誰かの言い分が科学的と言えるかどうかを自分で考えることは、日本国民救援会の活動をする際にも求められる(科学的に考えることは、あらゆる政治・社会運動に必要である)。その一つが仙台北陵クリニック冤罪事件である。
時々、私がSNSで触れている仙台北稜クリニック筋弛緩剤冤罪事件(北稜クリニック事件)では、守大介さんが筋弛緩剤マスキュラックスを患者に点滴して殺したとして有罪判決を受けている。しかし、マスキュラックスの成分であるベクロニウム臭化物は短時間で代謝されるか、排泄されてしまう。医療現場でマスキュラックスを使う時には、医者は静脈注射する。それは、マスキュラックスの薬効時間の短さがあって点滴という悠長な方法では筋弛緩効果が期待できないからである(点滴で人を殺せるような薬剤を医者がどうして手術の際に静脈注射できるだろうか?)。このように考えると、点滴でマスキュラックスを守大介さんが患者を殺したとする、警察と検察の言い分のデタラメさが明らかになってくる。また、警察と検察の非科学的な言い分を裁判所が鵜呑みにして有罪判決を出したことは責任重大という他ない。
上記のような医療現場で生じた冤罪事件では、問題となる薬剤の化学的性質などを検証する必要がある。自分自身は医者でなければ薬剤師でもないから薬剤に関する知識に欠ける。しかし、そんな私でも医者とか薬剤師に問題となる薬剤の性質を訊ねたり、医療従事者向けのサイトで問題となる薬剤の用途や性質を調べることで事態を判断できる。ある物事、ある人物の言い分が科学的であるかどうかを決めるのは科学者だとして、事実と様々な検証によって明らかになっている事柄について自分自身の頭で科学的に検証出来なければ、冤罪被害者を救出不能に陥ってしまうことすらある。
「科学的かどうかを決めるのは科学者である」と言い出せば、日本国民救援会の活動を一つとっても成立しなくなることが分かる。