愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

続・「財源」論のうそとペテンのテクニックを斬る!

2008年12月03日 08時12分23秒 | JCPの活動、国民運動、国内の政治・経済等
 政府・自公政権は、特に社会保障・福祉の充実など国民生活を守り向上させるための要求を握りつぶす論理としてなかば、紋切り型に「財源がない」という論理を繰り出してきます。しかし、これは自らが国民生活の向上を図ろうという気がないことを覆い隠すためのごまかしです。

 国家財政のことを考えるときにはまず、国家というものがどのようにして行政活動に必用な金銭を調達し(税制のあり方)、どのようにして調達した金銭を使うか(税金の使い道)ということを見ることが大切です。この論点から切り離したところに「財源」があるわけではありません。

 消費税が導入されたのは竹下内閣のときでした(1989年4月1日施行)。
このときの理由が「福祉」でした。消費税法が施工されて20年が経ちますがこの間、社会保障・福祉制度が少しでも良くなったでしょうか。答えはあきらかに"NO"です。制度は、悪くなっています。例えば、健康保険法を見るだけでも一目瞭然です。昔は、健康保険の被保険者本人は、病院、診療所で受診しても窓口負担はありませんでした。私が物心ついたときにはすでに病院、診療所での窓口負担は1割でした。その後、病院、診療所での窓口負担が2割となり、2003年(平成15年)4月1日からは、3割の窓口負担となっております。その他にも差額ベッド代がもたらされ、今となっては世界にも例のない高齢者への医療差別、後期高齢者医療制度(長寿医療制度という名の姥捨て法。)が施行されています。年金制度を見ても改悪されているのは、明白です。昔は、夏や冬の一時金からは厚生年金保険料は徴収されませんでしたが今では徴収されます。徴収される額に見合って年金制度が充実したというならまだしも、実態はマクロ経済スライドの導入に見られるように国民から徴収する保険料を多くしておきながら、いざ給付する段階になって年金給付の水準を自動的に低く押し下げる仕組みを歴代政府は作っていきました。

 上記のことを考えるだけでも、社会保障・福祉の「財源」を口実にした消費税の導入やこれを増税する論理のでたらめさが明確に分かってきます。

 根本的な問題としてあきらかにしておくべきことがあります。それは、消費税等逆進性の強いものを社会保障や福祉の「財源」にしよう、という発想が根本的に間違っているということです。社会保障・福祉制度の役割として、所得の再分配というのがあります。

 では、なぜ所得の再分配が必要なのでしょうか。

 それは、資本主義社会においては、市場における競争の結果、いわゆる格差というものが拡大するからです。ここで言う格差とは、年収1億円の人と年収10億円の人がいる、というような相対的な格差ではなく、極めて高額な所得を得る人がいる一方で日々を生きることにすら困窮する人がいる、という絶対的な格差のことです。日本共産党が「貧困と格差の拡大」という言葉を使うのは、日本において貧困という絶対的な格差が存在していてこれを正面から問題視しており、これをなくすことを広範な人々の訴えているからです。話がそれましたが、貧困の拡大は、犯罪の増加、その他さまざまな社会不安をもたらします。そのような社会においては、まず労働者階級の戦いが広がっていきます(もちろん自動的にということではないです)。状況いかんによっては、労働者階級の戦いは、革命につながります。こういう事態は資本家階級にとって由々しきことです。こうして、労働者階級は、階級的利益を守り、向上させるべく社会変革を志向し、資本家階級は資本主義社会の延命を図るために、世界のさまざまな資本主義国家においてさまざまな社会保障・福祉制度が生まれてきます。つまり、労働者階級と資本家階級との妥協の産物として現在における社会保障・福祉制度などの所得の再分配の仕組みが存在するわけです。

 労働者階級と資本家階級とでは相容れない階級的利害を持ち、それゆえ社会保障・福祉制度にたいする階級的思惑はまったく違いますが、社会保障・福祉制度そのもの必要性を完全に否定することが資本家階級でさえ今日の資本主義社会においてはできなくなっています。

 それでは、所得の再分配にふさわしい税制のあり方はどのようなものでしょうか。

 各種社会保障・福祉制度が所得の再分配の機能を果たすためには、税制のあり方が累進課税制度を基本とする応能負担の原則によらなければなりません。累進課税制度というのは、課税所得(収入から社会保険、そのほか法律で定められた各種支払い、事業を営んでいる人(法人含む)の場合事業経費を差し引いた額)の多い人ほど納税金額の絶対的な額及び課税する率を高く設定した税法体系です(もちろん最高税率は法律で定められています)。所得が低い人の場合は治める額はもちろん所得に対する税率そのものが低く抑えられています。所得が高い人は、それだけ担税力が高いわけですし、また、所得の高い人や企業は自身の行動に対する社会への影響が高いわけです。だからこそ、自身の行動による社会への影響に見合った責任の一端を納税により、所得の高い人、企業には社会的責任を果たしてもらう、これが累進課税制度の本旨です。累進課税制度と各種社会保障制度・福祉制度とが有機的に結びつける施策を国家が行なえば、累進課税制度が社会が社会を守る仕組みとして、所得再分配の役割を果たしていきます。

