(原 光訳 2000年、沖積舎)
ダンテの「神曲 地獄」編 第17歌(カッコ内は筆子、その12)
◯小舟が引上げられてゐた岸辺から後へ後へと押出されるやうに、獣は緑から離れてすつかり自由になつたのを感じると 、
胸があつたところへ尾をぐるりと回し、それからピインと伸ばした尾を鰻のやうに動かし、前肢(あし)で空気を自分の方へ掻き寄せた。
フェトン(神話の人)は手綱を放したために、いまもさう見えるやうに空が焼けてしまひ、哀れなイカロ(神話の人)は蝋(ろう)が熱で溶けて、(前回ここまで)
◯腰から翼が離れるのを感じ、道から逸(そ)れたぞ! と父親が絶叫したのだが、その時の恐怖とて、
いたるところ空気ばかりで、獣だけしか見えなくなつた時の、わたしの恐怖ほど大きくはなかつただろう。
獣は泳ぐやうにしてゆつくりと進んでいく、回つて下りていくのだが、顔に当り下から吹く風がなければ、それも分らぬほどだ。(つづく)
◯本日、8月13日(日)の日本聖書協会の、「創世記31章43節~32章1節。その主題は「平和の祝福」。その44節「さあ、これから、お前とわたしは契約を結ぼうではないか。~」とラバンがヤコブに言っている。このラバンは、今、聖書研究の24章に初めて登場するリベカの兄である。このリベカには、やがて双子の息子エサウとヤコブを授かるのであるが(25・24)、ラバンは、自分の二人の娘の一人を、ヤコブに与えるかどうかで20年間、ヤコブに羊を飼わせて働かせ、熾烈な争いを展開した狡猾な男であった。その争いの終焉をしるし付けるのが44節の「契約」である。その契約が「平和の祝福」となった。
◯写真は、牧師館の南側の畑にある朝顔の鉢植えが、毎朝、盛んに花をつけている。(8月10日撮影)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます