はなな

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●東博 渡辺崋山と椿椿山の「佐藤一斎」

2022-12-30 | Art

先日ですが、東博の常設を見に行きました。

渡辺崋山(1793~1841)が描いた「佐藤一斎(五十歳)」1821年 に再会。

怖いのですよ、この儒学者。気難しそうで、猜疑心強そうで、いい加減にしてたりテキトーにすまそうとしたら怒られそうで。

佐久間象山や渡辺崋山も一斎のもとで学び、教えを受けた者は3000人。

崋山が28歳の若いころに描いた師の肖像。内面をえぐるほどに見透して描き出す崋山がこう描くのだから、実際もこんなような人物だったのだろうと思う。

 

隣には、この一斎(1772~1859)の70歳の肖像も展示されていた。

崋山の弟子であり友でもある、椿椿山が1841年に描いた二幅。

一斎は70歳になっても、鋭いまなざしと気迫は健在。

むしろ、ますます気骨が深みを増した感。

比べると、崋山の描いた50歳の一斎には、多少まだ青臭さもあったかに見える。

崋山の鋭すぎる感性のせいかもしれない。

 

椿山がこの肖像を描いたのは、1841年。

すでに崋山は蛮社の獄で蟄居の身。そして田原の自邸の納屋で自刃したのが、この1841年の11月23日。この肖像が描かれたときはおそらく、崋山は生きていたかもしれない。

椿山は、崋山を助けようと奔走し、蟄居後は経済的な支援をしたりしたけれど、一斎は崋山を擁護するために何もしなかった。椿山の縁者(椿山の長男の嫁の父)に崋山救済運動に力を貸すよう頼まれても、その者に、懇意であると示すことは賢明ではないと忠告さえした(このあたりは、ドナルド・キーン「渡辺崋山」に詳しい。)。一斎の本心はわからないけれども。

 

それにしても、お気の毒に見えて仕方ないのは、左幅に描かれた一斎の奥様。

この面持ち、さぞやストレスMAXの何十年だったのでは…。

こんな気難しそうなだんな様に仕えて、気の休まる日はあったのだろうか。「茶がぬるい」とか叱られそう…。

二幅を同時に見ても、今とは時代が違うとはいえ、叱ってる人と、叱られてる人、みたいにも見える。

 

2016年に、実践女子大学で、佐藤一斎の晩年の書を見たことがある。(日記:「1797年江戸の文化人大集合ー佐藤一斎収集書画の世界ー」実践女子大学香雪記念資料館)

気迫と激しさのあるかすれ。丸みも柔らかみもない、厳しく強い印象。

一斎の肖像と重なる。書はその人を良く表すのだろうか。

 

書というと、この日の東博には、大好きな中林梧竹(1827~1913)の書も展示されていた。

梧竹の字は、いつもリズムが流れている。

初めて梧竹の書を見たときは、書というより、絵画だ!ミロか?!、と感動したものだった。

この作品も、字と字の間の、何も書かないところにも、リズムが流れている。字と字のあいだの白い「間」のところにも、音楽があり、「間のはば」もたいせつな音楽を構成する一部であり、表現の役割を担っているのだ。

 

ほれぼれと梧竹の作品に取り込まれたあと、隣の大久保利通の書を見る。立派な料紙だ。

字と字の間に間隔がないことで、とたんに息苦しさを覚えるような気がしてしまった。大久保利通の書には、音楽はない。(勝手に偉そうにごめんなさい、大久保さん。)上から下までまっすぐに、間をおかずに突き進んでいる。

 

しかし、その隣の西郷隆盛の書を見ると、おおらかさが感じられ、ほっと呼吸も復活。筆を動かし、リズムにのっている西郷の腕の太さ、頼もしさが思われた。

 

脱線してしまいました。

東博はもう年末休み。新年は1月2日から。

常設の年間パスを買ったので、今年はこまめに行けると嬉しいのだけれど。

 


●たまに食べたくなるもの。

2022-12-29 | 日記

たまに食べたくなるもの。

 
いなかの郷土料理、というほど大そうなものでもないのだけど、
大根のお漬物でつかりすぎてしょっぱくなったのを、水につけて塩気を適度に抜き、油で炒めて出汁とかお醤油とかで煮たたものがある。
形容しがたい微妙なクセが出ていて、おいしい。
料理名があるのか、名もない料理なのか、「あの大根の漬物の炊いたの」で通じてきた、あれ。
 
私はうちの祖母が作るのより、一軒おいたお隣の家のが好きだった。
母は料理上手だけれど、遠くから嫁いできたので、それはあまり作らない。
 
幼稚園に入る前から、私はあまり祖母に懐かない子だったので、母親も仕事に出た昼間は、親戚でもあるその家によく遊びに行っていた。
ひいおばあちゃんとおばあちゃんとおじいちゃんがいて、お茶受けみたいに、一緒にその漬物の炊いたのをつまんでいた。
 
それからその家にお嫁さんがきてからは、幼稚園に行くようになったこともあり、あまりひとりで遊びに行くことはなくなった。私が小学校のときにひいおばあちゃんが亡くなって、東京に出てから、おじいちゃんとおばあちゃんがそれぞれ亡くなったと聞いた。
 
それでもそのお嫁さんがその味を受け継いでいて、お裾分けしてくれたのが、ちょうど帰省したときにあったりする。やっぱりうちのよりコクがあっておいしい。父も「昔からここのはうまいな」と言ってた。
 
今年は、そのお嫁さんが短い闘病のあと亡くなった。70代の初めだった。
仲の良かった母も、寂しそうにしている。「いっつもうちの縁側でお茶飲んで、こたつで豆の皮むいて、眠とうなったねえとか言うて昼寝して帰ったりしてたのにねえ。」と。
昔そこの家に遊びに行ってた私の逆バージョンみたいになってたのか。。
 
そのまた次の代のお嫁さんが同居しているけど、大根の炊いたのの味は受け継いだだろうか?
私は一度しか会ったことがないのだけど、今度母からそれとなく、お礼とともにチラッと話題に出してみてもらおう。
 
