はなな

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●山田道安

2017-07-22 | Art

先日の出光美術館で見た、山田道安のひねた叭々鳥が忘れられず。呼び戻されて再登場。

出光美術館「水墨の風」の日記

やっぱり、かわいい

鷹っぽいから荒々しく見えたけど、実は墨の濃淡、線の加減を細やかに変えて、丁寧に生み出された叭々鳥なのでした。

 

奈良の大和山田城主の山田道安(?~1573)

検索してみたら、他の絵も、生き物の風格が素晴らしい。(東京文化財研究所さんのHPより

「栗鼠瓜喰」

りすっていうより、ぬえ?。トンボのような虫も飛んでいる。画像ではよく見えないのが残念。実物は着色なのでしょうね。


「瓜蝉図」

 

(しまねミュージアムHPより)


今でも奈良ではよく知られているのかな?。

過去に一時期、東大寺の大仏のお顔が、道安のデザインによるお顔だったことがあるらしい。1567年、三好三人衆と松永久秀の戦いで東大寺大仏殿が炎上すると,道安は修復に力を尽くした。道安は修復大仏の図案を描き、木造銅版張りの「仮の頭部」が設置された。しかしその仮の頭部で100年間。元禄時代に本修理が完了するまで、道安デザインのお顔でがんばったらしい(こちらに)。

道安の絵の実物、なかなか機会がなさそうだけど、いつか見たいものです。


●「水墨の風」2狩野派・又兵衛・文人画 出光美術館

2017-07-21 | Art

出光美術館「水墨の風」展 1,2章の続き 

惹かれた作品の備忘録です。

 

3章は、室町水墨の広がり

南宋院体画の影響を受けた、曽我派の二点。

曽我宗誉「花鳥図」

 

伝曽我蛇足「山水図」

華美さがなく、簡素で質実。余韻がしんと残る。

曽我派は越前で活躍し、等伯は宗誉の子の紹昭に最初学んだそう。どこか寂寞とした感じは、晩年の等伯の水墨にも重なる気がする。


伝周文「待花軒図」 小僧さんがお掃除中。山中の清浄域と静けさ。

ふと、ざっざっと竹ぼうきで掃いてみたくなる。ってそんな広い庭ないし。どこかのお寺で、お庭を掃き清めていいよイベントはないか。(伝)周文のもう一点の「山水図」も静かに心が整うような山水だった。

 


鎌倉絵画も。

質実剛健さ漂う鎌倉画壇、禅宗が早くから根付き、15世紀から牧谿様式を受容。波頭とコントラストがはっきりした墨が、鎌倉様式の特徴、とある。

伝一之「観音・梅図」


 

伝一之「観音図」

 

伝揚補之「梅図」

下からの枝は力強く、上からの枝はしなやかに。神性すら感じる梅。


4章:近世水墨 狩野派、そして文人画へ

伝狩野松栄「花鳥図屏風」、狩野永徳の父上。山本兼一「花鳥の夢」では、永徳にさんざん凡庸とこき下ろされていたけれども。

しっとりした墨、穏やかな印象。海棠、山百合、ひよどり、シジュウカラ...。

画家が主張しすぎて部屋においたら落ち着かなそうな絵もあるけれど、松栄のこれは一歩引いて、安定した描きぶり。大人だなあと思う。「花鳥の夢」で、松栄は永徳に、「それでは見る者の居場所がない」というようなことを言っていた。


狩野派では、(松栄の父)元信印の「花鳥図屏風」(元信の周辺の人物と推察)、(永徳の孫の三兄弟)探幽・尚信・安信の合作「山水花鳥人物図鑑(探幽の部分のみ展示)」もあった。そのなかで一番心に残ったのは、狩野尚信

葉室麟「乾山晩秋」「雪信花匂」、松木寛「狩野家の血と刀」に、三人の兄弟の確執が描かれているけれど、探幽、安信の確執に比べ、尚信はあまり登場していなかった。目立ったトラブルもなかったのかな?。

尚信の「酔舞・猿曳図屏風」は、のどかな農村の風景。雪舟琴棋書画図屏風をイメージソースとしているとのこと。

二隻の真ん中には大きな月と大きな余白。

家も人も多少のゆがみなど気にせず、生き生き。踊る人、寝転がる人、窓からのぞき見る奥さん。

後ろから追っかけてくるおじさんはどうしたんだろう?

撥墨の樹が印象的。特に左隻の樹は、がしゃがしゃっと尚信のリズムのまま。

なにより描くことを楽しんでいるよう。

狩野派でも、庶民を描いた久隅守景のようなみずみずしい自由さ。尚信は兄探幽の弟子の守景とは気が合い、親しかったなんてことないかな?。

尚信は、ふらりと京都に旅行に出て小堀遠州を訪ねた、失踪して中国に行こうとした、などという逸話があるけれども、この自由さなら本当かも。

 

岩佐又兵衛「瀟湘八景図巻」江戸時代は、見られてたいへんうれしい。

にぎやかな小栗判官絵巻や山中常盤絵巻とは全く違う趣き。耳を澄ませたくなる静かな世界。

そしてこんなに小さいのに人の立ち居がすごい。小ささを忘れるほど情感豊か。人の目線まで見える。さすが又兵衛。1637年~50年の間に描かれたと推測される、と。

瀟湘夜雨。傘をすぼめて。

江天暮雪。雪の情景がなんともきれいだなあ。

洞庭秋月。「いい月ですのう」「おお、ほんに」

漁村夕照。「おじいちゃん、パパの船だよ」的な。

妄想。木までも情景を物語っていて、とてもすてきな絵巻だった。

 

瀟湘八景図では、池大雅もよかった。

池大雅らしいめらめら書き込んだもの、たっぷり水を含んだ筆で少ない筆数で描き上げたもの。八枚それぞれ違う描きぶり。気の向くままに自由に描いた感じがいいなあ。

ひょいひょいっ、すっすっと。

画家の心理状態がリラックスしていると、見る側も心地よい。


文人画では、玉堂「奇峯連聳図」1793 も印象的。

脱藩する前年に、瀬戸内の山々を描いたもの。

 

