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25黄釈子 Blog 「My Days」by Oldman+2(吉住)

コロナ予防接種0回、35年間健康診断0回の後期高齢+2、元原告団長の下り坂人生、日々の戯言。KindleWriter。

Oldman &値上げと麻薬

2025年04月17日 | 気象
2025年04月17日(木曜日)午前3時30分:[  10c/27c/10%  ]{ pm09:00-am02:20 } 快晴、夏日予報

いよいよ、丑三つ時の地獄の門が開いている時間帯に起き出して、あの世とこの世を往復する徘徊老人が、食ったり飲んだり、家人を起こさないよう静かに家の中で動き回っている。

昨日の午後3時過ぎに、つい、久々にニトロを服用したばかりだ。午前中は運動公園前のビリオン珈琲で、80歳になった先輩社長とゲラゲラ笑っておしゃべりし、午後は昼食後、すぐに大安寺街道を走って、棗地区の藤田医院に出かけた。着いてみると、駐車場に車一台もなく、玄関は締まっている。毎週水曜日、午後休診。無駄足のドライブ往復1時間。

午後2時過ぎにステップアップのスカイテレビを見ながら、うたた寝。目を覚まして、風は冷たいが、お天気がいいので、山椒畑の苗木のチェックに行こうとして、カメラ片手に、長靴で100mほど、歩いていると、なんとも妙な予感。あれ、こりゃ、いかん。ニトロもスマホも持参していない。気分がヤバいので、すぐにトボトボ引き返し、再度自宅を出ようと20mほど歩いたが、やはり、気分がよくない。すぐに、戻って、自室のベッドに横になり、思い切ってニトロを舌下に含んで、安静にしていると、次第に不穏な感じが少しづつ、遠ざかっていく。

毎朝早朝も同様だが、寝起きが一番「厄介な時間帯」だと観察している。そんじゃ、午後9時に寝て、4,5時間経過して、ばっちり目を覚ましてしまう丑三つ時ならどうだ?と今朝は、今のところ、機嫌よく起きている。

多分、夜明け頃に猛烈な睡魔が襲ってきたら、またベッドに戻るのだが、その後は、分からん。夕飯から、朝食までの間の時間が長く、それが「健康の為」の時間だったが、このところの「心臓事件」で、ただでさえ老化で少なくなっている体力と体重を消耗してしまっているので、エネルギー不足に落ちているのかもしれない。地獄の開店時間に、ウインナーと豆腐とネギとニンジンを入れた煮物を適当に出しつゆで作ったら、弾けた皮なしスパイス入りの大ぶりのウインナーが、アケビのように弾けて、これが実に旨い。ぐちゃぐちゃになった豆腐もうまい。フライパン料理は完全に忘れよう。
さあ、ところで本題は最近の値上げラッシュ、物価高が今後どうなるか。コメの値段をはじめとする野菜類は、季節に応じて、今に値下げや値引きもありうるが、高騰してしまった果物と各種メーカーの食品類は、値上げの旨みを味わって、決して下がらない。
これは、名前の通った大きなメーカーほど下げない。値上げ程「おいしい思い」を味わったら、もう、元に戻れないのだ。革命的な小さなメーカーが多数出現して、老舗大メーカーを破産に追い込まない限り、当分、値段が下がることはない。消費者はあきらめる方が早い。




Oldman & 手術延期

2025年04月16日 | 気象
2025年04月16日(水曜日)午前6時:[  6c/17c/30%  ]{ pm09:00-am04:45 } 曇りのち晴れ

昨日の話:出歩くには最悪の、荒れたお天気の中、それでも幾分収まった午後に、ワイフを伴って福井市を西から東に横断し、福井循環器病院、横に大きな楯看に心臓血圧センターと書かれている医療機関に出かけた。午後2時の診察予約票を持参。

何せ、心臓に異常のある、少しボケかかったヨレヨレ後期高齢者プラス2だ。つき添え人が同行しても違和感はない。いや、当たり前かもしれない。

今日は、救急搬送されてカテーテル検査の結果を踏まえ、その後の様々な検査結果を総合して、3泊4日のカテーテル手術と入院を決める診察日。受付直後に採血して、診察の呼び出しを待っていた。

結果は、あらゆるテストや検査の結果は「陰性」を示しているので、半年後に再度カテーテル検査をしましょう、と言う。「今度は、逃げないでくださいね?」と笑顔で二度ほど念を押された。入院準備まで段取りしていた私は、いささか拍子抜けだが、血便の問題を先に片付けて、一日でも早く「血液サラサラ」投薬をして、コレステロールで詰まった血栓部分の溶解を試みて、その成果を半年後のカテーテル検査で調べましょう、というのだ。

貧血?血液の検査結果では、全く出ていませんよ。よしずみさん、痔じゃないんですか?」などと笑っている。今回もそうだが、そういえば、日赤でも真っ先に採血されている。軽い眩暈や軽い頭痛は、気のせいというか高齢者のせいか、十分な食事をしないせいか。「ご飯を食べなさい」としつこくアドバイスする娘に従って、腹が空く8時過ぎに朝ご飯を食べると、軽いふらつきなどの感覚は、消え去ってしまう。

これまで投薬している朝一回の薬は2種類で、ひとつは、コレステロールのこれ以上の吸収、あるいは体内生成を抑えるのと、もう一つは、単なる胃薬。血便とは、全く無関係だと断言された。おまけに、最初から吉住さんの前立腺肥大は分かってましたよ、と笑う。

