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あの日から三年目を迎える前に

3年前の8月12日「JAL123便墜落事故-真相を追う-あれから32年、一の年へ」という記事を掲載しました。そして、あと1か月半でいよいよその3年目の同月同日となります。

同記事を改めて読み返して、私が今現在どのように思っているのか、それを以下にまとめてみました。記事本文にも追記してますので、合わせて読み返して頂ければありがたいです。


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私は今、人は「未来のことは分からない」し「未来を見たように語るべきではない」と考えるようになりました。例えそれが信仰する神のお告げだとしても、それを仲介するのは人間です。言葉や他の表現に変わった時、そこには弱き人間である仲介者の私情が入ることは避けられません。お告げとは、各自が心で受け取り、各自がそれを解釈する、それで良いのだと思います。どんなに頑張ったって人は必ずいつか死ぬのだし、生死はそもそも神なる存在(あるいは自然の摂理)が取り扱う領域です。神による「従わなければ命はない」などというお告げは、そもそもアプリオリなことを強面に言ってるだけで、人はただ、良く生きればそれで良い、そう思うようになりました。しかし、だからと言って皆が好き勝手に生きれば必ず世の中に軋轢が生じます。「どうすれば皆が良く生きられるのか、それを考え実践せよ」、私には神が人に向けてそう問いかけているように思うのです。


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123便事件の調査はなかなか思ったように進みませんが、この事件を通して世の中をどう見たらよいのか、自分の人生において大切な教訓を授かったのは確かだと言えます。

この世の軋轢が最も歪んだ形で現れた123便事件(私はそう思っています)、この真相を知ること、知らせることで、ほんの少しでも世の中が良くなれば、それ以上のことは望むべくもありません。


キリストの御国にて記す
管理人 日月土
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