五、「教会とわたしたち」(455) 5.近代から現代へ(宗教改革とその後」
初めに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その95)
最終篇に入ります。
第二十二編 神の国永遠の浄福
24.この世は裁きの下にはあるが、しかも創造主は祝福をもってこれを満たしておられる。
神の知恵が何の問題もなしに、至上の浄福をもってその源泉にまで溢れ渡るそのところでは、誤りも悩みも抜きにしたすべてのものの知識は、何と偉大で・美しく・確かであることだろう。からだがすべての点で霊に従い、これによって十分に養われて他の何物をも必要としないとき、それは何と完全なことであろうか。それは確かに肉の本体を有してはいるが、その罪過は少しも残らず、したがって「生まれつきのまま」ではなく、霊的なものとなるのである。
25.前述の(前回はここまで)ごとく、全世が信じているのに、以前として肉のよみがえりを問題とする者たちのかたなさについて。(つづく) (「神の国」出村彰訳)
26.祝福された魂は肉体と関わり合いを持つはずがないというボルフェリオスの説は,プラトンの見解と矛盾する。プラトンによれば、最高神は神々に対し決してその肉体を失うことがないと約束したのである。
27.プラトンとボルフェリオスの説は互いに矛盾する。もしもそれぞれ他を信じていたならば、二人とも真理から遠くはなかったであろう。(つづく) (「神の国」出村彰訳)
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