「手術入院」の緊張感が解れて、ホッとしたが、問題が解決したわけではないので、カテゴリーは、めでたく黄色い、「要注意のニトロ常時持参生活の狭心症患者老人」となった。一日も早く、血液サラサラ成分の投薬で、問題解決にミクロの進展をするには、先ず、血便問題の解決を優先することになった

昨晩の土砂降りまで続いた昨日の大荒れ模様のお天気が収まって、今朝は穏やかに晴れてきた。朝方は、まだ気温が低く、石油ストーブまで付けているが、やがてグッと暖かくなる。今日は、先輩社長とお茶して、午後は、藤田医院に報告に出かけよう。明日、日赤の担当医が勤務しているか、それも、電話で確かめよう。

さあ、お薬の時間。胃薬だけが、新しいのに変わっている。
「コレステロールって何や?」
「油よ、あぶら、植物油が大いに問題なのよ!」と栄養士の資格を持つ娘が言う。つくづく、毎朝得意になってオリーブオイルたっぷりのフライパン料理を食べ続けてきた健康志向が仇になった。

「こりゃ、中東問題だな、つまり油問題」老人の頭はトランプのように暴走する。iPhoneの中身は90%以上中国で作っている。関税で値段が倍増するのは、このブログで指摘した。アメリカに物を作る能力は消えてしまっている。我が国もそれを追いかけているのだから、恐ろしい。


Oldman & サービス終了!?

2025年04月15日 | 気象
2025年04月15日(火曜日)午前7時20分:[  7c/13c/90%  ]{ pm09:20-am05:20 } 曇りのち一時雨(突風や雷注意報)

なんと、このGooのブログも、ついに今年11月でサービスが終了する。2014年が、残されている私のブログの最初だが、実は、それ以前3年分ほどが、一度手続きミスで全部消されたことがある。したがって、確か2011年ごろから毎日書き続けている(垂れ流している?)下らない記録というか、他人迷惑な世迷言に過ぎないのだが、一塊になると、電子的には大したボリュームじゃないが、ゴミの歴史。

過ぎてしまったことだから、別にいいのだが、写真だけでも1万枚を超えている。まあ、生きている間、書ける間、続けたいと思うから、どこかに引っ越そう。NTT子会社のことだから、仕方がないけれど、それでも20年以上頑張ってサービスを提供してきたのだから、乗っかってサービスを享受してきた側としては、文句は言えない。逆に、ありがとうだなあ。

昨日は、余りの好日、いいお天気で温かく、つい、午後に泰澄の杜の風呂に出かけた。湯船の中で、奥山集落の一つ後輩の「きっちゃん」に声を掛けられてた。奥山集落のゴルフ仲間では、一番上手いし、世話役の一人で、いろいろお世話になっている。救急搬送の心臓病の話をしたら、同じ集落の、これまた、地区のすべての活動に精通し、様々な団体で惜しみなく活動している、元自衛官の公民館運営審議委員長が、私同様な病で、つい最近、救急搬送されたとか。私より、はるかに若いはずだ。飲みすぎ、食べ過ぎの成人病。

いつ何時、地獄の門が開いているか分からない。ワイフを駅前に送って、帰り道、地元悪友の会社を訪ねると、午前中だけ会長室に通っている彼が「おお、生きていたか、はいれ!入れ!」と姿を見せる。
すると、彼の奥さんがつい先ごろ、日赤に救急搬送されて、入院中らしい。老人性の免疫力不足の肺炎だが、肺が片方しかないし、数年前にコロナにかかっているし、元々白血病を患っていたのだ。意識もうろうとして、夜中に「さみしい、さみしい」と電話をかけまくってくるという。

悪友は耳が遠い。スマホに連動した高級補聴器をかけて、初めて電話で話すことが出来る。「あんたは薄情だ、薄情だって言うけど、俺だって真夜中寝ているし、補聴器は外しているしなあ」と苦笑い。

老人性うつ病の辛さは、経験したものでないと分からない。「薬のせいだから、大丈夫、大丈夫。」と慰めてやれ、とアドバイスしておいた。

ほら、血液サラサラ成分の薬を一日飲まなかったら、今朝は、久しぶりに「血便」が出ない。今朝も、飲むかどうか、迷っている。どうも、寝起きに気温が低いと、わずかに、胸が怪しい。10日ほど前に、2,3度経験した「狭心症」の発作の苦しさに比べたら、わずかに数%の気配程度だが、それでも、まぎれもなく「死ぬぞ!」と言われている病魔の原因は、しっかり存在している。

今日の午後は、その手術の日取りが決まるはず。原因は除去しないか、対策しない限り、続く雨漏りと同じだ。雨が降っている限り。

好天だから、山椒畑もチェックしてきた。実にありがたいことに、昨夏の乾燥と、この厳しい冬を生き延びて、新芽を出してきた山椒苗木。いいねえ、明日がある。





4.14 続き:老化の準備不足

2025年04月14日 | 気象
今朝は、月2回のガラクタごみの収集日。通勤車両がバンバン通過する中、一輪車に大きなごみ袋を3つ積み込んで、村のゴミステーションに運ぶ。その寸前、はっと気が付いて、孫にもらったお守り袋に、ニトロをひとつ忍ばせ、ポケットに突っ込む。

