2007年が過ぎようとしています。今年も仕事と撮影。
感情的に板ばさみになることが多く試練の一年でした。
そんな中でも個展を開催しラグビーを表現できたのは、
多くの方の励ましの言葉があったからこそと感じています。
ありがとうございました。札幌展はまだ未定です。
もう少し落ち着いて開催時期を考えてからお知らせします。
ここで大みそかスペシャル。
自分にとって忘れられない出来事があった13年前の大会と
その後の事をご紹介したいと思います。長い文章になっています。すみません。
第31回東日本社会人・都道県対抗ラグビーフットボール大会
平成6年5月1日・3日・5日。会場は札幌月寒です。
プログラム表紙には札幌時計台と茶色のボールの写真。
裏表紙には「日本体育協会スポーツ憲章」抜粋
「アマチュア・スポーツマンのあり方」として五つの憲章と
芝生が芽吹いたばかりの札幌月寒ラグビー場が載っています。
メインスタンドの奥には観覧車の影が見え、今と比べ大きなビルや
マンションのない空が広がっています。
完成間近に撮ったものなのでしょう。その秋に写真展を控えていた私は
会場でいただいて、とても感動しました。
土から芽吹いた芝生と、自分が札幌で芽吹かせようとしている
ラグビーの写真が重なって見えたから。その3日間は撮影漬けでした。
初日は少し遠慮してスタンド。大会2日目、3日目は北海道協会の腕章を
貸していただき、ピッチです。
第一ブロックが東芝府中、オール茨城、新日鉄釜石、NEC、
リコー、秋田市役所、三菱重工相模原、三洋電機。
第二ブロックがオール北海道、オール福島、オール埼玉、オール山梨。
忘れられない出来事は第一ブロック決勝。東芝府中VS三洋電機にありました。
大雨。月寒は雨が地中にしみこんで水たまりができないよう
作られた競技場であるにもかかわらず、激しく降る雨に
水たまりで試合をしているような状況。私も雨にぬれてサイドからの撮影。
新聞社、雑誌社などメディア関係の取材は一切なく、カメラは自分のみ。
迷惑にならないよう走れるところは走り、前半終了後。
機材をふきたくて、戻ってきた瞬間、信じられない言葉を投げかけられました。
「写真学校の生徒か?どうせ親に買ってもらったカメラだろ。」
みるとエンブレムつきのブレザーを着た方でした。
「?!」アナウンス係の高校生も、北海道協会の方もビックリ。
でも言われた私はもっと驚きでした。30歳になって
写真学校の生徒に間違われるなんて・・・。でもこの試合を撮る事に
なんの不満?仮に生徒であるなら、未来ある若者にその言葉?
「違います。生徒ではありません。自分で買ったカメラです。」
それが精一杯の返事でした。
北海道協会の方がこっそり「近づくんじゃない。」と顔でサインを送ってくれました。
自分の感情をおさえずに
「写真学校?私にはかなわない夢でした。でも撮ったものは
社会に向けて発表しています。自費で差し上げて喜ばれています。
販売はしていません。あなた達と同じアマチュアの社会人です。」
そう言えたなら、まだ救いがあったです。
試合は東芝府中が優勝。表彰式は、来日したばかりの
アンドリュー・マコーミックさんがトロフィーを受け取りました。
雨と泥でグシャグシャになった選手を表彰する時、急にやさしくなった横顔。
私は「一生忘れないでおこう」とカメラに収めました。
それからその方を札幌で見かけることはなく、4年後。
98年。初の東京展開催前に、東日本社会人リーグを撮りにいった時
飛んできたボールが後頭部直撃。(フィルム交換で下を向いて気がつきませんでした。)
一瞬目の前が真っ暗になってうずくまった後のハーフタイム、
一人の方に笑顔で話しかけられました。
「さっき痛くなかった?東京で写真展するの?頑張ってね。
案内のポストカードは貼っておくから。」
差し出してくれた名刺には、その方と同じエンブレムがありました。
ビックリしました。
雨の日にけなされた私が、晴天の日に励まされるなんて!
人が変われば世界は変わるのかも・・・。
その時の喜びはいまだに忘れられないものです。
新年がやってきます。NHKの紅白歌合戦と、ゆく年来る年は
欠かさずに見ている私です。実は和田アキ子さんの歌、
「あの鐘を鳴らすのはあなた」大好きなんです。
札幌時計台の光景が浮かぶから。みなさんよいお年をお迎え下さい。
多忙のため携帯写真です・・・。