はなな

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●三の丸尚蔵館「駒競べー馬の晴れ姿ー」

2016-07-23 | Art

三の丸尚蔵館「駒競べー馬の晴れ姿ー」

前期:2016.7.9~7.31、後期:2016.8.6~9.4

前期展に行ってきました。置物、絵図、屏風、アウガルテンの陶器など。馬が美術にどのようにあらわされてきたのか、馬と人間との関わり。馬というピンスポットな視点を通してみるのも、面白い時間でした。

入るとすぐ、馬の置物がずらっと。

後藤貞行の明治23年の内国勧業博覧会に出品された五種の置物。

左から、農耕用、貨車用、乗用、競走用、と体つきの違いがはっきり。仕事が馬を作るのか?馬が合った仕事に就くのか?。顔も馬の個性がでていました。美しかったり、朴訥な顔だったり、目がうるうるしていたり。

後藤貞行(1849~1903)は、皇居前広場の「楠正成像」の馬の部分を担当したそうです。

馬の置物では、池田勇八(1886-1963)の二点が特に心に残りました。

「小憩」対象11年

人と馬が寄り添うように、通い合った気持ちが。タイトル通り「憩い」の時間。

「馬群像」昭和3年

別の角度から見るのも良かったのです。

父、母、子でしょう。家族の情景が暖かい体温を感じるようでもありであり、スピード感がすがすがしくもあり。

どちらの作品も、絵画のようだと思いました。物語がある。絵画と違ってバックは描けませんが、周りの情景まで目に見えるよう。バックに何もないから、想像が自由にできて、それもいいものだなあと思いました。

池田勇八は、馬の彫刻の第一人者と言われたそう。香川県綾川町の牧畜業の家に生まれ、東京美術学校の彫刻科へ。同期の朝倉文夫の「動物作家になったらどうだ」というアドバイスで、この道へ。上野動物園へ通い詰めて制作していたときに、千葉県三里塚の下総御料牧場がよいと聞き、ついにはアトリエを構え制作に打ち込んだそうです。今もそのアトリエは毀されることなく現存するそうです。(成田市広報

画像がないのですが、

作品の題だけ見ても、動物の彫刻のまわりに、詩情や物語性がにじみ出ていそうです。母子の愛を表現したものも多そうです。「ぼんやりした馬」、「平原の夕」「歩ゆむ豚」「母仔」「路傍の会話」「生存の様相」「哺乳」「土龍を嗅ぐ」「春風を嗅ぐ」「炎陽たつ頃」「母に寄り添う」「放牧地の母仔」「はなれ馬」「嘶き」「楽しき足どり」等。実物を見たいものです。

「蒙古襲来絵詞」教科書に出ているものの実物を見るのは、やっぱりうれしい。

前巻第17紙~18紙、季長の後方より駆けつける白石六郎通泰とその手勢

この絵では敵は見えませんが、よく見ると、矢がびゅんびゅん飛んできていました。人も大変だけれど、馬はもっと大変です・・。

蒙古襲来絵詞といいえば、竹崎季長が自分の手柄を誇示し、恩賞を賜るために描かせたと習った記憶がありますが、現在はこの絵詞には複数の加筆や数種類の詞書が混在しており、竹崎季長を主人公としたものかどうか自体に疑問があるとされているそうです。

ただ、人と同じくらい馬も重要なものとして描かれているのはわかります。

伝雪舟「馬図」

雪舟の真筆かどうかは不明だそうですが、数回の太い線のみで描き出した馬のラインは面白い。脚も蹄も足一本につき一回の筆で、書のよう。たてがみと尾は、薄墨でふんわりと。

「厩図屏風」室町時代(15世紀)は、土佐派の絵にによるものとされる、と。

こんなに立派で元気のよい馬を12頭も所有していますよ、的なことが誇示されています。

横の強いラインが大胆。そして縦にきっちり12分割。これが屏風っていうのが面白いです。鎌倉後期には所有する馬や牛を権威の象徴として描かせていたそうですが、それを屏風に仕上げるのも、考えてみれば自然なことかもしれません。屏風のバリエーションは広いのですね。

きっちに分割された長方形の中に、馬の跳ねまわる様子。上の竹の葉のぱっぱっと撥音的なリズム。とっても魅力的。こんなに中身?が動いている屏風って(笑)。

丸山応挙が二点。

「張飛図」江戸時代

 

 

応挙は、内裏の障壁画を描いたり、御所より屏風など多くの注文を受けたりと、皇室とは縁が深いそう。

「馬之図」天明7年 55歳の作

写生を重んじた応挙といわれていたことが実感。下草もふんわりと描かれています。この年は、南禅寺、金刀比羅宮、大乗寺にて障壁画や襖絵を描いた、その年。かわいい虎や格調高い孔雀とともに、このような陰影のついた西洋風な絵も。日本の絵師ってなんでも描けるんだなあ・・。

 

