三井記念美術館「国宝雪松図と花鳥」
2017年12月9日~2月4日(円山応挙「雪松図」は1月4日から展示)
日本橋の三井タワーの7階が鳥尽くしになっていました。歴代の三井家の人々がこんなに鳥好きでいらしたとは。その財力には感嘆のため息がもれるばかり。
円山応挙の国宝「雪松図」、沈 南蘋、狩野栄信、渡辺始興、柴田是真、河鍋暁斎、仁清などなど、私の興味惹かれる絵師がたっぷりと勢ぞろい。眼福眼福でした。
以下、好きな作品の備忘録です。(画像は、絵ハガキ、フライヤー、三井記念美術館のHPから)
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◆出品目録に出ていないけれど、印象的な衝立(ついたて)がウエルカムボードのように迎えてくれる。
布を切り張りし、刺繍で仕上げたような花鳥。絵とは違う光沢と色の冴えが印象的。「剪綵(せんさい)」という技法とか。奈良時代に伝来したもののやがて忘れられていたのを、徳川家治の時代(1760~86)に、三井家に伝わっていた裂地でつくられてから復活したそう。
牡丹と孔雀の図の剪綵(1883年)は、三井の総領家である北家の8代目当主、三井高福(1808-1885)の画を基に剪綵に仕上げたもの。岩は青みがあり、たっぷりと孔雀の羽も紺色の系統色で、三井高福の怜悧な好みを想像する。
牡丹と鶏の図の剪さいは、高福の画を、11代目の三井高公夫人の鋹子(としこ)(1901-1976)が 剪綵にて仕上げたもの。(この方、松平春嶽のひ孫さま。) 以降、三井の奥方さまたちに継承されているのだそう。ちなみに高公邸は、現在江戸東京たてもの園に保存され、見学できる。
◆展示室1
茶道具や香合の珍しいものがたくさん。鳥もびっくりでは。自分のパーツがこんな美しい品々になっているとは。ちょっと気の毒かな。
・「青鸞羽箒」は、鳥の羽を三枚ほど重ねて作った卓上ほうき。鳥だけど、ヒョウ柄が鮮明で美しい。その羽を提供した青鸞は、マレーシア辺りに生息するとのこと。数寄者は自分で羽を選ぶのだとか。
・香合では、たまごを半分に切ったものがお気に入り。そのたまごがまた、鶴だの孔雀のたまごだというから恐れ入る。その吉祥な鳥たちのたまごが金や絵で仕上げられ、なんとも優雅な逸品。卵の製品は輸出用に人気だったのだとか。イースターの土台があるからかな?。でも横割りにしたのは、斬新に見えたかもしれない。ダリに見せてあげたいかも。
「鶴卵香合 前後軒園中産」は、北家9代目が屋敷で飼っていた鶴のたまご。内側を金で塗り、まぶしいほど。
「孔雀卵香合 了々斎好」1814は、和歌山城で飼われていた孔雀のたまご。紀州藩主から拝領したのだそうな。内側を漆、外側は蒔絵の牡丹。
柴田是真が、鶴の卵を盃にした「稲菊蒔絵鶴卵盃」は、たいへんクールに美しかった。稲穂はむっちりつまって、首を垂れ、菊とともに秋の風情。見込みの金地は、陽に輝いて見える芒野原のような色みで、うっとり。
・仁清の香合は、首のひねりもびっくり目もかわいい
・茶道具では、「凡鳥棗 藤村庸軒好」。漆にひとつ、桐の葉の文様が描かれている。底には、(鳳の字をふたつにわけて)凡と鳥と。なるほど。鳳凰は桐の葉を好む。
◆展示室4
見ものぞろいの掛け軸や屏風。なんて贅沢なお部屋なんだろう
《狩野栄信「四季山水図」4幅》 はとても好きになった大型の掛け軸。
人も動物も、キャラ設定とストーリー立てがしっかりしてある。そして山も村も、細部にみどころシーンがいっぱいあるのだ。(以下、長いので読み飛ばしてください)
栄信といえば、木挽町狩野の8代目。昨年の板橋美術館の江戸の花鳥画展では、濃い青地に牡丹の画が展示されていた(日記)。中国画を基にしたようで、鈴木其一にもそっくりな枝ぶりの牡丹の図がある。
一幅めは、春の初めのなだらかな山里の情景。梅の花が少し開き始めてたところで、空気はまだ冷たそう。村の人々は、一人3センチ程なのに、体勢もしっかり。表情や目線までちゃんと描いて、生き生き。中段あたりには、馬にまたがろうとするひと。水辺の柳下で馬を洗う髭のおじさんは、日に焼けた肌も健康そう。東屋には琵琶をひく高士、外を眺める高士。その視線の先には、梅の木から飛び立つつばめの群れ。
川の中州には、白ヤギ母子がかわいい。子ヤギは母ヤギの乳を飲んでいる。その足元に置かれた植木鉢には水仙、花壇には牡丹や百合が咲いている。ほのぼのするスポットが散りばめられた、ハートフルな幅だった。
