愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

カルデロン一家への追放は許さない!

2009年03月14日 16時39分17秒 | 国際政治・経済
東京新聞:17日の全員送還を通知 カルデロン一家 入管 両親の自主帰国求める:社会(TOKYO Web)

 日本国政府はカルデロン一家にたいして非正規滞在であることをもっぱらの理由として全員送還、あるいはノリコさんを日本にのこして両親を帰国させる、つまり一家を離散させることをはばからない態度に終始している。日本国政府の行なっていることは、子どもの利益を最優先にするべきという国際的義務に反する。条約など国際法規の遵守は日本国憲法第99条に明記されている。

 カルデロン一家の問題に関して言えば法的には出入国管理法の問題や子どもの権利条約の問題がある。日本国憲法第99条の問題が当然絡んでくる。そして、この問題に日本がどのように対応するかで、日本が真の法治国家であるかどうかが正面から問われる。

 事の発端は、ノリコさんの両親が日本国に適法でない形で入国したことにある。これ自体はほめられたことではないし、日本国の主権を保持する観点からすれば一般論、原則論として適法でないやり方での外国人の日本国への入国を許すべきではないといえる。同時に考えておくべきことは、民主国家においては外国人の出入国に関することは国家権力の都合ではなく国民の平穏な生活を守るため、ということが第一に考えられなければならない。カルデロン一家の適法でない入国の仕方、非正規滞在そのものはほめられたことではないとはいえ、一家は日本で長年にわたって暮らしており、日本で生まれ育ったノリコさんは日本語しか話すことができない。また、カルデロン一家は、非正規滞在ということをのぞいて、普通に働いて家庭を持ち子どもが学校に通っていて平穏に暮らしていたという実態がある。だからこそ、埼玉県蕨市内の住民の少なからぬ人々が一家の在留特別許可を要請する署名に応じるのである。同時に言えるのは、ノリコさんだけではなくカルデロン一家には日本にしか生活の基盤がないことである。だから、カルデロン一家をフィリピンに日本国政府が強制退去させることは、ノリコさんをはじめとする一家の家庭生活を根底から破壊することを意味する。また、カルデロン一家を強制的に全員送還する、ノリコさんと両親を引き離すようなやり方は、一家の隣人の平穏な生活すら揺るがす。なぜならば、長年にわたり、一家が社会に根付いて暮らしていたことにより、一家が暮らしていることを前提にした地域における人間関係、ノリコさんの例えば学校での友人関係などをはじめとする地域での市民社会の「秩序」が形成されている。したがって、カルデロン一家を日本国からフィリピンへ強制送還するにはノリコさんの両親の日本国への入国の際の法的手続きや非正規滞在という問題以上の理由が必要である。カルデロン一家の件に関しては入国の手続きや非正規滞在以外の問題は見当たらない。

 カルデロン一家をめぐる法的な論点は、出入国管理法など外国人の出入国や日本への在留に関する法律以外にもいくつもある。まず、日本国憲法第98条の問題がある。この条項では日本国憲法が日本国における最高法規であること、及び日本国政府が締結した条約や確立された国際法を遵守する旨が書かれている。ノリコさんの年齢は13歳である。したがって、憲法第98条をふまえて考えれば日本国政府が批准している条約の中でノリコさんと最も関係の深い条約として「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」がある(以下、子どもの権利条約と表記する)。

 日本国政府はまず、政府自身が批准している子どもの権利条約をふまえ、ノリコさんの福祉と利益を最大限に守らなければならない。これは、繰り返すようであるが日本国憲法第99条の取り決めでもある。子どもの権利条約第9条では子どもとその両親が離れ離れにならないようにすることを締約国に義務付けている。虐待などにより、子どもがその両親から引き離すことでしか子どもの利益を守ることのできない場合は話しは別である。この旨も子どもの権利条約第9条に明記されている。では、カルデロン一家の非正規滞在を理由とした強制退去により、ノリコさんと両親を離れ離れにすることがノリコさんの最善の利益となるかどうか、否である。カルデロン一家の場合は非正規滞在以外にこれといった問題点が見当たらずノリコさん自身は両親とともに日本で普通に暮らしていただけである。もちろん、日本で生まれ育ち、日本語しか話すことのできないノリコさんを両親とともにフィリッピンへ強制退去させることがノリコさんの最善の福祉と利益をもたらすとはとうてい言えない。日本国政府は子どもの権利条約第9条の規定に関して、出入国管理法による強制退去により子どもとその両親が分離させられる場合に適用されるものではない、という解釈宣言を行なって子どもの権利条約上の義務を逃れようとしているが、これは子どもの権利条約のねじまげであり同時に詭弁である。日本国政府の態度は国際社会に通用するものではない。アムネスティインターナショナルは、日本国政府の解釈宣言を、とうてい受け入れられないと厳しく批判している。


