価値観が「崩壊する」経験、体験っていうのは、それぞれの人が多かれ少なかれ持っているものだと思います。
例えば、海外に行って、イスラム教圏でのラマダン(一ヶ月間日中に食事を禁止して、日没とともにパーティーをする)をしたり、人と人のスキンシップの多さにびっくりしたりする経験。
国内でも、普段自分が足を運ばないような場所・施設に行った時に、「こんな世界があったのか!」と驚く経験もあると思いますし、本当にこういう経験は、誰もが一度はしたことがあると思います。
普段は目にしたり耳にしたり、考えたりしたことないようなことに急に出会って、頭をガツンとうたれたような経験。
思考回路が追いつかなくなるような経験。
人それぞれ、そういう経験はあると思います。
で、こういうことはよく「自分の価値観が壊れた」とか「崩壊した」って表現されると思います。
価値観の崩壊。
僕自身もこういう体験は何度かしてきましたし、友達どうして喋っていても、そういう話をよく聞きます。
そこから僕が学ぶことも多い。
ただ、単に「崩壊」するだけじゃ不十分で、これからは「解体」することも意識して行きたい、と僕は思う訳です。
「崩壊」と「解体」。
「価値観が解体する」って表現は殆ど身の回りでも聞きませんし、僕自身も最近ふと思いついた表現なのですが、
簡単に言えば、筋道を立てて、理論的に新たな価値観を認めることです。
だから表現としては「価値観が解体する」じゃなくて、「価値観を解体する」が正しい、と僕は思っているのですが。
じゃあどうやって「解体」するのか、といえば、それは簡単で、「自分の頭を使って考える」こと。これにつきます。(でもこれが案外難しい)
例えば、全く考え方が違う人と話をする時に、
「うわー、そんな考え方もあるんや!知らんかった!」
という経験をする。これは単に「崩壊」しただけで、自分の頭を使っていない。
自分の全く違う考えを持っている人の意見を聞く。
そこから「なぜそうなるのか?」ということを、自分なりに考えていくことが必要になってきます。
例えば、その人が身を置いてきた環境が違うのかもしれない。
具体的に経験してきたこと、そこから学んだことが違うのかもしれない。
そもそも「価値を置くもの」が違っているのかもしれない。
こういうことを、自分なりにでいいから、深く突き詰めて行くことが必要であると思います。
それを続けて行くと、「ああ、この人はこんな経験をして、そこからこういうものに重きを置いていて、こういう考え方を持っているんやな」という風に、自分なりの解釈を持つことができます。
これが「価値観の解体」なのではないか、と。
僕の場合は、海外に行った時にこういう経験を多くしました。
例えば、なんで日常茶飯事に電車やバスが遅れるのか。
日本は晩ご飯をしっかり食べるけど、地域によっては昼ご飯が「ディナー」である所もある。
キリスト教圏で、なぜこんなに信仰心が強いのか。
仕事と家族に対する考え方の違い…
簡単に「文化の違い」っていう言葉で片付けられてしまうことが多々あるけど、
実際に僕たちの目を通して見えるもの(一人一人の考え方もそう)は、あくまで表象であって、そこから自分の力で本質に辿り着こうとする姿勢が、これからは必要なんじゃないかと思う。
僕はずっと、自分自身で事業をしたり、自分の力で食っていけるようになりたい、と思っていて、考え方は「起業家思考」なのかもしれないけど、例えば公務員として仕事をしている人と話をする機会も最近多くって、自分が持っていなかった考え方を知ることもできた。
世界一周とか起業とか、「すごい!」って思うことは誰でもできるし、実際にしている人の姿を見て憧れを持つのも誰でもできる。
けれど、そんな刺激だけで頭を一杯にするんじゃなくて、「なぜ?」と考える習慣をつけないと、いけないと思う。
物事を筋道を立てて考えることによって、頭の中が整理されていくし、いろんな世界を見たり、全く経験したことのないようなトラブルに遭ったりしても、ある程度自分のなかで整理されているから、慌てることも少ない。
そして何より、価値観を「解体」することで、「自分が今生きている世界が絶対的なものではない」ってことに気づくことができる。「あんな世界もある、こんな人もいる」っていう引き出しが増えていく。
最初は感情的・突発的に「価値観崩壊したー!」っていう経験をすることは必要で、でもそこに留まらずに、自分で価値観を解体するというステップに進んで行くこと、これは大事な姿勢だと思う。
そのためには、本を読んでも人に会ってもいいし、とにかく自分の頭で考えることをやめないこと。そして、頭を解放するために、全身で何かを感じるような環境に身を置くこと。旅をするのもいいし、一流の食事を食べるのもいい。