 

●国立能楽堂「柴田是真と能楽-江戸庶民の視座ー」

2022-12-23 | Art

国立能楽堂「柴田是真と能楽-江戸庶民の視座ー」

2022年10月29日~12月23日

 

千駄ヶ谷の国立能楽堂へ行ってきました。

 

能楽堂の中の資料展示室にて、柴田是真(1807~1891)と能のかかわりについて、展示されています。

(能の公演は見ず、展示室だけ見る場合は、ぐるっと左のほうに回ったところに資料室の入口があります。)

 

柴田是真というと、花や草木をモチーフにしているイメージでしたが、能の画題については、初めての視点でした。

能の写生、下絵、本画など幅広く展示されています。先日の日記に、東京藝大で拝見した是真の写生帖の素描について書きましたが、その写生帖95冊のうちほかの冊も展示され、パネル展示もあり、人物の素描もたっぷり見ることができました。

なかでも20代の写生帖からは、是真が初歩から能について学んでいく足跡をたどることができました。

 

一室だけの展示ですが、点数も多く大充実。無料です。

能以外にも、花草木の屏風や掛け軸、仏画、櫛や文箱、印籠なども。是真のオールマイティさには改めてうならされます。

以下、備忘録です。(画像は画集から)

今回の企画展でうれしいのは、写生帖、下絵、手控えと、素の是真を垣間見れたこと。

是真の筆跡やデザインはいつもスタイリッシュで魅力的なので、超越したひとと思っていたけれど、天才は一日にしてならず。B5より少し小さい画帖にびっしりと描かれた写生は、地道そのもの。

氷山の下に、この95冊にも及ぶ写生と多くの下絵の模索がある。

 

能についての写生は、是真が22歳のときから始まっている。道具類や面も写生し、それらの名称や使途、演目を書き添え、能について学ぼうとしている。

観世大夫邸での稽古能の写生 文政11年(1827年)

絵師としてはすでに、浅草・東本願寺の障壁画を受注するほどだったそうだけど、能とは縁のない階級に生きる一絵師。それがどういういきさつか、観世大夫邸への出入りが叶い、練習中の現場を描きとめている。

動画を撮るとかできない時代、見ながら、リアルタイムに筆を動かす。つくづく、是真を含め江戸時代の絵師は、手から筆がはえているのじゃないかと思う。

 

そんな駆け出し状態から、年を重ねるごとに、演者の個を追求していく下絵や本画が増えてくる。

粉本 三番曳図・麦雲雀図

演者の着物の柄の鶴が美しく、本当に飛んでいるように見える。袖から手、扇へと、その動きが見える。

大きな麦が不思議だと思ったら、全く関係のない絵を上下から描いているのだそう。是真は紙を大事にしたので、他にもこうした下絵が多く残されているとのこと。

 

下絵では、同じ場面を何枚も描いている。手や足の角度がわずか10度ずつくらい違う下絵がいくつもある。その中から、一番これぞという姿態を本画にしている。是真の研ぎ澄まされた模索の足跡が見える。

 

羽衣福の神図屏風 嘉永6年(1853年)左隻

同 右隻

私は能に詳しくないのだけど、是真の描く本画の演者は、その身体の芯が、しっかり一本通っている。体幹がぶれてない。歩みだす足先にも強さがある。

足元は、どんなに早い動きのときでも、うわつかず常に地に根差している。そして、翻る袖を形作る是真の筆は強くて緩まず、動きの速さまで描き表されてしる。

演者からは気迫と緊迫が満ち、これは是真の画力の業か、舞う演者の力量ゆえか、それとも両方が合わさって昇華したのか。

(ところで、脇の人物の顔は妙に写実的な面貌なのだけど、これは実在の人物に似せて描いたのかな?)

 

是真は、能楽に題材をとった作品も多く手掛けていく。

高砂図 (40歳代ごろ?) 

木の洞からちょうど姥が出てくるところ。高砂図のなかでもこのシーンは、是真が好んで描いたらしい。小さく打ち寄せる波の様子や、シンプルに描いた松の達筆ぶりにも見入ってしまった。

 

猩々図扁額 明治12年(1879)

赤坂氷川神社へ、表伝馬町からの奉納されたものらしい。是真73歳の作。

写生帖のメモ書きによると、この演者は子方で、(面をつけない)直面(ひためん)の猩々だった。子供とはいえ、速く強い線で書き上げられた後ろ姿は存在感が強い。一方で華やかな着物の模様は細密に描かれており、美しかった。

 

展示の後半は、能以外の作品も多岐にわたって展示され、たいへん充実。

花や草木、動物にいたるまで、地位を得ても綿密に写生をしている。枝や花の立ち姿の描くライン、葉の向き、花弁の角度、細部の写実、是真のこだわりどころが詰まっている。

 

その写生から取って是真が組み合わせると、魔法みたいにすべての花木がステキな仕事をしている。構図の妙が冴えている。

木蓮、トケイソウ、鷺草などを取り合わせている。

 

花車蝶図蒔絵下絵 

引き戸の下絵。縦は90㎝くらいだった。9代目市川團十郎の注文品らしい。

 

仕上がった漆や金蒔絵の箱や器類を直に見ると、是真は卓抜したセンスを持つ”デザイナー””なのだと感じ入ることしきり。

どれも、構図と配置が大胆で、印象的。100年たっても斬新。

 

烏漆絵盃 (50歳ごろ)

 

木葉蒔絵文箱 (40歳代)

このふたの裏には蜘蛛が一匹。

ほかの蓋物も、ふたの裏に、表の衣装と呼応するモチーフを控えめに施してある。こうきたかとしびれてしまう。ふたの表がひとつの自然の光景なら、裏を返すと、そこからもう一足、ふみ入ってみた世界が広がっている。配置とデザインがこれまたとってもかっこいい。

大胆な配置の前段に、写実があるからこそなのか、現実感があり、現代的でもある。

 

蝶漆絵硯箱 (40歳代?)