どの一枚一枚もが見逃せない展覧会でした。

西日のまぶしい皇居を見ながら、お茶いただいて帰りました。いつもありがとうございます。

こちらに来る前に、隣の国際ビルヂングのトプカプでトルコ風ピザランチ。ほうれん草入りでおいしい


 

 


●「水墨の風」1雪舟・等伯 出光美術館

2017-07-21 | Art

「水墨の風 長谷川等伯と雪舟」出光美術館 2017.6.10 ~7.17

 

長谷川等伯の屏風を見たくて、前期後期とも行ってきました。

構成は、

1章:雪舟をつくりあげたもの「破墨山水図」への道

2章:等伯誕生 水墨表現の展開

3章:室町水墨の広がり

4章:近世水墨 狩野派、そして文人画へ

南宋・元から明時代の中国の水墨も展示されていました。先日来、東博の東洋館で親しみもわいたところ、渡りに船的な機会。

当時の最先端の大陸の絵画を見た雪舟や等伯には、どんな絵のどんな部分が響いたのか、想像しながら堪能してきました。

以下、備忘録です。


1章は、雪舟。

47歳の雪舟が遣明船に随行して、明で修業した3年間。様々な画風を学ぶなかで、雪舟がもっとも執着したのが、玉澗

玉澗「山市晴嵐図」南宋末期~元時代、突然の嵐の芯に入った印象が、そのまま入ってくる。異なる濃さの墨で幾重かに重ねられ、筆の強弱も使い分けている。速いのに、意外にも丁寧な絵。近寄りがたいように思っていたけれど、こうしてみると山里のこんもりした丸みなどは、ほんわりする。最後にちょんちょんと書かれた人影は、目の前で描いているようで親しみすらわく。


雪舟の「破墨山水図」も、綿密なシュミレーションののちの、速く激しい筆。雪舟が玉澗に見たのは、余念雑念が許されない精神性、二度はない突き詰めた先に生まれる偶発性、なのかなあ。雪舟の他の絵をあまり見たことがないので、なんともわからない。

 

雪村の「布袋・山水図」は同じ玉澗様でも、ゆるりとした線。技法は同じでも、おおらかに雪村風に変容していた。

 

今回、伝雪舟の花鳥図が二点あったけれども、おそらくは雪舟を学んだものの筆らしい。(この二点はどちらも実験的な奥行き感が印象的。遠近を透視画法でなく、重なりの組み合わせで表現しようとする。竹林のあたりなんか、だまし絵みたいになっていた。)

 

他の中国絵画もとてもよかった。室町や戦国時代に日本にもたらされたのでしょうか。

夏芷「柳下舟遊図」明時代、今回のお気に入りのひとつ。スローライフ

柳と微かな白い梅の下、寝てしまった童子と、ぽーっと前を向く文人。どれだけ長い時間、ここでただ浮かんでいるのだろう。絵を見ている時間の何倍にも長く、同じようにぽーっとしていたように感じられた。絵が時間を延ばす力があるなんて。


その師匠の戴進、「夏景山水図」明時代。おお「浙派」の源流。ダイナミック。

 

王諤「雪嶺風高図」明時代

背景の切り立つ山や、うっすら青みがかった墨は、東洋館で見たのと同じ。しんとした透明感。でも東洋館の繊細な感じよりむしろ潔い。ぬるい感じが全くない。岩の凹凸はシャープな短線で、細やかに立体化されていた。


谷文晁「風雨渡江図」1825 は浙派の張路を思い出した、気象のドラマティック感。

このような表現は谷文晁の中国絵画学習の成果で、戴進呂文英にも範例が見られる、とあった。文晁の心には、3~400年も前の明絵画が響いたのね。


雲澤等悦「琴棋書画図屏風江戸時代、これもお気に入り。

右隻は、力強く格調高い枝ぶりの松に、立体感を出そうと入れた筆。どこか朴訥でおおらかなところに惹かれた。

琴の音に踊る人々の手足腰振りが、ぷりぷりかわいい。洞穴では囲碁を楽しんでいる。そこへ向かう馬も、ぞの頭上で巻き付くように絡みあう枝ぶりも、細部に見どころ満載で、楽しい屏風。

左隻は、マチュピチュみたいな形の山がある。山もいい~、岩もいい~。木に絵をかけて品評する人々。書を描こうとする人、岸辺には書を広げて4人で語る人々。

この雄大な自然の中で、高尚?な4つのことを、ある時は大まじめに、ある時はのんびりと楽しんでいる。そういう人間が、ちょこちょこと愛らしい生き物に描かれていた。

パーツのいくつかを雪舟「山水長巻」、伝雪舟「国々人物図巻」から転用しているとのこと。学んだものと自己とを、いったりきたりしながら描いている感じ。でも全体的には、自分なりのおおらかなリズムに作り上げている雲澤等悦。雪舟の流れをくむ雲谷派の絵師らしいけれど、詳細は不明らしい。



2章は、等伯。

等伯は、特に牧谿から大きな影響を受けた。

解説の推測が興味深かった。等伯の義祖父の無文が京都で能阿弥が描いた牧谿様の鳴鶴の絵を見た旨を、等伯が書き残している。無文がその感動を等伯に語り聞かせ、等伯はやがて上京して、牧谿の真筆を見る。幼いころからの源流を見た感動、力を持った自分の誇り、それが牧谿学習のさらなる原動力になったのでは、と。

等伯の牧谿愛の源流が無文だったとは、驚き。

無文の涅槃図(複製)、それを受け継いだ(等伯の養父)宗清、等伯の涅槃図を、七尾美術館でそろって見たことがある。上空の月に係る雲の部分を比べてみると、等伯の雲は、宗清風ではなくて無文風なのが印象的だった。

今回、牧谿は二点。

牧谿「平沙落雁図」、以前に見た時よりも、はっきり家影や山影が見えるのは、牧谿様に目が慣れてきたせいかな。エサをさがす4羽の首の動きも生き生き。わずかに光のさした水面と山の境目のあたりの、なんとも言えず美しいこと。靄が肌に触れるようだった。

牧谿「叭々鳥図」、見たのは二回目だけれども、やっぱり感動。

これを超える叭々鳥図ってあるんだろうか。これだけの筆で身体のこののふっくら感。枝もたった一本で、このバランス、緊迫感。そして情感。素人が言うとえらそうだけれども、完ぺきなんじゃないかと思う。何をもって完ぺきというのかわからないけど。

 

会場には、(伝)雪舟や能阿弥山田道安狩野探幽が描いた叭々鳥もいたけれども、達者には描いてあっても、日本にいないのだから実感から生まれた感はないように見えた。(いやそういえば若冲の叭々鳥は絶品だった!)

