昨日に引き続き、「まるい」繋がりで曼荼羅について書きたいと思います。曼荼羅は「丸い」という意味があるようです。
確かに、曼荼羅に描かれている仏様はおひとりおひとり丸の中に描かれており、また、金剛界、胎蔵界の曼荼羅とも大日如来を中心にぐるぐる輪になるように描かれています。
曼荼羅は東寺で見た事があります。娘が昔、修学旅行に行って幾つかまわった神社仏閣の中でも東寺が一番良かったと言っていたので、後で行ってきました。
東寺の立体曼荼羅をみて思いました。曼荼羅は2次元でも凄いんですが、それを立体曼荼羅の3次元にして、空海さんが感得したものを1200年以上経っているのに見ることが出来るのは本当に凄い事だと思いました。
上からみると中心の大日如来、不動明王、金剛波羅蜜多菩薩を丸く囲むよう、如来、明王、菩薩グループのそれぞれの仏像が配置されています。
空海さんは、唐で恵果和尚から目に見えないものを形に示す大切さを教わります。空海さんは見えたのでしょうが、見えない私は、空海さんが見た神仏をたよりにできます。東寺の仏像の数々と迫力に私は圧倒されました。講堂に入った途端にあまりの迫力と、空海さんの創作したエネルギーの凄さに感動でした。
曼荼羅は密教僧になる儀式で使うようです。僧は目隠しをして曼荼羅に花を投げ、花が落ちた所の仏と縁を結びます。空海さんの投げた花はまず胎蔵界の曼荼羅の大日如来の上に落ちて恵果和尚を感嘆させました。
胎蔵界曼荼羅
しばらく経って儀式や修行を経た後、空海さんは次は金剛界の曼荼羅の上に花を投げる儀式にのぞみました。空海さんが投げた花は大日如来の上に再び落ち恵果和尚を賛嘆させた逸話があります。
金剛界曼荼羅
胎蔵界、金剛界両方の曼荼羅の真ん中にいらっしゃるのが大日如来です。胎蔵界は慈悲、金剛界は智慧なのだそうです。
如来の頭のくるくるはパーマでなく智慧の渦です。ほくろのように見えるおでこのは白毫といって、うずを巻いた毛がほくろのように見え、こっから光明が放たれるといいます。
ちなみに妹はおでこの真ん中にホクロがあり、赤ちゃんの頃は双子で似ていたので見分けに役立ったと思います。光明ビームが放たれてるかどうかは一応聞いてみようと思います。
と冗談はさておき、笑
丸いということはとてつもなく凄いことだと思います。東寺にある勧智院に5大虚空菩薩がいらっしゃったのですが、虚空、ぶつかるものがない。まんまるになる事だと思いました。
上流の高い所から流れて石が下に流れ着くまでに、かくかくの石ころは角がとれて砂のように小さく丸くまんまるになります。そして、水の流れに任せて下へ下へとあるべき場所で落ち着きます。自然の姿って石ひとつとってもすごいです。
いつかお空に還る時に丸を貰いたいなと思います。あー、多分あの時のあれは丸を貰えないなぁ、なんて過去を振り返り反省することもありますが、過去は過去で、これから自分のカクカクした部分が削られて丸になるよう目指します。目指せ、お多福。