昨年8月に社協様のご紹介で訪問して今回が4回目になります
初めて伺った時は単発だと思っていたのですが
数か月おきにオファーを頂けて有難く思っています
出かける時は、雷が鳴り雨が降っていましたが、
到着して少し待っていると天気も回復して傘なしで機材を下すことが出来ました
今日の御利用者の皆様は、口もきけないくらいの方が多く盛り上がりに欠けましたが
それでも軽いお色気のネタ話をしたときに男性の方がかすかに笑われたので
気分的に楽になりました
戦後の曲を中心に演奏しましたが、いつも8月に演奏する「五木の子守唄」・・
何度演奏しても良い曲だと感じます
1 おどま盆ぎり盆ぎり
盆から先ゃおらんと
盆が早(はよ)くりゃ早もどる
2 おどまかんじんかんじん
あん人たちゃよか衆(し)
よか衆よか帯 よか着物(きもん)
3 おどんがうっ死(ち)んちゅうて
誰(だい)が泣(に)ゃてくりゅか
裏の松山蝉が鳴く
昔の五木村は、一握りの地主が土地を所有し、多くの村人は地主の下で林業に従事するか、
借り受けたわずかばかりの土地で焼き畑農業を営むほかありませんでした。
小作人の子ども達は7、8歳になると、口減らしのために、
熊本の八代や人吉等の豊かな商家や農家に奉公に出され・・・
「食べさせてもらうだけでよく、給金はいらない」という約束が普通だったそうです
奉公といっても子守りだけでなく、さまざまな用事をさせられ
女の子の場合は、性的ないたずらをされることもあったようです。
そのような生活は子供にとって死ぬほどきつく、辛いものだと想像できます
そうした仕事の辛さや望郷の思いを込めて即興的に唄う歌・・・
こうしてできたのが『五木の子守唄』だそうです
私も以前、五木村に行きましたが、
今では村はダムの底に沈み、代わりに新しい家屋が立ち温泉までできて
昔の面影はありませんでした
寂しい歌ですが、世界ではまだこのように子供がつらい思いをしている所が沢山あります
他人事とは、思えません。
帰りは、天気はすっかり回復し、12月のオファーまで頂きました!(^^)!
次回こそ!
ぜひ皆様に聞かせてあげて下さい(^^)/