情報と物質の科学哲学 情報と物質の関係から見える世界像

情報と物質の関係を分析し、波束の収縮問題、心身問題、クオリア、時間の謎に迫ります。情報と物質の科学哲学を提唱。

田口善弘『学び直し高校物理』第25章”物質は波である”は大間違い!!!

2024-03-25 10:10:58 | 物理学
田口善弘『学び直し高校物理ー挫折者のための超入門ー』、講談社現代新書2738(2024-2)
は、好評のようで重版されました。

しかし、この第25章”この世の物質は「波」である!”にはトンデモナイ記述があります。以下にその一部を引用します。

「ド・ブロイ波」(物質波ともいう)の関係式はかなりぶっ飛んだものだ。
波長=プランク定数/運動量
何がどうぶっ飛んでいるのか。
実は、この式は、「ある運動量で飛んでいる粒子は、どんなものであっても、上の式で与えられる波長の波でもある」というトンデモない式なのである。
(途中略)

量子力学によれば、この世のものは全部波動だということになる。
波だから、波動編で学んだような、反射や偏光、屈折などの現象は一通り実現する。
「でも、物体が屈折したところなんて見たことない」と言うかもしれないが、
実は、そんなことはなく、普通毎日目にしている。

たとえば、力学編で登場した「斜方投射」。
これは屈折で理解できる。
屈折では波長が短いところから長いところに入ると、光が波長が短いほうに向かって曲がることを説明した。

また、波長が連続的に変わっていると光の軌跡が曲線を描くことを学んだ。
斜方投射では上に上がるほど速度が遅くなって波長が長くなるので(ド・ブロイの式)、斜方投射の軌跡は、屈折で理解できる。

僕らはこれを「重力が働いて曲がった」と思っているが、それは「錯覚」であり、
本当は「この世の物質はみなド・ブロイ波で表現される波なので波長が変わると屈折する」ということに過ぎない。

なんで毎日「屈折」を見ているのに僕らはそれが「屈折」だと気づかないのか、
というとド・ブロイ波の波長がとても短いからだ。
(引用終わり)

以上の説明の問題点を指摘します。

(問題点1)
もし重力が働かなかったら物体は曲がらずに直進するだけです。
屈折などしません!。

(問題点2)
もっと大きな問題点は、著者が ”物質波を実在するもの” と誤解している点です。
これは、著者の学歴を見ると驚くしかありません。

田口善弘中央大学教授の学歴:
東工大大学院理工学研究科理学専攻 博士後期課程終了、理学博士

因みに、次の教科書にあるように量子力学では”物質波は実在しない”と主張しています。
清水明『新版 量子論の基礎ーその本質のやさしい理解のためにー』、
新物理学ライブラリ、別巻2,サイエンス社(2006.9)、p.149
補足:古典波動との違い
波動関数が古典波動と同じ形になっていると言っても、音波のように直接測定できる波(実在の波)ではない。(引用終わり)

ブログ担当者の補足:
ド・ブロイの物質波はシュレーディンガーの波動方程式で表現されます。
このときの波動関数は複素数なので実在する波ではありません!!!
量子力学を勉強したことのある人なら誰でも知っていることなのです。








波動関数(波束)が収縮する「1点」は実在しない!

2023-03-04 11:16:08 | 物理学
先に指摘したように光子や電子には大きさがないので感光板などに付いた痕跡からこれらの量子が痕跡の中のどの1点に到達したのかを知ることは原理的に不可能です。
つまり、量子が到達した「1点」は理論的に実在しないのです。

「実在しない1点」に収縮するシュレーディンガー方程式を書くこと自体が不可能なのです。
この事実は、波動関数が1点に収縮することに関する「波動関数の収縮問題」が擬似問題であることを意味します。

量子力学は、痕跡の大きさが有限であることを忘れて「痕跡の位置=量子の到達点」としているのです。
このような認識は、古典力学のものと同じで実に奇妙なことです。

光子や電子の真の位置は実在しない! 量子力学のパラドックス!?