漆絵の濃淡と金泥で描いている。

 

そして40年を経て80歳の作品、より大胆にかっこよくなっている(!)

蝶絵蒔絵硯箱 明治20年(1887) 

画像では見えにくいけれど、蝶の文様のなかに小さく螺鈿が埋め込まれていて、きらめく!。螺鈿好きには感動的。

 

蒔絵の合間にも、小さな螺鈿の粒々が埋め込まれていて、きらきら✨。

大橘蒔絵菓子器 明治時代

越後の豪農、押木原二朗の注文品らしい。

 

雛図

描表装にも眼をみはってしまった。ひな祭りの道具類を墨と金泥で書き尽くしている。

 

2018年に藝大コレクション展のときにたくさん見た(日記)、丸い天井画の下絵もひとつ再見。3期に分けて展示替え。

千種之間天井綴れ織下図 明治20年(1887)

直径1.2mくらいある大きさ。これが112枚もあるのだからすごい。そんなに植物の種類があるのもすごいけど、丸のなかの入れ込み方も様々パターンを変えていて、湧き出るアイデアがすごい。

明治宮殿の天井のための下絵という、大事業。是真の次男の柴田真哉に注文されたものだけれど、実は、造営宮司は是真が容易に引き受けないことを見越して、真哉に注文。真哉は是真に相談することを見越してのことだと、是真も見透かし、結局は是真が多くを描き、真哉が着色した。

 

是真はどんな父親だったのだろう?。真哉はどんな製作活動だったのだろう?

展示の解説では、藝大が保有する写生帖95冊は、是真は次男の真哉に譲ると遺言を残していたそう。真哉は、長男の令哉に申し入れたうえで写生帖を相続した。しかし、真哉は4年後に自殺。写生帖は是真の3男(真哉の異母弟)が譲り受け、その娘から藝大へ渡った。

 

是真がどんな人物だったのかわからないけれど、是真の描く動物は、とてもかわいい。

漆絵青海波兎図 明治時代

 

多色刷鯉図 明治時代

 

それで、たぶん是真は猫好きで、猫を飼ってたと思う。

雪中母子虎図 江戸時代

母トラは眼が大きめでかわいい。毛描きもふかふか。よく見ると、子トラが二匹、母にくっついている。子供を抱えて、母トラは警戒しているのか前方を見据える。

 

粉本 猫筆紙図 江戸~明治時代

この白地にハチワレ頭の猫は、見覚えがある。

2017年の板橋美術館の江戸絵画展で出会った、是真の「猫鼠を狙う図」(1884年)の猫では?(日記)。

ちょっと黒ブチの付き方が違う気もするけど、板橋のこの猫は是真の晩年77歳ごろの作なので、代々の飼っていたのかも。

(源氏物語に出てくるネコも、沈南蘋が描くネコも、こんな白黒ネコだけど、三毛ネコとかトラネコじゃダメなのかな?)

 

粉本 徳若御万歳図 明治時代

蓑亀を5匹、五重塔のように重ねて赤いひもで縛ってある。カニも二匹。蓑亀は、口を開けているの、閉じているのといて、黒目がちのかわいい顔をしている。

ふしぎなタイトルだと思って図録の解説を読むと、この組み合わせは是真がしばしば描いたとあり、これにまつわる是真の逸話が興味深い。

:ときの光格天皇(1771~1840)のおり、「徳若に御万歳」を音で表すようにとの勅題があった。京の絵師はだれもできないでいたが、ちょうど1830年、24歳で江戸から京に赴き、岡本豊彦のもとで修行していた是真がこのお題を解き、絵を描いた。つまり、”亀は万年”なので5匹で、御(=五)万歳。その結わえた紐を、徳若に(=解くはカニ)と。

是真の機知の才は、もうすでに若いころからだったか。

そしてこの「徳若御万歳」にはもうひとつ、のちの逸話があるそう。

:深川の菓子商・船橋屋(←くずもちの船橋屋とは違うのかな??)がこの図を菓子にして得意げに持ってきたが、是真は、「勅題を食べるとは不遜」として追い返したとか。

上述の明治宮殿の造営宮司も知っていた、是真のちょっとめんどくさい性格がうかがわれるかも。

 

興味の尽きない是真。今回は、藝大、国立能楽堂、江戸東京博物館の所蔵だけでなく、個人蔵のものも多く拝見できる、貴重な機会でした。

ちょうど能の公演中で、かすかに笛の音も聞こえてきました。

 

 

 


●パパイヤが枯れてしまった

2022-12-22 | 日記

春ごろに、スーパーで値引きされ298円だったパパイヤの苗を、猫の額ほどの庭に植えておいたのです。


そしたら、あれよあれよと大きくなり、半年で高さ3メートルに届く勢い。
葉もワッサワッサに。


初めてパパイヤの花を見ました。


実も大きくなり始めていたのです。


が、ついに冬に追いつかれてしまいました。
実は大きくなるのをやめたようでしたが、それでも、12月に入ってもまだ青々と茂っていたのです。
 
ところが、一昨日の朝見たら、なんと一晩にしてこのような姿に😱
 


葉がしなしなにしおれてしまいました。
この日の朝の気温は1度だったので、さすがに耐えきれなかったか。
寒くなってから実は相当がんばってたんだね…
 
それでも実はまだついており、2、3枚だけ萎れていない葉があるのです。
 




検索すると5度を下回ると枯れてしまうようですし、まだ寒波が続くようなので、心が痛みます。
 
 
 

●静嘉堂文庫美術館「響き合う名宝ー曜変、琳派の輝き」

2022-12-17 | Art

静嘉堂文庫美術館 2022/10/1(土)〜12/18(日)

「静嘉堂創設130周年・新美術館開館記念展Ⅰ 響きあう名宝―曜変・琳派のかがやき―」

 

この度、世田谷から丸の内へ移転。

開館記念ということで、岩崎弥太郎、小彌太親子が集めた、茶道具・琳派・中国書画、陶磁器・刀剣など、国宝、重要文化財が目白押しの貴重な機会。

人数制限されているので大混雑というわけではありませんが、列に並んでゆっくり進みながら観る、たまに「立ち止まらないでお進みください」とスタッフの声掛けがある、といった状態でした。

