情報と物質の科学哲学 情報と物質の関係から見える世界像

情報と物質の関係を分析し、波束の収縮問題、心身問題、クオリア、時間の謎に迫ります。情報と物質の科学哲学を提唱。

クオリアとは何か クオリアの起源 「クオリア=受容器情報実体化 、意識の起源」説

2022-03-08 19:21:20 | 感覚(クオリア)

受容器に入力した物質が脳の中で感覚化される不可思議な現象について考えます。
この過程を下図の「感覚情報実体化モデル」として提案します。

このモデルで強調したいことは、捉えどころのない感覚という概念を脳内に実在するものとしていることです。

以下、図中の番号に沿って説明します。

①外界にある対象物です。
②対象物からの入力物質です。
③受容器は、入力物質の物理量が一定のしきい値を超えるとインパルス列を出力する検出器の機能を持ちます。
 (入力物質)(受容器の種類)
   光      視細胞
   音波     聴細胞
   圧力     触細胞
   分子     嗅細胞、味細胞
④受容器の出力インパルス列は、入力物質に関する検出情報を担います。
 これらの関係において特に注意すべき点は、各受容器の出力は
 すべて同じ性格の電気パルス(インパルス列)であることです。
 つまり、インパルス列だけを見る限り入力物質の違いは分かりません。
  受容器は、物理量を抽象化(透明化)する機能を持ちます。
 ここまでの過程は、種々の人工センサーとして実現されています。
⑤大脳新皮質の一部である。それぞれの感覚に対応した領域があります。
  構造的には全く同じ神経細胞ネットワークです。
  ネットワーク間には電気インパルスが縦横無尽に行き来しているだけです。
  ここまでの過程は、すべて物質現象として物理則で完全に説明できます。
⑥ここからの過程は、非物質現象です。
  感覚野で種々の感覚のもとが生じます。
  受容器(検出器)された入力物質に関する情報が感覚野で読み取られます。
  その読取り結果(=情報の意味)がクオリアとなって実体化され意識化されます。
  感覚(クオリア)は、脳内に実在するものです。
  物理学や唯物論はこれを否定しますが、感覚現象が物質現象でないことは自明です。
  感覚そのものを物理的に測定することも不可能です。
  脳波や血流を測定すると感覚との間に相関があることは実証されています。
  但し、その事実から両者間に物理的因果関係があることは証明できません。
  何故なら、物質現象と心理現象とはカテゴリーが違うからです。
⑦具象化(意識化)された感覚は、受容器の属性として付与されます。
  例えば、”痛い”という感覚は感覚野ではなく指先に生じる
  失われた指先に痛みを感じるという幻肢がそれを証明しています。
  この機能があるからこそ外部からの障害にうまく対処できるのです。
  正に進化の賜物です。
⑧視覚情報の場合、感覚具象は更に対象物の属性として間接的に付与されます。
  そのため、今見ている像が外部に実在していると錯覚します。

クオリアは、感覚野によって情報が実態化(意識化)されたものです。

ここまでの議論からクオリア意識の原始的形態であると推測できます。

これを「クオリア=意識の起源」仮説と名付けます。

意識に関する哲学者の議論は、専ら言葉に関わるものです。
そのことが多種多様な混乱をもたらす主要因になっています。

しかし、そもそも意識という現象は言葉を持たなかった人類の祖先にもあったと考えるのが自然であり合理的でもあります。
従って、意識に関する哲学者の議論は意識の本質から外れたものと言えます。

最近、生物の進化と意識の起源との関係を詳細に論じた大著の邦訳が出ました:
トッド・E・ファインバーグ、ジョン・M・マラット(鈴木大地訳)
 『意識の進化的起源-カンブリア爆発で心は生まれた」-』、勁草書房、(2017)

意識という概念は非客観的なものであり、その定義も確立していません。
本書ではもっとも基盤的で感覚的な意識の本性と起源について説明しています。
そして、最初の脊椎動物が最初の意識を有していたと主張しています。
本書の議論は足が地に着いたものであり、ヒトの意識を扱う哲学者の空理空論より
よほど説得力があります。

ロボットには感覚野がないのでクオリアは生成出来ません。
ロボットの脳に相当するニューラルネット内部の過程は、すべて計算過程あるいは情報処理過程です。
それ以上でも以下でもありません。

 

詳細は、パソコンサイト 情報とは何か 情報と物質の関係から見える世界像 を是非ご覧ください!