2023-02-14 11:22:41 | 物理学
光子や電子の大きさは0ですが、これらの位置を測定する測定器の大きさは有限です。
従って、感光板に付いた痕跡のどこに光子が到着したのかを知ることは原理的に不可能です。

測定器は、例えば痕跡の中心部の位置をもって光子が到着した位置としています。
これは、知りえない光子の真の到達位置をある意味で偽装していることになります。
このような操作をしても量子力学がうまく機能しているのは理論値と測定値とが結果的に一致するからです。
しかし、測定値が光子の真の到達位置を示していないという事実には変わりありません。

それでは、感光板に到達した光子の真の位置をどのように考えればいいのでしょうか。
それを測定器で示せないのだから光子の真の位置は実在しないとするのが量子力学です。

それでは、次の事実をどのように捉えればばいいのでしょうか.
(事実1)光子は感光板のどこかに到達している
(事実2)測定器の測定値は光子の真の位置を示していない
(事実3)量子力学の理論値は実験値と一致する
これらの事実から結論できることは次のことです。

光子や電子が検出器に到達した真の位置は量子力学にとって実在しない!
以上のことは、光子の偏光や電子のスピンなどについても成り立ちます。

これらのことは量子力学に潜むパラドックスと言えます。


測定器が示す物理量の正体

2023-02-12 10:43:09 | 物理学
測定器の大きさは有限です。
一方、光子や電子などの量子の大きさは0です。

光子を検出する感光板を考えます。
光子がこの感光板に到達すると感光板に点状の痕跡が付きます。
大きさが0の光子がこの痕跡のどこにあるかを知ることは不可能です。
ということは、感光板を用いて光子の到達位置を知ることは出来ません。
感光板の代わりに光電管を用いても同じです。

要するに、大きさが0の量子の位置を測定することは原理的に不可能なのです。
感光板などが示す光子の位置はあくまでも便宜上のものであり、光子の正確な位置を示すものではありません。
光子の偏光、電子の運動量、電子のスピンなどについても事情は同じです。
感光板に到達した光子の位置の測定値は感光板に付いた痕跡の中心の位置を意味していると思われます。

物理学者は知りえないことについて議論しても始まらないと考えます。
現実の測定器による測定値がすべてです。
そして、測定値と量子力学が予想する理論値が一致すれば十分なのです。
測定器が示す測定値が量子の持つ物理量であるとします。

測定値は測定器が定義して出力する情報です。
測定器に依存する測定値は客観的な概念ではありません。
ということは、物理学者が考える物理量も客観的な概念ではないのです。

清水明『新版 量子論の基礎ーそのやさしい理解のためにー』、サイエンス社(2006.9)、p.19に

”物理量とはどんな状態においても(原理的には)いくらでも小さな誤差で測れるりょうのこと”

という記述がありますが、これは測定器が有限の大きさをもつという避けられない現実を無視しています。
前述のように、検出器に到達した量子の真の位置を知ることは不可能だからです。

将来、分子の大きさを持った測定器が出来たとしてもその大きさは有限であることに変わりありません。


測定誤差は波束の収縮問題を無意味にする

2023-02-10 15:04:03 | 物理学
当ブログでは波束の収縮問題が擬似問題であることを様々な角度から指摘してきました。
今回は、測定誤差という観点から波束の収縮問題を議論することが如何に無意味なものであることを指摘します。

光子や電子の大きさは0です。
0の大きさの量子の真の位置を有限の大きさをもつ検出器で測定することは不可能です。
検出器には検出精度があるため検出面に到達した無限個の位置をそのまま測定値として示すことは出来ません。
検出面の多数の異なる位置に到達した量子に対して検出器は同じ測定値を示すだけです。

このことは、検出器の測定値は検出面に到達した個々の量子の位置を正しく反映していないことを意味します。
量子の大きさが0であることを考慮すると、量子が検出面に到達した位置を検出器が正しく示す確率は0です。
従って、検出器は常に同じ偽の位置を示していることが分かります。

量子力学では、波動関数がこの偽の位置に対応する波束に収縮する過程がシュレーディンガー方程式で説明できないことを議論しているのです。
これが波束の収縮問題の正体です。
このような空虚な議論に一体どのような物理的意味があるのでしょうか!