家に戻るとき、福井市内に向かい、私の目の前を通り過ぎる黒い軽自動車の若い女の子が、片手でスマホを操りながら、運転しているのを見た。便利でありがたい時代だ。彼女にも、素晴らしい人生が待っているかもしれない。

働き者の村人が、写真のトラクターを使わせてあげる、という。心臓の手術が済んで、取り合えず即死の心配が無くなったら、山椒畑の5m幅の列の間を、何度も往復して、チップ層の凸凹を平らにするのに、非常に有難い。

今朝は出血量が少なかった気がする。分からないが。まあ、いい。しかし、この1週間で3キロほど体重が減って、体力は相当消耗している。

つくづく、この数年、そして2000年頃からの我が人生25年を振り返って見ると、意外や意外、私には老化への準備不足が大いにあったのではないかと反省する。
一つには、両親が百歳までも共に長生きしていたので、老人がどんな生き方をするのか、十分身近に観察できた、という長所はあったのだが、我が家に元気な老人がいる間、比べて自分はいつまでも「若い」と思い込んでしまう欠点もある。

還暦を迎えた頃、地元悪友に「人生これからだ」などと呟いたら、「何言ってる、あんたの人生は、もう終わっているぞ」などと言われたことだ。びっくりしたので、よく覚えている。経年の自覚がないこと夥しい。なるほど、役所にいたはずの同級生の姿が次々と消えていった。定年退職などと、自営業を営む私には考えもしなかったことだ。還暦の祝いを娘たちが計画してくれて、家族の記念写真は、私の宝物だが、この時でも、主人公は私ではなく、わが元気な両親を中心に撮影している。それが、私には自然に思えた。


ミレニアムの2000年から2013年までは、石川銀行破綻で我が商売は吹っ飛び、人生を考えることもなく、無我夢中で新しい世界を飛び回った。終わってみると、満65歳を過ぎて、孫が生まれたり、事務所を閉鎖したり、高齢両親の介護したりして、相次いで百歳を迎えた両親が亡くなり、気が付くと、満70歳を超えていた。
73歳の春先に「老化が一気に来たのだなあ」と、死んだ友人の医者に言われた時でも、「うそ!マジ?」と思ったほどだ。苦しい50日間の痛みに耐えた頚椎後靭帯硬化症は薬で治癒してくれたが、黄斑上膜の顕微鏡手術、入院などショック以外の何物でもなかった。そのあたりの3年は、晴天の霹靂のように自治会長や連合会長などと多忙な日々を前向きに過ごしながら、山椒農家になろうと肉体労働に励んできたのだが、そのボランティアというか公務から離れると、突然の心臓病。

老化の備えは80歳から? アホ言ってんじゃないぞ、と反省する日々。
遅きに失するかもしれないなあ。


Oldman & 神頼み?

2025年04月14日 | 気象
2025年04月14日(月曜日)午前6時25分:[  6c/20c/40%  ]{ pm09:00-am05:10 } 快晴のち曇り
穏やかに晴れた気持ちのいい朝。さすがに若木、目の前の公園駐車場まわりのソメイヨシノの若木の桜が、満開を維持している。若いことは、それだけで素晴らしい。生命力が溢れている。
それに比べて、老人はあかんなあ、実にさみしくて腹立たしいが、経年変化は止められない。
気分を入れかえて、娘が植物油の弊害に五月蠅いので、まったく油を使わずに、今朝の我が食べ物を用意する。このところ、連日血便が全く止まらない。
その理由を考えていて、はっと気が付いた。
やはり、あのクソッタレな薬のせいだ。血液サラサラのやつ。

原因が分かると、なんとも落ち着く。目下、温度差がある明け方の着替え時に、かすかに、狭心症の不快な気分が襲ってくる。あ、こいつだ。これが、我が命が地獄に落ちるかどうかの、瀬戸際の死神の襲来。目下、自力防衛中。頼りの味方は、出血が貧血と体力を奪う。まだ、ニトロを一度も使っていないが、我慢する気はない。ただ、そこまで苦しくなっていないだけ。

まったく、ウクライナが頼りの味方の米国トランプに、金よこせ、資源よこせ、と言われている構図に似ているなあ、と思わない? 人生とはそんなもんだ。いつだって、味方が一番厄介なのだ。敵ははっきりしている。「死ね!」と。

今朝はよく寝た。一度、おしっこで目を覚ましたが、次に寝たとき、昨年死んだ友人の医者が夢に出てきて、一緒に病院内を歩きながら、あれこれ、おしゃべりした。病院の土地と建物に1億円の投資をしてくれるスポンサーを探してほしい、と頼まれた。10億円の間違いではないかと思ったが、その夢を見て、目が覚めたら、なんだか体が軽く、元気に起きることが出来た。

娘が高校時代に使っていた、クラブ活動用の横長のズタ袋に、着替えやパジャマや洗面具など、あれこれ詰め込んで、月末の手術用3泊4日の入院準備を始めている。心臓が済んだら、大腸だ。そして、次は、ひどく肥大している前立腺。悩めるウクライナだな。

おっと、トイレ。また、血便だな。


Oldman & いい経験?