特に、曜変天目茶碗は黒山の人だかり。前に見たことがありますので、今回は残念ながらあきらめました。ひとめ見ちゃったらたいへん。吸い込まれて進みたくなくなるのは分かっていますから。

 

今回は、酒井抱一「波図屏風」をお目当てにやってきたのです。

念願かなって、やっと実物を見られました。

しかもなぜか、他の部屋に比べて、この琳派の部屋だけはすいていました。波図屏風とその隣の(伝)尾形光琳「鹿鶴図屏風」の前は、並ぶひともなく、前後左右からゆっくり見られました。

 

酒井抱一(1761~1829)「波図屏風」1815年 (撮影禁止なので、画像は日曜美術館から)

大きな画面に、銀の闇、冷涼さ。”月下波図”といってもいいのでは。

酒井抱一のこんなに荒ぶる筆を見た記憶がなく、圧倒されました。

割れ、かすれをものともしない太く強い筆跡は、藁筆を用いたらしい。

白波には胡粉を用いています。

そして、ところどころに少し白緑。夜の海の冷たさ、海水の実感を感じました。

地は、銀箔。銀が黒ずむことなく、まだ輝きを保っていて、状態が良いのに感激しました。

偶然ではなく、抱一は黒ずみを防ぐため、銀地のうえに薄墨をはいておいたのだそうです。薄墨の水が流れたような跡も少し見えました。

 

抱一は光琳の波に着想を得て、この波図を描いたと言われているそうです。

波の波形など共通する部分もあり、確かにそうかもしれない。光琳の「風神雷神図」を踏襲して抱一も描いたように、「波を描く」ことで光琳の足跡を追ったかもしれない。

でも、素人目には、抱一には、光琳にはない波の実感が強い気がするのです。

波の実感で思いだされるのは、むしろ、円山応挙(1733~1795)のいくつかの波涛図です。

抱一は応挙ほど写実感を追求していないけれども、光琳よりむしろ応挙的な現感覚が強いような。。

抱一の右隻には、上から襲うように沸き立つ波、遠くから白波をたてて押し寄せる波。左隻には、幾重にも繰り返し押し寄せてはうねる波。波頭を立てては砕ける波。

抱一は海を遠くまで見渡しつつ、足元間近に波と水を実感している。どこかでそんな荒い海を体験をしたのだろうか?。

玉蟲敏子「都市の中の絵ー酒井抱一の絵事とその遺響」には、江戸からあまり出ることのなかった抱一だけれど、「江の島詣でを欠かさなかった」と。

江の島とか七里ヶ浜だった可能性大かも?!。

そして、この本には、光琳から100年を経た抱一の生きる江戸後期という時代性に触れていました。「明清画のしんねりとした波型の残影が認められる」と。

 

それにしても、応挙の波涛図を思い起こし、両方を頭に浮かべるにつけ、抱一の波図には月光の意図があるように、いっそう強く感じられました。

そしてますます、描かれていない月の光が際立って、思い出されてくる。描いたモチーフの向こうに、描かれてはいない物語と感情を感じてしまう。やはり抱一だと感じた次第でした。

そして筆一本でこの世界を生み出してしまう、暗さと月の光まで見せてしまう、水墨画ってすごい、と改めて思いました。

 

この屏風については、注文主であろう本多太夫なる人物にあてた書簡も残っています。実家の姫路藩、酒井雅楽頭家の家老と推察される人物らしいですが、抱一も会心の作だったようで、「自慢心にて御めにかけ候」と書いています。心身ともに自己を波の間に持っていき、2度とは描けない絵なのでしょう。

 

だらだらして描いてしまったけれど、この展覧会のもう一つのお目当て。

沈南蘋「老圃秋容図」 清時代 1731年

虫を狙うぶちネコがかわいくて。

とびかかる0.5秒前みたいに、もう前足も上がっています。顔もかわいい。

夏の終わりか、朝顔、菊、トロロアオイも見えます。

虫はたいへんだけれど、のんびり平和な日常の絵。ネコが吉祥画題というのもうなずけます。

 

他には、抱一の「絵手鑑」の画帖も見ものでした。琳派風、水墨など、さまざまな描き方を使いこなしていました。

赤が美しい蔦紅葉を繊細に描いたかと思えば、黒い楽茶碗などは、あの無骨さ、黒い塗りの質感まで、ざっくりと墨だけで再現し得てていました。釉薬のたれたところも、墨のにじみでうまく表していて、思わず恐れ入りましたよ。

茄子も魅惑的。

 

弟子の鈴木其一は「雪月花三美人図」の三幅。花も着物の模様も細密に美しく、絵の具の発色の良さにも見惚れました。

 

静嘉堂文庫が入る明治生命館は、1934年(昭和9年)に竣工。岡田信一郎設計。戦後はアメリカ極東空軍司令部として接収され、マッカーサーも何度も会議に訪れたそうです。

今回はいけませんでしたが、ショップも大きくなり、地下にはカフェやレストランもあるので、便利になりました。

通路側の壁には、俵屋宗達の源氏物語澪標図屏風がモニターで次々と大きく展示されていて、細部まで見られます。

東京駅周辺がますます魅力的になりました。

 

 


●アンペルギャラリー「「椿絵」コレクション ーひかり輝く明日へー」

2022-12-16 | Art

アンペルギャラリー「「椿絵」コレクション ーひかり輝く明日へー」

Part Ⅰ

Part Ⅱ

東京駅のアンペルギャラリーで、椿の絵を見てきました。

毎年この時期に、あいおいニッセイ同和損保 のコレクションの中から、椿の絵を展示しています。

昨年も伺いまして、今年も楽しみにしていました。

(撮影ご希望の方は、スタッフに声をおかけくださいとありました。作品にもよるそうですが、基本的に全体で撮るのは大丈夫のようです。)

展示目録はHPに出ていないようでしたので、こちら↓(前期分)。

 

