2025年04月10日(木曜日)午前6時45分:[ 8c/20c/60% ]{ pm09:00-am05:00 } 曇りのち雨
昨日の快晴の名残を残したまま、今朝は穏やかで静かな薄曇り。もうすぐ通勤ラッシュで車の往来が次第に増えてくる。隣近所も、あちこち自家用車のドアの開閉の音がする。7時過ぎには、小学生の集団登校が始まる。一日が始まるのだ。
今朝は、いつものフライパン料理の朝飯を作らず、リンゴと水だけで、コーヒーをチビチビ。身体がどことなく、ふわふわしている。軽い眩暈だろう。朝の気温の低さが、心臓に影響を与えているせいか、その対策で、部屋をガンガン暖かくしているせいか、タバコを一本吸ったせいか、それとも、腸の内部で軽い出血をしているせいか、整腸剤と、魔法の薬(リーゼ5mgとロキソニン60mg)を飲んだせいか、それとも、昨日の検査で、大量の薬剤を身体に流し込まれて、その残量が影響を与えているせいか、空腹で、エネルギー不足か、あるいは、「老化」のせいか、判然としない。
ただ、昨夜はしっかり「熟睡」した。午後9時から、今朝の4時過ぎまで、全く一度も目覚めず、トイレにもいかず、実に良く眠った。
昨日は快晴の朝、満開の桜の福井市を通勤ラッシュ時間に娘に車に乗せられて、福井市内を横断し、東側の福井循環病院。救急搬送された急患が、一晩で「トンずら」してしまった事態に、若くて優秀な担当医は怒り狂って、しかし、冷静に電話で「帰ってきませんか?」と私を説得。しかし、「いやだ!」の私に次善策の案を出して、翌日の今日の外来での「検査」を提案してきた。
それには「応じます」と素直に従って、昨日の朝は9時前に受付を済ませて、「ほぼIR室専門の3つの検査」を受けることになったのだ。前夜のカフェイン断ちから朝食抜きのエネルギー不足で、それでも何とか自力で「軽く」院内をうろつきまわって、検査を受けた。予定表では、2つの検査だったが、追加でMRIが、主治医の自室で書かれていた。CTもMRIも、すべては、腕の静脈から検査試薬を投入する。最初は左腕に注射で、アイソトープを注入し、心臓に1分間づつ、次々と5回のストレスを掛ける。
技師のアンちゃんが、「吉住さん、走り回っているのと同じ圧力を心臓にかけていますが、大丈夫? 異常はありませんか?」と何度も聞かれたが、「脳がボケているのか、何も感じないよ」と5分間が無事終わった。「それより、首筋が痛む、頚椎の後靭帯の石化症だったか、患っているからねえ。」「あ、硬化症ですね。枕換えましょか?」と軽い返事。こっちは、首筋が痛む。
これが終わったら一服。数十分の休憩があって、「持参してください」と言われた「牛乳、プリン、チョコレート」などを補給すると書かれていたので、来るとき娘にコンビニに寄って、全部持参(院内には、IR室のすぐ近くに、病院の隠れた売店があって、別に買ってこなくても売っていたのだが、あとで分かった。)

老体は空腹に弱い!腹が減ると、すぐに足取りがふらふらするし、軽く眩暈がする。ここ2,3年、なるべく少量ずつ、一日何回も食べて、老化した内臓に負担を掛けずに、老人の身体機能の健全性を保ちつづけることで、年齢に見合った「健康」を心がけると決めてきた。
そして、一方では、「空腹は味方(体調機能改善の為)」だと、なるべく、「空腹を感じる時間」を作ってから、何かの食べ物を補給する習慣を作ってきたから、これが自分では「大成功」だと感じて、体重が少しづつ減って、理想的な62キロから63キロを維持していた。
ただ、ただし、空腹時間が空きすぎると、腹が減りすぎて、眩暈がするし、力が出ない。しかも、この半年以上、面倒くさくて歯医者に行かず、部分入れ歯の調子が悪く、やわらかいものや,雑炊(ねこまんま)ばかり食って、満足していたので、3日前の昼前の救急搬送から、あっという間に1,2キロ体重が減ったことを感じていた。で、今朝も絶食。9時半過ぎの牛乳と、焼きプリンが旨い。待合室のベンチで、一人ほくそ笑んでそれらを食べて、ふっと見ると、売店の前に、コーヒーの自販機がある。つい、キリマンジャロのブラックの機械抽出を小さな紙コップで啜ると、「生き返るなあ」。だが、一服などと不謹慎なことは出来ずに、当然、我慢した。
