大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

富士山 迎久須志神社②

2023-08-15 06:28:00 | 神社仏閣

前回の富士久須志神社から、クスシ、クスについてです。




その言葉の響きから勝手に想像💭するものは☟です。


①地名の久須志(富士山、青森)

 神仏習合信仰から薬師、くすり

③九重天や扶桑などの中国神話から、地名の久住連山(大分県)、熊野の九重

④太古の民族ら国栖(古代ツチグモ)、葛

 九頭竜信仰のクズ

⑥古代信仰から銅鐸(クスミ)


①②についてです。

久須志ですが、「須(すべから)く久しいことを志す」と読めます。つまり、不死かなぁと思います。また、不二は、二つととない🟰「一」ですから、全てを纏める象徴「太一」のようなイメージです。太一とは、古代中国における宇宙の根元を表す概念で、天の中心に位置する神格であり、大一泰一太乙もいわれます。


太古富士には富士王朝があり徐福伝説があるようです。徐福は蓬莱山にある不老不死の仙薬を求め遥々海を渡ってきた話がありました。富士山は蓬莱山とも。

また、富士が「不死」とつながっているのは、かぐや姫の元になった『竹取物語』にも出てきます。


おじいさんが竹をとっていると竹の中から光り輝く美しい女の子が現れました。その子が成長し5人の若者たちから求婚されるのですが、かぐや姫から出される難問に撃沈してしまいます。最後に、帝が「后に来てくれ」と嘆願するも、かぐや姫は「私はこの世の者ではありません。もうすぐ使者がまいります」と言って、8月15日、月の光の中を昇天していくというお話です。この最後の場面に富士山が登場してくるのです。


今日は、815日。終戦記念日であると同時に、おとぎ話ではあるものの、かぐや姫が月の世界に還った日といえます。




姫は最後に「不死の薬」を帝に渡して天に昇りますが、「もう二度と姫に会えないのに私が長生きしても何の意味があろうか」と帝は嘆き悲しみ姫にもらった薬を富士山の頂上で燃やしてしまいます。

逢ふことも なみだに浮かぶ わが身には 死なぬ薬も なににかはせむ

そのときに詠んだ帝の歌です。


不死の薬の壷並べて、火をつけて燃やすべきよし仰せ姶ふ。そのよし承リて、つはものどもあまた具して山へ登りけるよりなん、その山をふじの山とは名付けける。その煙、いまだ雲の中へ立ち昇るとぞ言い伝へたる。


と竹取物語は締めくくります。


帝が「不死の薬」を山頂で焼いたから「フジの山」になったということと、もう1つ「つわものども🟰武士」がたくさん(富に🟰沢山)山に登ったから「富士の山」だという、2つ意味が「富士山」にかけられています。

死の薬についてですが、神仏習合の江戸時代、須走口の頂上には薬師堂が存在し、9合目には迎薬師如来が安置されていたようです。




明治時代に入ると神仏分離令によって、

ヤクシ→クスシとなり、迎久須志之神社となり、迎薬師如来にかわり、御祭神は、薬事・医療を司る神・大己貴命と少彦名命の2柱が祀られているようです。

富士、不死の仙薬、薬。

噴火を繰り返す山だった富士山。多大な被害やそれに伴う疫病などもあったのだと思います。祈りと久須志の神。神仏習合では薬師如来。薬師如来は月光菩薩と日光菩薩とともにいる如来様。


大善寺ホームページより


富士山からは日の出も月も美しかったです。

そして富士山は人智で計り知れない、二つとない癒しのような気の薬が富んだ山のようにも思えました。


つづく


富士山 久須志神社 クスについて

2023-08-13 09:10:00 | 神社仏閣

富士山9合目に久須志神社がありました。


クスについては、「クスビ(クスヒ)」は「奇し霊」(神秘的な神霊)もしくは「奇し火」のことのようでクスを御神名に持つ神様に


『古事記』では熊野久須毘命

『日本書紀』では熊野櫲樟日命

(クマノクスヒ)がいらっしゃいます。


「クマノ」は、出雲熊野大社のこととも、紀伊熊野三山のことともされるようで、熊野大社の現在の祭神は「熊野大神櫛御気野命」ですが、元々の祭神はクマノクスビであったとする説があるようです。


熊野三山の一つの熊野那智大社和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)の祭神・熊野夫須美大神は伊弉冉尊のこととされるようですが、これもクマノクスビであるようです。


