ダンテの「神曲 地獄」編 第14歌(カッコ内は筆子、その16), (原 光訳 2000年、沖積舎)
◯わたしは言った。「この小川がそのやうにわたしらの世界から来てゐるのならば、縁でしか姿を見せないのですか?」
すると答へた、「言ふまでもなく、地獄は円い、そなたはつねに左まはりで、かなり底に向かつて下つてきたが、
まだどの圏(たに)もすつかり一周したわけではない、だから新奇なものが現れても、顔に驚愕を浮かべるには及ばぬ。」(前回ここまで)
◯わたしはさらに、「師よ、フレヂェトンテ(巨人の罪を悔いる涙の川)とレテ(穢れの洗浄の川)はどこにあるのですか?その一つについては話さず、もう一つは涙雨でできてゐると言はれましたが。」 「そなたがどんな質問をしてもたしかに
わたしは嬉しいのだが、」と師は答えた、「赤い水の沸騰によって前の質問はよく解ける筈だ。(つづく)
◯本日、2016年10月16日は、第四十二主日となる。日聖協「聖書愛読こよみ」は「天国のたとえ」という主題。聖書はマタイ13章1~9節、その5節である。「ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を
出した。」という。新日本国建設の明治の初め、日本にやって来たある宣教師は、日本宣教は石地に落ちた種とといったのは有名。今日はどうか。
◯写真は、先週9月12~14日第66回大会での中会記録審査委員会。委員に拝命を受けた者らは次の六名であった。久野真一郎「札幌琴似・牧師」委員長を始め、白井献(鎌倉栄光)、藤田浩喜(西宮中央)、南茂昭夫(大分中央)、山
本隆男(札幌函館)、茅根愛二(鶴見)各氏で、わたし南茂は北海道と東京の中会記録を審査し、第二日目にそれぞれ持ち寄って全体的に検討して審査報告書を完成させ、久野真一郎委員長第三日目議場に報告し質疑応答の結果承認
された。
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