2025年04月13日 | 気象
2025年04月13日(日曜日)午前4時30分:[  7c/18c/90% ]{ pm09:00-am03:30 } 雨のち曇り

風はなく静かだが(盛んにカエルの鳴き声が聞こえる)どうやら、本格的な雨になって来たようだ。外の音や、屋根の雨音が聞こえるだけでも、心が落ち着く。日常生活で、雨音や風の音さえ聞こえない住環境に住み暮らし、ミッキーマウスの縫いぐるみに感動する「生物」など、私と同じ知性のある人類だとは、私にはどうしても、100万%信じがたい。
環境の整った快適住宅など、私には何の面白みもない。負け惜しみもあるが、材料さえあれば、あちこち手直ししたり、自分の思い通りに工作したり、失敗して作り直すことも多いが、木造の未完成かボロやの住宅ほど、人生の暇つぶしに、これほど最適なものはない。人は日々生きているし、変化する。工夫したり、手直ししたり、考える間も実に楽しいし、思いどおりに工作できると、大満足できるのも、楽しみだ。縫いぐるみを楽しむのとはわけが違う。こっちには、手にできる実物、実感がある。

今日は我が結婚満45周年。確か、スポーツマンでゴルフの腕前もシングルにまでなった友人のSさんの誕生日でもある。年齢は1つ若いから、満76歳のはず。腰を痛めて、すでに腰を曲げたまましか歩けないが、警備保障会社で主任をしている。「他にすることないし」という。ゴルフは出来ない。

1980年。もう、45年も過ぎてしまった。信じがたい事実だが、何もしてこなかったなあ、という思いばかりが残る。「光陰矢の如し」と中学卒業アルバムの表紙に金属板が埋め込んである。少なくとも、昭和の時代には、まだ文化の香りがする「知性」が残っていた。軽薄アメリカ文化の近代的商業主義ではない。アメリカにだって、フォークナーやヘミングウエイが生きていた。かろうじて、アメリカ的良心と知性は、映画俳優兼監督のクリントイーストウッドに名残を残している。

昨日の午後、爛漫の桜も散り始めた快晴の福井に、1週間ぶりにワイフが江戸から戻ってきた。我が心臓の事件の最中は、完全不在の我が家で、娘と二人が何とか食べながら、必死で生存していただけだから、あちこちバタバタ、掃除や片付けどころではない。帰宅するなり、早速不平不満の小言が始まったが、「じゃかーしい!こっちは、生きるのに必死だったんじゃ!」と怒鳴りつけると、途端に静かになって、家じゅうから冷蔵庫の中まで掃除して、おまけに、こっちが疲れて寝ている間に、畑に行ってジャガイモを植え付けてきたらしい。「明日、雨だし」。
雨の前に植えるのが、ちょうどいい。その雨が、今朝は降り始めている。

今年の福井の桜もこの雨の日曜日で終わり。あっという間に、時は流れすぎる。我がデスク周りを作り直している。なんとか、今日中に片付けないと。

もう、ガレージ2階をはじめ、家じゅう、あちこち手直し最中でひどいことになっているのだ。



Oldman & お薬手帳

2025年04月12日 | 気象
2025年04月12日(土曜日)午前8時30分:[  10c/19c/10%  ]{ pm09:45-am05:00 } 薄曇りのち時々晴れ

穏やかな薄曇りで、目の前の公園の駐車場脇の若い桜(そめいよしの)の木々は、超満開。年に一度の若さが華やいでいる。青空ではないが、週末の花見には、いい日だ。

昨年の今頃、清八会のメンバーで花見をしたが、今年の私は、それどころではない。目下、我が身の命は、ニトロを手にしたまま、「自己責任」状態。ただ、循環器の担当医が出してくれた1週間分の、毎朝一回だけの薬は、飲むことにして、もう飲んだ。

昨日の日赤の消化器内科の女医さんがアドバイス呉れて「なるほど!」と納得したからだ。(娘は最初から、飲め!と怒っていた)

昨日は、ばーちゃん(母親)の命日。丸6年が経過する。昨夜、仏壇の横にCDプレイヤー置いて、仏壇に蠟燭や線香を焚いて「般若心経」のお経のCDを流しておいた。

今朝も薄い血便だったが、昨日の朝は、真っ赤な下痢を3回して、お腹はスッキリ快調だったが、貧血気味なのか、老人性(何せ、手すりで階段の上り下りが当たり前)なのか、空腹なのか、わずかに頭が「ふらつく」ような気がするし、多少「頭痛」もするようだから、お腹の具合は気になるし、第一、今回の事件報告もあったので、10時ごろには、棗地区の藤田医院に出かけた。

で、たっぷり状況をおしゃべり。余談だが、藤田院長は大阪大学と広島大学を出ている同級生の中の秀才だ。死んだ小森院長は金沢大学医学部。
我が母校は、進学高校とはいえ、福井県内では2番手で2流。我々団塊世代が入ったころは、その20年ほど前は女学校だった(と思う)。

私が高校3年生の時に特別クラスの数人の中に入って、数学の補習授業を習っていたとき、時々教えてもらった同級生の西川君(あだ名は、ベトコン)は、東北大学。697名の同級生で、東大進学はゼロだった。ただ一人、確か英語検定で新聞に載った江川さんとかいう名前の女子生徒が、京都大学に進んだ。
697名中一番の秀才だったような記憶がある。