二幅めは、うってかわって夏の自然の雄々しさ。雲海を超えてそびえる岩山。どうどうと音が聞こえそうな滝がいく筋も流れ落ちている。気付けば小さく、山中にお茶を広げる二人。二人の視線の先に、お、鷲が飛んでいる。うっ、鷲は青い尾長鳥をくわえている(怖)。でもその先の木の上の巣に、母鳥と、口をあけて待っている三羽のひな鳥。鷲とはいえ、ひながかわいいなあ、親子愛だなあ。と思った瞬間、すとんと陥落。狩野栄信ファンになってしまった。そしてこの幅、遠目で見ると、岩山と雲と樹々とすべてが一体となって、自然の力強さと夏の清涼感を圧倒的に放っている。すごい。
三幅めは、木の葉が茶色くなりはじめた初秋の、水辺の集落。屋根のついた舟で暮らす人々。なんだかやたらと舟が細密で、模型図みたいなのはなんだろう?。網を引き揚げるクレーンみたいなのが機械装置としてきっちりと描かれている。そのわきには、伝統的な木と牡丹と太湖石と、かくれんぼんをするような犬たち。別の小舟には、黒い鵜がとまっている。乳飲み子を抱く胸を出した母親や、腕に留まらせた小鳥で遊ぶ幼児、お茶碗をもって食事中の女性などが乗る舟もある。
中段あたりには、水牛に乗ったり、三頭だての水牛に荷車をひかせたり。水辺の集落の暮らしが、まるで見てきたようによく描けている。なにか中国の絵巻にこういういい作品があるのか、それともどこか日本の水辺を参考にしたのか??
画の間近には、底から高い木が大きく描かれ、見ている私がそこを起点に置き、さらに画面の上へ上へと目線が誘導され、水辺の集落は幾重にも連なり、炭焼き窯?か煙が立ち上り、最上部の月に収束する。ここまでの三幅とも、画の中で違う流れにのせられてしまうのが面白い。
四幅めは、雪景色。冷たい空気に、険しい岩が印象的。こんなに寒いのに、雪の中州でお茶?お酒?する三人がいる。一人は寝そべっている⁈大丈夫か?。手前の東屋には、童子に簾を上げさせて、外を眺める高士。
だらだら書いてしまったけれど、細部にも、遠目にも、とても思い出深く残る4幅だった。狩野栄信の作に次はいつ出会えるだろう。
さて、さらには沈南蘋の掛け軸が6幅も見られるなんて、なんて大盤振る舞い。11幅を所蔵している《花鳥動物図 清・乾隆15年(1750年)》のうちから、鳥のものを6幅選んだそう。
写実的で多色の彩色。徳川吉宗の招きにより来日し、彼の影響を受けた南蘋派の日本人画師は多いけれど、おおもとがこれかと思うと感慨深い。清では有名とはいえ、一職業絵師だった彼がたった二年の日本滞在によって、日本の江戸絵画界に与えた影響は多大。人生って不思議。。
《松樹双鶴図》 鶴の羽の描き方は、一本一本胡粉で線が引かれ、若冲が影響を受けたらしいことを反芻する。爬虫類を思わせる細密な足や節は、応挙をも。波上の岩山は蓬莱山なのだとか。
《柳下雄鶏図》 柳に花海棠、つばめ、鶏、オレンジ色の仙爺
《群鳥倚竹図》青紫の花大根とたんぽぽが印象的。竹も花も鳥もとにかくリアル。極めた写実の先に妖しい感じを放っていた。
《白鸚鵡図》の赤い実はライチだそう。
《檀特鶏雛図》は、赤い檀特という花と秋海棠。ヒナは、幼くとも鋭い目をしている。
《枇杷寿帯図》寿帯鳥とは極楽鳥。
枇杷のおしり?が生命を放っている。葉は虫食いや枯れてかけた葉も。
↑の絵ハガキでは切れていたけれど、下側にはケシの花。
散り始めたもの、すっかり花びらが落ち種がむき出しになったもの、つぼみ。無常感は、くねる茎によってあやしさを増している。
隅から隅まで、どこにもすっとした直線はなく、沈南蘋の線はどの線もまがりくねる。彩色の際どさとあいまって、日本人たちはこれに魅せられたのかな。沈南蘋の波も、執拗なまでのしぶきが印象深かった。
この後に、応挙の国宝「雪松図」。
以前に根津美術館で見た時も圧倒され、長い時間離れがたかっけれど、改めて見ると、応挙の大胆な筆致に改めて打たれる。雪は描かずに、松と金の背景を描くことでふわりとした雪を見せる。雪の晴れ間の陽の光を見せる。空間の奥行きを見せる。この荒い筆致の事前に、応挙はどんな風に計算し、組み立て、そして筆を下ろしたのだろうと思う。
応挙では、展示室7にも3点。
《蓬莱山・竹鶏図》1790
先日の松岡美術館で見た三幅対の竹と同じく、これも左右で描き分けた竹。右はしっかりと立ち、左の竹は柔らかに風になびく。打たれたのは、真ん中の幅。蓬莱山の下の波(!)、こんな小さな画面でも、たしかにあの波濤図を描いた応挙の波だ。船酔いしそうな揺らぎ。そして奥へと入る山の遠近感。遠目にも梅が美しかった。