そんな中で、山田道安の「叭々鳥図」桃山時代だけは、独自の路線。ほとんど鷹?。キッとした目線が愛らしく、これはこれでたいへんお気入り。

右幅

左幅 このひねた顔がたまらなくかわいい♡♡

構図もいいなあ。と思ったら、右幅は、展示中の能阿弥の四季花鳥図屏風から抜粋、左幅は牧谿の叭々鳥を範としたらしい。道安は大和山田城主の戦国武将。構図はパクってきながら、顔はどうしても鷹になっちゃうのね...


等伯に戻らなくては。

等伯は手長サルや鶴は、牧谿とそっくりに描いた。でも叭々鳥は描かなかった。

展示の長谷川等伯「竹鶴図」は、等伯が大徳寺で見た牧谿の「観音・猿鶴図」の鶴を引用している。右隻の休む鶴は、ほんのり体温を感じる。左隻の鶴は力強い歩き。

重なる竹の潔い描きようも、等伯が牧谿に打たれたところなのだろうか。(↓部分)

遠くにかすむかすかな竹の影、大きな余白は、これより後に描かれたのであろう松林図のよう。葉もかすかな風と空気を含んで霞む。竹の強い筆致には、等伯の心の高まりやまっすぐな強さを感じて、前よりもどきりとする。自然を描くことと等伯が一つになっている。

 

松に鴉・柳に白鷺図屏風」では、等伯は叭々鳥でなく、日本にいる鴉で描いた。日本独自の水墨を極めようとしている。狩野派への対抗もあるのだろうか??。以前に見た時より展示の位置が低く、カラスやヒナがよりかわいく見えた。

大きな画面に、夕暮れの満ちる空気。松と柳、わずかな葦と、白鷺と鴉。たったこれだけ。

(部分)

ぬるい線などひかない。松の鶴も垂れるつる葦も、ほとばしるようだった。それでいて、家族やつがいのあたたかい気持ちを描いている。

一作一作に自分を問うているような。竹鶴図と比べても、さらに遠くに来たのだなあと改めて畏敬を覚える。


後期で楽しみにしていたのは、初めて見る等伯「四季柳図屏風」。

荒々しい幹と風に舞う柳の葉が目の前ばーん。胸がいっぱいですよ。

右隻は、まだ青くさい生気を感じるような若若しい葉。さわやかな新緑の季節かな。さらさら、さらさら、、と心の中で思わず連呼。

左隻は、すさぶ風、厳しさ。寂寥感すら。幹には胡粉で雪が。右隻よりも柳は近く、見る者を取りまき、柳の中に入ってしまっていた。

葉、枝に一本一本を引き下ろす等伯そのものの息遣い、腕の動きを感じるよう。特に左隻には激しさを増し、線の一本一本がフォーブな生き物のよう。等伯は心の中、体の中に、何を住まわせているのだろう。


この後には、狩野探幽も数点あった。等伯より約70年あとの生まれ。太平の世だからか、線も印象もずいぶん緩やかになったものだと思った。

3章に続く

 


●東博常設 亀田鵬斎・狩野尚信

2017-07-21 | Art

7月の初め頃のある日、東博の本館。

亀田鵬斎と狩野尚信に惹かれました。以下、備忘録です。

亀田鵬斎(1752~1826)「蘭亭序屏風」1824年 江戸時代


な、なんでしょう、この書は。ぜったい酔ってる笑?。抽象画か、池大雅や浦上玉堂の自由すぎる画みたい。

この酩酊?状態で、6曲1双の大屏風を書ききった。

言霊というものがあるなら、字にも字霊ってものがあるのではないか。字の一つ一つが息を吐いて、屏風全体が、はふはふ言っている。


と思ったら、鵬斎は新収蔵の部屋にもう二点。

しかも全く違う字体。こういう意外な面を予告もなしに見せられると、私はすとんと恋に落ちる。

「七言絶句並偈 」江戸時代 このストイックな描きぶり。

 

「詩書屏風」1820 こちらはまた違う。潤沢で端正な字。

 

三点どの字体も、よどみなく、字に憑依したような世界。目で追うと、それぞれの字のリズムに体が同調するようだった。

鵬斎は江戸後期の儒学者。解説に、豊潤な筆線で、自由に筆を動かすのが特徴、と。

wikiを読むと、知と気骨を供えもち、人情に厚く、「酔って候」な人。やっぱり文人画家みたい。儒学者として鵬斎の私塾には1000人を超える門人を数えたにもかかわらず、「寛政異学の禁」により「異学の五鬼」のひとつとされてしまい、門人を失う。酒と貧困の中でも、市井では「金杉の酔先生」と親しまれたそう。浅間山の大噴火の時には蔵書を売り救済に当てたという逸話からも、人柄がしのばれる。

この字↓も、いい感じに酔いまわってます🍶。

「酔い飽きて高眠するは真の事業なり」(足立区HPより)

やがて塾を閉じ、50歳頃から、旅に出る。酒井抱一と谷文晁とも茨城県竜ケ崎市あたりを旅した。三人は生涯の友であったそう。

↓谷文晁が描いた鵬斎。(Wikipediaより)。

その後も、日光、信州、越後、佐渡へ。旅の途中、良寛とも出会ったらしいけれども、良寛と鵬斎がどんなふうに絡んだのか、とても気になる。二人はきっと共鳴しあうところがあるような気がする。

