この日の高御座の公開はなんと120分待ち。
すでに先日拝見したのだけど、その日でも比較的すいているという夕方に来た。しかしこの日はすでに夕方までめいっぱい大行列。
一方、常設展はガラガラ。
屏風ルームに素敵な3点があった。
それも室内の色どり効果が抜群。
立林何帠(かげい)の「松竹梅図屏風」18世紀がある。
確か、渡辺始興に似た芭蕉としゅろの図を根津美術館で見たのだった。以来気になっている何帠(かげい)。生没年すら不明なのだ。
解説には、尾形乾山の江戸での弟子であり、光琳の画風を継承したとある(!)。乾山に直接学んだ人物とは貴重。ますます興味がわく。
”松と梅の重なりは色意図的にそうしたのでは。なんらかの手本があるのでは。”と解説にあるが、もしや光琳か乾山の図案があったのかもしれない。シンプルな図柄から、本当にそうかもしれないと思ったりする。
さらにその重なりには、よりそう男女を感じ、艶っぽくもある。光琳の紅白梅図を思い出す。
梅もつぼみも、上手っていうのではないけど、いい屏風だ。全体の対角線構図と明快さが心地よく、はれやかな気持ちになる。
すっといさぎよい竹。ほっこりする丸い松。点々とリズミカルな花。竹の葉もその合奏に参加している。
屏風の裂も鶴の模様がかわいい。
光琳もかげいも乾山も、もっと知りたい。始興にもつながる話も出てくるかもしれない。
「花車図屏風」筆者不詳17世紀
「花車の屏風は大名に人気があり、狩野派の絵師によってよく描かれた」とあるので、これも大名家のものか。
中国の画に小さな花車をたまに見るけれど、これは大きな花車がメインに5つも。
そしてこの絵師の質感描写へのこだわりぶりときたら(‼)。車の素材、花かごの素材や網目を細密に描き分けている。
金砂を散らして、梨地の金蒔絵ののようなもの。
漆の塗りの照りが美しいもの。細密な金の文様。
模様はもしや螺鈿でしつらえてあったのかな。ほのかな色の変化が見える気がする。
これは木目を活かしたもの。
金の金具のもの
籠の編地もそれぞれ描き分け、芸が細かい。
菊にもこだわりがある。多くの種類の菊を描き分け、ていねいにもりあげてある。
とてもきれいで、かわいいなあ。なんかおいしそう。。
アジサイの描き方もとてもかわいい。やはり白系が好みなのか、涼やかな色合い。
藤もいい風情。
葉の色、裏表などていねいに描き分けている。
線描きもしっかりと、勢いがある。花も実物を写生して描いたかのようなものもある。
全体を見直してみれば、
花車ひとつには、白を基調にピンクのユリがひとつ、二つ目の花車には白の中に赤い菊ひとう、3つ目は白に少しの紫と、白を基調にして、鮮やかな色を少し挿す。なかなかの美意識といいましょうか。
左隻の菖蒲は、白と紫,アジサイと、青でまとめている。
そして3つめの木目の花車には、菊の文様が。百合の勢いも生き生きしている。
4つ目の菊の盛り上げは、これも畠山の始興を思い出す。
5つめの桜の模様の車は、紅白つばきに桜の枝。その桜は花は少なめで、春の訪れを予感させている。
5つの花車で四季なのか。そしてそれがほんの少しなのがツボだ。
細密で勢いのある技術もすばらいしいけれど、花の美意識も卓越。これはお大名の奥方様の生けた花を頼まれて描いたのだろうか?
この名前不詳の絵師は誰なのだろう。
その隣には、狩野永敬(1662~1702)の「十二ヶ月花鳥図屏風 」17世紀 がある。京狩野、狩野山楽ー山雪ー永納の次、4代目。公家の庇護を受けた。
藤原定家の「詠花鳥和歌各十二種」に詠まれた花鳥を右から左へと各扇ごとに月順に配している。
永敬を庇護した公家の屋敷を飾ったのだろうか。
優雅にどこを見ても細部まで行き届いている。
1,2扇には、雉が存在感。また民家にかかる竹と柳のたたずまいも抒情性がある。
金に薄くはいた青い空が美しい。大きめの鶯がわかりやすい。竹や柳がうまい。
3,4扇には、満開の藤が印象的。2扇の桜と藤ともに満開で、一つの見せ場となっていようか。
葉も花びらも着色がていねい
ふっくら感のある松の葉
4扇
水流にかかる萩と藤、座っていたくなるいい場所。萩の枝ぶりは感情的。
さすがは山楽山雪の流れをくむ、くねくねさ。
かかれたひとつひとつはちいさくとも、よく見ると松もめらめらと押してくる。
山のラインもいいなあ。
5扇には、これはミカンの花?
