水曜日、母をショートに送り出し、何年ぶりかに電車に乗って町田駅まで娘二人とショッピングに行ってきました。
もう娘達は友達と出かけるほうが断然多くて、これからもっとそうなんだろうけど・・久々に、親子で出かけられて嬉しかった私でした。
「おばぁちゃんが元気だったら、絶対に一緒に行ってたね」って喋りながら。
娘達のお気に入りのお店に、端から連れて行ってもらった私でした。
結局のところ・・私は「お財布」・・なんですけどねぇ。
朝の11時から、夕方6時まで・・ひたすら歩き回った私でした。
久々の都会の雰囲気(だって、109がある街ですからぁ)を味わいつつ、カタカナ名前のお店を回って・・ヘトヘトのヨレヨレなんだけどぉ~ダウンぎみで座り込んでるのは私でなくて娘達でした。
近頃の子供は本当に体力無いです。自分達の買うものを買ったら・・ベンチに座って携帯!
そうなんです!知らず知らず・・日々の階段上り降りで筋力が付いてる私なのかもです。
それに、母は土曜日の夕方まで帰らないし・・ゆっくり明日は寝てようって思えたからの底力でもあったんだと思います。事実、翌日の朝は身体がドロドロでしたからぁ。
買ってきたものといえば、娘達の今時の洋服に靴・・自分の物はほとんどなくて。
それでも楽しい一日でした。
久々に、自分の時間を過せた気分でありました。
そして木曜日・・昼寝&パソコン三昧をする為に・・朝の6時に旦那を送り出してから、ひたすら家事に励みました。
午前中に一杯疲れて、午後はグッスリ眠って、パソコンから離れない宣言もして。
久しぶりに寝坊が出来てた父に、遅い朝ご飯を運んで、外の花達に水をあげていたのが・・8時半。
「プルンプルン」
嫌な予感に1階の玄関を開けるとぉ~電話を持ってる父の顔色が変わり・・眉間の皴が・・どんどん深くなっていくではありませんかぁ~
「おばぁちゃん・・また車椅子から落ちたらしい」
補聴器を外してる父は・・何度も同じことを聞いているようなので、とにかく受話器を渡してもらって。
「左側の麻痺足が痛むというのですが、どうしますか?」
ってことだったのです。
母が「大丈夫」と言わないから、医者に連れていかねば・・ってことですね。
いつもの木曜日なら主治医がいます。
でも、その日に限って・・主治医は学会で休診だということは、前回の受診の時に聞いていました。
それでも、整形外科がメインの病院ですから、ショートから病院へ連れてきてもらうようにお願いしました。
母はとっても元気そうで・・でも、やはり足は痛むようでした。
結局、こういうことだったのでした。
水曜日の朝、パジャマから私服に着替えている途中に他の利用者さんの呼び出しベルが鳴り、介護士さんは母を車椅子に乗せたまま・・部屋を出て行ったと。
母は待ちきれず、ナースコールのボタンを探し・・目の前にあったコードをつかもうと立とうとしたらしいのです。
「左足がグニャンとしちゃって・・立てなかったの」
母は・・そうなんです。
自分が立てないと・・わからない時もあるんです。
「ジッとしてね」って・・介護士さんは、きっと言ったとは思います。
でも・・そんな支持が持続できない事は、もう何度も伝えてあるし・・十分承知してるはず。
このショートにお世話になって、9ヶ月。
月に二~三度、二~三泊しているわけで・・。
そして、もうすでに一度・・このショートで母は車椅子から落下しているのです。
あの時は、大事にならなかったけれど。
そう・・ノートにただ「転落しました」とだけ書いてあっただけで、電話すらかかって来なかったような。
どうして車椅子から降ろして、母をベットに戻さなかったのか。
前日から、母の精神状態がとてもクリアだったそうで・・帰りたくないといつもなら言ってる母が、他の利用者さんの「帰りたくない」をなだめていたくらい・・しっかりしていたようなのです。
それって・・何なんでしょう。
母の場合、クリアな時とそうでない時の差が激しい事も・・知ってるはずでは??