晩年は抱一が生活の手助けをしつつ、書は大いに人気を呼んだという。

またどこかで鵬斎の字に出会えるのを、楽しみに待っていよう。

今回はお友達つながりか、谷文晁の「前後赤壁図 」「夏景山水図」も展示されていた。

「前後赤壁図 」

月はどちらも絶壁の下や割れ目に見え、絶壁のそびえる圧倒感。うっすら靄の合間に鶴が飛んでいる。舟のしっかりとした描きように、文晁の理知的な感覚のようなものを感じたのはなぜかな。

 

谷文晁「夏景山水図」は、これよりもっと描きこんでいた。山もむくむくと盛り上がり、木々も根元から歩きだしそうな生命体のよう。左福には遠景の雄大さと人里の情景が同居する。「気」があふれるような絵だった。


狩野探幽の弟、狩野尚信「瀟湘八景図」も、この日のお気に入り。多くの人が描く瀟湘八景図だけれども、尚信の自由な描きぶりはなにか違う。

全景を撮り忘れてしまったので、右隻から。

撥墨の山なみ、木々、里の風景。尚信の筆は自在に走る、踊る

煙寺晩鐘 岩や木々の描きぶりに心打たれる。43歳で亡くなってしまうなんて残念なこと。

遠浦帰帆?

大きな余白に溶けそう

左隻

雪景色に、ぽっくりとした山。大きな余白。なんだか、狩野の形式やなにやらすべてから、脱して抜けている感じ。

しかし枝に積もる雪を描きだす墨の濃さは、はっとするほどの筆致の強さ。

ゆったりと大きな余白を生むと思えば、時に一転して激しく。この変化。

様式が何様というよりも、この瀟湘八景にえがかれる自然をこよなく愛し、この境地を愛したひとなのでは。

先祖の狩野元信が筆を濃密にふるったのなら、尚信は、筆と自然に己を投じ、思いのままに遊んだのかも。いい屏風をみたなあ

同じ7室では、尚信の兄、狩野探幽「鵜飼図屏風 」も見もの。(大倉集古館蔵)

探幽は、遠くの山並みを視界に入れつつ、眼前すぐに川面を広げた。波上にひしめきあう鵜飼いの船と、黒い鵜がそこここに。格調を保ちつつも、重厚な狩野のイメージではなく、生き生きと動きに満ちていた。舟をこぎだす船頭たち、鵜につけた糸を手繰る鵜匠たち、水を汲んだりかがり火をくべたり、笑顔で声を交わしている。今にも潜ろうとする鵜、アユをくわえた鵜、鵜匠にアユをはき出される鵜も。提灯をともした見物の船は、将軍家やお大名なのか立派。お弁当のお重セットやかまどに茶釜もしっかり見て取れる。格式と軽妙洒脱を具有した探幽を見た。

 

探幽では「探幽縮図 」も。やまと絵、中国絵画を模写したり、雪舟の模写、探幽独自の写生の小さな紙片もはりつけてあったり。探幽のまじめな学習ぶりがうかがえた。


7室の屏風のうちもう一点は、「源氏物語澪標図屏風 」作者不詳 17世紀

都に返り咲いたのち、お礼参りに住吉大社に詣でる源氏の一行。屏風の右上に、海上の小舟は明石の君。りっぱな源氏一行に気づいて住吉詣でをとりやめ、視線を落とす。画面の隅に小さく描かれ、日陰の女の心情のように存在の小ささがかなしい...。画面の真ん中をまっすぐ横切る源氏の一行と対照的。源氏っ、気づいてあげてって思う。それにしても、住吉大社の参道は、松林も薄も、草深い海辺の情景がリアルによく描けていた。

15室:歴史の記録の部屋。こんなものも保管ざれているのかといつも感嘆。

●シーボルトが寄贈した博物誌などの書物が展示されていた。

女性画家のメーリアン著「スリナム産昆虫変態図譜(フランス語版) 」1726

 

アダムス「顕微鏡の知識 」1746。微生物の世界が美しい

 

 ●琉球・奄美の文物

奄美大島の文物が展示されていたのは、あまりないことなのでは。奄美大島の大和村のノロが身に着けた玉など、たいへん貴重なもの。

 

沖縄では、第二次大戦で灰燼に帰した文物が多く、そのため東博の保管していたものが最も古いものの一つである、という解説には胸がつまる。

 

「樹下人物螺鈿沈金食籠」 第二尚氏時代・18世紀

食べ物を入れて宴席などに持ち込むお重箱。

螺鈿で、中国の文人画のようなモチーフを。

 

その横では、沖縄や奄美の《お墓》に関するコーナー。第二尚氏時代の骨壺、お墓の様式のパネル展示など。

与那国島で、民宿のおかみさんに聞いたお話を思い出した。「島の人は、死んだ後のことをとても大事にする。だからお墓にもお金をかける。先日亡くなったあの会社の社長さんのお墓は、一億円とも言われているんですよ。」「台湾からのお客さんが、与那国のお墓は、中国本土のよりも台湾のにそっくりだってびっくりしていましたよ。」 確かに与那国のお墓は、とても大きくてゆったり、お墓の前で、持ってきたごちそうを広げて一族で故人と宴会ができそうだった。

他に印象深かったものを列挙。

国宝室では「華厳宗祖師絵伝 元暁絵 巻中」鎌倉時代・13世紀 京都・高山寺蔵 竜宮から金剛三昧経を持ち帰る。すねを縦に割いて(血が・・)お経をしまう。竜宮や海のシーンも印象的。


・網干鷺蒔絵棚 17世紀

垂直のフレームに、リズミカルな網干の曲線。動きのある鷺。音楽のよう。

海北友松展でも網干の屏風が印象的だったのだけど、網干は曲線の組み合わせが好まれ、安土桃山以降でしばしば登場するモチーフとのこと。

 

