日曜日、特養へ荷物の引き取りに行ってきました。
思っていたより沢山、母の服がありました。
まだ手を通していない、誕生日プレゼントのセーターも。
食堂の、隅に置かれたダンボール中。
納められていた母の服は、きちんと綺麗に畳んでありました。
とても嬉しいことでした。
きっと、母の服を畳みながら、ワーカーさんは、母のことを思い出して下さったのだろうか、、、
そんな風に、思えました。
退院して、またこの特養に戻ってこれたら良かったけれど、、、
家なら、尚更良かったけれど、、、
もう、洋服に手を通す、母の身体はありません。
だから、大半の母の服や、クッション、ポータブルトイレは置いてきました。
多分、風になっているかしら?
千の風、母が好きな歌だったこと、ふと、思い出しました。
今、骨になってしまった母が、やっと私のよく知っている母に戻り、帰ってきたような、、、そんな不思議な感覚がしています。
だから、泣いてはいません。
父と、毎日のように口喧嘩しながら、やらなくてはいけないアレコレを片ずけています。
涙が枯れてしまったのか、、
なるべく涙の元になりそうなものは、避けて見ないように、聞かないようにしているのも、否めませんが、今は泣く必要が、きっと無いような気もします。
多分、これから、何かにつけて、きっと寂しくなるのでしょうね。
特養へも、もう自転車走らせて、行く事もない。
もうすぐ、特養の前の畑は、菜の花で一杯になるのでしょう。
夏には、一面の向日葵。
母の車椅子を押しながら、お散歩する事も、もうないのだなぁ。
せっかく春になるのに、とても寂しい気がします。
部屋で、爪を切ったり、母の顔を拭いて、化粧水を塗ることもないのだなぁ。
ワーカーさんに、小姑のような事を、言うことも無いのだな。
モップを貸してくれ!
顔を拭いてくれ!
耳かきを、してくれ!
とか、ね。
母の部屋は、四人部屋でした。
かなり年季の入った特養です。
今時の、ユニット式の個室では、ありません。
クロゼットの引き出しの取っ手が取れていたり、何度か付け直して頂きましたが、やっぱり取れてしまいました。
時に、ベッドの下に綿埃。
特養は、我が家ではないけれど、病院でもありません。
なるべく、綺麗な場所に母にはいて欲しいし、母も綺麗でいて欲しい。
それが、私の願いでした。
週に二回は、特養に行くようにしていたけれど、昼ご飯介助を入れて二時間弱。
あとは、特養のワーカーさんに母を任せきりでした。
最小限の人数で、沢山の利用者さんのお世話をしているワーカーさんに、無理も
文句も沢山言ってしまいましたが、どなたも快く、聞いて、直ぐに実行に移してくださいました。
だから、ホントに、心から感謝もしています。
胸の奥にあった、黒い物も、、、
最後に聞いて貰ったし。
どうか、出来たら、私の黒い思いも真実だから、心に留めて頂ければと、思っています。
両親のダブル介護に加えて、自分の病気も発覚し、潰れそうだった私を救ってくれたのが、特養や、ディや、ショートの相談員さんだったことは、忘れません。
ワーカーさんや、看護士さん、私が母に会いに行く度に、私の愚痴やら、体調のことを聞いてくださいました。
正直、特養は、私にとっては、要介護者の父と向き合って暮らす日常生活の、逃げ場でもありました。
もちろん、目的は母に会いに行く事です。
でも、母は、あまり話さない、、、いえ、話してくれますが、理解してあげられない言葉も多かったので、つい、ワーカーさんと話し込んでしまう私でした。
兄弟姉妹のいない私は、ホントにワーカーさんに会って話す事、楽しい時間でした。
母に、私に、いつも暖かかったパートさん達。
Oさん、久美子さん!と呼んでくれるのが、とても嬉しかったです。
Iさん、娘みたいに可愛くて、沢山お喋りしてくれて、ありがとう。
荷物を引き取りに行った時、会えなかったけど、本当にありがとうございました。
二人が母のブースにいる日は、なんだかとても嬉しかったな。
Mさんとは最後に会えて、ホントに良かったぁ。