今年は、椿のひと枝だけを描いた絵に、特にひかれました。

特に、上村松篁、奥村土牛、河出幸之助。

上村松篁《椿》1957年(上の画像の左端)は、花が一輪につぼみがひとつ。

葉にこっそり隠れるつぼみの、ほんのり赤みがかわいいです。花のしべが少し変わっていて、珍しい種類のようです。

最初はさりげないのですが、見ているとどんどん引き込まれるのが、葉っぱの一枚一枚でした。

墨の濃淡と微かな金泥だけで描かれた葉の、どの一枚一枚もが生きている(‼)。葉は、意志をもって向きを作り、その先端の先まで生命が息づいていました(‼)。

そして、無地の背景にも驚きました。椿のまわりに薄くはいた金がやさしいニュアンスを醸し、背景が椿と意志を通わせているようなのです(‼)。

松篁は、空気すらも花と同じ空間を生きる存在として、生命を持って感じているんでしょうか。

 

下の画像の右端の、奥村土牛《椿》1950年代 も、土牛の人柄を感じるようなひと枝でした。

見えにくいですが、白い椿のひと枝が横たわっています。

その枝の根元は、手で折りとられたらしく、割れた断面になっていました。

「折枝画」という画があり、東洋的な死生観を表すことがあるそうです。土牛は割れた根元をしっかりと描いていました。

それでも、白い花が頭を上に起こしているのに気づいたとき、突然、土牛の愛を感じてしまったのでした。

折られてはいるけど、しべも乱れることなく、きちんとそろっていて、愛らしく生きている。なんだかいじらしく見えました。

土牛の愛というか、慈しみ深い視線を感じた気がしました。

 

土牛のもう一作(下の画像の左端)は、白に赤い線が入った花びらの椿をひと枝。1980年代の作品。

90歳近いのですから、だいぶ朴訥な手元になっていましたが、なのに空間とのバランスというか、完璧というか、なんだかすごいというか。

なんか素人のくせにえらそうなのですけど、とにかく、朴訥な手元から発する椿ひと枝の、オーラの強さときたら。

それで、金色と黄色でひとつひとつしべの点をうち、花の赤い模様をいれ。描く行為ひとつひとつに土牛の喜びがあり、花を仕上げていく愛や慈しみがあるようで。

しべのつぶつぶに、土牛が次の世代の子どもたちを見るのと同じような目線を感じました。

 

河出幸之助《椿》(昭和時代)のひと枝も、特に心に残った作品。(写真はチラシから↓。)

華美でなく、しかし気品。椿ってそんな花だなあと改めて思ったり。がくのところに、かすかに緑が見えます。墨のたらしこみがとてもきれいでした。

 

ひとつ上の画像の左から2番目は、堅山南風。3,4番目は小倉遊亀。どれも、花器も楽しい絵でした。

特に、4番目の小倉遊亀の《椿》1984年 は、青い花器に、いくつかの紅白の大輪の椿のおしゃれな作品。88歳の作品ですが、水を思わせる花器からどんどん水を吸い上げ、まだまだ華やかに咲くわよ、みたいな、エナジーあふれる印象でした。

 

画像がないのが残念ですが、黒田悦子《春華》1964 の油彩画も印象深かったです。濃密な金の地に、細い首の青磁のような壺に活けられた椿。気を吐く深紅の椿といい、カルロ・クリベッリのような不可思議で神秘的な緊張感ただよう空間でした。

 

後期は、尾形光琳や狩野山楽も展示されるそうです。来年になりますが、東京駅に行ったときには行かなくては。


●室瀬和美「蒔絵ー伝統を創る」と、正倉院の螺鈿

2022-12-10 | Art

書きかけ放置日記の蘇生作業、4つめです。

前回にも書いた、螺鈿と室瀬和美さんについて。

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室瀬和美「蒔絵ー伝統を創る」

2022年1月14日~23日、銀座和光 本館6階和光ホール

銀座和光、そして初日とあって、室瀬和美氏ご本人もいらしており、華やかな会場でした。

たくさんのお祝いの花の贈り主は、だれもが名前を知る方々ばかり。どれも豪華で、美しく個性的なアレンジで、全部しげしげと愛でてきました。

 

ガラスケースのなかに、漆と螺鈿の花器、茶入、蓋物など。

お値段のついている商品もあり、撮影は不可ですが、こちらの大きな金の壁画のみ、撮影可でした。

蒔絵壁画「春風」

見る角度によって、金の色調やきらめきが変化し、とてもきれいでした。

この上なく豪華なのですが、モチーフはかわいらしいのです。

 

こちらは外の通りのディスプレイの画面を撮ったものです。

映りこんだ街越しにも、文様が輝いていました。

こんなに金砂子をちりばめて、こぼれ落ちないのかしらとも思うのですが、室瀬氏は「研出蒔絵は、使うための丈夫さと美しさを兼ね備えている」と。

研出蒔絵とは、平安時代に始まる技法。漆に絵を描いて、漆が乾かないうちに金砂をまき、上から漆を塗りかぶせ、最後に研磨して下の金蒔絵を浮かびあがらせる、という手の込んだ技法だそう。

 

漆も、あまりにしっとり濡れたように艶やかなので、何度も手のひらで包んで触ってみたくなる衝動にかられました。

螺鈿では、椿やリスなどのモチーフを螺鈿で施した香箱が、かわいらしく美しく。

(会場でいただいたカードから)

椿もリスもですが、こんなに大きな面で螺鈿を切り出せることに、驚き。

しかも、こんなに淡いピンク色の螺鈿とは。どこの貝なのだろう。

黒漆にちりばめられた青い螺鈿もきらめいて、もう眼福眼福。

 

1月13日の新聞に、室瀬さんが取り上げられていました。

室瀬氏は、前回の日記の琉球漆器の再現にも携わっていらっしゃいましたが、

この記事でも、2011年に、正倉院宝物の「金銀鈿荘唐太刀」のさやの漆の再現に携わったとき、研出蒔絵と同じ技法が使われていることを知り、「技の源流が天平以来1200年受け継がれてきたことに、震えるような感動を覚えた」と。

 

そういえば、2019年の「正倉院の世界ー皇室がまもり伝えた美ー」では、「螺鈿紫檀五弦琵琶」と「螺鈿紫檀阮威」の模造復元品が展示されていました。

その螺鈿も、たいへん大きく美しく、目を見張ったものです。(現物は撮影不可。模造復元品は撮影可)

「螺鈿紫檀五弦琵琶」明治32年の模造復元品

裏側までも美しかった!