・文久印 扇面画「かわほり」

・木米筆「兎道朝暾図」、平等院、宇治橋に人物は中国風で、エキゾチックな不思議さ。

・山口雪渓筆「十六羅漢図」(大倉集古館蔵、写真不可)は、第一尊者から第4尊者まで4幅。鹿に乗る第一尊者、第二尊者は樹上、第三尊者は麒麟?を棒でつつき、第4尊者は龍?のひげをつかんでいる。眼力も独特。迫力があふれ出していた。

 

・狩野(養川院)惟信筆「石橋山・江島・箱根図 」18世紀、やまと絵風なのもいいものだなあ。

 

・岸連山「納涼図」1857、木陰のスローな時間の流れがいい。

・浮世絵では、宮川春水「美人弾三味線図」 川又常行「団扇持ち美人図 」など、季節がら涼し気な。

・渓斎英泉筆「日光山名所之内・華厳之瀧 」「〃、霧降之滝」「〃、裏見之滝」、この季節に滝の絵はミスト効果があってありがたいです。渓斎英泉は、美人画や春画はクールな描きぶりなのに、風景は打って変わって迫力。熱いものがある。

新収蔵の部屋

「玄奘三蔵像」鎌倉時代 14世紀 玄奘の力強さが印象的。

経典をがっしりと背負い、経を唱えながら、しっかり力強い歩み。この足の強さに見入ってしまった。夏目雅子さんの三蔵法師のせいか、悟空や沙悟浄に守られる清らかなイメージだったのだけど、本来は長く過酷な旅を乗り越える、信仰の人。熱く、揺るがない人なのだ。


新収蔵のインド絵画のシリーズも良かったのだけれど、長くなったのでまた次回以降に。

 


●「葛飾北斎とその時代」我孫子市民プラザ

2017-07-19 | Art

千葉県我孫子市で、「葛飾北斎とその時代」展を見てきました。

2107.7.15~7.31 

市の記念事業で会期は半月だけですが、監修は安村敏信先生。作品の解説、図録の監修も安村先生。https://www.city.abiko.chiba.jp/event/event/music/katsusika-hokusai.html

全48点のうち、40点もが肉筆。 安村先生のお力か、貴重な作ぞろい。
構成は、

1、北斎(6つの画号の各時期の特徴、勉強になりました)

2、北斎の門人(変わりもんぞろいで楽しかった)

3、北斎とその時代(鳥居清長から国芳まで勢ぞろい)。

きゅっと濃くつまった展覧会でした。

以下、安村先生の講演と合わせて、備忘録です。

**

まず、北斎。

1、春朗期(1778~1793)19~34歳

この時期の展示はなかったけれど、役者絵や相撲絵を手掛け、人物の個性を描きだした時代。

 北斎の視点って、鳥並みに自在。どうして飛行機も高層ビルもない時代にあんな鳥瞰的な絵が描けるのかな?と思っていたのだけど、このころから透視図法を学び、「浮絵」と呼ばれる風景を描いていた、と。
初期の「新板浮絵両国橋夕涼夜店之図」が展示。両国橋の望遠と、路地ににぎわう祭り客の近景とが同居していた。このあたりが北斎の鳥の視点の原点かと思い、感慨深。


2.宗理期(1794~1803)35~44歳

この時期の美人画は、宗理風美人といわれ、細長い顔に、富士びたいが特徴。

「都鳥図」は、胡粉だけなのにふっくらと白いからだ。北斎の鳥は、いつももの思う顔。

 展示ではなかったが、以前から気になっていた「くだんうしがふち」もこの時期の作とのこと。オランダから入ってくる銅版画を、木版でやろうと、影をつけたり、落款をひらがなにして横書きにしたりと、洋風な版画に挑戦。北斎の自在な位置感覚に磨きがかかっているようです。


3.葛飾北斎期(1804~1809)45~50歳

美人画は、宗理期に比べてがっしりとし、衣文線も力強くなる。

美人画の肉筆をたっぷり、間近で堪能した。 微妙な女心の揺れまで留意し、目線や口元手元に繊細に表現している。がさつな北斎とは思えない機微。

着物の布地や紙、髪の毛の質感までも細密。奇想の人のイメージの前に、この地道で誠実な仕事ぶりがあってこそなのだと、今さらながらリスペクト。

「蚊帳美人図」 枕を持って、さらりと蚊帳の中に滑り込む女性。

口元の指、かすかに色がさした肌が色っぽい。

「布団の奥にはどんな男性が待っているのだろうか」とは安村先生の解説。賛が山東京伝。


「三美人図」 くつろいださりげないひと時。若い芸妓が指さす本に、ほかの二人も「おやそうかい」「あれほんとだね」と。

三角構図に、三美人の白い顔がひょいひょいと面白い。

着物は、上着は抑え目な色柄のものにし、ちらりとのぞく下着に派手なものを組み合わせるのが、あか抜けた江戸のおしゃれと。賛は蜀山人(太田南畝)。どれも賛の顔ぶれがすごい。


北斎期には、上方で流行った鳥羽絵を江戸でも始め、1400枚もの読本挿絵にも精力的に取り組む。巨大な蜘蛛や妖怪など、視覚的に驚かせる効果のものが目立つとか。


4.戴斗(たいと)期(1810~1819)51~60歳

北斎漫画で有名になった時期。北斎派の形成に意欲的で、門人と通信教育のようにやりとりしていた。

鳥瞰図の「東海道名所一覧」もこの時期。だんだんと視覚が高くなっていく~~。

 美人画はさらにがっしり

 「団扇と美人図」

首の90度曲げに湾曲する身体の弧は、実際にはありえないけれども、絵としては美しい。それにしても、非現実的に大きな帯の柄、夏の透ける着物、たらりと縮れたなまめかしい赤い絞り、着るものそれぞれがひそかに妖しい。なのに着物だけが浮き上がっているわけでもない。


「富嶽三十六景」は、61~74歳の為一期。同じ版木のものが3点。 「凱風快晴」はイワシ雲、「山下白雨」は瑞雲。北斎の空と雲がとてもいい。他の作品も一度空と雲に特化してみてみよう。

輪郭線まで藍一色で刷られた「凱風快晴 異版(藍擦)」は、安村先生いわく、珍品中の珍品、二度とみれないであろう稀有な機会らしい。

当時はベロ藍(ベルリン産の化学染料の藍)がもたらされ、安価な中国産ベロ藍も出回った時期。初版を藍で擦ったものの、評判がよくなく、これ以降は多色になったのだそう。


5、75~90歳の「画狂老人卍」期は、肉筆に専念する時期。不思議の世界に入っていく。 現実も非現実も動物も、すべてが北斎ワールドに生きているようだった。

「風神之図」1844年、の顔は、神というよりも、ほとんど人。挑戦的な目。

かすれもある力強い線。
その袋の中には、どんな欲がつまっているんだい?
 
