創世記24章5節である。「僕は尋ねた。『もしかすると、その娘がわたしに従ってこの土地へ来たくないと言うかもしれません。その場合には、御子息をあなたの故郷にお連れしてよいでしょうか。』」という。アブラハムがそのとき住んでいたと
ころはエルサレムからさらに南方のヘブロンであった。そこから嫁探しのメソポタミヤのウルからは余りにも遠い。また文化生活習慣も異なったであろう。
嫁探しの大役を受ける僕自身にとっての問題は、相手になる嫁の気持ちへの配慮の責任の重さであった。普通なら全く見知らないところで適切な嫁を見つけることの方が難しいと考える。しかし、そうではなく主が用意されることを疑ってい
ない。むしろその後カナンまで連れてくることの人間的配慮の難しさ、神の約束の厳しさ。
6節である。「アブラハムは答えた。『決して、息子をあちらへ行かせてはならない。』」という。「行かせてはならない」ときっぱりと答えた。それは神の約束の厳しさを表現しいるといわねばならない。人間的には、どちらでもよいと言えないわけ
でもない。しかし、アブラハムにはそのような考えは全くない。なんとしてもカナンの地に連れて来なければならないといっている。
家を継ぐ者がいないので、アブラハムが『家の僕(エリエゼル)があとを継ぐことになっています。』といったときに、主なる神は言われた。15章7節です。「わたしはあなたをカルデアのウルから導き出した主である。わたしはあなたにこの土地
を与え、それを継がせる。」といわれたのでした。この約束が、それからのアブラハムの行動と、その全生涯を決定しました。それゆえ断固として決意を披瀝した。
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