それから、10時30分の指定時間にIR室に戻って、今度は造影剤を注入するMRI検査。右腕の静脈に注射針の付いた小さな器具を静脈に射し込んだまま、装着。針先が血管を上に押し上げると、液を流し込むとき少々チクチク痛むので、左指で器具の元を少し抑えて、針先が血管の内部にスムースに向かうように、自分ですると痛くない。物理学じゃないか! 検査技師や検査看護婦が「大丈夫ですか?」と言いながらも、針先が血管内部でも破って、違うところに入り込まない限り、そこまで細かな面倒や作業をさせなくても、ちょっと、私のような天才患者が補助してやることで、老体の自分が、痛みを感じなくて済む。自分で出来ることはやって、彼らの作業を手伝うのが一番、自分の為になる。
なにせ、まだ、右手は、救急搬送時の緊急手術カテーテル検査時に、手首の動脈にカテーテルの入り口(手術の一部)を作って、その入り口からの感染症を心配する大事なプラスチック腕輪器具装着を24時間続けていた。
付けている間、看護婦が頭に来るほど右手を強く使わないよう煩く注意してきた。注射針の後の絆創膏ではないのだ。変なものがくっつけられていると思っていたが、後で考えると、なかなか、大事な器具だ。
カテーテルという器具を動脈から血管内部に射し込む入り口ゲートだから、ゲートに支障が生じて、万一動脈から出血でもしたら、その止血に大変なことになる。右手を使うな? 忠告など上の空で、緊急搬送入院という事故にあった老人なのだ。気が動転しているし、未体験だし、他人の言うことに素直に聞くような76年を過ごしてきていないし、うん、うん、と返事しながら、あまり気にせず、ついつい、好き勝手に使いまくってしまったのだが、幸い、エアー抜き4回やって、最後には主治医が慎重に取り外して「(止血に)問題ないですね」と安心させてくれた。ただ、伴倉庫を貼った傷口は、今でも完全な回復をしていないのか、押さえると、まだ少々痛む。まあ、小さな切り傷でも、この年になると10日くらいはかかるから、仕方がないことだ。
その右腕を利用して、「静脈だから、問題ありません」と、技師や看護婦は「3回必要ですから、この方がいい」と、静脈に固定する注射針の頭を射し込んで、それを利用して、変わった注射器で先ず最初の造影剤を注入した。どうやら、これが、アイソトープかもしれない。打ち込んだ後のMRIかCTで、心筋の検査映像を撮影するのだ。撮影中は、撮影ベッドに寝ているだけで、実に楽なものである。
その撮影が、お昼前に終了すると、その小さな針を利用して、長い細い管を折りたたんで右手に巻いたまま、お昼休憩になった。IR室を出て、弁当を好きに食べていいという。何という自由だ! 売店を見つけて、やわらかそうな高いパンを2つも買ってしまった(目下、我が家の冷蔵庫にある、一部齧ったまま)
これがまた、見た目や手に取った柔らかさとは別に、前歯で噛み切れない。皮が強靭(今、我が前歯は酷い)で、すぐに諦めた。パンは土産にして、安い、幕の内にしたが、全く食欲が出ない。ハンバーグなどの少ないおかず類だけ何とか食べて、少ないご飯は半分以上捨てて、また、自販機で抽出するコーヒーを紙コップ一杯飲んで、快適な場所の待合室を見つけて、ゆっくり昼食休憩タイムを過ごして、午後1時15分に、再び、IR室に戻った。
予定表にはストレステストとCTだけのはずだったが、主治医からボールペンで追加のMRI検査が加わっていた。しかし、それも終わっている。もう、最後は10分間、円筒形の機械に寝転んで、じっとしているだけでいい。そして、2時15分前、すべてが終了して、解放された。受付で、すべての会計を済ませて、外に出る。実にいいお天気で、どこを見ても桜が満開。

娘が迎えに来てくれるのを待って、桜通りの街中の満開の桜を眺めながら、帰宅。もう、思い残すことはない。あとは、15日の担当医と面談で、彼の判断を待って、指示に従う。手術もする。
ただ、それより、今朝の「ふらつき」は、おそらく「血便」のせいだ。大腸か小腸に出血の原因がある。もちろん、腸癌の可能性も濃厚で、現に出血しているのだから、検査の上に、処置というロクでもない医療案件が、待っているに違いない。
「つづき」は、また後だ。先輩社長とビリオンでコーヒータイムが待っている。今朝は、胃腸薬やリーゼや痛み止めを飲みすぎた。じつに、やばい。ふらふらする。