そして、この展覧会で一番楽しみにしていたのは岩佐又兵衛「小栗判官絵巻」江戸時代

ものすごい躍動感。ひとりひとりの感情の高ぶりも余すところなく表現しつくしています。

この黒く巨大な馬がぬおっと現れたところは、びっくり。又兵衛を浮世絵の祖と言いますが、国芳のルーツはここなんじゃないかと思いました。

色使いもセンセーショナルです。この又兵衛、すべてが、自由自在なのです。線も色も構図も。どこまでいっちゃうんだろうって思うくらい。この話はフィクションですが、だからこそ彼はその世界で、絵筆を持って暴れまくっている・・。そんな感じ。

といってもこれはあくまでも数少ない作品を見ただけでの想像ですので、この夏の福井県立美術館の岩佐又兵衛展、いきたいなあ~(涙)。

皇居ではボケの実がたわわに色づいていました。

奥村土牛の絵のよう。

いつも時間がなくて、大手町駅にとんぼ返りですが、短い皇居散歩も楽しいです。

 

 

 

 

 


●出光美術館蔵「江戸名所図屏風」のワニ真説?

2016-07-17 | Art

以前の日記に書いた、出光美術館「江戸名所図屏風」に、向島にワニがいる説。その追記です。

読んでくださった方から、貢物として献上されたワニが逃げ出したのでは?という説もいただきました。確かに象や豹など珍しいものが、南蛮船や朝鮮通信使の船に乗せられ、秀吉やその後の江戸将軍家に献上されたようですので、ワニ生息説も可能性あるかも♪。

と思っていましたところ、出光美術館で単眼鏡で見た方から、「木彫りをしているように見える」と教えていただきました。

 確かにあの手つき、くすぐってるのではなくて、彫っているのか。

向島で木彫りが行われていたのかどうか、墨田区のHPで見つけました(^^)。

http://www.city.sumida.lg.jp/sisetu_info/siryou/kyoudobunka/mame/iki/mokkou.html

抜粋です:「堂宮彫刻(どうみやちょうこく)は、神社仏閣を飾る欄間(らんま)や木鼻(きばな)などの木彫刻をいいます。
 その起源は16世紀、欄間彫刻の盛行に伴い大工(ばんしょう番匠)から分化して成立した「木彫り師」「宮彫り師」にたどることができます。江戸時代以後、墨田区周辺には神社仏閣が多く建てられ、また隅田川の水運による木材の供給の便もあり、仏師や彫師などが隅田川周辺に多く居住するようになりました。」

確かに木彫りが盛んだったようです。16世紀からというのも、あの屏風と時期もあいます。

向島から隅田川を少し下った深川は木材業で栄えていました(「ととねえちゃん」でも祖母の大地真央が木材卸を営んでいました)し、浅草のすぐ近くの田原町は、お仏壇のお店が並んでいますし、合羽橋道具街も。

 

結論:あれはワニではなく、龍かなにかの彫り物の可能性あり。

 

余談ですが、検索していたら、柴又帝釈天に超絶な欄間が。

仏教の説話彫刻です。柴又帝釈天は、彫刻の寺と言われるほど、木彫が多く、また見事だそうです。

 

そして大好きな、平櫛田中の旧宅が、谷中霊園の近くにあることも発見。

住所:東京都台東区上野桜木2-20-3

大正時代のそのままに保存されているそうです。公開は、原則、第4日曜日:11:00~15:00とのこと。

平櫛田中の木彫は、小さい作品でも内から発するオーラが見えるようなのです。

酔吟行

写真だとピンと来ないですが、前から見ても素晴らしいですが、後ろ姿のほうがもっと気を発しているかもしれません。

これは五浦で見た岡倉天心像。

 

木彫りには詳しくないのですが、下町の木彫りから、いろいろ行きたいところが出てきました。

 

 

 


●SHISEIDO GALLERY「石内都展 Frida is」

2016-07-11 | Art

SHISEIDO GALLERY「石内都展 Frida is」

2016.6.28~8.21

(展覧会サイトから抜粋)2012年、石内はメキシコシティにあるフリーダ・カーロ博物館からの依頼により、メキシコを代表する画家、フリーダ・カーロの遺品を3週間にわたり撮影しました。

フリーダの生家でもある≪青い家≫と呼ばれる博物館で、彼女の死後50年となる2004年に封印を解かれた遺品には、フリーダが身に着けていたコルセットや衣服、靴、指輪などの装飾品に加え、櫛や化粧品、薬品などが含まれていました。石内はこれらの持ち物を丹念に配置し、35ミリのフィルムカメラを手に、自然光の中で撮影しました。フリーダと対話をするように撮った写真は、波瀾に満ちた人生を送ったヒロインとしてのフリーダではなく、痛みと戦いながらも希望を失わずに生き抜いたひとりの女性の日常をとらえています。石内は「同じ女性として、表現者として、しっかり生きた一人の女性に出会ったということが一番大きかった」と言います。(略)

先日行ってきました。ギャラリーが、まるでバラガン建築のような壁に変身していました。(写真可)

  

