大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

久しぶりの十里桃花

2024-01-12 06:23:00 | 十里桃花

このブログを書き始めのころ、十里桃花について書いていました。中国のドラマなのですが、58話あってなかなかの長編です。


私はこのドラマが好きで今年もこりずに4回目を観ています。浄化ドラマです。笑

また観てるの!?とびっくりされます。

神仙ものなのですが、おそらくこのストーリーを書いた方は、道教や仏教を学んでいるように感じます。道教のお経や神様の名前もでてきます。


ドラマの中では長いスパンで善因善果、悪因悪果が表されています。悪魔のような存在も、初めから悪ではありません。一点の心の塵がどんどん悪に変化します。

自分の人生が悪くなっていくことを全て他人のせいにします。

一方、天界の神様は悪い事が起きたら何事も全て自らを省みる材料とします。


神様の中でも皆から尊敬された神様が原子爆弾のような御神器を封印し人類を救う為に、己の元神を差し出す場面があります。神様の魂が散ってしまい、肉体だけの抜け殻になります。魂の粉砕は死んだも同然です。


その神様の肉体(器)に忠誠の弟子が心血を注ぎます。神様の肉体は、誠の思いが届き朽ちずに眠り続けます。その後、肉体に魂のかけらが復活します。しかし、そうなるには数万年の年月が必要でした。一滴の魂がどれ程大切かを考えさせてくれます。


神様の魂が戻ってきた時に、霊山である昆倫山に神の剣が復活する場面があります。

それを観たとき、富雄丸山古墳でみつかった剣を思いだしました。あの剣🗡️は、地球神の復活みたいだなと勝手にドラマとリンクさせました。笑

原子爆弾とか原子力発電の事故や、戦争や人同士の争いで苦しめられつづけた地球を、ずっとお支えになる地球神🌏国常立神を思います。


十里桃花の中で、神様の修練の力が悪と対峙して少なくなった際に、人間界に修練にいく場面があります。様々な迷いが生まれやすい人間界で修養する方が力が回復するようなのです。


しかし、人間界に降りる前に記憶を消されるので、リスクは大です。輪廻の苦海といわれるくらいですから、そこに堕ちるというのはリスクが沢山あります。帝君と呼ばれた神様が、修練の力を取り戻す為に人間界にいきますが、人間界で愛の試練に苦しみ、天界に戻った際、逆に9割もの力を失った場面もありました。


人間界では、その人間の運命はある程度は決まっていました。凄い神様ほど、運命は空白で自由度がありました。命運や刧数は実際にある程度あるけれど、人にはそれを超えるチャンスもあるのだなあと感じました。よく当たる占いなんかは、その命数をみているのかもですね。私は占いはしませんが😌。


また、人間界は天上界で罪を犯した神が落とされる所のようにも描かれていました。かぐや姫のお話もそうでした。人間界から月の世界へかえる時に、侍従のものがかぐや姫に言います。

こんな所からはさっさと還りましょう。


人間界って、「こんな所」なんでしょうか。


人間界って、確かに色々あります。

戦争、闘争、差別、虐め、ネットの陰湿な書き込み。熾烈な競争社会。全て自らと他者を区別する心からです。


この世に生まれた瞬間、臍の緒が切られた瞬間、人は安心できる母と(私の場合妹とも)の一体感から分離され存在が区別されます。生まれたら名前が与えられます。他と区別するためですが、その後も「名声」「名誉」「肩書き」などなど、沢山のものを更に求めようとする人もいます。一方それらが無いことで、持っている人を羨むのも同じく区別心からかなと思います。


成長しながら見える景色の中で、自分の心を修めるのって大変かもしれません。また、何故生まれてきたのかを知るのも、そう簡単ではありません。


ただ、この世界に生まれた時点で、立身性命のスタートなわけなので、あとどれくらいあるかはわからないけれど、この世を卒業するまで心を慎重に観ながら道に還る生き方を選びたいです。


分け隔てなく区別せず全てを生かそうとする地球に、そのまま身魂が返せるように吾が心を修め、大地に、自然に、天に、地球に、それらを包みこむ名もなきサムシンググレイト、グレイトゴッドに感謝して生きたいなぁと、神々のドラマを観ながら思いました。