母に沢山話しかけてくれて、ありがとうございました。
Mさん、Eさん、移動になったのに、会いに来てくれて、ありがとうございました。
Mさん、いろんな勉強、頑張って下さいね。
母が褥瘡出来た時に、いろんなこと教えて下さってありがとうございました。
Eさん、いつも一生懸命な貴女、私は大好きです。
コブクロ繋がりも、嬉しかったです。
いつかライブで、会えたら良いな。
母のブースから二人が離れちゃった時は、ホントに残念で、ガッカリだったけど、建物の中にいてくれてるだけで、心強かったです。
母が妹だと思ってたNさん、長いことありがとうございました。母がショートを使っていた時から、お世話になりました。母が当たったりしたこと、ごめんなさいね。
母の担当をしてくださったIさん、母に一生懸命を下さって、ありがとうございました。いろんなこと考えて下さって、嬉しかったです。
私の小言、ごめんなさいね。
Tさん、Cさん、短いお付き合いでしたが、ありがとうございました。
父の電話の取り次ぎ、ご迷惑をおかけしました。ありがとうございました。
母が亡くなったことを、涙してくれたHさん、私は貴女が、ホントに大好きでした。
私は貴女に会いたくて、特養に行っていたかもです。
Hさん、これからもチーフ、頑張って下さいね。
くれぐれも、身体に気をつけて下さいね。
私や、父を支えてくださった、特養の心ある方達に、深く感謝しています。
本当に、ありがとうございました。
そして、利用者さんのみならず、どうかこれからも、家族の力になってください。
最後に、このブログを読んでくださっているという、Hさん。
皆さんに、どうか伝えて下さいね。
私の拙いブログを読んで下さったこと、忘れません。
病院の帰り、母を父に会わせるために、家に寄ってくださったことも、忘れません。
ささやかなこの人生、、、また、桜が散る頃、一度だけ母と私を思い出してくださいね。
老舗と言われている、母のいたちょっとボロい特養。ごめんなさい~
私が此処を選んだのは、ワーカーさん達がいたからです。
優しい心と気持ちを、ありがとうございました。
私も、また、頑張って生きていきますよ。
母に関わっては下さった皆さん、心から、ありがとうございました。
思っていたより沢山、母の服がありました。
まだ手を通していない、誕生日プレゼントのセーターも。
食堂の、隅に置かれたダンボール中。
納められていた母の服は、きちんと綺麗に畳んでありました。
とても嬉しいことでした。
きっと、母の服を畳みながら、ワーカーさんは、母のことを思い出して下さったのだろうか、、、
そんな風に、思えました。
退院して、またこの特養に戻ってこれたら良かったけれど、、、
家なら、尚更良かったけれど、、、
もう、洋服に手を通す、母の身体はありません。
だから、大半の母の服や、クッション、ポータブルトイレは置いてきました。
多分、風になっているかしら?
千の風、母が好きな歌だったこと、ふと、思い出しました。
今、骨になってしまった母が、やっと私のよく知っている母に戻り、帰ってきたような、、、そんな不思議な感覚がしています。
だから、泣いてはいません。
父と、毎日のように口喧嘩しながら、やらなくてはいけないアレコレを片ずけています。
涙が枯れてしまったのか、、
なるべく涙の元になりそうなものは、避けて見ないように、聞かないようにしているのも、否めませんが、今は泣く必要が、きっと無いような気もします。
多分、これから、何かにつけて、きっと寂しくなるのでしょうね。
特養へも、もう自転車走らせて、行く事もない。
もうすぐ、特養の前の畑は、菜の花で一杯になるのでしょう。
夏には、一面の向日葵。
母の車椅子を押しながら、お散歩する事も、もうないのだなぁ。
せっかく春になるのに、とても寂しい気がします。
部屋で、爪を切ったり、母の顔を拭いて、化粧水を塗ることもないのだなぁ。
ワーカーさんに、小姑のような事を、言うことも無いのだな。
モップを貸してくれ!
顔を拭いてくれ!
耳かきを、してくれ!
