子ども達の本、ギリシャ神話から今日はひとつ紹介します。
アストレアのてんびんてんびん座の神話より
人間ははじめ「金の時代」に暮らしていました。大神ゼウスの父、クロノスによっておさめられていた時代です。
一年中温かく穏やかで人々が何も働かなくとも、穀物も、果物も、野菜も良く実り食べるものは沢山ありました。泉からは葡萄酒やミルクがあふれ出て川となり、好きな時に、好きなだけ飲むことができます。
辺り一面、美しい花が咲き、世界中がいつも良い香りに包まれていました。人々の心は平和でみんなが仲良くしていました。
神々も、点から降りてきて、人間と共に地上で暮らしています。正義の女神アストレアは人々の親しい友達でした。
アストレアは心の正しさ、正義を量る天秤をもっています。でも、なんの争いも起きないので使うことはありませんでした。
やがて、「金の時代」が終わり、「銀の時代」になりました。世界を収めるのは、大神ゼウスです。ゼウスは、一年を四つの季節に分けました。春に土を耕して種をまき、秋になると、収穫し、食べ物を手にしました。人間は初めて働くことをしったのです。
夏のギラギラ照り付ける太陽や、冬の北風から身を守るために服をつくり、家を建てました。
次第に畑づくりの上手な者と下手な者の間で、収穫に大きな差が出てきました。すると、力の強いものが弱いものから、作物を無理やりうばっていくようになったのです。
人々の間に小さな争いがおきると、アストレアは正しい心、正しい行いについて話してきかせました。でも、人々はアストレアの言葉をまじめに聴こうとはしません。神々はそんな人間にあきれて地上から天に戻っていきます。でも、女神アストレアはまだ人間を見捨てていませんでした。
次に「銅の時代」になりました。人間は、銅でいろいろな道具を作ります。そして、同時に貯えることを始めます。
すると、他人のものを盗んだり、暴力をふるったり、嘘をついてだましたり。人間は、次から次へと悪いことを覚えていったのです。
アストレアは、天秤をつかって、争いを裁こうとしました。争う二人の心を天秤にのせると、正しい方があがり、悪い方がさがるのです。でも、欲いっぱいの人間は、もう何が正しいのか、などは、大切に思わなくなっていました。
神々は人間たちに失望し、次々と天に帰ってしましました。一人だけ地上に残ったアストレアの胸は悲しさでいっぱいです。
やがて「鉄の時代」になりました。
人間たちが、鉄で作るものは武器です。より強い剣、より強い鎧兜。すべて争いのための道具です。力の強いもの、ずる賢いものが財債を貯え土地を広げていきました。そして、森の木を伐り、大きな船を作ると、海を越えて戦にいくようになりました。人間の欲望はきりがなくなってしまったのです。
なぜ、なぜ、人間はこんなふうになってしまったの?正しい心をうしなってしまったの?正義を忘れてしまったの?
アストレアは嘆きました。もう人間の醜さを見ていられません。
とうとう背中の大きな白い翼を広げると悲しい心のまま、人間の世界から点へと羽ばたいていきました。正義の女神アストレアの正義を量る天秤は星となり空から地上の人間たちを見守っています。
アストレアの願いをこめて。人間たちの心が正しくありますように、と。
たまには、こんな話しも良いかなと思います。
金の時代から、銀の時代へ、そして銅の時代から鉄の時代へ。ギリシャ神話から見たら、今が鉄の時代なのかな。
なんとなく、日本史でもいえる気がします。金の時代は平和だったとされる縄文時代。物質は豊かでないけれど人は神と繋がっていた時代。土偶や蛇を象ったような縄文土器が作られていた時代。古代祭祀、道祖神信仰、磐座信仰なんかの時だと思います。
銀の時代は、稲作が始まった縄文末期から弥生時代。人は稲により豊かになり、食の心配が少なくなりましたが、神の恵により与えてもらっていることは忘れていません。水銀(丹)は、神社の鳥居なんかの朱色を生み出し、古代祭祀の場に朱塗りの神社なんかが建てられはじめたのかもしれません。
稲作は段々、貧富を生み出しました。銀は金(キン)の精製にも使われました。輝く金属を持つ物が力のある物になりはじめました。
モノの貯蔵がはじまります。そして、大陸から青銅器がはいりました。銅鐸や銅剣は祭祀の道具だったともいわれていますが、それ以外に使われていたとも思います。古墳には沢山みられますし、古墳には支配する者とされる者、権力や地位が密接に結びついていたこともわかります。
だんだんさらに強い金属を求め鉄になりました。強い鉄は、人の欲、金(カネ)、権力とさらに密接に結びつき、鎧兜や甲冑など、やがては鉄砲へと形をどんどん変えました。
そんな感じに日本の歴史の鉱物の移り変わりがギリシャ神話と似ている気がしています。
出口さんが神憑した「艮の金神」は“祟り神”とかいわれているみたいです。また「艮」(うしとら)とは北東の意味で、もっとも恐れられている“鬼門”(きもん)の方位とか。
祟り神の呼び方がもともと好きではないです。鬼門は北東。
日本の地理の方位でいうと、東北にあたります。東北は、昔は蝦夷と呼ばれる人がいて恐れられていました。しかし、蝦夷は、日の国を造った神様を護り抜こうとして、鉄剣による征服を逃れた人が自分の信じる神を護り抜こうと行った地だと長髄彦や土蜘蛛を調べて感じました。
アラハバキ神のアラは、荒ぶる、洗う、顕われる、現われる。新たな。と沢山の言霊が響きます。新たに洗われた世界で顕現(剣で現)される神様なのかもです。
我慢強い方が東北には多いと聞いた事があります。東日本大震災でも、実際目にしました。
艮(うしとら、北東)の金神は金の神様なのです。心がきれいな金勝要の神は素戔嗚尊の御分霊。ギリシャ神話でいう、アストレアの女神様にあたると私は感じました。古代縄文時代からおられた神様。トイレの神様。我慢強く人間を太古からずっと陰から支えてくださった尊すぎる神様だと思います。
ずっとずっと、影、陰、見えない所で、汚いところの大洗濯をせっせと傷ついても傷ついてもしてくださっている神様。祓戸の四柱の神様のような神様。見えない徳を積む隠徳は徳の中でも最も高いです。
金色は、魂の色だと思いました。魂がピカピカの金(きん)色の神様が金勝要神。
物質は豊かだけど、心が曇り神様さえいないと思う人がいる時代から、人は自分の内にも外にも神を感じ、神様の偉大さに感謝する人があふれる時代が金の時代かなと思いました。まるで、魂の縄文回帰みたいですね。
【画像は、ナツメ社 夢が広がる伝説の世界、星座と神話の本より】
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