多分、697名中、女性は300名、男性は400名。大学進学率は30%か、40%だっただろうと思う。全国平均の団塊世代の大学進学率は10%未満の時代だ。
進学校とはいえ、地元の福井大学など、当時は駅弁大学と呼ばれたほどの、「立派な」2流大学。ディスカウントスーパーに並ぶ、赤札の付いた「一流メーカー品」の下着並み。

もちろん、私の努力も足りないが、努力不足の体質を受け継ぐDNAには、逆らえるものではない。わたしのせいではない。橘玲ではないが、親の「運」は引き継ぐのだ。その地獄から、どうやって抜け出すか、彼の本を読むしかない。

で、話は赤い血の出る「血便問題」で、結局、藤田君の手配で、11時過ぎだったが(お腹が空く時間)、日赤の消化器内科に、まっすぐ行くことになった。
お天気は良好だったし、大安寺街道はあちこち桜が満開だったし、紹介状持参で気持ちよく日赤に向かった。何せ、4年前に眼科で手術を受け、ここでも、騒動を起こした大病院だが、明るく広く、丁寧で、妙に安心感がある。

消化器内科の腕のいい女医さん(と、藤田君が言った)に診てもらった。めちゃ、話しやすく感じのいい若い女医さんで(まあ、私から見たら、現役世代は全部、若いのだが)、私は、今朝の真っ赤な下痢の症状だけでなく、最近の症状から月曜日の救急搬送、1泊入院、その時のトイレ(ウンチは出なかった)他も全部、詳しく説明した。

予め、藤田医師から聞いていたので、すぐに尻の穴から内視鏡を突っ込んで検査するなど本格的なことは、後日になるのは分かっていた。内臓を空にするなど準備だけではなく、彼女の話で分かったのは、大腸の状態が安定する必要があるという。

従って、今回は、血液検査とCTでお腹の輪切り撮影をして、第一段階のチェックをすることになった。お昼休み時間の空いている状態で、すいすい検査も進んで、その輪切り映像を見せて呉れながら、私に色々説明してくれる。

生まれて初めて、ぐちゃぐちゃな我が腹部の白黒輪切り映像を見たが、自分では説明されてもよくわからないけど、先生は、目で見る限り、これといった、特別な異常や異物は見当たらない、という。

ただ、レントゲン技師も先生も驚いていたのは、前立腺が非常に大きいので、「オシッコが大変でしょう。この次、治療するといいと思います」というアドバイスだった。

もちろん、出血している限り、何らかの「原因」があるので、内視鏡で調べる必要があるけど、心臓手術(可能性は8,9割、5月上旬か4月下旬)もあるから、6月2日に仮決定しましょう、となった。事前の5月22日に、一度出かけて、心臓手術後の投薬などの種類をチェックして、予定通り検査するか、変更するか決めるという。

内視鏡検査時に、腸の内部に、小さなポリープがあれば、即取ってしまうし、それが少し大きい場合は、電気メスで切り取ってしまうが、その時、出血する可能性があって、心臓の手術後の「血液サラサラ」などの薬を使っていると、血が止まらない(あるいは、とまりにくい)からだという。
なるほど、なるほど、内視鏡検査とは、単に「検査」だけではないのだ、と実によく分かる話だった。

非常に有益な時間を過ごして、晴れやかな気持ちで、2200円の診察料を自動支払いした。紹介状がなければ、7000円の初診料を取られて、1万円コースの診察費用がかかる。
広い院内の、自動支払機(金よこせと、じつに五月蠅い機械だが)すぐ近くにある病院内の、ローソンで唐揚げと、機械抽出の紙コップのコーヒーを買って、そおっと抱えて車に戻って、コーヒーを一口。ローソンの100円コーヒーは、ビリオンの500円コーヒーより、実に旨い! 北海道産なんたらの唐揚げの1個も、午後1時を回っていたので、お腹が空いているせいか、日頃、道端の草しか食べていないせいか、これも、特別に美味しかった。

我が家への帰り道は、どこもかしこも、桜が満開。お天気は最高。昨日は、老社長がお見舞いを呉れたし、今日は、私の不在中に、先輩社長がお見舞いを持ってきてくれた。生きている間の「香典」だが、これほど、当人にはありがたいものはないね。先輩に感謝するしかない。

何らかの原因で、腸の内部を傷つけ、それが治ったり出血したりを繰り返している。なかなか、止血しないのは、この年になると手足の外傷の傷も同じ。緊急性や重篤性が無さそうな先生の応対に、先ずは、一安心。先は不明だが。

心臓は原因が分かったけど、同時に並行する血便は、かなり「不安な気持ち」にさせていた。歩く時の、軽い「ふらつき(わずかに感じる時がある)」が老人性か貧血か、判別できない。それと、夕方ごろ、疲れると、実に軽いけど「かすかな頭痛」。これも老人性の栄養補給不足の「疲れ」からくるのか、「貧血」からくるのか、空腹から来るのか、よくわからない。

このところ、特に朝、昼は100%、部分入れ歯の不具合で、かなり、やわらかい、いい加減な食事(みそ汁の残りにご飯を突っ込んで、ねこまんま、にしてさらさらと食べる)ばかり、継続しているから、15日の心臓血圧センターでの打ち合わせの後に、歯医者に行く必要があるかもしれない。ただ、この状態で、歯をいろいろ治療したり入れ歯を作り直したりするのは、問題があるかもしれない。慌てないことだ。

