このブログを書き始めのころ、十里桃花について書いていました。中国のドラマなのですが、58話あってなかなかの長編です。
私はこのドラマが好きで今年もこりずに4回目を観ています。浄化ドラマです。笑
また観てるの!?とびっくりされます。
神仙ものなのですが、おそらくこのストーリーを書いた方は、道教や仏教を学んでいるように感じます。道教のお経や神様の名前もでてきます。
ドラマの中では長いスパンで善因善果、悪因悪果が表されています。悪魔のような存在も、初めから悪ではありません。一点の心の塵がどんどん悪に変化します。
自分の人生が悪くなっていくことを全て他人のせいにします。
一方、天界の神様は悪い事が起きたら何事も全て自らを省みる材料とします。
神様の中でも皆から尊敬された神様が原子爆弾のような御神器を封印し人類を救う為に、己の元神を差し出す場面があります。神様の魂が散ってしまい、肉体だけの抜け殻になります。魂の粉砕は死んだも同然です。
その神様の肉体(器)に忠誠の弟子が心血を注ぎます。神様の肉体は、誠の思いが届き朽ちずに眠り続けます。その後、肉体に魂のかけらが復活します。しかし、そうなるには数万年の年月が必要でした。一滴の魂がどれ程大切かを考えさせてくれます。
神様の魂が戻ってきた時に、霊山である昆倫山に神の剣が復活する場面があります。
それを観たとき、富雄丸山古墳でみつかった剣を思いだしました。あの剣🗡️は、地球神の復活みたいだなと勝手にドラマとリンクさせました。笑
原子爆弾とか原子力発電の事故や、戦争や人同士の争いで苦しめられつづけた地球を、ずっとお支えになる地球神🌏国常立神を思います。
十里桃花の中で、神様の修練の力が悪と対峙して少なくなった際に、人間界に修練にいく場面があります。様々な迷いが生まれやすい人間界で修養する方が力が回復するようなのです。
しかし、人間界に降りる前に記憶を消されるので、リスクは大です。輪廻の苦海といわれるくらいですから、そこに堕ちるというのはリスクが沢山あります。帝君と呼ばれた神様が、修練の力を取り戻す為に人間界にいきますが、人間界で愛の試練に苦しみ、天界に戻った際、逆に9割もの力を失った場面もありました。
人間界では、その人間の運命はある程度は決まっていました。凄い神様ほど、運命は空白で自由度がありました。命運や刧数は実際にある程度あるけれど、人にはそれを超えるチャンスもあるのだなあと感じました。よく当たる占いなんかは、その命数をみているのかもですね。私は占いはしませんが😌。
また、人間界は天上界で罪を犯した神が落とされる所のようにも描かれていました。かぐや姫のお話もそうでした。人間界から月の世界へかえる時に、侍従のものがかぐや姫に言います。
こんな所からはさっさと還りましょう。
人間界って、「こんな所」なんでしょうか。
人間界って、確かに色々あります。
戦争、闘争、差別、虐め、ネットの陰湿な書き込み。熾烈な競争社会。全て自らと他者を区別する心からです。
この世に生まれた瞬間、臍の緒が切られた瞬間、人は安心できる母と(私の場合妹とも)の一体感から分離され存在が区別されます。生まれたら名前が与えられます。他と区別するためですが、その後も「名声」「名誉」「肩書き」などなど、沢山のものを更に求めようとする人もいます。一方それらが無いことで、持っている人を羨むのも同じく区別心からかなと思います。
成長しながら見える景色の中で、自分の心を修めるのって大変かもしれません。また、何故生まれてきたのかを知るのも、そう簡単ではありません。
ただ、この世界に生まれた時点で、立身性命のスタートなわけなので、あとどれくらいあるかはわからないけれど、この世を卒業するまで心を慎重に観ながら道に還る生き方を選びたいです。
分け隔てなく区別せず全てを生かそうとする地球に、そのまま身魂が返せるように吾が心を修め、大地に、自然に、天に、地球に、それらを包みこむ名もなきサムシンググレイト、グレイトゴッドに感謝して生きたいなぁと、神々のドラマを観ながら思いました。