大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

順縁と逆縁

2022-10-21 06:14:00 | ひとりごと

生きていると、縁を感じます。

縁は不思議で袖振り合うも他生(多生)の縁というくらい、この地球上で知り合ったり、会ったりするだけでも、宇宙的視点からしたら奇跡的ですね。


そんな風にも感じる縁ですが、自分にとっては苦しみを与える縁もあります。そんな縁に出会うと私は動揺しがちでした。


数ヶ月前、知人が訳した道徳経の本をいただきました。


老子は昔から私の尊敬する偉人ですから、本を頂いたのも何かのご縁と嬉しくなりました。


その中に、縁に関して、どんな縁も肯定する言葉がありましたのでご紹介します。



順縁と逆縁はみな私たちの必須科目である。


あなたを愛する人はあなたに感動を与えるし、


あなたが愛する人はあなたに捧げることをしっかり学ばせるだろう。


あなたが好きでない人はあなたに寛容と受容を教えるだろうし、


あなたのことを好きでない人はあなたに自省と成長を促すだろう。



以上


全て後半の、「あなたに」

以降をもう一度みてみると、


感動を与える


捧げることをしっかり学ばせる


寛容と受容を教える


自省と成長を促す


とあります。


人が人と交わる縁は、順縁、逆縁、全部自分の糧に出来るんですね☺️


特に後半です。


自分にとって嫌だなぁ、好きではないなぁ、なんていう感情が沸き起こる出会いや縁こそ、


寛容と受容を教える


自省と成長を促す


ようです。


超がつくほど腹が立つことをされたり、

言われのないことを言いふらす人がいたとしたら


これを思い出そうと思います。


よし、そうきたかぁ、

腹がたつとは思いますが、

完全スルーです。


そうしないと相手の思う壺なんです。

だって、その人それが趣味なんですから。


だから、そんな相手の餌食にされるのも癪に触るから、

そんな時こそ心の成長の餌にして

身魂磨かせてもらいます



その人を自分の身魂を成長させる存在とみなすと、要は自分次第なんですね。



なかなか難しいけれど、生きて100年。もう折り返しすぎたから、道徳経を読んだりしながら、少しは視点の転換をしたりしていきたいなぁと思いました。



【画像はおかりしました】



鬼神界の女神 クレハ

2022-10-20 06:50:00 | 創作童話

明治中期に出版された本に、「戸隠山鬼女紅葉退治之伝」があるようです。


概要はこちら↓


鬼女、紅葉は第六天の魔王の力を持つ鬼であり、元は呉葉(くれは)と呼ばれていましたが、後に紅葉に名を改めて都に上り、都で源経基に寵愛され一子を宿しますが、後に戸隠の地へ流されます。


里の者に尊崇されるいっぽう、徒党を組んで盗賊を働き、冷泉天皇の勅諚によって派遣された平維茂の軍勢により、退治されます。善光寺道名所図会』によれば、退治された紅葉の霊は八丈坊・九丈坊という大天狗、小天狗となり、日吉権現の眷属となって北向山を守護するようになったといわれています。


ウィキペディアより

怒られそうですが、これ↑を勝手に所々変更し(スミマセン)🙇‍♀️一昨日からの続編を創作してみました。🤣

少し長いのですが😅 どうぞ〜🍁


〜〜


紅葉狩りという言葉がありますが、鬼と呼ばれた女を捕まえる事からこの名前がつきました。この鬼女こそ、もう一人の鬼神界の紅葉の女神クレハです。


鬼は山にいると昔は信じられており畏れられていましたが、鬼神会と山は密接に関係がありました。地上界で底辺に踏みにじられた魂ほど、地上界を卒業するときにはだれも登頂できないような孤高の場所へと舞い上がることもありました。


その境地から見おろすと全てが箱庭での出来事だと達観することができます。


秋に、山は一斉に燃えるような赤や黄色に色づき、人々の目を楽しませますが、そこには悲しい女クレハが鬼となる話が言い伝えとして残され、紅葉祭りが供養も兼ねて行われているのでした。

 

クレハという名前の鬼女は、天界から投げられた岩の闔が隠されているという山の麓に生を受けました。


クレハの父母は、長年子どもがおらず、大六天の魔王におすがりしました。その後、玉のような赤子を授かり、その子を紅葉(クレハ)と名付けました。


クレハは、スクスク成長し、和歌を詠ませれば右にでるものもおらず、また、琴を弾かせたらその音色に、民だけでなく、土地の精霊をも癒し清めるほどの腕前でした。

クレハの腕前を聞きつけた都のお姫様が琴を学びたいとクレハを参内させたのでございます。

しかし、それが不幸の始まりでした。


この優しく美しいお姫様は見目麗しく、お殿様からのご寵愛は非常に深かったのでしたが、姫様にはお子様がおられませんでした。

 