最後には、前立腺と入れ歯をちゃんとして、「食べる」ことも目標にしないと、なかなか、一人前の山椒農家にはなれそうもない。果てしなき、未来だなあ。



Oldman & 満開と大嵐

2025年04月11日 | 気象
2025年04月11日(金曜日)午前5時55分:[  10c/17c/30%  ]{ pm10:00-am04:50 } 曇り時々晴れ

薄曇り。スマホでは福井市に雨雲が近づいている。それでも、大した雨にはならない気配。雨が止んだら、大安寺の奥の集落の藤田医院に出かけよう。大腸からの出血の検査を早急に、心臓より先にしなきゃいけない気がする。心臓血圧センターは遠い。

ここ3日ほど、いや月曜日から不調だったお腹の具合に、今朝はたっぷり3度ほど下痢をして、お陰でスッキリしたが、すべて大量の血便だった。腸が深刻な事故を起こしている。心臓もヤバいが、こっちもヤバい。好き放題に生きてきた付けが、一気にやってきた。

おとといの心筋負荷テスト、造影剤によるCTとMRI検査でのたっぷりの撮影記録は主治医の手元に届いているだろうが、最後の会計時に、ニトロなどの処方薬の支持は出ていなかった。15日午後の検査結果を基にした診察予約まで、主治医は(命の)責任はない、という表明だろう。それも、実に正直だ。


今朝はドリンクジェルと小さなバナナと小さなスティック状のパンを1本。白湯を飲んでいる。今日は、母親の7年目の命日、2019年だったから、まる6年が経過した。で、予定では、午前9時半に喜寿のメンバーと近くのゴールド福井で楽しいゴルフの予定だった。

救急入院カテーテル検査終了後、2本の点滴と24時間心電図記録装置を付けたまま、空腹とお腹の不調と、目や歯の不調のまま、当日と翌朝、スマホ片手に、大量の連絡ごとをするのに、大忙しだった。

オシッコをする時の飛び上がるほどの痛さと、点滴コードの不自由さを除けば、病気や検査のせいでは痛くも辛くもないのだが、真夜中から明け方にかけて襲われた未経験の「悪魔の降臨」には、自分の脳では対処できない底なし沼の「恐怖」を味わった。こればかりは、簡単に説明できない。

末広涼子の脳の暴走に近い(麻薬に違いない)。薬害かも知れない、と気づいたのは、我が妹の無言の理解と協力で、強引な退院宣言と実行で、車を引き揚げて、独りで帰宅し、自宅に戻って落ち着いた夕方ごろ、脳の暴走が、次第に収まってきた後だった。そのせいだと、原因を発見して、心が我に返る。問題は、原因が正しいかどうかではなく、原因が自分のせいではないと分かって、安心することが、大事だった。

「2,3回オシッコをすると治ります」と言われた、カテーテル検査時の排尿用の管を挿入させた決断も、自分のせいだ。救急搬送で処置室に運び込まれて、大勢に寄ってたかって丸裸にされて、あれやこれやの最中だった。1時間も2時間も寒いまま処置に時間がかかったら、オシッコが我慢できなくなる最近の「頻尿」な自分を考えて、つい、ちんちん先からの排尿管の挿入を「選択」し、許可した。カテーテル検査は30分、カテーテル手術なら1時間。あれなら、排尿管の挿入をしなきゃ良かったのだ。

なにせ、数年前に一度、排尿管内の感染で、一晩ピタッとおしっこが止まり、めちゃくちゃ辛い思いをした時、福島泌尿器科に、朝一番に駆け込んで、排尿管を挿入し、途端におしっこがあふれ出て「快感」を味わった記憶がある。あの時は、挿入時に「ここちょっと痛いよ」とベテラン看護婦が言ったが、なるほど「ちょっと痛かった」だけだった。だが、今回は挿入時にめちゃくちゃ痛かったし、何度も痛かった。内部で膨らませたバルーンから、気持ちよくおしっこが流れ出ることもなく、あっという間に終わった検査後、あっという間に抜き取られたが、その後の排尿時の痛みは、翌日の夕方ごろまで続いたから、今回の救急搬送死ぬ寸前心筋梗塞心臓事件では、まだ、未解決だが、痛さと睡眠不足と不安の最大の原因になったのは、何十回も便座から飛び上がるほどの痛さを味わった、我が余計な「決断」だった。
ただ、血尿など一度も出なかったし、今はすっかり楽になっているので、ちょこちょこオシッコに行くが、全く問題はない。ただの、頻尿だ。ただ、真冬の頻尿が、ヒートショックを起こして、より心臓に負担を掛けてきた事だけは、間違いないから、頻尿も危険な狭心症も親戚身内だろう。

さあ、今朝もなんとなく腹に力が入らず、「ふらつく」思いを味わいつつ、白湯を飲みながら、ふと考えて、入院用の準備をしている。これは、心臓ではない。腸の出血の為だ。どこか、近くの別の医者か医院か専門病院がいい。この1週間、特に月曜日お昼ごろから、多分、まともな栄養が体内に取り込まれていない気がする。軽いふらつきや、かすかな頭痛は、そのせいだろう。








Oldman & 朝から軽い眩暈

2025年04月10日 | 気象
2025年04月10日(木曜日)午前6時45分:[  8c/20c/60%  ]{ pm09:00-am05:00 } 曇りのち雨