動物の行動に不可欠な感覚情報 情報概念の誕生

2022-03-08 09:09:46 | 感覚(クオリア)
動物は感覚を利用して行動します。
感覚受容器に入る刺激は、パルス列に変換されて感覚野に送られます。
これらのパルス列は、刺激に関する情報を運びます。

光や音や匂いなどの刺激のどれも同一形式のパルス列に変換されるので、パルス列だけではもとの刺激が何であるのかを識別できません。

感覚野にはこれらのパルス列が運ぶ情報を異なる感覚に変換する機能があります。
動物は、この感覚を利用して行動を決定します。
これがクオリアの正体なのです。
不可解なものとして捉えられているクオリアには、このような合理的な意味があるのです。

昆虫にも微小脳がるので環境に適した行動を実現できます。
ノーベル生理学・医学賞を受賞したフリッシュが解読したミツバチのダンスは、あまりにも有名な例です。
水波誠『昆虫ー驚異の微小脳ー』、中公新書1860(2006)

感覚という概念を情報の一種として捉えて「感覚情報」と名付けます。
動物の叫び声は、警戒や求愛という感覚情報を運びます。
これは動物が進化の過程で情報という概念を獲得したことを意味します。
従って、情報概念は脳の出現と同時に誕生したことが分かります。

感覚情報は、言語情報より遥かに古い情報概念です。





クオリアの解明 「クオリアは感覚野による受容器情報の読み取り結果である」

2022-01-14 16:33:35 | 感覚(クオリア)
クオリアは、受容器情報を読み取った結果生じるものです。
その根拠をガスセンサーとの対比を用いて説明します。

ブログでは、「物質現象に情報が関係している」と言える必要十分条件は次の4条件が満たされているときに限ることを提案しています。

(1)物質現象として情報の定義と創発がなされている
(2)情報を表現する情報表現物質が生成されている
(3)情報の読取り機構がある
(4)読取り結果の利用がある

これらを情報概念の基本的要件と名付けます。
これは、情報概念の科学的定義と言えます。

因みに、脳科学における情報概念は極めて曖昧なものです。

器械系と生体系における情報の役割を比較するために簡単な例としてガスセンサーと嗅細胞からなるシステムを次のようにモデル化します。
(器械系の過程)
ガスがガスセンサーに入ります。
ガスセンサーは特定のガスを検出すると、その情報をパルスで表現して出力します。
その情報表現物質が情報の読取り器に入ります。
読み取り器は読み取った情報”ガス検出!”を出力します。

(生体系の過程)
ガスが嗅細胞に入ります。
嗅細胞は特定のガスを検出すると、その情報をパルスで表現して出力します。
その情報表現物質が嗅覚野に入ります。
嗅覚野は読み取った情報を”ガスの臭いのクオリア”として出力します。

器械系の過程と生体系の過程とは上のモデルで確認できるように対応関係があります。

結局、臭いのクオリアは嗅覚野によるガス情報の読取り結果であると推測されます。
そのクオリアによって動物は行動を決定します。
クオリアにはこのような合理的裏付けがあることが分かります。
クオリアに哲学者が言うような神秘性を感じる必要はありません。

一般に感覚野は、前述のような受容器情報の読み取り器官としての役割があります。
感覚野にこのような機能が備わっているのは、生命の進化によるものなのです。

哲学者が何故物質からクオリアが生じるのかを問う(ハードプロブレム)のであれば、その問いの前に何故物質から生命が誕生したのかを問うべきなのです(第2のハードプロブレム)。