別の部屋には、2019年に宮内庁が8年かけて復元完成した螺鈿紫檀五弦琵琶も展示され、製作過程のビデオも流されていました。

 

「螺鈿紫檀阮威」も、明治32年の模造復元品が展示されていました。なんと愛らしくきらびやかな。

螺鈿の淡い揺らめきに、えもいわれず…。

 

宮内庁は、明治の復元から130年を経て、何百枚もの夜行貝を集めて螺鈿紫檀五弦琵琶を復元し得ましたが、紫檀やべっこうは現在は入手できないため、国内の備蓄品から調達したとのこと。弦は、上皇后さまが育てられた蚕からとったもの。

しかし次の100年後は、この高い技術を持った作家もおり、材料も確保でき、このクオリティを落とさずに復元できるだろうか??。

伝統が絶えてしまわないよう、取り組んでいらっしゃる製作者の方々、研究を重ねている方々に、深い感謝を感じます。

 

 


●東博平成館企画展示室「手わざー琉球王国の文化ー」

2022-12-07 | Art

書きかけ日記の蘇生作業の3回目です。

今年は沖縄復帰50年ですので、東京でも貴重な展示をいろいろ拝見できました。

そのひとつ、1月の東博平成館の企画展示室「手わざー琉球王国の文化ー」は、

沖縄県立博物館・美術館の「琉球王国文化遺産 集積・再興事業」ということで、

琉球王国から伝わる宝物類の模造復元品を制作することで、当時の技術を解析し、未来に伝えていこうというものでした。

絵画、金工、染織、三線など様々なジャンルに触れていましたが、そのなかに、「螺鈿」も。

宝石などの光りものにはさほど惹かれない私ですが(持ってないだけか…)、螺鈿は別。螺鈿の七色の輝きは魅惑的です。

とくに琉球王府の螺鈿は、Top of Radenです!と思っています。そもそも螺鈿に魅せられたきっかけも、サントリー美術館の琉球展ですから。(螺鈿歴浅いな...)

この再興事業の漆芸部門の監修者のひとりに、室瀬和美さんのお名前がありました。

おりしも、同じ1月に銀座和光で室瀬和美の展覧会がありました。そちらで拝見した螺鈿も素晴らしかったので、追ってそちらの日記も載せようと思います。

以下、2022年1月の日記です。

2022年1月 東博平成館 企画展示室「手わざー琉球王国の文化ー」

沖縄県立博物館・美術館の「琉球王国文化遺産集積・再興事業」の 巡回展ということで、沖縄県立博物館・美術館のあと、宮古、石垣、首里城世誇殿と巡回して、九州国立博物館と東博に来たようです。

現物と復元模倣品が展示されています。

明治以降、琉球王家が東京に移ったあとも、首里に残り伝来の品々や伝統行事を守ってきた王族の方々や職人の方々が沖縄戦で命を落とし、文物のほとんどが焼失したなかで、これらの現物がどれほど稀なものだろうと思います。沖縄の外にあったために焼失を免れたのでしょう。

模造復元品も、与那嶺恵著の「鎌倉芳太郎 首里城への坂道」にも詳細に記述されていますが、戦前に鎌倉芳太郎が撮っておいた写真などがなければ、復元がかなわかったのです。展示を拝見して、改めてこの本を読み返したくなりました。

 

展示は、絵画、石彫、木彫、漆芸、染織、陶芸、金工、三線。

模造復元品は、レプリカと違い、現資料について調査・研究を重ね、可能なかぎり同じ原材料、技法で当時の姿に忠実に、新しく作ることとあります。

会場では、製作の過程も紹介し、制作会社名や制作した方も記されていました。尊敬と感謝の念を抱かずにはいられません。

 

模造復元品:「玉御冠」

琉球の世子家に伝わってきたものを、鎌倉芳太郎が撮影してあった写真をもとに令和元年に復元したもの。現物は沖縄戦で焼失。

 

 

「孔子及び四聖配像」:現物(19世紀)と模造復元品を並べて展示。

こちらも鎌倉芳太郎の写真でしか確認されていなかったものが、2005年に現物が発見されたそう。

 

 

模造復元品:「三御飾(美御前御揃)御酒器」

三御飾は王家の正月祭祀に使用されたもの。こちらも、王族家の中城御殿に伝わっていたものは沖縄戦で焼失。鎌倉芳太郎の撮った写真や同例から復元されたもの。

細密さに目を見張るばかり。

先述の「鎌倉芳太郎 首里城への坂道」では、香川県生まれで東京から来た一介の教師、研究者だった芳太郎が、中城御殿の所蔵品の撮影の機会を得たのも、沖縄の人とのつながりあってのことだったことを詳細に記している。

 

模造復元品:「黒漆雲龍螺鈿東道盆」

単眼鏡で見ると、視界いっぱいに龍が輝き、さらには角度によって光が変化し、夢のようでした。

黒漆の透明感、雑味?の皆無さにも見惚れてしまいました。

19世紀に貝摺奉行所によって製作された東道盆を復元したもの。雲龍螺鈿の東道盆は、中国皇帝への献上品として製作されたものだそう。

”夜行貝を薄さ0.08mmに削り出す”。え?当時もすごいけど、現代でその技術を持つ人もすごいです。

 

織物にも感嘆しました。細やかな文様がとても美しいです。

絹経縞ロートン織反物:左の反物が現物、右は模造複製品

現物(19世紀末~20世紀初め)は、琉球王国最後の国王尚泰に曾孫である井伊文子の旧蔵品。とても薄く、写真でも透けているのが少しわかります。

模造複製品は平成30年のもの。裏に黄色の小紋紅型を会わせて、着物にしてあるようです。

 