メキシコの空を、石内さんの写真が舞うような展示。これまでみたフリーダの絵のイメージと違う。驚きというよりも、救われたような気持ちに。

フリーダの描く絵は、見たことは少ないけれど見たら忘れられない。血の涙を流すような痛みに満ちている。2004年に行った展覧会の図録(「フリーダカーロとその時代」)を再び開いてみた。12年(!)経っても、やはり直視しがたい。6歳の時の小児まひの後遺症、18歳の時のバス事故。体を手すりが貫通するほどの大けがによる体へのダメージ。ディエゴ・リベラとの夫婦関係。流産。リベラの重なる浮気。対抗するように数々の男性、女性との恋と性。離婚と再婚。生涯を通しての手術、体の痛み。

    

 しかも、フリーダの眼は、いつも前を見つめ、苦しみ、痛みや飢餓感を率直に生々しく表す。私は時に困惑し、眼をそらす。

なのに、石内さんは、全く動じていない。臆することなく。

フリーダは、自由になり、解放され。微笑んでいるように。

 

 

それで、私もほっとしたような気持に。

石内さんのヒロシマの写真集も少し見ました。そこにも同じ目線が。ヒロシマの写真が「きれいすぎる」と批判を浴びたとき、石内さんは、「冗談じゃない、もともときれいなんだ」と思ったそうです。

「遺品」も、撮り方によっては、フリーダの痛みと孤独を再現した写真になるかもしれない。同じドレスでも、ただ寂しい女の追憶になり、大きさとかかとの高さの違う靴も、いくつものコルセットも、生きにくさの表現にとどまるのかもしれない。

でも石内さんはそんな写真ではなく、持ち主を痛みや苦しみから解放し、透けるような空に運ぶ。成仏といったらへんな表現だけれど、天を舞う。石内さんの仕事。

石内さんのこの強さは、どこからくるのだろう?。

石内さんは、おしゃれだったフリーダや、ヒロシマで亡くなった女の子たちがもし帰ってきたら、この服をまた着たいって思えるように、「かっこよく撮っている」と。

本物を愛したフリーダが身に着けたものは、手刺繍やレースがあしらわれて、魅力的。そして堂々と、ポージングしたモデルさんのようにチャーミングでした。

 

 遺品は、もし耳を澄ましてくれる人がいたら、声を発してくれるのかもしれません。石内さんは、亡くなった方だから、モノだからとドアを閉じず。また外からの先入観や伝記での一方的なとらえ方も、意に介してはいないのでしょう。白紙で遺品に触れ、その存在をすくい上げている。まだちゃんとこの世界で聞くことのできる、その人の気配に耳を傾けているようで。

石内さんの「強さ」と感じたのは、石内さんが遺品に対して、自分を開いていることからくるのかも。だから見て安堵に似た気持ちになったのかも。


二階のスペースは、フリーダの日々の生活の、よりプライベートなものの写真でした。

  

肌に触れたパフ。喉を降りて行ったモルヒネ。櫛。体温計。石けん。体内的な遺品の数々。ドレスのように華やかなものだけではなかった。

これらのものは、バックも青い空ではなく、ドレスのように空を舞ってはいないように見えました。今はもう役目を終え、主なき部屋で静かに眠りについている。石内さんのような方が訪ねて来たら、主の記憶を伝えるために、いっとき目を覚ます。

身体の痛みをとり、なんとか動けるようにし、お化粧をし、髪を結い上げ。

そして、一階にふたたび降りる階段の先には、かかとの高さを工夫したフリーダの赤いブーツの写真。

さあ、とフリーダは「フリーダ」としてみんなの前に出て行ったように思いました。

絵を描く人である前に、日々を暮らし、痛みと戦い、すきなものを愛し、47年間を生きたひとりの女性。

上述の古い画集にあった、フリーダの長い友人でもあるローラ・ブラーボがフリーダの家で撮ったもの。

Lola Alvarez Bravo(1907~1993) 

 

 

寂しいけれど、日常のなかの自然な表情。絵の自画像よりも自然な。写真のコメントに「仮面を外した孤独なフリーダの表情」と。

石内さんの写真。ローラ・ブラーボの写真。ひとりの女性としてのフリーダ。

私も今までのでイメージを捨てて、フリーダの絵をもう一度見てみようと思いました。

上村松園の絵に脱線しますが、ずっと松園の美人画は清らかすぎて現実離れしているようであまり共感できなかった。でもある時、あの女性たちの美しい眼差しが、実は数々の感情や困難を知り、それを受け入れ、超えたものこそが得られるものではと気づいてから、あの美しさにひかれるようになりました。

それに比べて、ずっとフリーダの絵は、まだその困難の渦中にいる人ような印象だったのです。

でも、今ふと気づくと、自分の悩みに終始し痛みを顕示しただけではなく、いつの頃からか、とても大きなものに行きついていたのでは。松園と違うのは、フリーダの抱えるものは重篤で、超えるとかいった類のものではなく、死ぬまで消えることのないとものであること。その痛みや困難に身をさらしながら、松園とはまた違ったところに行き着いているのでは。痛みや苦しみのその先に、根源的なものを表現したのかもしれない。宇宙的なもの、性や生命の根源的なこと、メキシコの大地のエネルギーとか。うまく言えませんが。

画集の絵を年を追ってみると、晩年の絵にはそんなふうに感じました。

 