http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=619

 このたびのカルデロン一家の件では真の法治国家とは如何なる国家なのか、法の正義を守るということはどういうことなのかを、私は考えさせられた。というのは、一つにはウヨどもが「日本は法治国家」というお仕着せの形式論をもちだして嘯(うそぶ)いているのをネット上で見かけたし、日本国政府は基本的にウヨどもと同質の立場に立っていたからである。そして、実態をわきまえないお仕着せの形式論は、かつてパレスティナ地方にいたパリサイ派の偽善者を思わせる。

 民主国家において法の正義は、社会的に弱い立場にある人が強者の論理により虐げられないように、国家が守ることにより実現される。また、法治国家とは法律を形式的に守ればそれだけでいいということではない。国家による法律の守り方、適用の仕方は法の正義にかなっていなければ真の法治国家足り得ない。国家は、社会的弱者を強者の横暴から守ることを中心に法律を制定し、適用することによって法治国家として存立し、法の正義が実現される。法治国家の原理であるほうの支配及び法の正義とは、統治者や強者のためにではなく支配される側である人民、そのなかでも社会的弱者に弱い立場にある人のためにある。近・現代国家において法治国家の思想や統治方法が生じたのは、権力者や強者による暴力支配を社会からなくしていくためである。ここでは、詳細については触れないが、法治国家や法の支配に関する考え方にも歴史があり、発展がある。方向性は一貫して社会的弱者を守る方向へ法治国家、法の正義に対する思想が発展してきたし、社会そのものが発展してきた。国際法に関しても同様のことが言える。

 このたびのカルデロン一家の案件で、現在の日本国政府や政権を担う勢力には、法の正義を実現しようという意識がまるでないことが現れた。現在の日本は、真の法治国家とはとうてい言えない。日本国憲法では第99条において国際条約や国際法の遵守が明記されている。カルデロン一家には13歳のノリコさんがいる。これを考えれば、憲法第99条により子どもの権利条約をまず考えなければいけない。子どもの権利条約では子どもが家庭で暮らしていくことができるように締約国に義務付けられている(子どもの権利条約第9条)。条約上、子どもが両親から引き離すことができるのは、虐待などでそうすることでしか子どもの利益を守ることができない場合のみやむをえないとされる。カルデロン一家の案件では、日本に入国する際の手続き上の問題以外は埼玉県蕨市内で普通に暮らして働いて家庭を築き上げていただけである。ノリコさん一人を日本に残して両親をフィリピンへ「帰国」させることがノリコさんへの福祉を守ることとは相容れないことは明確であり、子どもの権利条約における義務違反を政府は犯した。日本の法体系では、国際法である子どもの権利条約は、憲法の下位法であるが国内法の上位にある。だから、日本国政府は本来ならば出入国管理法という国内法より国際法である子どもの権利条約を中心に考えノリコさんの福祉を中心に考えなければならなかった。しかし、日本国政府はノリコさんへの福祉より統治者側の都合を前面に出して一家に対する排除を正当化した。出入国管理法に基づく処分による親子の別離が子どもの権利条約第9条の適用を除外する、という政府の解釈宣言は日本の法体系においても、国際社会に対しても通用し得ないごまかしと詭弁である。

 日本国政府・森法務大臣は、子どもの権利条約の義務違反を犯して、同時に日本国憲法第99条(条約、国際法遵守)をふみにじった。日本国政府・森法務大臣は、真の法治国家とは無縁の、て法の正義の実現と相容れない暴挙を犯した。結果、ノリコさんと一家の平穏な生活は日本国政府の行為により、根底から破壊された。一家と交流のある人々の生活にも多大な不安を与えて平穏な市民生活の「秩序」を壊した。

 以上のことから、日本国政府・森法務大臣の行為は以下のように結論付けられる。


日本国政府によるノリコさんおよび一家への仕打ちは権力犯罪である!

追記
 私は自分の住んでいる街でカルデロン一家と類似したことが起きるかもしれない、という前提でこの記事をアップした。


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