こちらは士族の着用していたもの。

…なんかISSAに似合いそう…

 

こちらは「百姓たちの祭りや祝いの席で着用されたもの」とあります。

 

どの着物も文様が、海、空、花、陽光など沖縄の自然の光景に思えてきました。

 

紅型には、流水、菖蒲など日本の影響がみれます。

 

一方、こちらの模造復元品「四季レイ毛花卉図巻」には、中国の影響がみられます。

 

摸造復元品:蛇皮線

胴にはべっ甲、鯨のヒゲと象牙の鋲。

 

小さなスペースでしたが、琉球当時の技術と今の技術と両方が相乗しあったすばらしい展示でした。

沖縄の伝統に限らずですが、一度絶えてしまうと、作れる人もいなくなり、工法、材料すらもわからなくなる。その前になんとか、記録だけでも受け継がれてほしいと思います。いつか再興しようというひとが現れたら、その記録をもとに可能になる。そんなことがあるかもしれませんし。

(追記)三線の監修にお名前のある、人間国宝、照喜名朝一さんが、2022年9月に90歳で亡くなられました。

東博の表慶館、「ユネスコ無形文化遺産 特別展「体感! 日本の伝統芸能―歌舞伎・文楽・能楽・雅楽・組踊の世界―」でも、沖縄の組踊が紹介されていましたので、また追って。

 

ちなみに、沖縄県立美術館HPの、カメおばあと学ぶ「沖縄近現代美術史年表」、とってもいいです!

 


●東京藝術大学美術館 陳列館  日本画第二研究室 素描展

2022-12-03 | Art

書きかけ日記と放置写真の蘇生作業の2回目です。

どこまで遡るのよの2021年7月の日記に写真をつけておりますが、今でも藝大の学生さんたちの素描に引き込まれたことを覚えています。

この時の展示の中に、柴田是真が人体や手指を写し取った写生帖が展示されておりましたが、

ちょうどいま、国立能楽堂の資料展示室、「特別展「柴田是真と能楽 江戸庶民の視座」でも、是真の写生帖が展示されています。

藝大所蔵の是真の写生帖95冊のうち能関係の10冊をはじめとして、屏風や掛け軸など、是真と能とのかかわりがたっぷり展示されているようです。12月23日までですので、行って来ようと思います。

 

2021年6月23日~7月5日

東京藝術大学美術館 陳列館 「日本画第二研究室 素描展」 (無料)

「日本画第二研究室」の学生さん、教授、准教授の方々の素描が、各々2坪分くらいずつ、展示されていました。

その中央に、大レジェンド、柴田是真、小林古径、狩野芳崖、小堀鞆音の下絵も。古径、芳崖、小堀鞆音は藝大で教鞭をとっていました。

実は、是真や古径を目当てに来たのですが、認識が誤っておりました。現役の方々の素描、すばらしかったです。

幾人か載せていきます。

宇野七穂

干からびた花や死者を写し取った数々。

ミイラ?にも、しおれた花にも、不思議と瑞々しさの痕跡が感じられてくる。花には確かにまだ色が残っている。かつての生をすくいあげている。

 

 

山崎結以

揺らぎ、あいまいさ。柔らかい光。

先ほどとは全く違う。色と光でとらえる素描。

と思ったら、鉛筆の素描。ネコは毛の流れまで再現。

毛のやわらかい手触りが伝わる。

 

 

澤崎華子

外隈のように花の輪郭を表している。花もきれいだけれど、その背景もとてもきれいな色。

室内の光のやわらかさに改めて気づく。

 

 

宮北千織(准教授)

院展などでは装飾的な背景の女性や少女が印象的な方だけど、花の素描もこんなにも美しく繊細なのかとうっとり。

色の変化、小さなめくれ、萌芽、息遣い。

つぼみの先端にまでも命がいきわたっている。

しべなど、命が次代に廻り代わることすら想起させられてしまう。

梅は、小さな枝にも繊細に視線が行き届く。

線ものびやかで、花の新芽も生き生き。

 

燕子花にはため息もれそうな。

開き始める花びらの動き。繊細でひそやかな時間を写し取っている。

葉っぱの先端の向きまでも、見入ってしまう。

 

アジサイは、色のハーモニーを写し取っている。

こういう方に比べたら、私の眼と神経って百万倍くらい画素数が荒いんだろうな...

 

斉藤典彦(教授)

「ものがそこにある様とイメージの間を、

 今日も行きつ戻りつする。

 捕まえたと思う瞬間、

 何かがすり抜けていく。

 もののありさまに微小を見、

 絵具の滲む様に極大を思いやる。

 そんなことの繰り返し。」

山をこんなふうにとらえられる方なんだ。

水のにじみと広がりがとてもきれいだった。

私は花の中では珍しくクリスマスローズが苦手なのだけど、ここではこんなに美しくとらえられていることに驚く。そしてこんなに秘めた強さのある花だったのかと。

葉っぱにもピンク。

 

 

渋谷真希

「対象物と向き合ったときに、その場その瞬間に感じた感覚や思いを、実直に描き表したいなと思いしたためる。」

本当に、なにげなく行き過ぎては消える瞬間瞬間の、言葉のない記録のようだった。

 

江連裕子

水映りを描きとった数々。

微かな風も見える。

水田!個人的に好きな画題です。

 

古い家屋や廃屋を写し取った素描も数点。

描いているもの、まなざし、その時の心持ち。図々しくも、もしかして共感できていると言ってもよいだろうか。

 

そこに咲く花や、枝から折り取った枇杷。この方の絵には、なんだかそこに静かで長い時間の幅があるのを感じる。

 

 

佐々木慧

「対象の存在をぴったりとそのまま自分の手がなぞるように写せたとき、素描ができたと感じます。自分のわがままなしにただ写すことができれば、対象の内側にあるものも自然と見えてくるのではないかと思います。」