クオリアは受容器情報の認識結果である

2022-01-07 09:44:47 | 感覚(クオリア)
外部からの物理的刺激が受容器に入り、その刺激量がしきい値を超えるとパルス列を生成し感覚野に送ります。
これらのパルス列は、各受容器に入力された物理的刺激(光や音の振動数、分子の種類など)の情報を運びます。
これらのパルスは単なる電気的パルスではありません。

周知の通りこれらのパルス列はどの受容器でも同一形式です。
一方、受容器に対応する感覚野にはそれらのパルス列が運ぶ外部刺激に関する情報を認識する機能があります。
その機能を実現した結果生じるのがクオリアなのです。
これがクオリアの正体です。

外部からの様々な物理的刺激に関する情報を感覚野が認識した結果、光に対するクオリア、音に対するクオリア、味覚に対するクオリアなどが生じるのです。

これは、受容器から来る同一形式のパルス列に物理的刺激の次元(光の波長、音の波長など)を等価的に付与したことによるものと解釈できます。
つまり、次元の等価的付与は結果的に同一形式のパルス列にそれぞれ異なる意味を与えるていることになります。

以上のことは、測定器の機能とよく対応しているのです。
測定値自体は、基準量と入力量との比なので無次元です。
測定者がその測定値情報に物理量の次元を付与することによって測定値にその意味を与えているのです。

パルス列が運ぶ受容器情報に次元を付与するクオリアと、測定値情報に次元を付与する測定者との間にはこのような対応関係があります。

感覚野が持つクオリアの機能は、脳の進化の過程で得られたものです。
感覚野のクオリアは、高度な意識の原始的形態です。

脳の進化に伴い言語機能を獲得すると、より高度な意識の形態が可能となったのです。

クオリアのないロボットには測定値に物理的次元を付与する機能はありません。
ロボット内部にあるのはあくまでも情報だけで、情報を超えるものは有りません。
言うまでもなく、意識に相当するものもありません。

哲学においてクオリアはハードプロブレムとされ様々な議論がありますが、それらは机上の空論と言えます。

しかし、クオリアには先に述べたような合理的根拠があるのです。
クオリアに神秘性を帯びさせるという悪習は直ちに無くすべきです。


脳科学のハードプロブレム:クオリア(感覚)の謎

2019-05-04 15:05:07 | 感覚(クオリア)
脳科学におけるハードプロブレムの一つに
「脳という物質から何故感覚(クオリア)が生じるのか」
というものがあります。

ある波長の光を見たときに
(1)ヒトの特定のニューロンが発火して
同時に
(2)そのヒトは”赤い”という感覚(クオリア)を感じるとします。
 
他の波長の光を見たときには
(1)その特定のニューロンは発火せず
(2)”赤い”という感覚も感じないとします。
 
このとき、次の法則が得られます:
そのヒトに対しては、
ある波長の光 ⇔ ”赤い”感覚

この対応規則には次のような問題点があります。
”赤い”という感覚自体は言語で説明できないことです。

故に、この法則は客観的/普遍的なものには成り得ません。
 
先の対応関係からニューロンの発火という原因が”赤い”感覚という結果を引き起こすという帰結も得られません。
何故なら、
(1)ニューロンの発火は物質現象であるのに対して、
(2)”赤い”という感覚は非物質的現象であり
両者のカテゴリーが全く違うからです。
 