上の記事を書いてから、日がたってしまいました。
とにかく、状況だけ・・書いておこうと思います。
医者にはもちろん連れて行きました。
主治医のいる病院へ。残念ながら、主治医は学会で休診でしたが、元々整形外科ですし、CTも完備してあります。
落下当日のレントゲンでは、骨折はしていないようでした。
でも、それはあくまでも・・フィルムに写っている場所は・・・ということだったのです。
股関節を含め、母の骨はうすく、弱くなっている事を見とれました。
大きな骨折はないだろうけれど、股関節部分が、限りなく怪しい答え方の医師だったのです。
本人が痛みをあまり訴えていないので、それ以上のことはしませんでした。
骨折していれば、腫れるし痛いはず・・。
けれど、考えたら・・母の状態は、足の痛みより別のことで一杯だったのです。
便通を我慢していた母が、堪えきれずにリハパンにしてしまった瞬間、血圧が一気に下がり、意識が薄れてしまったのです。母をショートの責任者のKさんと共に呼んでも・・返事が出来ない状態だったのです。
とにかくCTをとり、脳の様子を調べてもらいました。
脳の梗塞部分は変わりなく、レントゲンでは骨折部分を知る事は出来ず。
とにかく点滴で血圧も戻った所で「安静に」という支持のみで、自宅へ帰ってきたのでした。
痛みがとれるまで安静にしているように言われても、トイレもままならないので紙オムツを購入したりしましたが、状態の良かった母には・・寝たまま排尿することは難しく・・ポータブルトイレに座る事を望みました。
悲鳴に近い「痛い」を訴えながらも、排尿をすることを選び、それが大丈夫な事なのか不安で一杯でした。
痛みが強くなっていくことを電話で医師に伝えても、安静にするしかないと言われてしまいました。
訪問看護士さんに相談し、夜はロキソニンを飲ませ、眠剤を飲ませ・・翌朝きれいなままのオムツ。
「痛い」を耳元に聞きながらのPトイレでの排尿。
金曜日には、主治医のいる大学病院へも電話をかけましたが、残念ながら・・外来にいるはずの主治医は学会で休診。
事情を話しましたが、整形外科を受診する事は出来ても・・初診といことで待ち時間は長いだろうと。
そこで・・やはり安静を言われる可能性を考えてしまい、母も、二日たって少しは落ち着いていたようだったので、無理をするくらいならと、もう一日様子を見ることにしたのでした。
ところが、今日。
土曜日になって・・痛み方が強くなったような気もしはじめました。
ウトウトと眠っている時間も長くなり、不安で一杯になってしまった私。
整形外科へ電話を入れたところ、今日の医師は・・非常勤の外部医師。
私は・・思わず、研修医を想像してしまったのです。
一度診てもらった医師の、わからない答えに辟易していたので・・これ以上、芳しくない医師に診て貰っても・・とういう気持ちも起こってしまいました。
そして、思い切って私の掛かりつけの整形外科に電話を入れて受診をしていただくことにしたのでした。ショート先の責任者のKさんも同行してくださって、ストレッチャーに近いタイプの車椅子も持参してくださいました。責任をとにかく感じてくださっていました。当然のことだと思いますが、起こしてしまったことの責任は、十分に果たそうとしてくださっていました。
やはりレントゲンでは骨折を確認できませんでしたが、股関節ではない部分が・・もしかしたらということで、細かい検査を出来る病院へ行くように進められたのです。
脳梗塞を起こした病院へ、とにかく問い合わせる事。それが筋だとも。
ところが土曜日は休診、大学病院の主治医は不在でした・・脳の問題ではないわけで、あくまでも骨折を心配している私。
三次救急センターである大学病院では、受け入れはしていただけませんでした。
それでも、状態を考慮し、二次救急に受診するよう進められ・・つまり、救急車を呼んで行けということです。
救急車、呼びました。
病院を探してもらいましたが、結局受け入れ先はナカナカありません。
私の話を聞いて、救急隊の方はとても親身に考えてくださいました。
そして、行き着いたところが・・最初に診て貰った、主治医のいるいつもの整形外科だったのでした。
研修医なのかはわかりません。
けれど、幸運なことに・・その医師は母の骨折箇所をみつけてくださったのでした。
加えて、主治医のいる大学病院から出向している医師でした。
書きたい事は山ほどですが、とりあえずはしょります。
母は自宅にいます。
在宅で、安静にするということは・・やはり変わりない結論です。
来週からショートを入れながら、自宅とショートで乗り越えていくつもりです。