北斎の顔はやっぱり、不思議。人くさい。それもクセのある顔。85歳の作。何歳になっても湧き上がる、絵に対する、ほとんど妄執。

「兎の餅つき」1847年 ウサギがなんかたくらんでる感。ひひひ・・と宝珠をつこうと。

雲のほうがおもちっぽく見える。 既存の固定概念を打ち負わし、新しい価値観に挑戦しようとする88歳の北斎の心情では、と安村先生。

 


なのに、北斎は鳥を描くと、なぜか夢見る鳥になる。

「雪中鷲図」はファンタジックな瞳。


一方、強いはずの龍は、ちょっと気弱になっちゃうのが不思議。

「登龍図」 1846年

「90歳で奥義を極め、110歳で一点一画が生きているようになる」と思っているのに、自分の老齢を不安に思っているのか、困っている顔。弱い自分を投影させるのが、登り竜とは。

以前に府中美術館で見た「富士越の龍」(日記も展示されていた。白い富士に登り竜は、古来より出世を象徴する構図。でも個人的には、やっぱりなすすべもなく天に運ばれていく(*_*)、と見えてしまった。

 

「生首図」は見るのは二度目だけど、今回は至近で見てしまった。口から除く歯の、ぞっとするよなリアルさ、血の気のない肌の質感。首を洗うためのひしゃくが不気味。

 

北斎は、晩年になるにつれ、「気持ち」や「思い」を描くようになっていた。描写力や構図の斬新さに隠れていただけで、昔からそうだったかもしれない。晩年に集中して描いた肉筆は、北斎の胸の中にくろぐろと湧き上がるものを表出させ、その振れ幅に心揺さぶられてしまう。江戸時代までの幾人かの絵師も花鳥や山水、龍や仏像の中に自分らしさや感情を表現していたけれど、北斎はそんな範疇を超えて、圧倒される。絵師というより、画家、なんだろうなあ。


2、北斎門人の作品も、たいへん見ごたえあり。

8人の門人の展示。

北斎に似た技術・画風というよりも、北斎の妙なエッセンスを受け継いだ作品が多い。
受け継ぎ方が自由すぎるのも、むしろ北斎の正統なのかも。
それとももともと自由な人が、北斎周辺に集まるのかな?

二代葛飾北斎は、晩年の北斎ワールドを受け継いだのかも。「16羅漢図」の顔はどれもいい顔している。

達筆で流暢な筆使いを存分に活かして描きだされた、龍・虎のかわいさったらハート達(複数ハート)

龍が「やほ~」みたいな。羅漢も親し気な表情。

 
昇亭北寿「茶筅売り之図」、不思議な絵。色的には黒々しているけれど、自由でほのぼの。

美人画のような「く」の字の湾曲、瀟洒な水流。茶筅売りのおじさんの微笑みが、マリア様か観音様のように清らかに脱しておられた。

 

抱亭五清「富士遠望図屏風」は、6曲一双の大画面。

開放的なのが印象的。亀で遊ぶ子供たち、キセルでタバコを吸う女性たちが、楽し気で自由。
 
鶴は芦雪、子供は蕭白、山や木々には四条風と文人画風。混在する謎の交友関係。 江戸からたびたび松本に滞在し、ついには移住し、松本で没した。

 
高井鴻山は、小布施の文人であり豪商。北斎とお栄は何度も鴻山宅に滞在した。妖怪絵が好きらしい。 「妖怪山水」ってジャンル、いいなあ。

小川芋銭や河鍋暁斎みたいに、なごむ妖怪。

 

辰女「盛夏娘朝顔を眺める図」

顔が少し寂し気。生地の質感も線も、手慣れた描きぶり。筆撫子の模様の着物がかわいい。

辰女は、北斎の娘という説もあるので、北斎の娘の応為の別の画号かと思っていたけど、安村先生は、応為の弟子か、応為が認可を与えたのでは、とのこと。
 

3、「北斎とその時代」も、肉筆の素晴らしいものぞろい。
鳥文斎栄之「傾城図」は、するりと上品な顔のかわいらしさに見とれた。着物も細密に華やかに。これだけ美しいと、城が傾くのもしかたないかも。
 
喜多川歌麿「嶋台持ち娘立ち姿図」は、松も、着物の鶴も若々しく、上品。
 
歌川豊国「柳下若衆 時雨美人」は、風にあおられる柳の下の男性、紅葉が舞う中の女性の双福。どちらも風に着物をおさえるけど、着物がめくれ、素足があらわになる「あぶな絵」。これはむしろ、奥方様がお買い求めになるらしい。だんせん、男性の幅のほうがセクシーな絵だったしね。
 
写楽の挿絵本の肉筆の下絵が二枚。めったに見られないたいへん貴重なものなのだそう。
 
これも含め、今回の展示の中心となるのは、摘水軒記念文化振興財団のコレクション。柏市の記念展の時も素晴らしい作品ぞろいでしたが(日記)、北斎関連だけでもこんなにそろっていて、改めて旧柏村の名主さんに感謝。
 
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これで無料では、我孫子市民じゃないのに申し訳ないくらい。せめてというわけではないけど、あびこショッピングセンター(展示室はその中の市民プラザにある)の地元産のパンとか野菜とか売っているスペースで、お買い物して帰りました。お団子がのったパンが、たいへんおいしかった。

●東博 東洋館:中国の絵画ー宮廷山水画風の広がりー 

2017-07-09 | Art

東博東洋館 8室  中国の絵画ー宮廷山水画風の広がりー

2017年6月20日(火) ~ 2017年7月23日(日)