フリーダの背中を追っていたのは、リベラのほうだったかもしれない。血を流しながらも、リベラを包括している。フリーダの身体を通して、体の内的なものと、大地や宇宙は繋がっている。壊れかかり限界に達しそうなところで、ひたすら生きたフリーダ。どこまで彼女が自覚していたのかわからないけれど。

 

 

 

画集の中の数枚の絵では、よくわからない。石内さんが遺品のひとつひとつの声に耳を傾けたように、フリーダの本物の絵を、年を追って見ていきたいもの。フリーダの筆致を感じながら見ていったら、気づくこともがあるかもしれない。その機会を待つことにします。

 


●山種美術館 江戸絵画への視線ー岩佐又兵衛から江戸琳派へー

2016-07-11 | Art

山種美術館 江戸絵画への視線ー岩佐又兵衛から江戸琳派へー

2016.7.2~8.21

 

所蔵品の中から、最近人気の江戸時代の絵画を展示していました。

◆この日の目的のひとつは、まず山本梅逸。三点。

「花虫図」は、太湖石が異彩を放っている。ドクロのように見えたり。体的なS字ライン。虻もいます。とげまで描かれたバラ、百合、花はとても繊細に描かれていました。反対に、バックの枝は、さらさらと線だけ。一気呵成に描いたような集中ぶり。

私がこの人を好きになったツボのひとつは、木の足元の雑草。今回もやはり見過ごさないで、魅力的に描かれていました。

同じく太湖石の描かれた似た絵が、静岡県立美術館にありました。

《花卉竹石図》(51歳の時の作です)

 

「桃花源図」は、文人画の様相ですが、むしろ「絵画」。どことなく現代風。遠近を感じる奥への広がりは、西洋風な感じ。梅逸は、題は伝統的なものを描いても、どこか独特なまなざしが前面に出ているように感じます。

「白衣観音」には驚きました。堂々たる、71歳の作。墨だけで描かれています。岸壁に腰掛ける観音様の後光が透けている。波が荒々しく、岩までも激しく描かれている。反対に、波に目を落とす観音様のお顔は静かで、百衣がまぶしいくらい。ひだを薄墨で描いたり、周りから薄墨を入れたり、墨絵の魅力満載。

たまに美術展で2~3点だけ姿を現す、幻の希少動物みたいな山本梅逸。観るたびに、新たな魅力を発見してしまいます。回顧展があるといいなあ~~。

 

◆目的の二つ目は、椿椿山(1801~1854)。

「久能山真景図」1837


穏やかな情景。僧の丸っこい背中と、おつきの者の背中がどことなくほほえましく。でも少し寂し気でもあり。

椿山は、渡辺崋山が最も親しくした弟子。崋山のことはこのブログでも時々書きましたが、椿山は崋山の肖像を残しています(今回の展示ではありません)

「渡辺崋山像」1853

崋山の死後12年経ってから描かれたもの。椿山は、もとは崋山とは谷文晁のもとで学ぶ同門の弟子どおし。でも崋山を慕い、崋山の弟子となります。崋山も椿山を信頼し、ドナルドキーンさんの「渡辺崋山」では、蟄居中に崋山が自害するまで、椿山に送った手紙がいくつも載っています。

この本には崋山の描いた肖像画が多く乗っていますが、時にぞくっとしそうな影のある人物画。対して、椿山の肖像画はとても穏やかで、ほっとします。久能山真景図もそうですが、椿山の誠実で穏やかな人柄を想像します。

今は亡き先生への思慕が描きだされている。架けた指先は、いつも崋山がこんなふうにしていたのでしょうか。ふと、この手に華山の無念が込められているような気がしました。

 

 三つめの目的は、岩佐又兵衛「官女観菊図」。源氏物語の六条の御息所とその娘の斎宮。

 

 車の四角い骨格は黒く大きいのに、重くない。不思議と人物に視線が凝集される。丸と四角が額のように、中の女性たちを特別なものにしているよう。細密に墨で描き分けるのは、チャレンジでもあり、自信でもあり、ということなのかな。

 又兵衛は源氏物語では、横浜そごうの福井美術館展で見た「浮舟」も描いています。

 やはり又兵衛らしい豊頬長頭と黒髪。

 又兵衛の絵を見ていると、いつも小学校でノートの端に漫画ばっかり描いていた男の子を想像します。描くのが大好きで自然で。

 それにしても又兵衛の絵の幅の広さには驚きます。こんな雅びな絵を描く一方で、残虐でセンセーショナルな絵も。荒木村重の子として生まれ、父の謀反により、二歳で、母や兄弟一族郎党は処刑。当の父だけ逃げ延びる。そんな生い立ちは関係あるでしょうか。

 「官女観菊図」はもともと12図からなる屏風絵の一図。

 又兵衛が20年を暮らした福井で、ちょうどこの夏、散逸していたこの屏風絵が集まります。

 「岩佐又兵衛展 7月22日-8月28日福井移住400年記念 岩佐又兵衛展ーこの夏、謎の天才絵師、福井に帰るー」。危険な闇と多面性を見せる又兵衛に迫れそう。見に行きたい・・。

 ...............