カテゴリーの異なるもの同士の間に因果関係は成り立ちません。
 
敢えて因果的に捉えたいなら、
ニューロン発火(物質的原因)→”赤い”(心的結果)
という異次元因果律あるいは異次元作用として理解するしかありません。
 
 以上の議論から
「感覚や意識を言語によって客観的に説明することは原理的に不可能」
という結論が得られます。
 
ニューロンの発火現象を物理的に測定しても、
「赤い」という言葉や”赤い”という感覚(クオリア)を確認できないことは自明です。

「脳現象は究極的には物理則で説明できる」
とする物理還元主義は砂上の楼閣です。

測定によって物理量を情報化すると物理量の次元が失われます

同様に、視覚細胞や聴覚細胞が入力物理量の次元を消滅させます。
神経細胞の出力はどれも神経パルスという同一の形式だからです。
 
失われた物理的次元を心的次元として復活させるのが感覚や意識の役割です。
脳は、多様な物理的次元をもつ物理空間に対応して心的次元をもつ心理空間を作ります。

生物は、進化の過程で脳にそのような機能を獲得したものと推測されます。

図式的には次のようになるでしょう:
     (物理的次元)    (心的次元)
     光の波長と強度  → 色彩の感覚
  空気振動の波長と強度  → 音色の感覚

目に入る光の強度とそれに対する視覚的な印象の強さとの間には
ウェーバー・フェヒナーの法則が成り立つことが精神物理学で知られています。
音や温度などに対しても同様な法則が成り立ちます。

しかし、感覚の印象の強さと感覚そのものとはカテゴリーが違います。
前者は量で表現できるが、後者は量では表現できません。

精神物理学的法則が成り立つからといって、感覚そのものを物理的に説明できるとは言えません。

生理物理学の開祖でもあるヘルムホルツは
「神経興奮(ニューロン発火のこと)から、知覚がいかにして生じるのか」
という問いかけをしています:
大村敏輔訳・注・解説 『ヘルムホルツの思想-認知心理学の源流』、
ブレーン出版(1996)
 
ニューロンの発火と感覚とが「どのように対応するのか」は、解明できますが、「何故、感覚が生じるか」は解明できません。

客観的性格をもつ物理則は、原理的に主観的な感覚を扱えません。

ファインマンは、物質現象が「何故」起こるのかを問えない、「どのよう」に起こるのかを問えるだけだと言いました。

物質現象でさえもそうなのです。

遺伝子の核酸の分子構造発見でノーベル賞を受賞したクリックは、
脳神経科学に転向して意識の解明に取り組みました。
大多数の脳科学者と同様に物理還元主義を信じ、何故意識が生じるのかをニューロンの発火現象から説明しようとしました:
クリック、コッホ
 ”意識とは何か”、別冊日経サイエンス123、特集:脳と心の科学(心のミステリー)(1998)

コッホは、日経サイエンス、2011年9月号で
「人工知能の意識を測る」という記事を書いています。
生きているヒトの意識は、ロボットの意識と同じと主張します。
強いAI主義物理還元主義者の思い込みの強さが分かります。

「ニューロンの発火現象を調べれば意識は解明される」という脳科学のドグマは明らかに砂上の楼閣です。

脳の情報処理モデル・ニューラルネットは、パターン認識器やロボットに利用されれいます。
数理モデルの有効性が実証されていることは、神経パルスに実数を対応させて神経回路を数理モデル化する妥当性を裏付けています。

一方、感覚の場合
(1)それ自体を数値化することも言語化することもできないので
(2)この種のモデル化は不可能です。

人工センサーによる臭いの識別が実用化されていますが、
そのことは臭いの感覚を数値化できることを証明している訳ではありません。
感覚と実数とはカテゴリーが違うので感覚そのものを実数で表現することは不可能だからです。

しかし、人工知能研究者はこの事実を無視します。
 
心とは何かについての入門書があります:
土屋俊『心の科学は可能か』、認知科学選書7、東京大学出版会(1986)
心とは何かを心理的状況だけで説明されても禅問答のようで難解です。
まして、心理的状況と脳現象とを絡めた説明は極めて難解です。
 
科学が言語を用いた学問であることを踏まえると、科学による「心」の説明には原理的な限界があります。

心には直観でしか理解できないことが沢山あります。

詳細は、パソコンサイト 情報とは何か 情報と物質の関係から見える世界像 を是非ご覧ください!