 

西洋美術館の庭に紫式部(多分)がきれいだったある日。

 

東博の常設と「びょうぶであそぼう」を見た後で、東洋館の中国絵画を見て来ました。

前クールの美人画(日記)では、応挙など江戸時代の日本の美人画に取り入れられたポイントが勉強になりました。

今期の山水画も、室町以降の日本の水墨が中国絵画から何をとりこんだのか、モトネタがたいへん興味深い展示でした。

以下、備忘録です。


南宋宮廷画の4大家である馬遠夏珪から始まる展示。

二人が大成したという山水の特徴は:

◆モチーフを画面片側に寄せる対角線構成

◆山石に切り込むような筆線を入れてその質感を表現する斧劈皴(ふへきしゅん)

とのこと。

ふむ、室町の水墨も狩野派も、確かにそうだ。

 

伝夏珪「山水図軸 」13世紀、片側を開けるのも、岩の斜め線も、なるほど定型どおり

但し解説には、南宋よりもう少しあとの元代の作と思われる、とあり、おそらくは夏珪の周辺の手によるものでしょう。


夏珪ではもう一点。重文の「山水図(唐絵手鑑「筆耕園」の内) 」

拡大

微妙な墨の色具合を使い分けて、墨だけでも細やかな厚みと重なり。重くないのにこの豊かさ。

夏珪は、馬遠の「筆」に対して、「墨」の美しさを特徴とした。

 

馬遠「寒江独釣図」

馬遠は静嘉堂文庫に国宝の「風雨山水図」があるけれど、これも重文。

東博HP:余白のもつ効果を最大限に生かした馬遠派の傑作といわれる。しかし,舟のやや上方のあたりで絹つぎがあり本来はもっと大画面の作品であった可能性もある。

どのくらいの余白をどちら側に設けたのか、元の絵を見てみたい。

 

南宋画の系統で、個人的に好きな絵は以下二点。

伝孫君沢「高士観眺図軸」元時代・13世紀

眺める先の大きな余白がなんともよくて、靄のかかり具合にもじんわり。気持ちも、静かに広やかに整いそう。

大徳寺養徳院に伝わるもの。孫君沢「雪景山水図」は、雪舟や等伯が取り入れて描いている。それで無意識な親しみもあるのかもしれない。


王諤「山水図」明時代・15~16世紀

背景の険しい山も、どことなく繊細な感じでいい。王諤は明時代の宮廷画家だけど、「今の馬遠」と称されたと。

* 

南宋画もいいけれど、今回心に残ったのは、明時代の「浙派」の作品。

なんだかそのライブ感に、海北友松、長谷川等伯、雪村を思い出したのだ。

「浙派」は、明(1368~1644)の宮廷では、馬遠や夏珪の画風のリバイバルが盛んに行われます。宮中で好まれた大画面の絵画にあわせ、筆墨の粗放化が進みました。この様式は、江南諸都市で活躍した在野の職業画家の間でも流行します。筆勢を誇示する彼らの画風は「浙派(せっぱ)」と総称されました

「山水図軸」王世昌、15~6世紀

葉や枝も風にちぎれ飛び、水面も風に波立っている。

風を体に受ける高士。こんな人、雪村の絵にいたような。

 

浙派の系統にひきつけられてしまうのは、絵全体に巻き起こる動きと、自由ゆえだろうか。世俗的といえばそうかもしれない。浙派は在野の職業画家であり、当時大変勢いがあったという。宮廷画家のなかには彼らの絵を、正統な画法を用いない「狂態邪学(きょうたいじゃがく)」であると非難したものもあったとか。

 寒江独釣図軸 」朱端、明時代・16世紀

積もる雪が、こんなに激しい筆致で描き出されている。


蒋嵩「秋江漁笛図軸 」、「帰漁図軸 」明16世紀(写真不可)も、一枚の絵の中の筆の多彩さにほれぼれ。

 


この人面白いなあと思ったのが、張路という画家。3点あった。

河南省開封の人。日本では号の「平山」で知られる。かつて北京に趣き、1526年ごろから江南を歴遊し、開封に隠居、約74歳で死去。呉偉に学んだ、後期浙派を代表する画家

「三高士図軸 」、画面の片方を開ける構図、筆先が割れるほどの粗放な筆致が張路の特徴とのこと。

高士は雲の動きや天候から吉祥を占う「望気」を行っているらしい。かすかに大気も描いている。

この水墨の構図には、川村清雄を思い出した。縦わりの構図に、高士の斜め上へと見上げる目線。目ぢから強し。

 

同じく張路の「風雨帰漁図軸 」明16世紀 

嵐のような激しい風と雨。木々の枝もなぎ倒されそう。

舟から上がって身をかがめ、風雨の中を耐え歩く漁師の姿に、思わず手にぐぐっと力が。

ライブ感に満ちたドラマティックな一場面。


張路の「漁夫図軸」(撮影不可)は、画面を垂直に二分するような黒い岩陰から、小舟が現れる。そこから漁師が網を投げようとする瞬間。

岩の縦の垂直線×網を投げようとする左斜め上への方向線×小舟の進む横水平線。構成がすっきり潔い。深い墨の岩とうっそうとした木々に対し、舟と水面は明るく、明暗もはっきり、迫力。網を投げようとする一瞬の緊迫に、はっとさせられてしまった。

心も体も動かされた体験は、のちのちも記憶に残る。

張路の作品は、動きに満ちていて、人間の表情もよくとらえていて、無駄な力の入っていない自在な筆運び。画面が固まったような画とは真逆な、画面の外にも広がるような自由な感じ。やっぱり等伯や雪村、友松に似ている。

 

何百年も昔の誰かが、自分の感性に触れ、いいなと思ったものを少し取り入れ、自分なりに熟成して表に出し。そのような無数の糸を束ね、重ね、ある糸は切れ、変容して今に至り。その糸の中の一本を引っ張ってたぐり、ルーツを見た感じでした。

帰り道に、上野公園のねこ集会。

人に慣れているけど、さすがはノラ猫さん。表情もしゅっとしてます。

 


●蓮とガマと芭蕉の森

2017-07-08 | 日記

先日の森歩き

今年の蓮の咲き具合を見に来ました。

まだまだ蕾でしたが、一つだけ、咲き始めていました


下から見て、これをスケッチ


ガマの穂もいい感じに。


あめんぼ〜


元気に育ってます〜


紅葉もね。


見えにくいけど、地味な蝶。

私の中では、羽を立ててとまるのが蝶、開いてとまるのが蛾、と覚えているのだけど、あっているのか?