他に心に残った作品

◆この日の会場に入ってすぐの一枚は、伊藤若冲の「伏見人形」でした。

こちらに向かって歩いてくる感じ。

前から思っていたのだけど、こちらに進んで来る感が、このたらこCMを思い出す・・。

https://www.youtube.com/watch?v=w62tMuadfUo

 伏見人形って、この布袋さんの人形だけかと思ったら、干支から福を呼ぶモチーフまで、様々。京都の方は当たり前のようにご存知なのかな?。江戸後期ぐらいまでは京都で多くの窯元があったそうですが、今は1750年頃創業の「丹嘉」さんのみということ。若冲の布袋さんの絵とは少し違う感じですが、丹嘉さんのサイトの商品はどれもかわいいです。

  

素焼きのあと、胡粉で下塗りし、その上に絵付けして完了。釉薬なしなので、適度にざらっとした感触のままかと。その質感、若冲も表現したかったところでしょう。

若冲は伏見人形を40年にわたり描いていますが、今回のは83歳、亡くなる一年前の作。すっかりお友達みたいだけれど、最初の一枚はどんなふうだったかのかな。(長くなるのでいずれ別ページで)

 

◆俵屋宗達絵 本阿弥光悦書「鹿下絵新古今和歌巻断簡」

宗達の下絵の上に、本阿弥光悦の書。ちょっと寂しげな鹿の周りに、字が遊んでくれているよう。言葉に言霊があるように、字にも「字霊」が?。文字がリズムになり、立体空間になり。

 

平成20年の琳派展で見た五島美術館蔵の「鹿下絵新古今和歌巻断簡」では、つがいの鹿でした。

二頭のまわりの文字は、上の独りの鹿の文字に比べ、線が細く。その分、二頭の鹿のおりなす会話のよう。

光悦と宗達、お互いの仕事に対するリスペクトがあったのでしょう。

光悦は若い宗達を見出だし、大きな仕事のチャンスを与えた。宗達は、光悦がいなければ今の自分は・・と語っていたそうです。二人の絵と書のコラボは、改めて画集を見ると、蓮、鶴などいろいろ。詩情あふれています。(二人の仕事については、また別のページに。)

 

◆酒井抱一が6点、展示されていましたが、何度見ても「秋草鶉図」は、心がはずむ

 

月はぷっくりした形で、同体形のうずらは月からこぼれ落ちたみたい。つゆ草がかわいい。

月は、銀が黒く変色したのではなく、もともとの色とのこと。このぴんぴんはねたススキの穂と葉のリズムに乗っていると、黒くしたのもわかる気がします。

抱一は「銀や漆黒を用いて月光の表現を試みた」と解説に。出光美術館の「紅白梅図」は、神秘的で空気の冷たさまで感じる銀の月光でしたが、この絵は、戯れるように踊るように、月のほのあたたかさ。抱一の月光は、気持ちがあるようです。

抱一では「宇津の山図」もおもしろい。

山と岩のモクモクで表現する山深さが独特。松の葉の定型ぶりも、都の延長のようだけれど。

よく題材になる東下りの一場面。女への手紙を、たまたま出会った知り合いの僧に託します。畠山美術館の「禊図」でも思いましたが、抱一の在原業平の目線がなんとも微妙で、くすぐられる。そして僧は後ろ姿で、これがまた表情が気になってしまうのです。

「月梅図」も、白と交じった紅梅が美しい。枝が書のようだと思いました。

 

◆鈴木 其一も三点。「伊勢物語図 高安の女」は、以前も見ましたが、つまり「ごはん大盛り図」。

「牡丹図」も以前にも見ましたが、やはり足が次に行かなくなってしまう。再び、白、紅、ピンクの配置に感嘆。どこまでも狂いのない筆致にも見とれました。そしてこの日は特に違和感が。花は、生き生きというよりも、異次元を形成しているように感じました。千葉市美術館で見たときに近い感覚です。

牡丹図とうって変わって太く大胆な輪郭なのが「四季花鳥図」のひまわり。(この展覧会では屏風4点は撮影可でした。)

大きな黄色と、分散された赤色。

 

随所に青やピンクが入っているのも、発見が楽しい。

 

撫子が楚々と。

生け花のように人工的な構図。自然の情景というよりは、どこにもない異空間的な。でも蔦の葉は外へと延び、他の葉先からも外への広がりも感じる。

不思議な鈴木其一の世界。

 

伝土佐光吉 「松秋草図」は切箔が美しかった。

 

りんどうかな

 

◆池大雅の「指頭山水図」

「若冲」を読んでから、人柄に急に親しみがわいて。22歳にして、すでにこの域に。新鮮さがありながら、老成したかのように無駄な力が入抜けている気が。

 

◆中林竹渓「松嶺図」:竹渓は、中林竹洞の息子で、山本梅逸の弟子。点描は西洋画のよう。西洋画も取り入れた丸山応挙の影響も受けたそうです。

◆岡本秋き「孔雀図」:いつも見とれてしまう。しゅうきも崋山や椿山とも親しく交流していたと解説に。これも激しい波。孔雀は迫力あります。雄はいままさに岸に降り立ったよう。「動」の世界。

 

第二会場で近代の日本画が数点。

 ◆小林古径の「猫」1946

目線も微笑みも、女性でいえばドレスを来た女優です。エジプトの影響もあるかな?