忍野八海

2024-01-05 11:35:00 | ひとりごと

綺麗な水には魚もすまないといわれますが、魚がすむ綺麗な水が忍野八海にあります。2024年元旦撮影したものです。





忍野八海は8か所の湧泉群で、富士山の伏流水と、杓子山から石割山にかけての山麓からの伏流水を水源としているみたいです。

石割山は一昨年末に妹と登拝しました。石の割れ目から確かに水がでていて、あの水もここにつながっているのですね。


昨年は富士山に登拝しました。富士山で見た山中湖は勾玉の形をしていましたが、忍野八海からの湧水は山中湖を水源とする桂川へと合流するようです。



2024.1.1 山中湖


一滴の水は、地から湧き出て合流し、沸き上がり、温められて和気あがり天に還りまた地に注ぎ潤します。


辰年は龍を想起させますが、忍野八海の鯉は純粋な真水に棲む龍の化身のような美しさがありました。蒼龍、白龍、黄龍のこの世での御姿のようにもみえました。







鯉は滝を昇り登竜門を通り龍となる伝説があります。

昇龍のように、こんな時こそ、どんなこともその一点からあがっていくような気を持ちたいです。


今年の目標は、浄化です。先ずは自身を日々浄化できるといいなと思います。積もっている識慮の濁、穢れを祓うのを日々自身で出来るよう静かに心を鎮めます。

坐を続けます。

鎮心、心を鎮め修めます。

鎮心経も心をこめて誦えます。


災害が多発しています。坐や祈りの力が多くの人に拡まればと思います。そして外の災刧も鎮まるように祈りの力も信じます。


災害に遭われた皆様に心よりお悔やみ申し上げます。一日も早く復興しますように心から祈ります。




辰年スタート

2024-01-01 08:44:00 | 神社仏閣

年明けは、はじめて神社側からむかえました。

地元の奉賛会の会長さんとの出会いから年末年始、神社のお手伝いをさせていただくことに。


家族と大晦日の食事をした後、紅白歌合戦を途中で切り上げ、ひとり地元の神社に向かいます。以前姉妹で登拝しました、御嶽神社とも縁がある神社で、武蔵御嶽神社の摂社もあります。


御朱印の書き置きを用意したり。初売りで売る物品を準備したりしました。


地元で生まれ育ち、この地の変遷を見てきた高齢のみなさんが、15名ほど神社に集まり切り盛りしてくださっています。幼い頃からの同窓生のようです。


神主さんが常駐する神社ではないため、奉賛会が常日頃は神社の事を色々やっています。

こうした方々の表立っては見えないお陰様の力があっての神社なのだとつくづく感じました。


年末も、皆さんは準備を沢山していましたし、正月三日日、ずっと神社ボランティアで参拝客に対応するようです。


ある方が、

「私は56歳から、かれこれ20年もやってる。神仏への信仰心が高い方ではないんだけどね。」

と笑いながら話してくれました。


私は、その20年ずっとボランティアで神社の為に行動する行為と姿勢自体がとても素晴らしく、信仰心が高めと自負する私などは、その御方の足元にも及ばないようにも思えました。


70代の皆さんが地元の神社を支えていますが、口々に、高齢化で、この先どうしようか、50代くらいの人に引き継ぎをしないとだけど、なかなか若手が集まらないんだよね、、と仰います。 


どうにかならないかなぁと。昔から世代交代しながら地元の神社を支えていたようです。話しを聞くと、その方々のお爺さんの写真も神社にあり、戦後からあった神社を支えていたといいます。はじめは小さなお宮だったのが、土地の寄贈やお宮を大きく立て替えたり、など、変遷が社務所の写真に残されていました。


働き盛りの若手は、年末まで仕事し、年末年始はゆっくりし、参拝はしても主催者側を引き受けるには腰がひける、40代、50代、はそんなお年頃かもしれませんね。その年代の方々が積極的に参画するのは難しい😓のかもしれません。


神社を支えて継続させるのは、とても大変なんだなぁと、たった数時間の会話の中、新年を迎える準備をしながら皆さんと話しただけでも感じました。


夜中3時まで社務所にいました。参列者の中には地元の議員さんもいらっしゃいました。日頃ポスターで見かけるお顔の方々が、会長さんに挨拶されていました。その中でも、◯さんは、議員さんの中でも一番よくこの神社に足を運んでくれるんですよ、、とか、言ってました。


その方は、皆さまのお陰様で、、と地元の街頭で一番よくみかける方でした。


政治に疎い私ですが、結びつきってどういう世界でも大切で、心は行動にあらわれるんだなぁと、感じました。


辰年が皆様にとりまして素晴らしい一年となりますように。