そして6扇にかがり火。煙や炎も。
左隻には、秋から冬。
橋が上に描かれたている。二つの群れが交わる渡り鳥には動きがある。
赤い萩もみもの。
すすきの近くには、定番の鶉が描かれてる。ウズラの目線、すすきの粒粒もわかる。
4扇には、赤い太陽が。しかも幻惑されそう。雲の色には驚き。描いた本人の実感を追体験できるような。花鳥図には珍しいかもしれない。
この太陽に対し、すすきも暗いところ、照らされたところとかきわけてある。
そして鶴と周りを彩る菊の美しいこと。
野菊の花びらの反り返り具合、種を作りつつあるところに、季節の移り変わりまで観察している。
5扇には琵琶の花?
そして最後には、冷たい冬の月。そのまわりに空に色が冷たく澄んで浮かび上がる。角度によっては、金色もあいまってとてもきれい。当時の灯りならどんなふうだっただろう。
大きめの鴛がかわいい。水面には氷が張っている。
月光にうかぶ梅と雪のうつくしいこと。
ここなど、生け垣や梅は和風だけれど、もはやクリスマスカード。
細部にも手を抜かない永敬には恐れ入りました。金のまきかたも丁寧で、水辺や雲にもまいている。
この屏風を描き上げるのに一体どれくらいかかるのだろう。
場面は小さくても、その小さな花や木、背景に、桃山的な絢爛さがを継承している。
桃山と琳派の中間にあるのだろうか。
三点とも、室内をどんなふうに帰るだろう。
かげいの屏風は、ごてごてしたもののない、大人の空間になるだろうか。もしかしたら都会的、中性的になるかも。シンプルなのに、ちょっと艶っぽい。
花車はもう、文句なく美しく豪華に。動きもある。外での茶席にも使えるのかな。
花鳥図は、四季の移り変わりも愛でつつ、さまざまな余情を呼び起こし、招かれた人々の会話につながるかもしれません。
優雅な暮らしですわね。
*
着物コーナーは最近の楽しみである。
絵に描きたいような文様の洗練された美しさ、色つかいの自由さが魅力。
火消の襦袢がみもの
火事襦袢 黒木綿地波に雨龍模様刺子 19世紀
まるで北斎のような波と龍。なんと龍には羽根?。ドラゴンか。雲のくろぐろとした墨使いも、なんかかっこええなあ。手書きで、しっかりと縫い込んである。
その隣の、火事装束(革羽織・革袴) 薄茶地斜め格子模様 19世紀、
おやっ袴がとっても現代的でおしゃれ。皮の色、ボタン使い、リボンと、こんな皮のタイトスカートがあったらいいかも。
豪華な源氏絵彩色貝桶 や存在感ありありの犬張り子の獏南天蒔絵枕 19世紀。
獏マークがすてき。南天もいいなあ。寝心地的にはどうなのだろう。
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書画の展開
お正月らしい画題の絵が並ぶ。
光琳の宝船図(撮影不可)
乾山のようにさっと描いていい味。晩年の作。カメ、エビ、松とたのしげな船出。宝船図を枕に敷いて眠るといい初夢がみられるという。
狩野益信(1625~94)の高砂図
じじばばの目線の織り成す穏やかさ。ふわっとした葉がほんわかしつつも格調高い。
応挙の雪松図
描かない雪が見える、この技法。ごく薄い墨から、次第に濃い墨、さらに濃く。逆もありか。水はたっぷり、上にはかすれも。
金を使っているのは、向こうの空気や光が見える。
この雪の白さ!これはほかの描きこみとの関係で、相対的に白く感じているのだろうか。
これは32歳の絵。この描き方で世に出た。
若冲 松梅孤鶴図 18世紀は」は感動的な体験だった。
明の「松上双鶴図」京都・大雲院 陳伯冲筆 を原図にしてなぜにこのデフォルメ。
こんなに勢いよく払いながらも、とても込み入ってる。
松葉も松のみも薄墨から濃い墨へと重ねている。この払いが気っぷがいいよね。
