情報と物質の科学哲学 情報と物質の関係から見える世界像

情報と物質の関係を分析し、心身問題、クオリア、時間の謎に迫ります。情報と物質の科学哲学を提唱。

心理的時間の流れの非対称性

2021-07-30 09:18:39 | その他
物理学では時間は実在しないとされています。

一方、私たちには時間の流れという感覚を消し去ることはできません。
私たちにとって、時間は確かに実在しているのです。

ところで、半月前に経験したことがはるか昔のことのように感じるのは何故でしょうか?
単に記憶力の減退によるものなのでしょうか。

これに対して半月後の行事はあっというまに来てしまいます。

心理的時間の流れにはこのような非対称性があるように感じます。
皆さんは時間の流れをどのようにお感じでしょうか。


量子力学における確率は量子現象の測定値である

2021-07-18 15:26:20 | 物理学・量子力学
量子現象には本質的にランダム性があります。
このランダム性は、量子力学の無知によるものではなく素粒子にもともと備わるものです。

ランダム性を数値的に表す概念に確率があります。

量子力学における確率概念には数学のものにはない著しい特徴があるのです。
それは、量子力学における確率は量子現象の測定で得られる相対頻度を意味するからです。

従って、この確率概念は量子測定と密接に関係しているのです。
この点が数学的確率と本質的に違います。

電子のスピンの測定を多数回行い、次の2つの結果が得られたとします。
事象1(上向きスピン)の出現回数=Su
事象2(下向きスピン)の出現回数=Sd

この結果から量子力学は
事象1の相対頻度=事象1の発生確率Pu=Su/(Su+Sd)
事象2の相対頻度=事象2の発生確率Pd=Sd/(Su+Sd)
であると結論します。
そして、理論の予測値がこれらの値にほぼ近ければ、その理論は正しいとっします。

量子力学における確率が前述のような相対頻度を意味することについて分析します。
相対頻度を求めるには、事象の出現回数を測定することが必要です。
つまり、出現回数は測定値になるのです。
先の量子現象の測定値は、基準量と測定量との比で定義される無名数(数値)になります。

基準量は全事象の出現回数の総数、各事象の測定量はそれぞれの出現回数です。

先の例では、
基準量=Su+Sd
各事象の測定量=SuとSd

測定値情報は基準量と測定量との比で定義されるので、量子現象の測定値が確率になることが分かります。

ここで忘れてならないのは、量子現象の測定値は測定器と量子(素粒子)との絡み合いにより創発されるものであることです。
従って、この測定値は測定以前には存在しません。

量子現象の測定値が含意するこのような性質は、古典力学にはありません。
言い換えると、量子力学における確率概念は測定と不可分の関係にあるのです。

古典力学における物理量は、測定以前に確定しています。
古典力学における確率は、分子の運動を正確に記述する方法が分からないため止むを得ず用いられているものです。

言うまでもなく、数学的確率は測定とは全く無関係です。

因みに、量子力学は数学的確率をそのまま用いており、前述のような視点は全くありません。


幼少期の魂と身体

2021-07-16 09:37:20 | その他
生まれたての赤ちゃんには自我というものが殆どありません。
本能に従って行動しているだけです。
自我は、人間が成長するにつれて育っていくものです。

ヴィム・ベンダース「ベルリン・天使の詩 」という映画の冒頭に”子供は子供だった頃”という詩が出て来ます。
何とも言えない懐かしい雰囲気の詩です。
この中に次の一節があります。

 ”子供は子供だった頃いつも不思議だった
 なぜ 僕は僕で君でない?”

実は、私も年少の頃に自分が友達に変身するように念じたことがあります。
この頃は、魂と身体が分離して存在すると信じていたのでしょう。

測定値自体は無名数

2021-07-14 09:23:21 | 物理学・量子力学
”測定値”という言葉を聞くと反射的にその数値に”単位”を付けたものを思い浮かべます。
なので、測定値自体が無名数(数詞)であることに気づきません。

測定値は、基準量と測定量の二つの物理量の比なので無名数(数詞)なのです。
従って、測定値は一種の情報になります。
このブログで”測定値情報”という言い方をする理由はここにあります。