7月の初め頃のある日、東博の本館。
亀田鵬斎と狩野尚信に惹かれました。以下、備忘録です。
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亀田鵬斎(1752~1826)「蘭亭序屏風」1824年 江戸時代
な、なんでしょう、この書は。ぜったい酔ってる笑?。抽象画か、池大雅や浦上玉堂の自由すぎる画みたい。
この酩酊?状態で、6曲1双の大屏風を書ききった。
言霊というものがあるなら、字にも字霊ってものがあるのではないか。字の一つ一つが息を吐いて、屏風全体が、はふはふ言っている。
と思ったら、鵬斎は新収蔵の部屋にもう二点。
しかも全く違う字体。こういう意外な面を予告もなしに見せられると、私はすとんと恋に落ちる。
「七言絶句並偈 」江戸時代 このストイックな描きぶり。
「詩書屏風」1820 こちらはまた違う。潤沢で端正な字。
三点どの字体も、よどみなく、字に憑依したような世界。目で追うと、それぞれの字のリズムに体が同調するようだった。
鵬斎は江戸後期の儒学者。解説に、豊潤な筆線で、自由に筆を動かすのが特徴、と。
wikiを読むと、知と気骨を供えもち、人情に厚く、「酔って候」な人。やっぱり文人画家みたい。儒学者として鵬斎の私塾には1000人を超える門人を数えたにもかかわらず、「寛政異学の禁」により「異学の五鬼」のひとつとされてしまい、門人を失う。酒と貧困の中でも、市井では「金杉の酔先生」と親しまれたそう。浅間山の大噴火の時には蔵書を売り救済に当てたという逸話からも、人柄がしのばれる。
この字↓も、いい感じに酔いまわってます🍶。
「酔い飽きて高眠するは真の事業なり」(足立区HPより)
やがて塾を閉じ、50歳頃から、旅に出る。酒井抱一と谷文晁とも茨城県竜ケ崎市あたりを旅した。三人は生涯の友であったそう。
↓谷文晁が描いた鵬斎。(Wikipediaより)。
その後も、日光、信州、越後、佐渡へ。旅の途中、良寛とも出会ったらしいけれども、良寛と鵬斎がどんなふうに絡んだのか、とても気になる。二人はきっと共鳴しあうところがあるような気がする。
晩年は抱一が生活の手助けをしつつ、書は大いに人気を呼んだという。
またどこかで鵬斎の字に出会えるのを、楽しみに待っていよう。
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今回はお友達つながりか、谷文晁の「前後赤壁図 」「夏景山水図」も展示されていた。
「前後赤壁図 」
月はどちらも絶壁の下や割れ目に見え、絶壁のそびえる圧倒感。うっすら靄の合間に鶴が飛んでいる。舟のしっかりとした描きように、文晁の理知的な感覚のようなものを感じたのはなぜかな。
谷文晁「夏景山水図」は、これよりもっと描きこんでいた。山もむくむくと盛り上がり、木々も根元から歩きだしそうな生命体のよう。左福には遠景の雄大さと人里の情景が同居する。「気」があふれるような絵だった。
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狩野探幽の弟、狩野尚信「瀟湘八景図」も、この日のお気に入り。多くの人が描く瀟湘八景図だけれども、尚信の自由な描きぶりはなにか違う。
全景を撮り忘れてしまったので、右隻から。
撥墨の山なみ、木々、里の風景。尚信の筆は自在に走る、踊る
煙寺晩鐘 岩や木々の描きぶりに心打たれる。43歳で亡くなってしまうなんて残念なこと。
遠浦帰帆?