 

◆奥村土牛「三彩鑑賞」1966:77歳の作。土牛が東京国立博物館で鑑賞した三彩を、ケースの中の展示のままに。形を楽しみ、色を楽しんだ気持ちが伝わった気が。

 

いつも時間がなくてすぐとんぼ返りですが、この日は少しだけ椿カフェで一休み。

楽しい時間でした。


●実践女子大学香雪記念資料館「新収蔵展」

2016-07-08 | Art

実践女子大学 香雪記念資料館「新収蔵展」2016.7.4~8.7

 

香雪記念資料館は、久隅守景の娘、清原雪信の画を所蔵していることもあって常々、マーク。今回は残念ながら雪信は展示していませんでしたが、ラグーザ玉の薔薇の絵も見られた貴重な機会になりました。また知らなかった画家との出会いもありました。

図録はないですが、充実したカラーパンフと解説をいただけました。(その写真から)


一番引き込まれたのが、織田瑟々(おだしつしつ)安政8年1779~天保3年1832 「須磨桜真図」1831

独特な桜の世界。

この女性、織田信長の9男の子孫とか。三熊思孝(桜画の祖と言われている)の妹に絵を習います。10代で夫と死別、再婚した夫とも35歳で死別。故郷の滋賀で独自の桜画を描き続けますが、50歳には仏門に入り、54歳で亡くなりました。詳細はこちらの方が

S字を書く太い桜の幹は、一度絵の外に消え、再び姿を現し。

花と葉は一つ一つとても細やかに。

葉っぱの先は、桜の精の気があふれて触手を伸ばしているように、放射状に散る。花びらは白とピンクが融合し、花びらのはしの濃い目のピンクに気持ちが極まってしまった。

しなやかに大胆、細部は繊細。これが女性なら、こんな女性に憧れます。

瑟々はどれだけ桜を見続けてきたのでしょう。一朝一夕に描ける桜ではないと思います。もう桜が自分の世界と同化しているような。亡くなる前年、53歳の作。

 

野口小蘋(のぐちしょうひん)1847~1917「海棠小禽図」1910 もあでやかでした。

 

嬉しかったのは、平田玉蘊 (ひらたぎょくうん)1787~1855 が見られたこと。

高砂図」

日曜美術館のアートシーンで、地元広島での展覧会が紹介されており、とても美しい絵だったので見てみたいと思っていました。

その生涯が、どことなく上村松園と重なるのも、気になるところ。若くして父を亡くし、筆一本で家族を養う。頼山陽と恋をし、別れ(このあたりは本人しかわからないことですね・・)、生涯独身で通します。尾道、広島では知られた女性絵師だとか。繊細で鮮やかな花鳥図の印象がありましたが、今回は翁と媼の夫婦長寿を願う絵。松の幹も、円満な感じの葉も、どこかふくふくと。画像では見えないけれど、おじいさんの顔はとっても優しい表情。

 

ラグーザ玉(1861~1939)といえば、「薔薇」でしょうか。

東博にあるこの彫刻は、ラグーザが妻の玉をモデルに制作。

工部美術学校の教師だったラグーザに絵を習い、ともにイタリアへ。現地でも教育者、画家として活躍、ラグーザと結婚します。ラグーザの死後もパレルモにとどまります。

1931に玉の半生を描いた新聞小説をきっかけに、日本で有名になり、親族の説得で1933に日本に帰ります。説得のために派遣された親族の16歳の少女の写真が展示されていました。帰国してすぐ伊東屋で開催された展覧会で売り出された絵ハガキセットも、展示されていました。

 

玉では、もう一点「シチリア風景」も。

玉の家があったパレルモの名所モンテ・ペリグリーノの海だそうです。

薔薇の絵、シチリア風景、絵ハガキの絵など見ていると、どれもクリアで華やか。聡明で思い切りのいい面がある女性かなと想像しました。

 

河鍋暁斎の娘、暁翠の「髪すき十郎図」も。宮川長春の写しです。

 

木谷千草「1895~1947)「心中宵庚申」のお千代1923

恨みの世界・・。透けていきそうな手ぬぐいが、はかなげで哀しげで。

木谷千草は、大阪生まれ。池田蕉園北野恒富菊池契月、野田九浦に学び、主に女性を描き続けた画家。師匠が個性的な面々揃いで驚きますが。

 

女性の画家だけの部屋。女性男性ってことでもないでしょうけれど、花の美しさに心で触れる寄り添い方は、自然と和み、元気が出たりします。

 

*****

隣の部屋では「中国美術史入門展」。

この授業を選択している学生さんたちのために、毎年この時期に展示してあるそうです。レプリカですが、精巧です。

見ていくほどに、圧倒される。すごい。宋、元の水墨の本領をここに見た気が。

私が知らなかっただけで(恥)、ほとんどが台北の国立故宮博物院の、名画中の名画。素人の私でも打たれるわけです。(国立故宮博物院のサイトから)

