常信のもう一点は、「林和靖・山水」。画風も変わって、漢画的なしっかりとした線。
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すりすりとペットみたいについてくる鶴。それを見遣る林和靖の優しい表情。
上村観山もこのように優しく愛情深い表情で林和靖を描いているけれど、この画を見たことがあっただろうか。
これは晩年の70歳頃の作。常信は、狩野探幽の弟の尚信の息子。14歳で父を亡くし、木挽町狩野を継ぐ。叔父の安信に疎まれ、老年になってやっと法眼の地位を賜ったとのこと。これはその後の絵。
お父さんの尚信も好きだけれど(そんなに見てないけど)、常信の絵も上滑りな感じでなくて、余計な力が入ってるわけじゃないのに、しっかり中身がある感じ。狩野のそれ風な絵をただ描くのではなくて、描く対象に気持ちも入れて描いているような。だからしみじみと見入ってしまう。
その常信を邪険にしたらしい、叔父の狩野安信の絵もあった。安信って自分が探幽にコケにされたから、負の連鎖で画力のある常信に転嫁いびりしてた?。邪推だったら安信に申し訳ない。
安信の絵も、ちょっとゆるいところがいいお味。これはこれでこのままでいいのでは。
狩野安信「衣通姫・明石・須磨」17世紀 こちらはやまと絵風。
解説では、衣通姫の伝説と、明石・須磨の風景は関係がないけれども、源氏物語の配流と結び付けたもの。衣通姫は、古事記の「貴種流離譚」のヒロイン。同母兄の木梨軽皇子と恋に落ち、皇子は伊予に流される。姫は命を絶ったという悲しいお話。
姫は悲し気。(でもちょっとゆるい系な・・)
解説では、安信は学究肌の理論家。「画道要訣」を著し、資画(天性の才能による絵)よりも、学画(古典学習を通して習得した絵)を重視した。それは資質の異なる後進の育成には有効であろうけれども、尚信や常信にはセマ苦しいかもしれない。
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橋本雅邦も二点。どちらもさすがの貫禄の作。
「春秋楼閣山水」1902 達観している感。線もさすがの美しさ、滝も惚れ惚れ。
雅邦の欄間の「藤図」は圧巻。大胆にして洒脱。
生木の木目が、向こう側の間まで透けてゆくように見えてくる。木なのにまったく遮断しない。
こんな欄間がはめ込んであったお宅って、いったいどんな家なんだろう。後期にはこの裏面が展示される。同じ藤の夜の情景とのこと。これは見に行かねば。
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4幅の文人画にはさらにびっくり。大好きな山本梅逸と、浦上春琴がある。そうと知っていれば、もっと時間を残しておいたのに。そして小田海僭、貫名海屋。
一見は似ているけれども、それぞれ個性的。
彼らは同年代。これらの作はほぼ同じ年に描かれたもの。皆、60才代、地位も安定したころでしょうか。
先日から泉屋博古館と静嘉堂文庫で明清絵画を見て、その多彩さや個性に驚いているところ。そして日本の絵師や文人たちが、輸入された作を見に行ったり、模写したり、模写を借りて模写したりと、せっせと学んでいたことも知った。この4人も、そんな風にして学び、同世代の絵師たちと切磋琢磨しあっていたんでしょう。
山本梅逸(1783~1856)「夏景山水図」1843
ああやはり濃い描きこみぶり。濃淡の極まりも、近景から遠景まで緩めず強い。これがいい。たまにはこってり系も。
ジグザグ構造とともに遠近も感じられるようで、ふっと西洋画のようにも感じる。明清画家でも西洋の遠近を取り入れた画家がいたということなので、梅逸はそういう作を好んだんだろうか。
解説では、梅逸は親友の中林竹洞とともに、古書画の収集家である名古屋の豪商、神谷天遊の庇護を受け、明清画の研究に励む。1802年から諸国を遊歴し、頼山陽や谷文晁との交流を持った、とのこと。
梅逸の後で見たら、浦上春琴(1779~1846)「秋景山水図」1842、は穏やかな感じ。
全体を通して安定していて、いいなあ。お父さんの玉堂よりも人気だったと言われるのも、そういうところなんだろうか。
解説では、春琴は頼山陽、岡田半江、貫名海屋らと親交が深かったそう。
小田海僊(1785~1865)「春嶽帰樵図」1842 は初めて名前を知ったけれど、とてもお気に入り。
達者な描きぶりで、かつどことなくなくほのぼの。山も岩も木の枝も、こんもり丸々な集合体。
牛と人物がとくにお気に入り。樹の間から顔がのぞく麦わら帽子みたいなおじさんがかわいい。そして童子とハチマキのおじさん。
南画では牛をひく人はよく登場するけれども、海僊は三人三様きちんとキャラ設定をして、動作もきちんと描いている。
(麦わら帽子のおじさんは、もしかして自分か知り合いの誰かだったりするかな)
検索すると海僊の人物画も良さそう。写実的な視線というか。
解説では、海僊は、周防生まれ。下関の染物業小田屋の養子になった。1802年、17歳で上洛。はじめ松村呉春の門下に入るも、頼山陽と親しみ南画に転向した。萩藩の御用絵師になり、特に臨模に長じたとある。詳しい方が見たら、この画も誰か中国の画家の影響があるか気が付くのかもしれないなあ。
ここで5時を過ぎてしまい、抱一の「布引の滝・旭鶏・月兎」が見られなかった(涙涙)。
写真だけ撮ってきたけれど、とてもよさそう。
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これらがすべて所蔵品というのは素晴らしいです。
しかも一つ一つの作が、心があるというか。心に残る品が多いと思うのです。名前のバリューに関わらず、気に入ったものを買い求めたのでしょう。コレクションのほとんどは、創設者である松岡清二郎が一代で蒐集したものだそう。
後期こそ、一階も併せてゆっくり見に来よう。(前期に行くと後期の半額割引券がいただけます😊)
美術館と白金高輪駅の間にあるオスロコーヒーで、モンブランワッフルを食べてしまいましたわ。