フジフイルムスクエアの写真展から戻り、過去のイベントを振り返りたくなりました。
貴重な作品とご来場者の方との交流が楽しかったからです。
自分でもそんな空間を作れたらという希望。
あの事件から押さえ込まれている感情を払拭しなければという思いもあります。
ということで、昔の資料を引っ張り出してみました。
1999年札幌市豊平区発行のパンフレット
「とよひら魅力探検隊「特集」スポーツの街とよひら」です。
1994年札幌、1998年東京、1999年札幌と写真展を進めていくうちに
豊平区から「ラグビーを紹介して欲しい」と要望があり参加させていただきました。
北海道バーバリアンズ代表、田尻稲雄さんも講演とパネルディスカッションに参加。
他にはスポーツジャーナリストの方、コンサドーレ札幌のユース監督の方
水泳指導員の方、平岸天神の代表の方なども講師とパネリストの形で呼ばれていました。
私が担当したのは区民センター1Fロビーの写真展「思い出のノーサイド2」
大ホールのスライド上映&インタビューです。この時はアマチュアでしたので
出演料など頂かず昼食をご馳走になりました。豊平区のイベントですが
他の区からご来場された方も多かったです。
掲載された記事には、1999年中央区コンチネンタルギャラリーで撮ってもらった
自分の写真、高校の札幌支部春季大会で撮影した札幌山の手高校の写真が載りました。
そのうち一枚は現在の羽幌高校監督、扇子選手が突進する場面です。
25年前の1999年は「後1年で2000年。2002年は札幌ドームでサッカーW杯」という
活気に満ちた年でした。コンピューターの2000年問題も話題になりました。
若かりし頃の思い出で気持ちの新陳代謝。元気になります。
札幌市内各方面に配布されたチラシとスライドショーの原稿の一部
パンフレットには紹介記事が載りました
札幌市南区駒岡グラウンドで撮影した作品 札幌山の手高校です
中央区コンチネンタルギャラリー 「思い出のノーサイド2」
98年東京展の作品を並べました
フランス代表FBセルジュ・ブランコ氏プロデュースのジャージを着て受付する私です
背後の作品は東日本社会人リーグ東芝府中VSリコー
北海道招待神戸製鋼VS明治大学などです
顔が見えるのは東芝府中の溝辺選手とリコーの大内選手です
協会、各チームに許可をいただくため毎晩ワープロで文書を作っていました