「谿山行旅図(けいざんこうりょず)」 范寛(はんかん) 北宋11世紀後半

 

「双喜図」崔白 北宋 1061

花鳥図だそうですが、シビアな世界。木にとまる鳥と兎の緊張。自然の再現は北宋らしい主題だそうです。

 

「墨竹図」文同 北宋 11世紀中ごろ

筆一本、墨一色の世界。尽きない魅力。色いらないと思うほど。竹は下に向きますが、根性見せて再び上昇。葉の一枚一枚も、目で追うと、筆の勢いと迷いのなさがこちらに移ってくる感じで、心地よいです。

 

女史箴図巻 (じょししんずかん)顧 愷之 (こがいし) 東晋 大英博物館 があったのも、うれしいことでした。

西晋の張華撰の「女史箴」を,宮廷に仕える女性への戒めのために絵にしたもの。小林古径が大英博物館で模写し感銘を受けたと、たまに名前を目にするので、見たいと思っていました。

鏡に向かって化粧に熱中する女官たち。解説では、戒めでありながら、実はそれを覗き見ている男性の視線に触れていました。ひとくせありそうで、巻物の他の部分も見てみたいものです。

このあとに数枚、前漢から唐までの銅鏡が展示されていました。先日のの根津美術館の鏡展のおさらいができました。鏡の用いられ方は、「女史箴図巻」の女性の画にも描き表されています。棒にたてたり、ひもを通して手に持ったりして、お化粧しています。

 

広くはないですが、楽しい時間でした。

帰りに去年の「華麗なる江戸の女性画家たち」のパンフもいただいたら、見たかった清原雪信の絵も載っていました。サントリー美術館では、ファッショナブルで美しい観音様に見とれ、先日の東京国立博物館の常設で見たのは、密やかで魅惑的な牡丹。

狩野探幽の姪を母に、久隅守景を父に。探幽の弟子と駆け落ち。その後も売れっ子絵師として活躍。堂々と絵の道を歩いているところに憧れてしまう。千葉市美術館で昨年、ドラッカーコレクションの水墨画展がありましたが、ドラッカーが初めて購入した日本の絵が清原雪信。このパンフには、その娘の春信の絵も出ていましたが、とても腕が立つように見えます。

次の展示が楽しみです。


●出光美術館「美の祝典 第三部 江戸絵画の華やぎ」2

2016-07-08 | Art

出光美術館「美の祝典  第三部 江戸絵画の華やぎ」1の続き。

 

酒井泡一「紅白梅図屏風」

銀が黒くなっている琳派はよく見ますが、これは輝きを保っていました。夜の暗さと、月の明るさが同時に。銀色が秘めた不思議な力。解説では、「暗香(夜の闇から漂ってくる香りにこそ、その真の趣がある)」を描き切ったもの、と。

花も美しいですが、幹と枝に引き込まれました。右隻の紅梅の幹は、太く鋭角を描いて向きを変え、強い男性的。

左隻の白梅は、しなやかな女性のような。

どちらの幹も、中心に向かっていくようでありながら、突如向きを変え、反り返るように外へ。それでも、幹から出る細い枝のその先端は、微妙に中心へ気持ちが向いています。反発しあいながらも離れることのできない二人のような。男女の微妙なかけあいかも。

うっとりするほど美しい夜の世界。畳敷きに座して、観てみたいもの。

 

酒井泡一「十二か月花鳥図貼付図屏風」

葉と枝や幹は、12か月すべて、同系色の抑えた色。花も華美が過ぎず、しみじみ美しいです。

特に、白い椿の幹は、椿の精が息づいているのではと思うほど。

幹から直接花開いた椿が、不思議な命を発していて。でもスミレ、タンポポ、小鳥に気付いてみれば、それら皆でほのかに戯れているのでした。

簡略化されたあじさいも、ツタの白い花の丸と遊び、楽しく。

だんご三兄弟みたいなウグイスがキュート。スタンプみたいな柿がリズミカル。

美しいだけでなく、季節の自然の中の遊びに誘い込まれる12か月でした。。(アメリカのファインバーグコレクションにも抱一の十二か月花鳥図があり、だいたい同じモチーフですが、画像で見る限りでは、細部は違っているよう。そのうち観てみたいもの。)

 

鈴木其一の「四季花鳥図」

師の泡一とは違った異空間。

煽情的というのか。抒情ではなく。

抑えきれない思いを発するような白牡丹。

燕子花は複雑な形で、落ち着かない葉とともに、なにか言い立てるような。

水仙や桔梗も、口々に。梅も楓も肢体をしならせるように踊るように。

解説にマニエリスティックとありましたが、確かに。ブロンズィーノのこの辺りの絵を思い出したくらいな、さわがしさ。。

鈴木其一は、抱一に高く才能をかわれた後継者でありながら、琳派でも全然違います。目指してるものが違う気が。小さい作品はそんな感じではないけれど、大きな作品になると琳派の皮をかぶったマニエリズム。面白いです。

 

風神雷神図は抱一バージョンでした。

 

