妹と人生初富士登山をしました。
一言ではいい表せない感動がありました。
登山という名の、私達にとってのご神業は、実は少し前の鳴門、淡路島からスタートし、三輪山登拝から富士山へ一連の繋がりがありました。
富士山に登ることは早めに決まっていましたが、その前にどうしても淡路島にいって水をいただきたいと妹が言います。
富士山は火の山だとすると、鳴門の水を撒いて水火を混ぜたいと。私たちは、淡路島とさらには三輪山の御神水を富士山の頂上にまく!これを目標に安全に気をつけて登拝しようと決めました。
1日目は、7合目の日の出館まで。5合目からスタートです。先ずは神様にご挨拶。
5合目で宮司さんが、富士山に雨がなくカラカラだと言っておられました。確かに地面は土ぼこりが舞うほど乾燥していました。
7合目までは体力も消耗していなくて比較的楽に辿り着きました。暑かったですね。半袖が汗ばむ陽気でした。
子供が小さいころは、登山もしないのに、このザック↑にぱんぱんにオムツやら着替えを入れて、ベビーカーを夫と私で2つ押して自由旅行していました。
本格登山に使ったのは正直初めてでした。旅行用ザックが本来の役目を初めて果たしました。
久々の登場でしたが、誰よりも本格登山してそうな大きさでしたね。参加者の皆さんに比べてダントツ素人ナノニ🤭
山ガールや山男の先輩方に、ザックの背負い方やら、靴紐の縛り方なんかを教わりました。平均年齢60から70くらいの山ガール山男の皆さんと一緒に楽しく登りました。
ガイドさんとは、昨年末偶然ご一緒したツアーで客同士でしたが知り合いました。その後、高尾山も登りました。
富士山裾野に生まれ、富士山をこよなく愛し、富士山にも愛されている方、人を喜ばせることで自身も喜ぶ、そんな御方です❤️
富士山の山小屋ってどんな感じかなぁ、、と興味津々だったのですが、私のお隣、おじさんでした。私もおばさんだし、気にせず爆睡です。💤 混んでる時はありえます。宿があること、食事を出してもらえること、トイレが使えることに感謝です。
環境変化に眠れなかった方もメンバーにはいました。私は、よく寝るのでこういう場所や深夜バスとかは、困りません。
淡路島と三輪山の御神水の他に、飲料も持参しましたから結構重い荷物になり、なんとか肩も痛くなるし減そうと、無理に1日目山小屋でお茶を飲んだりしていました。
しかし、7合目からあとはキツいので、飲料水は必要ですね。沢山ある途中の山小屋で買うことは出来ますが、1本500円から小屋によっては700円します。
あと、外国人は本当に多かったですね。
気温、天気の変化についてですが、半袖で汗ばむ陽気から、フリースとウィンドブレーカーを着ても凍えそうな気温の変化が今回ありました。
登山中、タンクトップや、ノースリーブ、なんとワンピースにサンダルの方も見かけましたけれど、、個人的には危険だと感じました。
靴も本当に大切だなと感じました。
吉田ルートは岩場も沢山ありました。
昨日、九重は中国由来の道教との関係があると紹介しましたが、地名では熊野川九重や、大分の山々九重連山が九重繋がりでしたので、今日は熊野の命名について、中国神話との関係があるかもということを書いてみたいと思います。これは、私の勝手な推測なので確かではありません。
日本伝統芸能の能の一つに「湯谷」(ゆや)というものがあり、これは「熊野」と書き、これで「ゆや」と読みます。
太陽樹・扶桑のある所を湯谷(ようこく)と言います。
太陽がかつて十あったという中国神話があり、それを射ってひとつにした射日神話がありました。(扶桑と9つの太陽 中国の神話より)
湯の湧く谷の上に扶桑があり、扶桑は10個の太陽が湯浴みをするところでした。水の中に大木があって、9個の太陽は下の枝にあり、上の枝には1個の太陽が今にも姿を現そうとしている
『山海経 』-「海外東経」より
山の上に扶木がある。高さは300里、その葉は芥菜(からしな)のようである。そこにある谷は湯谷(湯のある谷)といい、上に扶木がある。
1個の太陽がやって来ると、1個の太陽が出ていく。太陽はみな烏を載せている。
「大荒東経」より
この烏が、八咫烏ですね。
熊野の三本足のカラスは「八咫烏」(やたがらす)として有名です。熊野を、ユヤ🟰湯谷とよむことから、このお話の起源は中国神話に見出せます。木の生い茂る熊野(ゆや)は扶桑なのかもしれません。
扶桑は日本にあるとあります。
また、先日富士山に登拝しましたが、そこでも扶桑を目にしました。(後日記載予定。)
熊野と「金烏」(きんう:三本足のカラスであり太陽のこと)ですが、八咫烏は、日本神話において、神武天皇を大和の橿原まで案内したとされており、導きの神として信仰され、また、太陽の化身ともされています。
熊野三山においてカラスはミサキ神(死霊が鎮められたもの。 神使 。日本の神、悪霊、精霊などの神霊の出現前に現れる霊的存在の総称である。名称は主神の先鋒を意味する「御先」(みさき)に由来する。)とされており、八咫烏は熊野大神(素盞鳴尊)に仕える存在として信仰されており、熊野のシンボルです。
能の演目の中に、「熊野」とも書き、これで「ゆや」と読むものがあるとしり、早速youtube で見てみました。
