はなな

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●デトロイト美術館展2 パウラ・モーダーゾーン・ベッカー

2016-11-30 | Art

(デトロイト美術館展1の続き)

帰ってからも気にかかったままだったのが、パウラ・モーダーゾーン・ベッカー(1876-1907)「年老いた農婦」1905

少女のようなおばあちゃん。なにかシンプルで基本的なことを描いているような、この不思議な領域はなんだろう?と。

無垢な印象。でも肌や無骨な手は畑仕事かなにか労働の年月を感じ、おそらく正解ばかりでなく楽ではなかったいろいろなことを経てきた瞳。

そんな自分をつつみこんでいる。手の重さ、厚さ、それに包まれるからだ。

自分を受け入れていいんだと。この年齢にやっと。神の許しとは、自分で自分をうけいれることを許されることなんだろうか、信仰はないけれどもそんなふうに思ったりする。

この交差した手の形は、受胎告知のマリアのものである、と解説に。光に包まれて、確かに神の祝福を受けているのかもしれない。誰かが産み、長い年齢を経たその命に。胎内に芽生えたほのかな赤ん坊の命と、変わることはなく。

この絵の無垢な感じはそこから感じたものなのかも。

最初に"なにかシンプルなこと”、と感じたのは、この女性の土のイメージなのかも。パウラはゴーギャンに影響を受けた。それはプリミティブという側面なのかもしれないけど、彼女は、根源的なもの、土地や作物や風土に根差しているもの、母なるもの、そういうものを欲していたのかな。

パウラ・モーダーゾーンの他の人物画も、画像で見る限りだけど、はっとするほど誠実な感じ。だけど聖女のようにはいられないいろいろな思いを抱合し、現実世界に生きる女性。その表情に、こちらも心の壁を開いてしまう。パウラのひたむきな人柄ゆえでしょうか。

いくつかの絵は母性を感じる絵。なのに、彼女自身が33歳で亡くなっているのは驚いた。いったんは離れた夫との間に女の子を生んだ後、三週間後に亡くなってしまう。

心に残る画家に出会ったのでした。

 

昔、東京ステーションギャラリーで、フォーゲラー(1872~1942)のステキな絵に出会ったけど、パウラもその夫(名前はオットーなんとか…)もフォーゲラーも、ドイツの同じ芸術家コロニーで暮らし製作していたことに、勝手にご縁を感じている。ヴォルプスヴェーデというドイツ北部のブレーメンに近い寒村だった。当時は、交通も不便で湿地に阻まれた自然のままの村。「泥炭を掘り、つましい暮らしを送る北ドイツのこの村」(こちらから)、このおばあさんのイメージに重なる。

ブレーメンにパウラの美術館があるらしい。ヴォルプスヴェーデも、ブレーメンからバス出会う一時間ほど。いまも芸術家たちが集い、フォーゲラーの家もある。いつかのお楽しみにしよう。

 

マックス・ベックマン(1884~1950)

ベックマンは青騎士やブリュッケには批判的だったそう。でも叙情を排し、感情を強く表出させた絵は表現主義と共通する。キルヒナーらと同じく、ベックマンも1915年に従軍、ベルギーの前線に送られて精神を病む。そしてナチスにより退廃芸術と烙印をおされてしまう。オランダへの逃避。戦後1947年にワシントン大学で教鞭をとるまで不遇の時代を送った。

彼の自画像のこの表情。この表情の前には、こちらも一緒に息をつめてしまう。心臓が苦しくなるような。突き詰めて見たくないものを彼はまざまざと、しかも強く激しく突きつけてくる。

ダメだ...コースアウトします。確か、チューリヒ美術館展の時も私は彼の絵↓から逃げた。

逃げたけれど、彼の絵は見たものどれも忘れられない絵になる。見たくない表情、ぶつけられたくない感情、矛盾した現実、そういうものを、彼が逃げ出さずにじりじりと見つめたように覚悟ができたら、一次大戦前の初期の作から、アメリカ移住後の幾分穏やかな絵まで、年を追ってみようか。(という気持ちはある)

 

オットー・ディクスもふつふつと怒っていた。この自画像は21歳の時。

コーデュロイの質感はすごい。カーネーションは「忠誠」、デューラーへのオマージュ。彼も退廃芸術とされ、ドレスデン美術アカデミーの教授職を追放されてしまう。それより前の1912年のこの自画像でさえ私は怖いけれど、こののち戦争と統制へと矛盾が増大するにつれ、もっと目をそむけたくなる絵になっていく。(こちらに画像が。)

 

一休みしても疲れる表現主義コーナーだけれど、最後にちょっと救いだったのがココシュカ(1886~1980)。

「エルベ川」1921、1919年にドレスデン美術アカデミーの教授職に就き、1923年まで暮らしたドレスデン、

新市街からエルベ川越しに旧市街を描いている。小さくて歩くのも楽しい好きな街。でもココシュカはどこか不穏な色彩に描いた。

ドレスデンへ来る前から、ココシュカは不安定で混乱していた。

前に見た、マーラーの未亡人のアルマとの恋のドロドロ渦中の「プット―とウサギのいる静物画」1914

優しい顔だけど爪を向きだす猫(アルマ)、不安そうな兎(ココシュカ)、アルマが堕胎した自分の子供。兎は、ママにおこられて固まっている子供のよう。

ココシュカは壮絶にアルマを愛し、追い、アルマはけっこう手ひどく逃げた。ココシュカは何年も底なし沼をはいずりまわった。ドレスデンではアルマの等身大人形を作らせ、連れて出かけたという話も。


それから15年たった「エルサレムの眺め」1929~30が、エルベ川の絵の隣に展示されていた。

数年にわたる旅の途中に訪れたエルサレム。遠くて青い空、光の当たる遠い景色。雄大で、古代エルサレムからの永い永い時間も。遊牧民か商人か、牛がしっかり描かれているのも、地に足がついた感じ。

大きな時間と空間だけでなく、人間の生活感もを描いた絵。

ああココシュカ立ち直ったんだなあ、超えたんだなあ。他人事ながら、よかったねとホッとする。。

彼は94歳まで長生きする。

 

表現主義のコーナーは、見ごたえを超えて、のしかかってくるほど。そして北方ドイツ絵画の深淵に気が遠くなるばかり。

クッタリして、カフェに座り込む。おいしいハーブティに回復して外に出たら、美術館の外壁がリベラの壁画になっていた。デトロイト美術館の建物にはリベラの壁画や壁絵が使われているそう。自動車産業で財をなした資本主義の殿堂のような美術館に、マルクス主義者のリベラ。デトロイト美術館も器が大きい。

最新の機械であろう大きなラインにつく、労働者の活気ある姿が描かれていた。

なんて濃い展覧会だったことか。表現主義しか記録でしきませんでしたが、ピカソもたっぷり観られた。デトロイト美術館に感謝です。