熊野は「ゆや🟰湯谷」とよばれ、太陽が湯浴みをする扶桑の木があるところでした。扶桑とは中国神話の「東海日出る国に生じる神木」を指し、日本の異称としても使われましたし、日月神事にも、日本は扶桑の国の表記がありました。

富士山の、8合目天拝宮で偶然「扶桑」を目にし、また、久須志神社を9合目にて参拝したことから、霊山である富士山は、熊野や古代出雲と繋がりがあるのかな、と思いしました。


また、蝦夷が住んだとされる東北のさらに奥、アラハバキ信仰や磐座信仰の痕跡が残る青森市内にも、久須志神社が三か所あることがわかりました。青森の石木山は津軽富士とよばれる神奈備山があります。






石木山の頂上や登山道周辺には多くの巨石が見られ、中でも岩木山の北東方向(艮の方向)の大石神社の大石は御神体として信仰されているようです。


久須志という住所も青森にあり、住所を名乗っているのは、富士山からはるか離れた青森市だけのようです。


クスの響きから、古代史好きな私は様々な連想をします。


クス(クズ)から想像💭するものを書いておきます。そして、それらを少しずつ繋いでみたいと思います。


①地名の久須志(富士山、青森)

②九頭竜信仰のクズ

③九重天や扶桑などの中国神話から、地名の久住連山(大分県)、熊野の九重

④太古の民族ら国栖(古代ツチグモ)、葛

⑤神仏習合信仰から薬師、くすり

⑥古代信仰から銅鐸(クスミ)



これらは、バラバラな点のようですが結びついている気がします。




信仰の山 富士山

2023-08-12 07:24:00 | 神社仏閣

私が今回ご一緒した富士山ガイドさんに初めて話しかけられたのは、年末富士山神社5社巡りツアーの最初、富士吉田市の北口本宮冨士浅間神社の「角行の立行石」(かくぎょうのたちぎょういし)前でした。お互い客として参加していました。



角行とは、富士山を信仰する集団「富士講」の開祖です。角行は、長崎にうまれ、天下の泰平と国土の安穏、衆生の救済を願って難行苦業の道に入り、わずか18歳で岩手県盤井郡の「脫骨の窟」にて37日の行をなし、のち神のお告げをうけて富士の「人穴」にこもり、1000日もの荒行を成し遂げ解脱します。この修行を終えた角行は、超長齢の106歳にて大往生します。

生まれてから亡くなるまでの間、不眠の修行が18800日、立行3000日、断食300日、造字360字、富士登頂128回と言われています。


角行の教えは弟子へと引き継がれ、江戸時代中期には「富士講」として関東を中心に大流行し、多くの人々が富士登山や富士五湖等の霊地への巡礼を行うようになりました。富士講の説明は5合目登山前にガイドさんからありました。沢山の富士講が今もいます。


その中で扶桑教の旗をさして、ガイドさんは、女性の登山を可能にした話をしてくださいました。


明治になるまで、女性の山頂登山は禁止されていました。明治以降に解禁となり、また鉄道や道路網の発達により多くの登山者が山頂を目指すようになりました。

扶桑教についてのパンフは8合目冨士山天拝宮で鈴を購入の際頂きました。



日本人は、噴火を繰り返す富士山を神が宿る山として畏れ、噴火を鎮めるために麓に浅間神社を建立しました。噴火活動が沈静化する平安時代後期になると富士山は、山岳信仰と密教等が習合した「修験道」の道場となったようです。


角行より前、12世紀前半に活躍した修行僧の末代上人(まつだいしょうにん)🟰富士上人は、山頂に大日寺を築きます。

室町時代後半には、修験者とともに一般庶民も登拝するようになり、戦国時代には、角行が新たな富士山信仰を教義としてまとめます。


吉田口登山道八合目に、冨士山天拝宮がありました。烏帽子岩神社は、冨士山天拝宮の奥に鎮座していました。




この烏帽子岩は冨士講中興の祖である、角行の4代後に指示した、伊藤 伊兵衛🟰行身禄が断食修行により入定した霊跡で、冨士山天拝宮によって管理されています。


富士吉田市出身、富士山登山100回以上、富士山をこよなく愛すガイドさんは、食行身禄の説明をしてくださいました。その時、「富士に死す」という本をぜひ読んでみてくださいと言っていましたので早速購入。



