次に梅で思うのは、元号令和です。
令和は万葉集の第五、梅花の歌三十二首からつけられたようです。
「時に、初春の令月にして、気淑く風和ぐ。梅は鏡前の粉を披く、蘭は珮後の香を薫す。」
「令」と「和」の文字が入った文は、「初春の佳き月で、空気は清く澄みわたり、風はやわらかくそよいでいる」という意味だそうです。奈良時代に、梅の花の宴の様子を歌人であり武人の大伴旅人の太宰府の邸宅で詠まれたとか。太宰府は菅原道真公が亡くなった地です。
令和の時代というのは梅に霊的な意味でも関係があると思います。霊和、と同じ音です。
令和の和からは、
和を以って尊しとすると言われ
17条の憲法や、身分、家柄、階級に関係なく能力によって人材を登用する冠位十二階の制度を作った聖徳太子を思います。自らを「日出処の天子」と述べられたり、仏教を拠り所として沢山の改革をされました。
和は日本のあるべき姿。大和、倭は昔の日本名。
聖徳太子の偉業は歴史の教科書でも多くの人が知っていますが、太子の死後、一族の辿った悲しい末路はあまり知られていません。
当時の朝廷の権力争いとは凄まじかったのだと想像します。追いやられたり、虐げられたり、消されたり、忘れ去られたり。
今の時代の職場や家庭、学校、生まれてこれなかった命、亡くなった命、自然の中にも色んなところに転写されているのかもしれません。
艮(うしとら)の金神は祟り神ともいわれています。丑寅は東北であり、鬼門の方角であり、鬼門の神様。
鬼門金神の話として聞いたことがあるのは、人間が大地を削る痛みが人間に反射するのだとか。金神は地下に自らお隠れになっているのだそうです。
忘れさられたり、忘れると祟る神様なのです。
家を建てる時の地鎮祭は、鬼門の神様にご挨拶をしてその土地をひととき間借りする許しを乞い願うのだと思います。住まわせていただくことへの感謝とご挨拶をその土地にいる神様へ奉納するのだとも思います。
金神の息吹は水子や忘れ去られた存在がいると味方するそうです。地蔵菩薩は、地獄界で迷える御霊、悲しみを背負った御霊を救う菩薩様です。鬼は、向こう岸に行きたいと願う御霊が賽の河原で積み上げた石を悉く壊すのです。なかなか向こう岸、天国に逝くことをゆるしません。
令和の時代には悲しい御霊が癒されますようにと縁ある御霊に毎日お線香をお供えします。煙と香りに依って天に召されますように。先祖に繋いでいただいた命に感謝して行きたいです。
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