姫様の側にいたクレハは、お殿様のお姿の麗しさに、密かな恋心を覚えたのでした。

その後、琴の音色を使ってお殿様を誘惑し一夜の契りを結んでしまいました。姫様を裏切ってもなお、クレハは誘惑したい気持ちを抑えることが出来なかったのです。


お殿様にとっては、一夜の遊びでした。クレハの燃える思いとは裏腹に、なんとも無情な男のサガでしょう。クレハからみたら生涯忘れられぬ一夜の恋でした。しかし、クレハは殿様の赤子を宿してしまいました。

 

クレハに赤子が宿っていることが分かった直後に、長年子供を授かることができなかった姫様がご懐妊となりました。


殿様は、姫様の懐妊を非常に喜ばれました。一方、クレハはあらぬ噂をたてられて宮中を追い出され、罪人として山から出ることのないように命じられたのでした。お腹の赤子は、残酷な環境のもと、流れたのでした。


暫くたって、宮中から、姫様が健やかな男の子をおうみになった噂を風の便りに聞いたのでした。それからというもの、クレハは嫉妬の嵐に、心は鬼に変化してしまったのでした。

 

毎晩、自らの生誕に縁ある第六天の魔王に復讐の力を乞い願ったのでした。


そうしているうちに、因果応報でしょうか、クレハの妖術でしょうか、姫様は男の子を産んだあと、産後の肥立ちが悪く、寝込むようになり暫くして息を引き取ってしまわれました。

 

生まれた男の子も、元気な精悍な青年となりましたが、ある日、山に狩をしに行ったきり帰って来なくなりました。


村の人は、琴の音にひかれ、迷い込み、帰ってこなくなったのではないか、クレハの怨霊ではないかと噂をしたのでした。

 

噂が殿様の耳に入ると、クレハの首を刀で切って差し出したものには、礼を出すとお触れをだしたのです。


クレハの年老いた両親は惨殺されました。我が子だけでなく両親まで失ったクレハの悲しみと怨念は火のように燃え盛りました。クレハを捕らえようとすると、天が割れるように轟き、雷が落ち、木々がたおれ、人は下敷きになり、辺りの視界は暴風雨でかき消されました。

 

琴の弦を切り、弓とし、山の岩を削り矢として、自分の首を取ろうとする敵に1人で刃向かいました。


しかし、最後には、降魔の剣により、鬼の首をとるという諺のように首をはねられたのです。

 

クレハの首は遥か彼方まで飛んでいき、北山の一面を真っ赤に染めたのでした。秋の紅葉の季節のことでした。


クレハは、ヒトを呪う心、嫉妬、満たされない執着心を手放すために、その後何生も様々な立場で生をうけました。


悠久の時と輪廻を繰り返し、その後クレハは雪女のシテと共に、鬼神界を統べる女神となりました。

 

深い悲しみや苦しみを経験することは、深い学びでした。鬼神界に迷い込んだ鬼の御魂を改心させる立場になるためには、クレハ自身も一度は鬼になり、そこからの解脱を何生もかけてすることが鬼女クレハの魂には必要だったのかもしれません



おしまい


鬼も鬼になる理由があり、背景もあり、どんな御魂も改心すれば、女神様。鬼嫁なんかは、家庭の女神様😉。


お読みいただきありがとうございました🍁






鬼神界の女神 シテ

2022-10-19 06:31:00 | 創作童話
昨日の続編です^_^
創作物語です。

〜〜

海に囲まれた島国では、太古、自分達の住む岩の洞窟の中は、龍神様の御神体であり、雨風から守ってくださる、有難い場所でございました。


洞窟から竪穴住居などを作る技術を習得して居住環境が改善したのは随分前のことのようですが、地上を神々がお造りになる地球上の時間にしたら、ほんの僅かな時間といえます。


特に鍾乳洞は、暑さ寒さを調節する地上でも稀有な場所であり、水が滴り水を蓄えるだけではなく、火を起こせばすぐに温まる利点がありました。


地球を練り固めた龍神様のお身体がそのまま洞窟になった場所がございます。その洞窟に住む太古の民の悲しい話、その中に、鬼神界を司る女神の一柱シテの話がございました。

 

シテが肉体を持って現世に現れた頃は、人々は船を作り、縄を依り網ができ、魚を取る生活をするようになっておりました。


赤子を産んでも、病により長く生きることができる子はわずかでした。

船の技術は、海で隔てた陸を繋ぎます。だんだんと、穏やかで争いのない世界から、海を隔てて渡ってくる民と土地を巡り戦い、地上を武力で制圧した覇者がのさばる世界へとかわっていったのでした。

 

龍の御神体である洞窟に住む民に、ある日、大勢の言葉の違う民が松明を片手に押しよせてきました。


残虐この上なく、戦いを知らない民は蜘蛛の子を散らすように逃げたのでした。その姿がまるで、蜘蛛のようでしたので、逃げた民を反発する民として、ツチクモなどと名前をつけ、侵略者は虐げ続けたのです。