少しだけ紹介します。☟


角行が富士山麓の人穴にこもって荒修行して、富士行即ち富士講の基礎を固めて以来、富士信仰は急速に大衆化したのである。「角行様から数えて五代目が二つに分派したというのですね。するとそのどちらが、角行様の正統を継ぐ行者様なのでしょうか」「だから、両方だと言ったでしょう。四代目月旺様は月心様と月行様とを御膝元に呼ばれて、私が死んだら、月心は初代角行様の教えを固く守れ、月行は初代角行様の教えを開けと仰せられました。そして去年亡くなられた。、、、」


この4代目月旺様から5代目月心様と月行様のあたりの冨士講から、伊藤伊兵衛🟰行身禄が出たのですね。


ガイドさん、まるで行者さんのようでした。冨士浅間大神への祈りと感謝をよく述べておられました。76歳のガイドさんが学生の時は、富士山泊まり込みの山小屋バイトをしていたようです。富士山登山中、宮司さんから山小屋の方々に至るまで顔見知りがいて、笑顔で話していました。


それと、ガイドさんは不思議と天気の変化をいいあてました。わかるんですか?ってきくと長年の勘のようなものがあるようです。


「富士に死す」の著書の中から

気を知ればこそ、山は荒れると申しておるのだ」 行者は言った。「気とは?」 

初老の男は問いつめようとした。「気とは即ち万象の呼吸よ、万象の息遣いのことよ」「風のことでございますか」「風もある。だが風ばかりではない。雲もある。空の色もある。温、暖、温気(湿気)も、気の呼吸よ。気の呼吸に合わせて呼吸をせよ、明日の天気がどうなるか分るのだ」 


昨年末の出会いがなければ2023年フジサンの年に登山することも無かったと思います。





出会いに感謝。ありがとうございました。

富士山ご来光館からの朧月夜

2023-08-11 06:35:00 | 神仏について

富士山日の出館で日の出のご来光を仰いだ次の日は、ご来光館にて宿泊します。ゆっくりペースだからか酷い高山病になることもありませんでした。


富士山と太陽(日の出)の次は、富士山と朧月夜を。不思議と優しく、また、雷光を誘なって水を地上から吸い上げ雲をつくるような月でした。






深夜山小屋には激しい雹❄️のような雨がうちつけ、大きな雷の音は山小屋の中にも轟いていました。



日本は天照大御神、太陽を尊びます。

「太陽」の対語が「太陰」で、これこそ月の別称です。


砂漠地帯から誕生したと言えるイスラム教を信奉する諸国は、「月」を尊びます。


砂漠の国では、酷暑の昼を作り出す太陽(時には死すらイメージさせる存在)より、それが和らぐ夜、冷たく輝く月と星こそが安らぎと幸福の象徴です。


月の満ち欠けと、潮の満ち干や女性の月経との相関関係、陰陽の陰。女性的なイメージを月は孕みます。


イスラム教の国で、訪れたことのある国、トルコ。国旗には赤地に白い三日月と星が布置されています🇹🇷。「夜」が象徴として採られ、太陽がでる「昼」を採っている日本国旗🇯🇵とは正反対です。両国はとても友好です。


イスラム暦は太陰暦であり、日本もかつては太陰暦を採用していました。


富士山は日本の山ですが、

朧月夜とその後の雷雨に、

日本代表として世界の様々な霊山と共に、

壮大な地球🌏の大いなる運行を静かに

辺りを美しく照らしながら、ただ黙々としているようでした。












富士山の御祭神はコノハノサクヤヒメ。

かぐや姫(鹿屋姫)はコノハノサクヤヒメのお母さまとも言われています。


また、カモ氏出身の高照姫(御歳神)、下照姫もかぐや姫の逸話に織り交ぜられているとも。


富士山からみる朧月のように優しくまた、どこか物憂げな一面に、かぐや姫を思い浮かべました。🌕




富士山からの雲

2023-08-10 05:37:00 | 神仏について

水蒸気が上昇し冷やされ雲になります。

真夏の富士山からは様々な雲を拝めました。












鱗状またはさざ波状の形をした「うろこ雲」、「いわし雲」は、嵐の前触れともいわれており、「うろこ雲が一面に広がると3日以内に雨」という言葉があるようです。












この日は暑くて、快晴で雨が降るとは思っていませんでしたが、真夜中雷雨になりました。








時には、登山中に雲のミストの中にいる感覚を覚え、









疲れた身体には気持ちよく感じました。


風や光が、様々な雲と饗宴し、

時には龍雲のような姿にさえ見えました。















雲は富士山の息のように感じました。