とか、ね。
母の部屋は、四人部屋でした。
かなり年季の入った特養です。
今時の、ユニット式の個室では、ありません。
クロゼットの引き出しの取っ手が取れていたり、何度か付け直して頂きましたが、やっぱり取れてしまいました。
時に、ベッドの下に綿埃。
特養は、我が家ではないけれど、病院でもありません。
なるべく、綺麗な場所に母にはいて欲しいし、母も綺麗でいて欲しい。
それが、私の願いでした。
週に二回は、特養に行くようにしていたけれど、昼ご飯介助を入れて二時間弱。
あとは、特養のワーカーさんに母を任せきりでした。
最小限の人数で、沢山の利用者さんのお世話をしているワーカーさんに、無理も
文句も沢山言ってしまいましたが、どなたも快く、聞いて、直ぐに実行に移してくださいました。
だから、ホントに、心から感謝もしています。
胸の奥にあった、黒い物も、、、
最後に聞いて貰ったし。
どうか、出来たら、私の黒い思いも真実だから、心に留めて頂ければと、思っています。
両親のダブル介護に加えて、自分の病気も発覚し、潰れそうだった私を救ってくれたのが、特養や、ディや、ショートの相談員さんだったことは、忘れません。
ワーカーさんや、看護士さん、私が母に会いに行く度に、私の愚痴やら、体調のことを聞いてくださいました。
正直、特養は、私にとっては、要介護者の父と向き合って暮らす日常生活の、逃げ場でもありました。
もちろん、目的は母に会いに行く事です。
でも、母は、あまり話さない、、、いえ、話してくれますが、理解してあげられない言葉も多かったので、つい、ワーカーさんと話し込んでしまう私でした。
兄弟姉妹のいない私は、ホントにワーカーさんに会って話す事、楽しい時間でした。
母に、私に、いつも暖かかったパートさん達。
Oさん、久美子さん!と呼んでくれるのが、とても嬉しかったです。
Iさん、娘みたいに可愛くて、沢山お喋りしてくれて、ありがとう。
荷物を引き取りに行った時、会えなかったけど、本当にありがとうございました。
二人が母のブースにいる日は、なんだかとても嬉しかったな。
Mさんとは最後に会えて、ホントに良かったぁ。
母に沢山話しかけてくれて、ありがとうございました。
Mさん、Eさん、移動になったのに、会いに来てくれて、ありがとうございました。
Mさん、いろんな勉強、頑張って下さいね。
母が褥瘡出来た時に、いろんなこと教えて下さってありがとうございました。
Eさん、いつも一生懸命な貴女、私は大好きです。
コブクロ繋がりも、嬉しかったです。
いつかライブで、会えたら良いな。
母のブースから二人が離れちゃった時は、ホントに残念で、ガッカリだったけど、建物の中にいてくれてるだけで、心強かったです。
母が妹だと思ってたNさん、長いことありがとうございました。母がショートを使っていた時から、お世話になりました。母が当たったりしたこと、ごめんなさいね。
母の担当をしてくださったIさん、母に一生懸命を下さって、ありがとうございました。いろんなこと考えて下さって、嬉しかったです。
私の小言、ごめんなさいね。
Tさん、Cさん、短いお付き合いでしたが、ありがとうございました。
父の電話の取り次ぎ、ご迷惑をおかけしました。ありがとうございました。
母が亡くなったことを、涙してくれたHさん、私は貴女が、ホントに大好きでした。
私は貴女に会いたくて、特養に行っていたかもです。
Hさん、これからもチーフ、頑張って下さいね。
くれぐれも、身体に気をつけて下さいね。
私や、父を支えてくださった、特養の心ある方達に、深く感謝しています。
本当に、ありがとうございました。
そして、利用者さんのみならず、どうかこれからも、家族の力になってください。
最後に、このブログを読んでくださっているという、Hさん。
皆さんに、どうか伝えて下さいね。
私の拙いブログを読んで下さったこと、忘れません。
病院の帰り、母を父に会わせるために、家に寄ってくださったことも、忘れません。
ささやかなこの人生、、、また、桜が散る頃、一度だけ母と私を思い出してくださいね。
老舗と言われている、母のいたちょっとボロい特養。ごめんなさい~
私が此処を選んだのは、ワーカーさん達がいたからです。
優しい心と気持ちを、ありがとうございました。
私も、また、頑張って生きていきますよ。
母に関わっては下さった皆さん、心から、ありがとうございました。
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