見出し画像

大善人へ身魂磨き

日本語と英語

昨日はこだまについて書きましたので、今日は言語について書いてみようと思います。

今は、翻訳機なんかあり不要になりつつありますが、昔、英語翻訳に興味がありました。日本語が好きだから英語を日本語にするとどうなるんだろうと。




海外に興味があり英語を勉強する人も多いですが、私は、日本語との違いに興味がありました。言語の比較なんかも面白いし、言葉が国民性にも繋がっているように思えました。


英語は主語が最初にきます。日本人が英語を苦手とするのは、日本語が主語を明確にしない言語であるのも理由のひとつかなと思います。英語は、私が、あなたが、彼が、彼女が、主語が最初にきますから。

日本語は主語を曖昧にする言語です。昔から農作業という共同と協調、和が重視された社会において、共に働き、お互いの労力を分け合い、自分だけが得する、自分だけが楽するという利己的な我を排除する必要があり、共同体意識が強い性質が言語にも出ている気がします。


英語は、個を強く主張する言語だし、曖昧を嫌うから、日本語とは話法も文法もかなり性質が違うかなとも思います。国際化社会では、国としての立場や意見を明確に示す必要があるから、個の主張は大切ではあるとも思いますが。


日本語で一人称を言うとき、「私は」はなんとなく、「私が」より柔らかく聞こえませんか?


愛媛には大山祇神社があり妹が行きました。とても良かったようです。私は妹だけでなく神社を紹介してくださる方の写真をじっくりと見ることで参拝気分を味わってます。妹の写真の中に大山祇神は、和多志大神(わたし大神)とも呼ばれていることを知りました。和を多くすることを志す神様。




山は、木や土、水、時には火と和する。なるほどと納得!聖徳太子も、和を持って尊しとする、と。


私と和するのは、私は。私の我がでるのは、私が。日本語で一人称の主語を使うなら「私は」が良いかな。こんな一語でニュアンスの違いを感じられるのが日本語だと思います。


日本語は非常に奥深く、同じ言葉に沢山の意味があり、助詞一語でもニュアンスに違いがあり、漢字も別変換したりもでき、言葉で遊べる。言霊が煌めく言語。


ひとつの言葉にさえ沢山の意味があるからこそ、言葉の真意、神意は、受け取る人の感性で沢山受け止められる。


だからこそ、言葉を自分で優しく楽しく受け取り、言葉遊びをするのが面白いし好きです。日本語はそれができるから個人的には最高の言語だと思います。


まずは言葉ありき。


神々が世界をわけたとき、まずは意思疎通が出来なくなるように言語の壁を作った話があります。この壁をつくったとき、それでは沢山の人をどのように分けたのかと考えたことがありました。


天から見て、自我を小さくすることを善とする人が日本語を話す日本人へと割り当てられて生まれてきたのかなぁと良い風に捉えています。日本語は、語族を特定出来にくい、珍しい言語なのですから。


和を大切にする、だから、海外の人からみたら、なんでも受け入れ、日本の伝統は守りながら、何でも大丈夫の宗教、宗教関係なしでクリスマスや、ハロウィン行事を楽しみ、クリスチャンでないのに教会で結婚したり、和食を大切にしながらも、多国籍な食文化をも取り入れることに不思議と違和感がありません。


我の漢字は、伐採とか殺伐とかの伐に似ていて、分離のイメージ。


私から我を無くして和に変える。みんな違ってみんな良い。


幼いピュアな赤ちゃんにだんだん我がでてそして大人になり、沢山揉まれたりしながら生きていく中で、我良しの我を私にいっぱいつけながら生きる人もいれば、私から我を削ぎ落とし和にしながら生きる人もいます。


魂を覆う我を削ぎ落としながら、成るだけ和を多く志ながら明るく生きたいです。

コメント一覧

びこさんへ

こんにちは。姉のブログへようこそ。
津野山にもし行ってみたいなと思われましたら、私がお連れしますよ。空港からも、高知駅からも片道2時間くらいです。
日帰りもギリギリ可能ですが、見どころがありますので一泊をおすすめします!
私は月に1回から2回は行ってるので、都合が合いましたら乗せてお連れします。
神様が喜びます!是非、津野山神界へ。
あき
びこさん

その通りなんです!沢山あるブログから見つけいただくだけでも、奇跡なのに、同郷とも知らない時にコメントまでいただけることに驚き、そして神意も感じます。感謝です。

津野山に祠をたて、縁が輪のように広がり
お宮までたちました、耳の神様は、神様と人を繋ぐ存在のようです。

帰省の際ご一緒できるかもしれません。神様の繋げてくださる縁を大切にしたいです。妹にも伝えておきます。

コメントありがとうございました。
びこ
あきさんへ

あきさんは追手前高校だったんですね。私より大分お若い方とお見受けしますが、記事に引き込まれたのは、それだけご縁があったと言う事なのでしょうか。私は難聴ですので、津野村の耳にご利益のある洞窟に行ってみたいと思いましたが、公共交通機関で行くのは不便そうなので、まずは因島の大山神社に行ってみようかと思いました。

またいろいろ教えてくださいね。
あき
びこさん

こんにちは!鏡から我を抜くと神、自神を見つめる場所が神社だということなんですね!我を無くしていきたいです。

ところで、びこさんとは同郷かもしれません。昨日びこさんのブログのコメントを拝見して思いました。
私は、お城の近くのお隣の共学高です。今は住んでいませんが、双子の妹は今も住んでいます。山あり川あり食べ物も美味しいし、大好きな故郷です。ご縁に感謝です。

コメントありがとうございました、
びこ
こんにちは

ご存知かもしれませんが、神社に鏡があるのは、「かがみ」から「我=が」を除けたら誰でも「神=かみ」になれると。神社で手を合わすのは我を抜いた自分にだそうです。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ひとりごと」カテゴリーもっと見る