昨日の快晴の名残を残したまま、今朝は穏やかで静かな薄曇り。もうすぐ通勤ラッシュで車の往来が次第に増えてくる。隣近所も、あちこち自家用車のドアの開閉の音がする。7時過ぎには、小学生の集団登校が始まる。一日が始まるのだ。

今朝は、いつものフライパン料理の朝飯を作らず、リンゴと水だけで、コーヒーをチビチビ。身体がどことなく、ふわふわしている。軽い眩暈だろう。朝の気温の低さが、心臓に影響を与えているせいか、その対策で、部屋をガンガン暖かくしているせいか、タバコを一本吸ったせいか、それとも、腸の内部で軽い出血をしているせいか、整腸剤と、魔法の薬(リーゼ5mgとロキソニン60mg)を飲んだせいか、それとも、昨日の検査で、大量の薬剤を身体に流し込まれて、その残量が影響を与えているせいか、空腹で、エネルギー不足か、あるいは、「老化」のせいか、判然としない。

ただ、昨夜はしっかり「熟睡」した。午後9時から、今朝の4時過ぎまで、全く一度も目覚めず、トイレにもいかず、実に良く眠った。

昨日は快晴の朝、満開の桜の福井市を通勤ラッシュ時間に娘に車に乗せられて、福井市内を横断し、東側の福井循環病院。救急搬送された急患が、一晩で「トンずら」してしまった事態に、若くて優秀な担当医は怒り狂って、しかし、冷静に電話で「帰ってきませんか?」と私を説得。しかし、「いやだ!」の私に次善策の案を出して、翌日の今日の外来での「検査」を提案してきた。

それには「応じます」と素直に従って、昨日の朝は9時前に受付を済ませて、「ほぼIR室専門の3つの検査」を受けることになったのだ。前夜のカフェイン断ちから朝食抜きのエネルギー不足で、それでも何とか自力で「軽く」院内をうろつきまわって、検査を受けた。予定表では、2つの検査だったが、追加でMRIが、主治医の自室で書かれていた。CTもMRIも、すべては、腕の静脈から検査試薬を投入する。最初は左腕に注射で、アイソトープを注入し、心臓に1分間づつ、次々と5回のストレスを掛ける。

技師のアンちゃんが、「吉住さん、走り回っているのと同じ圧力を心臓にかけていますが、大丈夫? 異常はありませんか?」と何度も聞かれたが、「脳がボケているのか、何も感じないよ」と5分間が無事終わった。「それより、首筋が痛む、頚椎の後靭帯の石化症だったか、患っているからねえ。」「あ、硬化症ですね。枕換えましょか?」と軽い返事。こっちは、首筋が痛む。

これが終わったら一服。数十分の休憩があって、「持参してください」と言われた「牛乳、プリン、チョコレート」などを補給すると書かれていたので、来るとき娘にコンビニに寄って、全部持参(院内には、IR室のすぐ近くに、病院の隠れた売店があって、別に買ってこなくても売っていたのだが、あとで分かった。)
老体は空腹に弱い!腹が減ると、すぐに足取りがふらふらするし、軽く眩暈がする。ここ2,3年、なるべく少量ずつ、一日何回も食べて、老化した内臓に負担を掛けずに、老人の身体機能の健全性を保ちつづけることで、年齢に見合った「健康」を心がけると決めてきた。

そして、一方では、「空腹は味方(体調機能改善の為)」だと、なるべく、「空腹を感じる時間」を作ってから、何かの食べ物を補給する習慣を作ってきたから、これが自分では「大成功」だと感じて、体重が少しづつ減って、理想的な62キロから63キロを維持していた。

ただ、ただし、空腹時間が空きすぎると、腹が減りすぎて、眩暈がするし、力が出ない。しかも、この半年以上、面倒くさくて歯医者に行かず、部分入れ歯の調子が悪く、やわらかいものや,雑炊(ねこまんま)ばかり食って、満足していたので、3日前の昼前の救急搬送から、あっという間に1,2キロ体重が減ったことを感じていた。で、今朝も絶食。9時半過ぎの牛乳と、焼きプリンが旨い。待合室のベンチで、一人ほくそ笑んでそれらを食べて、ふっと見ると、売店の前に、コーヒーの自販機がある。つい、キリマンジャロのブラックの機械抽出を小さな紙コップで啜ると、「生き返るなあ」。だが、一服などと不謹慎なことは出来ずに、当然、我慢した。

それから、10時30分の指定時間にIR室に戻って、今度は造影剤を注入するMRI検査。右腕の静脈に注射針の付いた小さな器具を静脈に射し込んだまま、装着。針先が血管を上に押し上げると、液を流し込むとき少々チクチク痛むので、左指で器具の元を少し抑えて、針先が血管の内部にスムースに向かうように、自分ですると痛くない。物理学じゃないか! 検査技師や検査看護婦が「大丈夫ですか?」と言いながらも、針先が血管内部でも破って、違うところに入り込まない限り、そこまで細かな面倒や作業をさせなくても、ちょっと、私のような天才患者が補助してやることで、老体の自分が、痛みを感じなくて済む。自分で出来ることはやって、彼らの作業を手伝うのが一番、自分の為になる。