 

あるツチクモと呼ばれ、侵略者に差別された一族に、美しい女の子シテがおりました。

大切な家族を目の前で失い、襲われた少女シテは、生きることに絶望し雪山から、身を投じて命をたってしまわれました。霜で真っ白くなった女の子の姿は哀れでした。


神々は、その様な悲劇を二度と繰り返さない様にと女人が山に人が入るのを後々禁止する伝説を人々に残させたのでございます。






自ら命をたったシテの魂は、その山に残って天に上がるのを拒否し続けてしまわれたのです。


夏の暑い中、心の汚い者が入山すると、恐ろしい蜘蛛の妖怪に姿を変えて襲い食べてしまうのです。


また、雪山では、凍え死んだ美しい姿をみせ、雪山の美しさを汚す者の視界をさえぎる雪女へと姿をかえました。


悲しみのどん底で凍えた少女の心は、復讐心を捨て改心することを選ぶまで長い年月がかかりましたが、ゆっくりと時間をかけて心の霜を溶かしたのでした。


今では、雪山が静かに土の中の生命をゆっくり育むように、鬼たちの御魂に残る真っ直ぐな霊魂に働きかけ、改心を静かに見守り、悲しみのどん底にいる迷える御霊の霜を溶かす手伝いを鬼神界でしています。

 

鬼神界とは、怨み、憎しみ、そして、無限の悲しみをかかえたまま命を終えた魂が引き寄せられるところでもありました。

鬼神界に送られる魂の悲しみを共に引き受け改心を願う女神の一人がシテなのでした。



【画像はお借りしました。】


シテとクレハ

2022-10-18 05:47:00 | 創作童話

随分前に書いた創作物語です。むかし話風に、しかし少し怖いかも😅🍁❄️

それでは、どうぞ〜



鬼神界の中に餓鬼という鬼達がおり、餓鬼は、その名前のとおり、飢えている鬼でございます。


肉体を持って生きている時だけ、肉体を失った後の世界の行き先を決めるヒントが隠されており、鬼神界の女神シテとクレハが見込んだ餓鬼達は、地上に試験を受けにいくこともございます。なぜなら、餓鬼のいる世界と似た世界は地上にもあるからでございます。


飢えるのは、食欲に飢える、権欲に、物欲に飢える、情欲に飢える、など、まさに、終わりが無い世界なのでございます。


餓鬼達の中で、鬼神界でそれなりの辛い修行をし改心をして、女神達から切符を渡された御魂達は、地上に降りるのでございます。


しかし、そのような記憶は抜かれているため、地上でのほんの100年に満たない貴重な改心の時間を無駄に過ごし、再び鬼神界に戻ってくる御魂が殆どでございます。


鬼神界の女神、冬を司る雪女シテと秋の紅葉を司るクレハは、現世に送りだしても、鬼神界に戻る御魂があるうちは、この世界に留まり、なんとか、皆を天国へあげたいと、時には凍えるような冷たい修行を、時には火で炙り続けるような修行を、帰還した鬼の御魂に課すのでござしました。冷たさは心の反影。火は闘争心、他者を打ち負かしたい心の反影。


修行は、次のようなものでございます。


まずは、地をゆっくりと沼に変えるのでございます。はじめは、足を踏み入れ少し緩いと気づく程度ですが、だんだんと、土は固さがなくなり、どんどんと身体が沼にはいっていくのでございます。ぬけられない泥にしてから、鼻の下まで泥で埋めるのでございます。身体は重い泥に囚われ動けないのでございます。


それから、次は雪を降らせ凍らせるのでございます。身体を埋めた土の方が鼻より上よりは温かく感じるのでございます。


しかし、あまりにも冷たい地上の温度がゆっくりと地下にも届き、全身ゆっくりと凍りつくのでございます。地上で生きた時に、他人に与えた冷たい心、差別心、虐めた心を感じるのでした。


そして、だんだんと、雪解けから温かくなり、灼熱の太陽で、氷を溶かすのでございます。助かったと思うのも束の間、沼を日照りにします。この熱さは、不当な戦いや闘いにより他者に傷を与えたからといえましょう。


肉体が亡くなった霊魂が、それらを感じる苦痛といったら、地上で生きた時に感じた欠乏感も、どんな渇望の気持ちも、大した事はなかった、反省のチャンスを無駄にしたと咽び泣くのでございます。自分と他人が実は一つから派生したに過ぎなかったとわかり、心底他者を区別した自らを悔いるのでした。


