今日は篤姫様が 将軍家定様に輿入れするまで過ごしたと言われている 薩摩藩の屋敷跡を探しに渋谷に行って来ました。
先日買った本の マップに沿って行くとほどなく見つかりました。
国学院大学の近くのマンションの道路側に碑が建っていました。「常盤の松の碑」です。
この碑の説明に「島津家の持地だった」という説明が見えます。幕末に建てられたようでその当時下屋敷を持っていた薩摩藩が置いたものという事です。この碑のほかには 屋敷跡を残す痕跡は何も残っていないみたいです。
渋谷の下屋敷は 約4万坪を超える敷地が有ったようで 現在の国学院大学や青山学院初等部あたりにありました。
この碑の隣にある「常陸宮邸」も薩摩藩の敷地だったようです。
ここからは 他の藩の大名屋敷跡です。
その前に 渋谷の名の由来になった神社に参拝してきました。
「金王八幡宮」
平安・鎌倉時代に この地を渋谷氏がおさめていたようです。
渋谷金王丸という人の名前からこの名が付いたようで 現在の社殿は江戸時代に「春日の局」の信仰を得て作られたようです。
「青山学院大学」 ここは西条藩松平家(愛媛県)の上屋敷だった処
「こどもの城」 「国連大学」 ここは淀藩稲葉家(京都府)の下屋敷だった処
今日も お天気に恵まれて寒くもなくウォーキングできて 歩数は約1万歩 2時間でした。
先日買った本の マップに沿って行くとほどなく見つかりました。
国学院大学の近くのマンションの道路側に碑が建っていました。「常盤の松の碑」です。
この碑の説明に「島津家の持地だった」という説明が見えます。幕末に建てられたようでその当時下屋敷を持っていた薩摩藩が置いたものという事です。この碑のほかには 屋敷跡を残す痕跡は何も残っていないみたいです。
渋谷の下屋敷は 約4万坪を超える敷地が有ったようで 現在の国学院大学や青山学院初等部あたりにありました。
この碑の隣にある「常陸宮邸」も薩摩藩の敷地だったようです。
ここからは 他の藩の大名屋敷跡です。
その前に 渋谷の名の由来になった神社に参拝してきました。
「金王八幡宮」
平安・鎌倉時代に この地を渋谷氏がおさめていたようです。
渋谷金王丸という人の名前からこの名が付いたようで 現在の社殿は江戸時代に「春日の局」の信仰を得て作られたようです。
「青山学院大学」 ここは西条藩松平家(愛媛県)の上屋敷だった処
「こどもの城」 「国連大学」 ここは淀藩稲葉家(京都府)の下屋敷だった処
今日も お天気に恵まれて寒くもなくウォーキングできて 歩数は約1万歩 2時間でした。
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