大きな余白に溶けそう
左隻
雪景色に、ぽっくりとした山。大きな余白。なんだか、狩野の形式やなにやらすべてから、脱して抜けている感じ。
しかし枝に積もる雪を描きだす墨の濃さは、はっとするほどの筆致の強さ。
ゆったりと大きな余白を生むと思えば、時に一転して激しく。この変化。
様式が何様というよりも、この瀟湘八景にえがかれる自然をこよなく愛し、この境地を愛したひとなのでは。
先祖の狩野元信が筆を濃密にふるったのなら、尚信は、筆と自然に己を投じ、思いのままに遊んだのかも。いい屏風をみたなあ。
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同じ7室では、尚信の兄、狩野探幽「鵜飼図屏風 」も見もの。(大倉集古館蔵)
探幽は、遠くの山並みを視界に入れつつ、眼前すぐに川面を広げた。波上にひしめきあう鵜飼いの船と、黒い鵜がそこここに。格調を保ちつつも、重厚な狩野のイメージではなく、生き生きと動きに満ちていた。舟をこぎだす船頭たち、鵜につけた糸を手繰る鵜匠たち、水を汲んだりかがり火をくべたり、笑顔で声を交わしている。今にも潜ろうとする鵜、アユをくわえた鵜、鵜匠にアユをはき出される鵜も。提灯をともした見物の船は、将軍家やお大名なのか立派。お弁当のお重セットやかまどに茶釜もしっかり見て取れる。格式と軽妙洒脱を具有した探幽を見た。
探幽では、「探幽縮図 」も。やまと絵、中国絵画を模写したり、雪舟の模写、探幽独自の写生の小さな紙片もはりつけてあったり。探幽のまじめな学習ぶりがうかがえた。
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7室の屏風のうちもう一点は、「源氏物語澪標図屏風 」作者不詳 17世紀
都に返り咲いたのち、お礼参りに住吉大社に詣でる源氏の一行。屏風の右上に、海上の小舟は明石の君。りっぱな源氏一行に気づいて住吉詣でをとりやめ、視線を落とす。画面の隅に小さく描かれ、日陰の女の心情のように存在の小ささがかなしい...。画面の真ん中をまっすぐ横切る源氏の一行と対照的。源氏っ、気づいてあげてって思う。それにしても、住吉大社の参道は、松林も薄も、草深い海辺の情景がリアルによく描けていた。
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15室:歴史の記録の部屋。こんなものも保管ざれているのかといつも感嘆。
●シーボルトが寄贈した博物誌などの書物が展示されていた。
女性画家のメーリアン著「スリナム産昆虫変態図譜(フランス語版) 」1726
アダムス「顕微鏡の知識 」1746。微生物の世界が美しい
●琉球・奄美の文物
奄美大島の文物が展示されていたのは、あまりないことなのでは。奄美大島の大和村のノロが身に着けた玉など、たいへん貴重なもの。
沖縄では、第二次大戦で灰燼に帰した文物が多く、そのため東博の保管していたものが最も古いものの一つである、という解説には胸がつまる。
「樹下人物螺鈿沈金食籠」 第二尚氏時代・18世紀
食べ物を入れて宴席などに持ち込むお重箱。
螺鈿で、中国の文人画のようなモチーフを。
その横では、沖縄や奄美の《お墓》に関するコーナー。第二尚氏時代の骨壺、お墓の様式のパネル展示など。
与那国島で、民宿のおかみさんに聞いたお話を思い出した。「島の人は、死んだ後のことをとても大事にする。だからお墓にもお金をかける。先日亡くなったあの会社の社長さんのお墓は、一億円とも言われているんですよ。」「台湾からのお客さんが、与那国のお墓は、中国本土のよりも台湾のにそっくりだってびっくりしていましたよ。」 確かに与那国のお墓は、とても大きくてゆったり、お墓の前で、持ってきたごちそうを広げて一族で故人と宴会ができそうだった。
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他に印象深かったものを列挙。
・国宝室では「華厳宗祖師絵伝 元暁絵 巻中」鎌倉時代・13世紀 京都・高山寺蔵 竜宮から金剛三昧経を持ち帰る。すねを縦に割いて(血が・・)お経をしまう。竜宮や海のシーンも印象的。
・網干鷺蒔絵棚 17世紀
垂直のフレームに、リズミカルな網干の曲線。動きのある鷺。音楽のよう。
海北友松展でも網干の屏風が印象的だったのだけど、網干は曲線の組み合わせが好まれ、安土桃山以降でしばしば登場するモチーフとのこと。
・文久印 扇面画「かわほり」
・木米筆「兎道朝暾図」、平等院、宇治橋に人物は中国風で、エキゾチックな不思議さ。
・山口雪渓筆「十六羅漢図」(大倉集古館蔵、写真不可)は、第一尊者から第4尊者まで4幅。鹿に乗る第一尊者、第二尊者は樹上、第三尊者は麒麟?を棒でつつき、第4尊者は龍?のひげをつかんでいる。眼力も独特。迫力があふれ出していた。
・狩野(養川院)惟信筆「石橋山・江島・箱根図 」18世紀、やまと絵風なのもいいものだなあ。
・岸連山「納涼図」1857、木陰のスローな時間の流れがいい。
・浮世絵では、宮川春水「美人弾三味線図」 川又常行「団扇持ち美人図 」など、季節がら涼し気な。
・渓斎英泉筆の「日光山名所之内・華厳之瀧 」「〃、霧降之滝」「〃、裏見之滝」、この季節に滝の絵はミスト効果があってありがたいです。渓斎英泉は、美人画や春画はクールな描きぶりなのに、風景は打って変わって迫力。熱いものがある。
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新収蔵の部屋
「玄奘三蔵像」鎌倉時代 14世紀 玄奘の力強さが印象的。
経典をがっしりと背負い、経を唱えながら、しっかり力強い歩み。この足の強さに見入ってしまった。夏目雅子さんの三蔵法師のせいか、悟空や沙悟浄に守られる清らかなイメージだったのだけど、本来は長く過酷な旅を乗り越える、信仰の人。熱く、揺るがない人なのだ。
新収蔵のインド絵画のシリーズも良かったのだけれど、長くなったのでまた次回以降に。