しかし、まだ容赦はございません。紅葉を司る神クレハ様が落ち葉を沢山降り積もらせたら、そこに火を点けるのでございます。地上界のような肉体はないので、火傷などの心配はございませんが、その苦しみは、地上でそれを受け死ぬ方がましだと思うのでございます。永遠に続くのですから。そして、また雪が積もるわけでございます。


その間に、自らが地上の世界で欲していた様々な欲のちっぽけさに、どの餓鬼達も必ず気づくのでございます。しかし、沼からはでる事が出来ないのでございます。


地中にうもった餓鬼達の中で、助けてください、許してください、とシテ様やクレハ様にお願いしても、埋もれた地中から出る事が出来ないのです。


肉体の無い世界は感覚だけが鋭敏であり、時間の概念が解き放たれていますから、底なし沼、無限地獄の様に感じるのでございます。


鬼神界を抜ける試験がございますが、それを受けに、地上界が用意されているのでございます。


様々な満たされない思い、飢えに身を投じた御魂が、地上に多い一因がここにあるのも事実でごさいます。


鬼神界の女神シテ様とクレハ様は、餓鬼達の中に芽生えた、心からの懺悔を見たときだけ、沼から掬いチャンスを与えたのでございますから。


しかし、地上での荒波にのまれ、また同じ事を繰り返す御魂に、落胆の念を感じざるを得ないのでございました。


地上界を卒業し、閻魔様に必見した御魂の中には、鬼神界を卒業して天上界に向かう御魂もある一方、鬼神界以上に厳しい救いようのない地獄の底なし沼に堕ちゆく御魂も存在します。


それらの縁ある御魂をシテ様もクレハ様も静かに見ておられるのでございます。


鬼神界にいらっしゃるシテ様とクレハ様は、地獄に落ちた御魂を1人残らず救い天国にあげたいという地蔵菩薩の化身でございました。






【画像はお借りしました】


龍神様

2022-10-13 06:24:00 | 神仏について

龍神様とお話ししたり、見えたりする方がおられますね。私はみたことも話したこともありませんが、いると思っています。


そこで、龍にまつわるお話しで興味深いものがありましたのでご紹介します。

詳しくはありませんが、易経なんかにもでてきます。

人生や、勉強とか、成し遂げたいことになぞらえるとわかりやすいかもですね。


第一段階「潜龍(せんりゅう)」


龍が雲を呼んで雨を降らす一大循環を創る為の準備段階で、確固たる志を抱く大切な期間です。


易では、潜龍用いるなかれとかいわれています。準備段階は、力を蓄える必要があり、操作的な意識をしないということみたいです。


また、沈鐘伝説でも、龍女が今は引き上げる時ではないから、と海の中で懇願する話がありました。



第ニ段階「見龍(けんりゅう)」


師を見習って学ぶ時期です。基本をしっかりと固めます。手取り足取り教えてもらえる時期はあまり長くないですね。職人の世界だけでなく、仕事は習うより真似ろ、みたいな感じですね。


第三段階「乾惕(けんてき)」


毎日同じことをやり技と応用を身に付ける時期です。勉強や修養、どんなことでも自分で毎日繰り返してこそ、自分の血肉となる気がします。

継続は力なりですね。克己心をもつこと、コツコツカツコツ。乾惕は自分次第ですね。


第四段階「躍龍(やくりゅう)」


勉学、修養、修行を積み重ね極め、独自性をもって天に昇りつめようという時期のようです。目に見えないものを自分の中で凝り固め、エネルギーにするイメージです。


第五段階「飛龍(ひりゅう)」


リーダーとしての能力を発揮して志を達成する時期のようで、何をやってもうまくいく時期のようです。

熊野にあります飛龍神社にいきました。左の木に龍神様が巻き付いておられるように見えます。






第六段階「亢龍(こうりゅう)」


自分のおごりが出てきて降る龍になる時期のようです。龍神様の神社に参拝したときに、昇り龍と降り龍が巻き付いていました。





品川神社




驕り、高慢は亢龍、亢悔(後悔)を生む引き金になりそうです。昇りきると降る、降りきると昇る、陰極まれは陽となる、振り子の振れ幅の大きな人生を龍で表しているのかもですね。驕りが出てきたら、自分自神が七支刀斧で己の我よしの魄をやっつけます。


以上


陰も陽も拘らずに偏らずに、振り子の両極端は忘却の彼方へ、そして悠々と自然に任せて泳ぐのが理想です😌




草場さんの絵より



振り子の振れ幅の大きな人生を歩む人がいます。生まれる前に設定したのかもしれませんが、陰極まれば陽となると信じて、今が良くなくてもコツコツ歩む、

陽極まれば陰転する、今が良い場合は、慎む心を持ちたいですね。


あとは、自分の心に鏡を感じて、現世(うつしよ)の世界ばかりうつして喜怒哀楽せずに、


自然のままに心に何がウツロウ(虚う)とも、心を虚にして、泰然といられるようになれるといいなぁと思います。