「価値観を解体する」という概念を知って頂ければ、と思います。
ではまた~
例えば、海外に行って、イスラム教圏でのラマダン(一ヶ月間日中に食事を禁止して、日没とともにパーティーをする)をしたり、人と人のスキンシップの多さにびっくりしたりする経験。
国内でも、普段自分が足を運ばないような場所・施設に行った時に、「こんな世界があったのか!」と驚く経験もあると思いますし、本当にこういう経験は、誰もが一度はしたことがあると思います。
普段は目にしたり耳にしたり、考えたりしたことないようなことに急に出会って、頭をガツンとうたれたような経験。
思考回路が追いつかなくなるような経験。
人それぞれ、そういう経験はあると思います。
で、こういうことはよく「自分の価値観が壊れた」とか「崩壊した」って表現されると思います。
価値観の崩壊。
僕自身もこういう体験は何度かしてきましたし、友達どうして喋っていても、そういう話をよく聞きます。
そこから僕が学ぶことも多い。
ただ、単に「崩壊」するだけじゃ不十分で、これからは「解体」することも意識して行きたい、と僕は思う訳です。
「崩壊」と「解体」。
「価値観が解体する」って表現は殆ど身の回りでも聞きませんし、僕自身も最近ふと思いついた表現なのですが、
簡単に言えば、筋道を立てて、理論的に新たな価値観を認めることです。
だから表現としては「価値観が解体する」じゃなくて、「価値観を解体する」が正しい、と僕は思っているのですが。
じゃあどうやって「解体」するのか、といえば、それは簡単で、「自分の頭を使って考える」こと。これにつきます。(でもこれが案外難しい)
例えば、全く考え方が違う人と話をする時に、
「うわー、そんな考え方もあるんや!知らんかった!」
という経験をする。これは単に「崩壊」しただけで、自分の頭を使っていない。
自分の全く違う考えを持っている人の意見を聞く。
そこから「なぜそうなるのか?」ということを、自分なりに考えていくことが必要になってきます。
例えば、その人が身を置いてきた環境が違うのかもしれない。
具体的に経験してきたこと、そこから学んだことが違うのかもしれない。
そもそも「価値を置くもの」が違っているのかもしれない。
こういうことを、自分なりにでいいから、深く突き詰めて行くことが必要であると思います。
それを続けて行くと、「ああ、この人はこんな経験をして、そこからこういうものに重きを置いていて、こういう考え方を持っているんやな」という風に、自分なりの解釈を持つことができます。
これが「価値観の解体」なのではないか、と。
僕の場合は、海外に行った時にこういう経験を多くしました。
例えば、なんで日常茶飯事に電車やバスが遅れるのか。
日本は晩ご飯をしっかり食べるけど、地域によっては昼ご飯が「ディナー」である所もある。
キリスト教圏で、なぜこんなに信仰心が強いのか。
仕事と家族に対する考え方の違い…
簡単に「文化の違い」っていう言葉で片付けられてしまうことが多々あるけど、
実際に僕たちの目を通して見えるもの(一人一人の考え方もそう)は、あくまで表象であって、そこから自分の力で本質に辿り着こうとする姿勢が、これからは必要なんじゃないかと思う。
僕はずっと、自分自身で事業をしたり、自分の力で食っていけるようになりたい、と思っていて、考え方は「起業家思考」なのかもしれないけど、例えば公務員として仕事をしている人と話をする機会も最近多くって、自分が持っていなかった考え方を知ることもできた。
世界一周とか起業とか、「すごい!」って思うことは誰でもできるし、実際にしている人の姿を見て憧れを持つのも誰でもできる。
けれど、そんな刺激だけで頭を一杯にするんじゃなくて、「なぜ?」と考える習慣をつけないと、いけないと思う。
物事を筋道を立てて考えることによって、頭の中が整理されていくし、いろんな世界を見たり、全く経験したことのないようなトラブルに遭ったりしても、ある程度自分のなかで整理されているから、慌てることも少ない。
そして何より、価値観を「解体」することで、「自分が今生きている世界が絶対的なものではない」ってことに気づくことができる。「あんな世界もある、こんな人もいる」っていう引き出しが増えていく。
最初は感情的・突発的に「価値観崩壊したー!」っていう経験をすることは必要で、でもそこに留まらずに、自分で価値観を解体するというステップに進んで行くこと、これは大事な姿勢だと思う。
そのためには、本を読んでも人に会ってもいいし、とにかく自分の頭で考えることをやめないこと。そして、頭を解放するために、全身で何かを感じるような環境に身を置くこと。旅をするのもいいし、一流の食事を食べるのもいい。
「価値観を解体する」という概念を知って頂ければ、と思います。
ではまた~