今日、母のトイレ介助中にテレビががなっていたので
つい 耳にしてしまった
「アメリカは、報道の自由が最大限守られている所だと認識しているのですが!」と
ミヤネさんが言っていた。
「そうなんです。表現の自由、報道の自由が、なにより民主主義の根幹を成すと考えられるのに、取材できないというのはなぜなのか!」
取材が裁判の現場に入れない!
報道の自由が侵されている!
アメリカ(自由の国とされているのに)おかしい!
と、
ごもっともな話
その裁判は、水原氏が「わたしは無罪です」と
いうことになっているだけの、形式的なもの。
次の裁判では「有罪です」と罪を認めるという
儀式みたいなもののようだ。
それに入れないから、報道の自由が!!とがなっているのが
いかにも
まいにちこんなふうなことに
神経がサカナデされるものだから
みろ、なおらないじゃないか50肩が。
いや、もう自分を解放するのだ。
全責任を、追うにはこの 背中は太いけど、小さすぎるのさ。