 所得税や法人税のような累進課税制度と対照的に逆進性が極めて強いのが一般消費税です。現在の消費税は、日常生活で購入するほとんどのものに課税されるので、一般消費税としての性格を持っています。逆進性が強いというのは、低所得者ほど負担が重くのしかかっていくということです。現行の消費税は、食料品など人々が社会生活を営んでいくための生活必需品にまで消費税が課せられます。生活保護世帯、そのほか所得が低い人でも生きていくためには、当然食料品を購入するわけですし、そのほかにも最低限の生活必需品(洗剤や衣料品、その他雑費)を購入せざるを得ません。生活保護を受ける状態は、あきらかに担税力に欠けるといえます(生活扶助から税金などは引かれないし、国民年金の保険料は法定免除を受けます)。ところが、消費税は生活保護を受けている人やそのボーダーライン上にいる低所得者が生活必需品を購入する場合にも、同じ値段のものを買えば、高額所得者と同じ金額の税金を課せられます。生活必需品、特に食料品は生きていくためには買わざるを得ないわけですから、必然的に所得が低い人にほど重くのしかかっていくわけです。


 政府・自公政権は、社会保障を口実に消費税増税に固執しています。民主党も確かに、11月30日の首相の(3年後の)消費税増税発言を批判してはいるものの、消費税増税を明確に批判していません。さらに、民主党は財界の前では消費税増税に関して「いずれは必要」という態度をとっています。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-11-09/2008110901_02_0.html

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-01-06/02_02.html

 消費税が生活必需品にまで容赦なく課税されることから、社会保障や福祉の財源とするというのは、本末転倒です。応能負担の原則に即した累進課税制度を税制の基本とし、社会保障を国家予算の主役にすえてこそ社会保障・福祉制度が所得再分配の役割を果たし、貧困の解消へ一歩近づけていくのであって、逆進性の極めて強い消費税をもっぱら社会保障・福祉制度の「財源」とし、予算の主役を社会保障・福祉にすることに背を向ければ、社会保障・福祉制度の所得再分配の機能が根本から損なわれてしまいます。政府・自公政権や民主党のように社会保障・福祉制度の「財源」を口実にするようでは、貧困と格差の拡大から国民生活を守る立場とは言えず、むしろ真逆の立場にあると言わざるを得ません。

 消費税が導入されて以降、国民から徴収された消費税額は延べ189兆円にもなります。一方で大企業や大銀行への優遇による法人税の減収額は159兆円にもなります。結局のところは、大企業や大銀行からの減収分が消費税によって穴埋めされているわけです。

 国家予算は(他の費用についてもいえることですが)、国会の議決を経て決定されます。社会保障・福祉予算は国会での予算審議の過程でどのくらいの金額を回すかが決まってくるのです。消費税がどのくらいはいるから社会保障・福祉予算はいくらくらいになる、というような審議のされ方が国会で行なわれているのではありません。

 また、小泉内閣の骨太方針によりこの5年間で社会保障費が毎年2200億円も削減されてきました(社会の高齢化による自然増分まで減らしたということ)。小泉構造改革の名のもと、社会保障費を削減しておいて「財源」がないという言い分は欺瞞に満ちたもの以外のなにものでもありません。
NPO法人もやいの事務局長・湯浅誠さんが著書「貧困襲来」(山吹書店)で政府が「財源」論を持ち出すのは、ほかにまともな理由がないからだと指摘しています。私達は、政府・自公政権や民主党の「財源」論という雑音に惑わされずに、生活を守り向上させていくために必要な予算を回すことや、必要な法律の制定及び改正を遠慮なく要求すればいいわけです。

 橋本内閣のときに、消費税が3%から5%へ引き上げられたとき、国民の消費者マインドが一気に冷え込み、せっかく回復しかけた景気をどん底に陥れられました。このために橋本は定率減税を取り入れました。このときに、法人税の実効税率を55%から40%へ、所得税や相続税の最高税率を70%から50%へ引き下げました。その後、定額減税が廃止(2005年・平成18年)されましたが、大企業や高額所得者への優遇措置はそのままにされました。この数年間だけでも、私達庶民はしっかり事実上増税を押し付けられました。大企業や高額所得者への税制上の優遇措置を棚上げして「財源」がないから消費税の引き上げをしなければならない、という言い分は通用しません。

 政府・自公政権は、歳入の面では大企業や高額所得者への優遇を棚上げにし、歳出の面では在日米軍への再編費用(3兆円)、日米安保条約上の根拠さえない「思いやり予算」(2083億円)を絶対不可侵の聖域とし、社会保障・福祉を狙い打ちにして切捨てをもくろんでいます。こういったことを覆い隠すためのごまかしと国民に諦めを植えつけるためのイデオロギー攻撃と言うのが政府・自公政権が繰り出してくる「財源」論の欺瞞的本質です。

                    おわり

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