風神の黒雲は風のようで、雷神の雲は撥音のようにどんどんと。

そういえば、宗達、光琳、其一の風神雷神を一度に見た記憶があると思い出して本棚を探したら、国立博物館の図録が。雲の所だけをみてみると、皆それぞれ表現が違っています。顔以上に個性が出て面白かったので、いつかまたに。

 

 


●出光美術館「美の祝典 第三部 江戸絵画の華やぎ」1

2016-07-07 | Art

出光美術館「美の祝典  第三部 江戸絵画の華やぎ」12016.6.17~7.18

 

第一部、二部に続き、三部も行ってきました。

特に心に残ったもののメモです。

 

江戸名所図屏風」江戸時代

見れば見るほど楽しい。身近な場所なので、今と変わらない名所や地形に親近感。

 右隻に、向島、上野寛永寺、不忍池、湯島天神、神田明神、吉原、日本橋。続いて左隻に京橋、新橋、銀座、愛宕山、増上寺、高輪、芝浦まで。

 江戸がかつて「水の都」と言われていたことを再認識。

にぎわう 日本橋は、通り過ぎるだけでなく、話をしたり物を売ったり。船が行きかうバンコクを思い出す。

 絵としても質が高く、なによりこの一双にかけた作業量ときたら、気を失いそう。

橋や寺や江戸城など建物は、パースのようにきっちり。そして人物が細かい!膨大な数の人がいるのに、その一人ひとりを、役割、気持ち、目線までちゃんと描き分けている。

 着物も、みんな違う柄。それがまた手の込んだ柄で。

 百万人の過密都市・江戸ですが、さりげなく樹木も配してある。気づくと、最後の増上寺には紅葉が色づいている。

 最初の上野浅草のあたりに戻ると、桜が咲いている。屏風の中で季節が移っていたのでした。

 解説では、不忍池にペリカンが描かれていると。(ペリカンが飛来したのは事実のようです。) 

 

それより気になったのは、向島の岸辺に、ワニがいる!?しかもくすぐられている!?

これはなんなのか、どなたか教えてほしいです。(仮解答の追記はこちら

 さらにいろんな楽しいツボが隠れていそうな屏風でした。

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 南蛮屏風 桃山時代 も、面白い。

1591年に京でポルトガルのパレードがあったらしいけれど、いつどことは特定されていないと。船員や荷物を運ぶのは、おそらく植民地からのアフリカ系か、インド系のひとだろうか。店には靴や帽子が売られていますが、日本人でも買う人はいたのかな?。白波がリアル。貢物なのか豹のような動物も見える。司祭が出迎えていますが、わかる人が見れば司祭の名前も特定できるのでしょうか。

 

美人画も、素晴らしいものが並んでいるので、見比べてしまいます。

 葛飾北斎「春秋二美人図」春と秋の双幅。

 春は、山にうっすら桜。上へあがっていく感じ。青い牡丹の着物。秋は、対照的に、内へはいっていく感じ。虫かごに凝集されていくような。計算された感じが、北斎っておもしろい。

 

でも色気となると、やはり歌麿、おとなの色気。喜多川歌麿「更衣美人図」

 暑い外から帰ってきて、帯を解く解放感の中のなまめかしさ。

 

歌川豊国「真崎稲荷参詣図」

 隅田川、石浜神社、遠景に筑波山。二人で生み出す、ひゅるりと流れるような曲線。しどけない足さばきも、しゃべっている表情も、とても自然。今現在と変わらない女性の姿のよう。

 

鳥文斎栄之「舟遊図」は、柳橋、隅田川。芸妓と舟の男性たち。川と舟。月の夜空。三つの次元が層をなしている。

 

英一蝶「四季日待図屏風」(1698-1709)お気楽な感じがよいです。影絵のような部分がツボ。

 

図録にも画集にも出ていませんでしたが、尾形光琳の蒔絵硯箱も、箱内部の波の表現など、見とれました。

 野々村仁清の、色絵うずら香合、色絵鶏香合は、どちらも小ぶりで、かわいい。石川県立美術館のキジも素晴らしかったですが、見返り度では、小さくてもこのウズラもキジに負けていません。

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最後になってしまいましたが、この展覧会のメインは「伴大納言絵詞」。

 三部に分かれての展示で全部見るには三回来なくてはいけませんが、個人的には、少しずつじっくり見られてよかったかもしれない。

貞観8年(866年)の応天門放火事件。謀略を用いて出世を図り、最後は欲に身を滅ぼした伴親子。

 巷の物見高い人々の表情が、とても豊か。

 動きも、オーバーアクション気味で面白い。

「うちの子に何すんのよ」くらいな子供がらみの出来事で、大事件に展開してくところが面白い。貴族のお屋敷の内側と、それとは正反対の下世話な人波と土埃りの巷。対照的な双方の場面が交互に移り変わる。野次馬根性が頭をもたげてくる。

 

 今回は、三部に分かれているのでお得感はないかもしれないけれど、まとまった時間がない私には、これくらいの30点か50点までの展覧会もまたありがたいです。休憩スペースで、皇居を眺めながらほうじ茶でひと息ついて。

楽しい時間でした。