なにせ、まだ、右手は、救急搬送時の緊急手術カテーテル検査時に、手首の動脈にカテーテルの入り口(手術の一部)を作って、その入り口からの感染症を心配する大事なプラスチック腕輪器具装着を24時間続けていた。
付けている間、看護婦が頭に来るほど右手を強く使わないよう煩く注意してきた。注射針の後の絆創膏ではないのだ。変なものがくっつけられていると思っていたが、後で考えると、なかなか、大事な器具だ。

カテーテルという器具を動脈から血管内部に射し込む入り口ゲートだから、ゲートに支障が生じて、万一動脈から出血でもしたら、その止血に大変なことになる。右手を使うな? 忠告など上の空で、緊急搬送入院という事故にあった老人なのだ。気が動転しているし、未体験だし、他人の言うことに素直に聞くような76年を過ごしてきていないし、うん、うん、と返事しながら、あまり気にせず、ついつい、好き勝手に使いまくってしまったのだが、幸い、エアー抜き4回やって、最後には主治医が慎重に取り外して「(止血に)問題ないですね」と安心させてくれた。ただ、伴倉庫を貼った傷口は、今でも完全な回復をしていないのか、押さえると、まだ少々痛む。まあ、小さな切り傷でも、この年になると10日くらいはかかるから、仕方がないことだ。

その右腕を利用して、「静脈だから、問題ありません」と、技師や看護婦は「3回必要ですから、この方がいい」と、静脈に固定する注射針の頭を射し込んで、それを利用して、変わった注射器で先ず最初の造影剤を注入した。どうやら、これが、アイソトープかもしれない。打ち込んだ後のMRIかCTで、心筋の検査映像を撮影するのだ。撮影中は、撮影ベッドに寝ているだけで、実に楽なものである。

その撮影が、お昼前に終了すると、その小さな針を利用して、長い細い管を折りたたんで右手に巻いたまま、お昼休憩になった。IR室を出て、弁当を好きに食べていいという。何という自由だ! 売店を見つけて、やわらかそうな高いパンを2つも買ってしまった(目下、我が家の冷蔵庫にある、一部齧ったまま)
これがまた、見た目や手に取った柔らかさとは別に、前歯で噛み切れない。皮が強靭(今、我が前歯は酷い)で、すぐに諦めた。パンは土産にして、安い、幕の内にしたが、全く食欲が出ない。ハンバーグなどの少ないおかず類だけ何とか食べて、少ないご飯は半分以上捨てて、また、自販機で抽出するコーヒーを紙コップ一杯飲んで、快適な場所の待合室を見つけて、ゆっくり昼食休憩タイムを過ごして、午後1時15分に、再び、IR室に戻った。

予定表にはストレステストとCTだけのはずだったが、主治医からボールペンで追加のMRI検査が加わっていた。しかし、それも終わっている。もう、最後は10分間、円筒形の機械に寝転んで、じっとしているだけでいい。そして、2時15分前、すべてが終了して、解放された。受付で、すべての会計を済ませて、外に出る。実にいいお天気で、どこを見ても桜が満開。

娘が迎えに来てくれるのを待って、桜通りの街中の満開の桜を眺めながら、帰宅。もう、思い残すことはない。あとは、15日の担当医と面談で、彼の判断を待って、指示に従う。手術もする。

ただ、それより、今朝の「ふらつき」は、おそらく「血便」のせいだ。大腸か小腸に出血の原因がある。もちろん、腸癌の可能性も濃厚で、現に出血しているのだから、検査の上に、処置というロクでもない医療案件が、待っているに違いない。

「つづき」は、また後だ。先輩社長とビリオンでコーヒータイムが待っている。今朝は、胃腸薬やリーゼや痛み止めを飲みすぎた。じつに、やばい。ふらふらする。


Oldman & 逃げ帰る!

2025年04月09日 | 気象
2025年04月09日(水曜日)午前6時20分:[  8c/16c/30%  ]{ pm09:00-am05:00 } 曇りのち晴れ

後期高齢者を過ぎて見れば、実感で分かると思うが、日々日常生活の細かな部分で、小さなルールを守って、必死に生きている、いや、戦っている。人から「元気そうだ」と言われたり、自分でも「元気」だと自負できても、若者では想像できない小さな痛みや苦痛や、運動機能の衰えや、ま、早い話が「老化」と戦っているのだ。

救急搬送は、私のそんな日常を徹底的に爆破解体し、精神状態を崩壊してしまった。まあ、その話は後日に譲るとして、今朝は自宅の自室のベッドで目覚め、朝は水だけで我慢して、9時前に一昨日搬送された、福井循環器病院(心臓血圧センター)の外来に検査に出かける。
「薬剤負荷心筋シンチの検査」というらしい。4,5時間かけて、アイソトープで心臓の筋肉の血流状態を調べるとか。

昨日のエコー検査では、問題が見つからなかった。来週15日に、検査結果を総合判断して、多分、月末か来月初旬当たり、手術することになるだろう。手術は賛成なのだ。手術はいい。3泊4日を我慢できるかどうか、準備次第だ。

目の前の公園堤防道の若い桜が満開に咲いている。薄曇り。春先の穏やかな景色。ぼんやり眺めて、コーヒーやたばこが飲みたい。しかし、今朝は我慢。腹も減っているけど、水だけしか飲まない。

さあ、また後だ。自分で行けるというのだが、娘が送っていくという。一晩で逃げ帰って、病院とおお揉めになる「とーちゃん」は、少し、1gほど「問題があるかもしれない」。さあ、検査を終えてから、風呂に出かけるぞ!