能らしい能として、とても人気で、古来「熊野松風に米の飯」(『熊野』(ゆや)と『松風』は、米飯と同じく何度観ても飽きず、王道である、の意)と賞賛されてきたようです。
ご紹介します。☟
「霊光夜射九重天」「竜女神珠不直銭」漢字から推測するに、
「霊光夜射九重天」は、霊なる光は、夜、九重の天を射ると読めます。
また、
「竜女神珠不直銭」は、龍女が持つ神の珠は、銭(お金)ではない、、と読めるかな。
神珠は、剣珠や如意宝珠のことだと思われます。如意宝珠はこころそのまま宝の珠。心🟰宝珠と思われます。
心の清らかさしか、天には響かない、と私は感じました。お金?そんなものは天には無価値。心が珠であれば剣🗡️となり天に届く、轟くのかも。
九重天とは、
1 天の最も高い所。九天。
また、九重とは
1 いくえにも重なること。「錦衣―」
2 宮中。宮廷。ここのえ。
とありました。
日本語は不思議です。九重と宮中。言霊の響きがにています。道教の教えか、道の教えが皇室の伝統の中に残っている気もしています。皇室は神道ですから、神の道ですね。
九天は道教が考える神々が住む空間であり、それに応じて魅力的な神々が住んでいるようです。
1. 九天
中国の伝統では、空には九つの天があると言われており、九中天の「九」という文字は、単数の中で最大の数であるため「限界」を意味します。
久住神社の御祭神も健男霜凝日子神
竹田市では2泊宿泊をして、近くの祖母山に登りました。素晴らしい地でした。健男霜凝日子神をお祀りする頂上は天国でした。
いつものことながら、またワカメが海中を漂い始めました。
頭がワケワカメ ユラユラ
三輪山登拝後は、三輪そうめんを食べました。暑い日でしたから、喉越しがよく、本当に美味しかったです。
その後、帰途には少し時間があるし、どうしようかなぁと思いましたが、話し合って六甲ヒメ神社に参拝する事にしました。妹は二回目で、私は初めてです。
六甲比咩神社は、祓戸筆頭、水の女神
瀬織津姫をお祀りします。
西宮の六甲山に以前いった時には越木岩神社や如意尼の神呪寺を参拝しました。六甲山は磐座が沢山あって、古代からの祈りの場だと感じました。
また、西宮にあります廣田神社は、今は天照大神荒御魂を主祭神としていますが、昔の御祭神は瀬織津姫だったようです。
廣田神社の御神体の神鏡は、元は宮中の賢所に祀られていたようですが、武内宿禰・神功皇后の御代に廣田神社にかえしたことが、廣田神社由緒書きに記されているようですね。
また、廣田神社の宝物には、剣珠があるようです。「日本書紀」に、「神功皇后が関門海峡長門豊浦の津に泊まり、海中より如意珠(こころままのたま)を得らると、見ゆるも是なり」とあり、八幡大神(應神天皇)、神功皇后に戦勝を授け、高野山を鳴動させた神通の霊宝として著名なものだと紹介されていました。
剣の形の現れたことから、剣珠と称され、現存する日本最高最古の如意宝珠のようです。
廣田神社ホームページより
『元亨釈書』の中の、甲山神呪寺の開基、如意尼の伝に、海中より得たる《如意宝珠= 劔珠》の件は記録されているようです。
空海の愛弟子、如意尼は真名井神社と縁深く、龍女のように感じています。
また、室町時代、五山文学の雄僧絶海中津は著書『蕉堅稿』の中で「所劔珠者絶世之奇観也」(←珠の中に剣があるのは世にもふしぎだたなぁ、、という意味かな?)と紹介し、
同じく室町時代の著名禅僧義堂周信もその書『空華集』に「霊光夜射九重天」「竜女神珠不直銭」と称賛しているとありました。
このお二人の僧、義堂 絶海は、母の故郷、高知県津野山出身で、十牛図を日本で紹介した御方です。
高知県津野町、津野山は龍仙界だと思っていますから、山奥の田舎から室町時代五山文学のトップがでたのを知った時には、津野山の龍神様の背に乗って飛んで行ったのかなぁと思いました。
瀬織津姫といえば、関東では、小野神社の主祭神でした。和邇氏や、龍神様に関連ある豊玉姫を想起させます。
また、伊勢神宮内宮別宮、荒祭宮の祭神の別名が「瀬織津姫」です。
荒祭宮は、かつては正宮に位置していたと推定されるとあります。伊勢神宮公式の由緒書きによると、御魂は、元は二宮に並べてお祭りされていたとあるようで、昔は式年遷宮のたびに位置を替えるのではなく、常に東に位置する正宮は天照大神、西に位置する正宮は瀬織津姫を祀っていたとWikipediaにはありました。西宮という地名の由来は、瀬織津姫様の坐す西に位置する宮、なのかもですね😌。勝手な空想かもしれませんが。
六甲ヒメ神社を管理されているお方がおり、神社の由来を色々お話をしてくださいました。宮司さんなのかはわかりませんが、とても宮を大切に思われていました。昔は常に伊勢神宮でニ宮並べて祀られており明治以降に?(☜記憶が曖昧、、)一宮に変えられたけれど、本来は二宮並べるのが望ましいとも言っておられました。
六甲比命大善神社は、女性的な優しい気を放つ神社です。
瀬織津姫様は饒速日命との関連もあると言われているようですね。夫婦神ということでしょう。
饒速日命が火、太陽、日なら、瀬織津姫は水、月というイメージですね。太陽(日)と月。水と火。調和。和。
お幸せに❤️