「名張毒ぶどう酒事件」の無実の死刑囚だった奥西勝さんが2015年10月4日午後に肺炎のために収容先の八王子医療刑務所で亡くなった。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_date2&k=2015100400089
1961年3月28日、三重県名張市葛尾の公民館において開かれた三奈の会の年次総会終了後の懇親会でぶどう酒を飲んだ5人が死亡、12人が重軽傷を負った。これが名張毒ぶどう酒事件の始まりである。
1審で津地方裁判所は、唯一の物証とされた、ぶどう酒の王冠についていた歯型を奥西勝さんのものと断定できないという理由で無罪判決を言い渡した。ところが名古屋高裁は、王冠の歯型と奥西丸さんの歯型が一致するという松倉鑑定を根拠にして、一転して有罪死刑判決を言い渡した。その後、奥西丸さんは事実認定について争う場を奪われたままに1972年6月15日に最高裁小法廷上告棄却により死刑判決が確定してしまった。
その後、奥西勝さんは無実を訴え続けて再審請求をし続けた。第7次再審請求で弁護団が提出した新証拠で犯行に使われた毒物がニッカリンTではなかったことが明らかになった。自白に基づいて確定死刑判決が認定した凶器(農薬)が違っていたのである。そして名古屋高裁(刑事第1部)は再審開始を決定した。ところが、同裁判所の刑事2部(門野博裁判長)がこれを取り消した。最高裁は、「科学的知見に基づいた判断をせよ」名古屋高裁刑事2部の決定を取り消して、これを差し戻した。
差し戻しの審理で改めて鑑定が行われて毒物がニッカリンTではないことが再度確認された。ところが、最高裁第一小法廷(櫻井龍子裁判長)は、2013年10月16日に再審を認めない不当決定を下した。
弁護団は、第8次再審請求をしたが名古屋高裁刑事1部(石山容示裁判長)は、2014年5月28日に証拠を十分に検討しないままに再審請求を棄却した。2015年5月15日に弁護団は、第8次再審請求の特別抗告を取り下げ、同日第9次再審請求を申し立てていた。
自白に基づく毒物と科学的知見に基づいて鑑定して明らかになった毒物との食い違いは、冤罪の可能性の高さを色濃く表している。本来ならば、裁判所は直ちに再審開始の決定を言い渡さなければならなかった。
私は、日本国民救援会の一員として仲間とともに無実の死刑囚である奥西勝さんを生きているうちに無罪を勝ち取って死刑台から救出しようと支援活動をしてきた。しかし、これは奥西勝さんの逝去とともに叶わぬこととなってしまった。奥西勝さんが生存中に無実を勝ち取り、死刑台から救出できなかったことは無念である。せめてもの救いがあるとすれば、奥西勝さんの死刑が最期まで執行されなかったことである。