言葉その通りの絵。たんたんと、無心の謙虚な姿勢。

 

 

柴田是真の写生帖には、なんと人物。

手を描きつけている。おばば様は母のますだろうか?。右側の人物は是真の子?肉づきが印象的。

花の素描は生き生き。筆の強弱の巧みさやのびやかな線に惚れ惚れ。

 

小林古径

ひだの向き、葉脈の向き、命の向き。一枚一枚の花弁に、迫力と生気。

手でこすったあとも見えて、古径ファンとしては感涙もの。

静かな絵なのに、迫力。

そして、一つの調和の中に納まってる。

 

狩野芳崖

こんなに小さい写生帖なのに、牛の重量感。

 

小堀鞆音

 

毎年この時期に開催されているようですので、来年もお邪魔しようと思います。

帰りに、藝大内の庭でひと息。こちらのキッチンカーのドリンクはいつもおいしいです。小さなお菓子がついてくるので喜んでいます(招き猫のほう。ツリー型のサンドクッキーは別注。こちらもおいしいです。)。


●六町ミュージアムフローラ「若冲と梅花と白雪」

2022-12-02 | Art

しばらくはのんびり、写真の整理などしております。

その勢いで、書きかけで下書き保存したままだった日記にも写真をつけて、いくつかアップしていこうと思います。記憶がよみがえって脳の刺激によろしいです。

以下、11カ月も前、1月末の日記です。

(注)現在の企画展は、「北斎・応挙とかわいい仔」展です。(12月1日~2023年1月31日)

お久しぶりのつくばエクスプレス。足立区の六町駅から徒歩5分ほどの六町ミュージアムフローラへ。

(撮影は、数点入るような感じですとOKだったと記憶しておりましたので、少し離れて撮っているため、小さめになっています。)

今期は併設企画ということで、始まりは「海老原喜之助展」から。

油彩の本画、ポスター、デッサンなど様々な展示。

そんななかで、とくに強く引き込まれたのは、簡素な素描だった。

喜之助の目の動き、見つめたもの、考えたこと。素描だからこそ、ストレートに伝わるのだろうか。その生々しさに驚く。

壺の模様ですら、弾むよう。生きてるって感じ。それらがぐいぐい来る。

藤田嗣治のデッサンにも感じたのだけど、人間のとらえかたが力強い。喜之助は、もっとぶしつけなほど。そして筆圧が強い。

 

ヤカンと女体って…。似てるけど。

ヤカンの形もリズミカルに踊りだすから不思議。

喜之助って、壺とか丸みあるもの描くと、どうしても女体に寄っていくらしい。

 

海老原喜之助というと、色のひとという印象だったのだけれど、そもそも形の面白さに魅せられたひとだったのか。

そしてリズム。生き生きとして。でもその先に、人間の切なる瞬間に行きついている。漏れ出てしまう感情。喜之助は、「素描(デッサン)とは、絵画それ自体であると私は確信するのである、」と言葉を残している。

 

海老原喜之助(1904~1970)

鹿児島生まれ、有島生馬の知遇を得て18歳で上京し、川端画学校で学ぶ。

23年、パリの藤田嗣治のもとへ。藤田に師事し、ブリューゲルやアンリ・ルソーの庶民性を学ぶ。藤田と有島生馬を生涯の師と仰いだとある。

「群鳥」1928 

たくさんの烏。と思いきや、その一羽一羽各々の意志が明確にとらえられている(!)。

枝や羽根や尾には筆のかすれがある。水墨画の線のようなワイルドな速さ。命が動いている、と感じざるを得ない。「群」の、一羽一羽の生命感が描きこまれていた。

それから、雪と空にも見入る。絵の具を重ねて塗りこめ、印象的な感触。

重い雪雲の空なのだけど、見ていると不思議に受ける印象が青く澄んでいく。青と白と黒の画から生命感が放たれている、そんな絵になった。

 

喜之助はその後も何度か渡欧しながら、疎開後は鹿児島、逗子などで制作を続け、若手の指導にも尽力する。

1967年に渡欧し、68年にスイスの藤田を見舞う。看病を続け、葬儀や整理にもあたる。帰国前の70年にパリで亡くなる。

それから、日本画の展示へ。

梅や雪を描いた作品たち。

左から、那波多目功一「早春譜」、那波多目功一「春の雪」、小泉智英「訪春季」

特に、「早春譜」の入り組んだ枝や膨大な花・つぼみには、その綿密な写生力に驚かされると同時に、つぼみの固いの咲きそうなの、ふっくらぐあいと、とそれを楽しんでいるようなのが印象的。

「春の雪」も見惚れることしきり。藁の傘は、金で描かれて美しく、ほほえましく。牡丹雪を描く技術?にも感嘆。上村松園の牡丹雪も美しいけれど、この牡丹雪はさらに大きく重い牡丹雪で、落ちる速度も推し量れる。

 

この美術館は、そこここに季節の花や枝物が活けられているので、あわせてのお楽しみです。

牧進(題を忘れてしまいました)

 

 

左側:思いがけず岩橋永遠に出会う!「うそ」

和紙に墨の濃い薄い、じわじわくる。

ウソのかわいさ。枝も、上から斜め下に降りてきて、と思うと最後に小枝が上へとのびあがり、ほのぼぼとかわいい。

 

若冲は、「白梅」と「伏見人形」。

伏見人形の賛は、蜀山人:「径山も 富士も布袋も西行も 外に細工は あらが年能(ねの) 徒知(つち)」

 

福田平八郎(左)と奥村土牛(右)は、新春にぴったりのやさしい作品。

 

大好きな前田青邨の「梅日和」は、写真が撮れておらず涙、平山郁夫鑑の箱書きだけ撮れていた…。

透けるようなたらしこみの幹をじっくり堪能。点のみで描かれた花もふっくら。

 

他にも下村観山や大観、寺崎廣業、松尾敏夫などゆっくり拝見。

最後に二階で、サービスでいただけるコーヒーでひと息、ゆっくり。ありがとうございました。