愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

棄権は危険

2019年04月21日 07時37分21秒 | 雑記帳

 現在の日本では、まがりなりにも選挙を通じて国政及び地方政治の政府が成立します。しかし、選挙を通じて政府を作ることは日本と世界の歴史を見ると、わりと最近のことだというのが分かります。

 アメリカ独立革命(1783年)、フランス革命(1789年)、キューバ革命(1959年)、サンディニスタ革命(1979年)など人民が圧政を終わらせて尊厳を取り戻すために武装蜂起を余儀なくされた時代がありました。日本の場合でも日本国籍の人が一定以上の年齢に達すれば誰でも選挙権及び被選挙権を確立できるようになったのは、1945年12月の衆議院公職選挙法改正により、翌年の衆議院選挙においてはじめて女性が選挙権を行使できるようになったわけです。

 こうしてみると、選挙を通じて政府を作ることが決して当たり前とは言えない現実が見えてきます。

 投票率の低さが全国的な問題になっていますが、これは先人たちの民主主義確立のための努力を踏みにじるものであって褒められたことではありません。もし、人民の多くが「どこの誰に投票しても同じだ」と勝手に思い込んで選挙権を放棄する、そういう状態が長く続けば選挙が形骸化し、行き着く先は独裁政治が生まれて選挙を通じて政府を構成することが不能に陥ります。そのような状態になれば、人民が圧政から尊厳を回復するために革命軍を組織して政府軍を相手に武装蜂起することを余儀なくされる時代が再びやってきます。1959年のキューバ革命の指導者だったフィデル・カストロは、最初から武装闘争をしていたわけではなく、議会制度を通じた活動をしていました。ところがフルヘンシオ・バティスタが1952年にクーデターを起こして議会制度を無効化させました。このようなことがあってフィデル・カストロは武装蜂起を決意し、1953年7月26日にサンティアゴ・デ・クーバにあるモンカダ兵営を武装襲撃し、キューバ革命への革命戦争が始まっていったわけです。

 議会制度の崩壊により武装闘争を余儀なくされた出来事が現実に存在しているわけです。21世紀の世界において再び武装闘争を必要とする国や地域が出現しないとも限りません。もしかしたら、これが日本かもしれませんよ?

 以上、棄権は危険という話しでした


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