芭蕉💕






大好きな森ですが、ブォーボォーとガマガエルの鳴き声が地鳴りのように響いている…。会いたくないので、わざとどすどす歩いてみたり、セキ払いなんかしてみたり。

これさえなければ最高の時間だった。


●フジイフランソワ展 新宿高島屋美術画廊

2017-07-01 | Art

新宿高島屋の美術画廊で、フジイフランソワさんの絵を見てきました。

フジイフランソワ展 6月21日(水)→7月3日(月) 10階美術画廊

ツクモガミや百鬼夜行といったアニミズム的世界を描くフジイフランソワ。
長い年月を経た道具などに神や精霊(霊魂)などが宿り、人をたぶらかすようになったとされる「ツクモガミ」たちを、独自の解釈とユーモアを交え、日本の伝統絵画と現代の技法・素材を折衷して描き出し、現代社会に甦らせる画風が、人気を博しています。


時々耳にする不思議なお名前、フランソワさん。1962年生まれの、たぶん日本人らしいけれど、詳細は不明。実物の絵を見られる機会を待っていました。

今回のタイトルは「百に一足らぬかみたち」。つまり九十九神(ツクモガミ)=付喪神。

光琳や抱一の琳派の世界をベースに、ツクモガミたちが息づいていました。

以下、備忘録です。

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おお(喜)。6曲1双の金屏風に、ツクモガミたちが。(写真不可なので、高島屋美術画廊さんのツイッターから)

右隻では、お茶道具や筆や硯、文などのくるくるした目が愛らしいです。文机の紙の下からも目がのぞいています。こちらは静かめ。

左隻は、にぎやか。

弦の切れた琴が飛び、骸骨が笙を吹く。骸骨が被る烏帽子にも目がついてて、鼓は一つ目。盃からこぼれた酒にも目がついててかわいい。

左右の隻の真ん中の水仙が、静と動の間をほどよくつないでいる。

鈴木其一のカイカイ時代の屏風の水仙を思い出すけれど、あのあやしさとはまた別もの。水仙に精が宿って、書や茶、音楽の双方に参加している。

小さなものたちが、大きな屏風を占領して、楽しさ満載。

 

「世見かえり 竹林」は、金地に竹林の間を、青い鳥がたくさん飛び交っている。鳥の顔は、ふやっとした骸骨。不気味であり、ほほえましくあり。

 

「月下草葉のかげ」も、抱一の夏秋草図屏風のような草葉に、骸骨が散在。トンボやホタル、トカゲやカエルの顔が例の骸骨に。(Oギャラリー、YouTubeのこちらで見られます。)

どちらの骸骨もみな、なんともいい笑顔している。

パロディということではないのだと思う。宗達から光琳、抱一、其一。みな、草や花、枝や幹、月光といった自然描写の中に、目には見えない気配を描いている。その精は、気配という形でともに遊び、戯れ。だから、そこに骸骨や妖怪たちが紛れ込んでも、まったく違和感ないのかも。妙に溶け込んでいる。

 

骸骨は、不気味といえば不気味。でも、死体は怖いのに、骸骨になってしまったら、なぜかかわいくさえある。

そういえば、暁斎の骸骨も国芳の骸骨も、楽しいヤツばかり。

暁斎は、あの世もこの世も、人間も妖怪も骸骨も、キラワレ系生き物すらも分け隔てなかったし、忌むべきものでもなかった。暁斎が絵に描くと、空想のものでなく実在感すらあった。笑顔だったり、子供のように困ってたり怒っていたりもするけど、邪気がなかった。

フジイランソワさんがツクモガミたちを見るまなざしも、暁斎と似ているような気がした。自然や暮らしの中に、そんな存在が紛れ込んでいるのをふと感じたら...、いいなあと思う。逆に、まったくそういうものを抹消してしまった暮らしは、、無機質すぎて、うーん考えられない。

 

小さい作品にも、いろいろなものにつくもがみが正体をあらわしていました。

野菜やくだものに。(三つ眼のカボチャがお気に入り)

櫛やかんざしに。

 

和菓子に。

和菓子シリーズは、ほかにもさまざま。顔が妖怪のお団子、皮がふかふかの虎の毛皮のどら焼き(中身も各種ございます。金魚や骸骨、うぐいすなどがまったりとはさまれている)など。

原作を冒涜レベルですが、お気に入りのを備忘メモしてきました

これらはまだかわいいほうで、中身がねずみのなんてのは、ちょっとゾワッ。食べることを想像しないようにしたけれど。


名前を忘れてしまったけれど、宗達風のたらしこみの鹿の角に、野菜や果物のツクモガミがいるのも。

「雪中リンゴ」は、ウサギの耳がお弁当とかのウサギリンゴに。

外ウインドウでは柳の葉が無数のかえるに。

...これはちょっとシュールだ。


茶びた背景の色がとてもいい。これはルイボスティらしい。墨とルイボスティ。

日本古来の伝説や絵画、食べ物、風習のなかに息づくものたちとの楽しい遊びの時間だった。

フジイフランソワさんの個展は、2008年に豊田市美術館で開催されたらしい。再度あることを期待。

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追記:2017年11月の佐藤美術館「吾輩の猫展」にフジイフランソワさんの「威をかる猫」が出展。日記

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高島屋の地下のPECKのイートインでひといき。

マカデミアナッツのフォカッチャ。

木の実好きな私はPECKの米粉くるみ食パンを溺愛しておりますが、これもマカデミアナッツごろごろで大変おいしかったです。