2025年03月03日(月曜日)午前6時35分:[ 5c/7c/70% ]{ pm10:00-am05:20 } 雨のち晴れ
昨日の一日、どーしても思い出せなかった「竹田麗央」の名前が、今朝起きがけに、突然浮かんだ。もちろん、ネットなど見ればすぐに判明するのだが、全く苗字も名前も思い出せる気配がないまま、ずっと気にしていたのだ。
昨日から2泊3日のリハビリに、お隣の滋賀県、琵琶湖畔の湖西線沿いにある高島市にレクサスの高級SUVで出かけた同級生の友人が、一体何の「リハビリ」?
これも不明だ。高島市の隣に「脳梗塞」リハビリセンターがある。まさか、これか?
この世は、いろいろ、各人各様の「事情」がある。そして、災害。昨年は、元旦から、いまだに揺れている能登地震。今年は、大船渡の山林火災。いい加減、雨降らんかい!と空に向かって叫びたい気分になる。令和は災害続きだ。
手元に「平成の東京12の貌(かお)」という、文春新書がある。2019年に発刊された本をカボスの中古本コーナーで買ったものだ。買った理由は不明だが、ふと、手に取ってみたら知人のジャーナリストの佐々木実氏が「エリートが集うリトル・インド」というタイトルで寄稿している。12人が雑誌に投稿した記事を集めて、1冊の本に編集したのだが、12人中、知っている名前は彼一人。読み始めたら、止められない話題。確か、「リトル・インド」は、テレビで見たことがあるような気がする。
グローバリズムの流れに乗って、東京の中身が大変貌を遂げている実態は、意外に国民は認知していないかも知れないとつくづく思う。日本は、東京とその他の二つで国家を構成している。二つは別物だ。
今朝は、面白い話を思いついた。
スーパーで10個のニンニクを買って、これを種にして、畑に植えることを考えよう。最初の年は、1個のニンニクが6個の「種」になるとして、晩秋に60か所に植えたとしよう。それが、翌年60個収穫できる。で、それを今度は、また種にして、360か所に植える。すると、翌年、360個のニンニクを収穫できる。
10個買って、1年目で60個、2年目で360個。で、それを300個消費して、60個を種に残せば、3年目も同じことを繰り返せる。3年目から8年同じことをすれば、10年で、合計2400個のニンニクを生産したことになる。
では、2年目の360個を、すべて、種にして植え付けると、翌年の3年目には、2160個収穫出来る。ここでも、我慢して一個も消費せずに、全部種にして植え付けると、4年目には、12960個のニンニクを収穫できる。何事も、5年辛抱しようと、これもまた、全部種にして、巨大な畑に植え付けると、5年目には77760個のニンニクを生産できる。
ここで、区切りを付けて、6年目から同じことを繰り返そうと考えれば、77760個から翌年の種の12960個を残して、64800個だけ、販売、または、消費する。5年目から、6年間64800個の生産が出来るのだから、合計、388800個の販売、または消費が出来る計算になる。
農業は、焦ってはいけないのだ。10年で2400個しか生産できないことに比べたら、5年辛抱したらすごいことになる。10年辛抱したら、天国か?違う?
ちなみに、9年辛抱すると、1億個を超える収穫が出来る。1個10円で売れたら、10億円だ。