《双鶴図》1792 には、三井家の領収書がついているのだとか。金子500匹、約1両1分。高いのか安いのか?。
今回のお目当ての一つ、渡辺始興「鳥類真写図鑑」は、圧巻。
1718年から1742年の間に描かれたそう。全長17m、鳥は63種。まさに鳥図巻。始興のメモ書きも見える。
一羽につき、羽は前と後ろから、さらには広げた時の模様や、とじているときは見えない内側の模様までも描きつけている。果ては、翼のわきの下?まで観察している。顔は前向き、横向き、後ろ姿など角度を変えて観察。もちろん雄か雌かも注意書きしている。鳥のあごの下まで描いているのには、笑ってしまった。
この博物者のこだわりは、始興が仕えた近衛家煕の命によるものか?。
そして、画としても巧み。鷹の鋭く湾曲する爪は黒光りしている。つかむ力の強さ、固さまで伝わる。爪間近まで羽毛でおおわれているとは知らなかった。
この図鑑で写生した「カケス」が本画になった「花鳥図」も、後の部屋に展示されていた。もの寂しい冬の情景、どんぐりの実がついている。
◆展示室5
茶道具、盃、印籠、置物、箱など、豪勢な品々が展示されている。贅の基準が私の知る上の上を普通にこえてて、ぽか~と口が開いてしまう。
・「牙彫鶏親子置物」明治~大正は、一本の象牙から鶏の立体を彫りだしている。三匹のひよこもついてて、かわいい。といっても象牙製品、今じゃもう幻の工芸品。
・象彦(西村彦兵衛)の蒔絵の三点はどれも見ごと。象彦は、1661年創業の象牙屋に始まり、今に至る蒔絵や漆器の老舗。象牙屋の彦兵衛で象彦。
なかでも口をあんぐりなのが、「月宮殿蒔絵水晶台」象彦(西村彦兵衛)明治~昭和。上にのった水晶玉の大きいこと(!)。蒔絵で描かれた側面や台の宮殿や海中、月の美しさも素晴らしいけれど、驚くべきは宝石類が埋め込まれていること。孔雀石やほうかい石がちりばめられている。方鉛鉱、黄銅は、三井鉱山から出たものだとか。そもそも、この大きな水晶玉を飾るために、この台が作られたのだとか。風流にもほどがあろうかと、目が点。
これを見てから他のを見ると、元の世界に戻ったような気がする。
・永楽和全の屏風や茶碗もある。仁清を意識した香合などもある。永楽妙全の雉は、舌がちょろっと見えているのが芸がこまかい。永楽家は三井家のひごを受けたそう。
・国井応文「百鳥図横額(片隻)」は欄間らしい。ちょっとお部屋にはどうかな・・これで片隻とは。たまに白目の鳥がいるのはなんだろう?剥落かな?。
国井応文は、4世で絶えた応挙の円山家を継いだ。
◆展示室6
土佐光起「鶉図」は、さすがの土佐派。風雅で品格ある鶉でござりました。
源琦「東都手遊図」天明6年(1786年) 北三井家の6代目が、27歳下に弟が生まれるにあたり取り寄せたおもちゃを描かせたもの。楽しい絵でお気に入り。
って、この時期といえば、天明の大飢饉の真っ最中ではないの。あるところにはあるんだなあ。
・好きな小林古径の「木兎図」昭和時代 に出会えたのはうれしい。薄い墨の淡い濃淡で、ふんわりとしたミミズク。耳もかわいい。目だけ金地にぱっちり黒目がかわいい。ミミズクのおなかの、「丰」じるしが斜めになったような模様もかわいい。
展示室7
狩野養信「七福神図」、ちんまりいい笑顔の七福神たち。なかでも福禄寿が鶴と踊っているのが好きなところ。これは狩野探幽の模写だとか。養信は「模写魔」と安村先生が言っていたとおり笑。
三井家の当主たちの作が続く。
三井高福「海辺群鶴図屏風」1885は、絵師の助けも得ながら描いた、晩年の作だそう。丹頂とマナヅル。横にひろがる波は応挙をほうふつとする。ちょっと線が多いような気がするけど、アドバイスした絵師は円山派なのでしょう。
最後に、新寄贈の河鍋暁斎「花見の図」。天狗の面を被る男、胸もあらわにお団子を食べながら踊る女。この乱痴気さわぎを、平常に見ている玩具売りのおばあさん。本紙の外側には大胆なタッチで桜が描かれている。奇想な花見図だった。
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とても贅沢な展覧会を堪能しました。
一階のマンダリンオリエンタルのショップのイートイン、ハイビスカスのお茶でひと休み。向かいは三重県のアンテナショップです。