タコに見えてしまう
幹はたらしこみで、即座に茶をにじませている。
梅の花はまるでもう一羽鶴がいるようなラインを描く。命が通っている枝だと思う。金の花びらとつぼみにしらず微笑んでしまう。。
鶴の体は、つけたてで即座にぼかしているのだろうか。微細な鶴の震え、ぬくもりが放たれている。
まさに松も鶴も梅も、この絵の中で生きているのだ。静止している構図なのに、すべてが生命の振動を放っている。
若冲の水墨にはこんなシンプルな絵にさえ、こんなに心震わせるものがある。
岡本秋暉(1807~62)の孔雀 19世紀 もすさまじいほど。
孔雀を多く描いた本領発揮といったところか。しかし孔雀以外でも、技法だけではないなにかが、秋暉に絵には立ちのぼってくる。
羽根に金泥がさいみつにいれらている。
線描きもぼかしも巧み。
足元のたんぽぽも見える。
地面には薄い影があり、蠅がいたりする。蠅はいなくてもいいんじゃ?。遊び心?
濃彩なのだが、若冲の濃彩とはまたちがうキレのある絵の具の使い方。
その横には真逆の英一蝶。「富士山図」18世紀
あっさり軽妙洒脱。
薄い色が落ち着く。丸い山も日本的で落ち着く。
街道をゆく山を見やる馬上の人物、馬を押す人物と、小さくかかれていてもしっかり人間味がある。集落もいいたたずまい。
薄墨でも、山の頂点は少し濃くしたり、貴は濃くしたり、青色入れたりと。
木村探元(1679~1767)の「富士山図」も横に並んでいる。(撮影不可)こちらは雪舟風の硬派な感じ。さてつい先日この探元の絵を見たような気がするが、思い出せない。
次の富士は、東東洋(1755~1839)。これは今日のお目当ての一つ。東博にはほかにも東東洋の作品はあるのだろうか。
「漁村富士図」1834
何とおおらかなのでしょう。人はいないけれど、この日のうららかな空気に包まれていられる。
ふっくら丸々した松。
朴訥な家に、漁具。
点々と花をつける梅がほんとうに愛らしい。新しい枝のはつらつとした様子も、見ていてうれしい気持ちになる。
木には少し陰影があり、立体的に見える。ふっくらとした線描きも見ていて落ち着く。
牧歌的だなあ。東洋が遊歴していたときに出会った漁村の思いでだろうか。
80歳とある。晩年の作品。いい老境なのだな。楽しいと思える人生だったのだろうな。
無駄な線もなく、ほっこりした空気に満たされ。絵の中に入って、この中に座って、梅を見たり、山を見たり、空を見たり、ぼーっとしていたり、時に海風を感じ。今日は少し暖かい日だと思う。
いい画をみたなあ。
金井烏洲筆「月ヶ瀬探梅図巻 巻上 」1833
字も画もうまっ。月ヶ瀬に遊んだ体験をもとに描いたとのこと。写真もない時代、よくこんなにスケッチできるもの。
段々畑や竹林。山中の民家。
手前に木を描き奥行きが出る。
文人の家や水車。旅の思い出。
特徴的な地形も描いている。山は線のしゅんが入れられている。
文人風の住まいも。
本阿弥光悦の芥子下絵和歌巻 1633 は料紙の秘密?に気づいてよかった。少し角度をつけないと気づかない。
光の加減でようやく気付く、プラチナのごとき芥子の下絵。夜の灯り、日の光、どんなふうに浮かび上がるのだろう。
書の中では、烏丸光弘広の「詠草 」の、申し訳ないが掛け軸のほうに惹かれてしまった。白、紺、オレンジ。好きな色あい。
霊元天皇筆の和歌懐紙「亀万年友」 1700のほうは、大変豪華な装丁に目が点なほど。
蝶、彩雲、梅。軸にも紅白の梅。
小林一茶の詠草 19世紀 に、ほのぼの。
字が絵になっている。空気になっている。情景になっている。
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