のんのん太陽の下で

初めての一人暮らしが「住民がいるんだ・・・」と思ったラスベガス。
初めての会社勤めが「夢を売る」ショービジネス。

六日中の三日目

2009-05-21 | KA
 ユリが満開になりました。六日目のショーまで、きれいに咲いていてくれますように。
 まだ三日目なのに、身体は疲れていました。今日は何が身体を動かしてくれるのかな、と思いましたが、何も起こらず、自分で意識して動かさないといけないようでした。 
 今日は投げたフルートが上手く取れません。ほんの少しタイミングが遅れるのは、身体の動きがほんの少し遅いのでしょうか。そして、もしかすると昨日の新聞記事をご覧になった方が、今日は観にいらしているかもしれないと思うと気が引き締まり、さらに緊張することになりました。
 一回目のショーでは、双子の男の子がフルートを吹くと音が聞こえてきませんでした。こういう時、彼が本役でしたらそれに反応して何かをすると思われましたが、今日は代役でしたので、私もそのままいつも通りに演技を続けました。いつも通りに演技を続けたのは、今日の緊張には良かったのかもしれません。
 二回目のショーでは、身体を動かし過ぎてケイジに突撃しそうになりました。反応は良かったので尾を引かず、踊った後にはそのことを忘れていましたが、上から観ていたアーティストに指摘されました。
 昨日今日は客席が少し空いているようでした。また、今週は街が空いているように思います。メモリアルデイの週末まで、ラスベガスを訪れる人が減るのかもしれません。

彼が会いたがっていた訳

2009-05-20 | メディア
 ふと、クリエイションの時のことを考えていました。いろいろなことに挑戦する機会があり、楽しかったなと。今は、全く初めてということに挑戦する機会はないかもしれません。でも、ちょっとした新しいことがあったり、少しの違いがあったり。そして、その小さなことを楽しめる自分で良かったなと。
 そんなことを考えながらトレーニングルームで過ごし、本番の準備に更衣室へ戻ると、衣装部屋の方が私の席の蛍光灯を交換してくれているところでした。そして、
「新聞見た?」
 と。見てないことを言うと、
「え、見ていないの。あなたのことが書いてあったよ。」
 きょとんとしていると、小さな声で、
「マイケルジャクソンが今度のツアーであなたのことを使いたいって。」
 私は本当にびっくりして
「本当ですか。」
 と何度も訊きました。すると、
「インターネットでも見られるから、印刷して持って来てあげるよ。」
 と。初めは小さな声で話していた彼ですが、彼も興奮してきて最後には大きな声になっていたものですから、更衣室の反対側にいるエリカにまで聞こえていました。彼が出て行くと、エリカがこちら側に来て
「すごいじゃない。私はあなたのことが大好きだし、ここからいなくなってしまうのは残念だし、淋しくなるけれど、話が来たら考えるべきよ。考えないっていうのなら、私が追い出すからね。」
 と喜んでくれました。
 私はドキドキして、でも新聞を見るまでは信じられないと思い、落ち着くようにしようとしていました。すぐに記事を持って来てくれたので、それを見ると、確かにそんなようなことが書いてありました。そして、もうショーが始まるというのに、手が震えるようにドキドキしてしまうことになりました。
 衣装に着替え、カツラも着け、いつものようにトレーニングルームへ行き、静かになったトレーニングルームで心を落ち着かせようとしていました。すると私の様子に気付いたのか、ただの偶然だったのか、コーチのエイドリアンが、
「大丈夫?」
 と話しかけてきました。
「いや…。」
 と言いながら、彼になら話してもいいかと、大丈夫でない理由を話しました。
「ああ、そんなような話、誰からか聞いたよ。でも、今日彼が観に来るわけではないんでしょ?」
 とエイドリアン。確かにそうですが…。
「ごめんね、心落ち着かせているところを邪魔しちゃったかな。」
 いえいえ、きっと誰かに話した方が良かったということでしょう。
 緊張は毎日しますが、このドキドキは手が震え、良くありません。なんとかなるのだろうか、いや、なんとかしないと、と思いながら時を過ごしていました。今ここにいる私は、この今行われているこのショーをしっかりと務めることが一番大事なことなのです。それが出来ないのなら、この話はないものとなるでしょう。そして、話を聞いてから1時間ほど経って、ようやく手の震えはなくなりました。
 この話がどうなるのかは分かりませんが、何かが動き出しているような気がすると楽しくなってきました。そして、その気持ちを上手く胸に納めることが出来、無事に舞う事が出来ました。
 帰宅してから、もう一度その記事を見ると、初めの五行ぐらいで終わっていると思っていた私のことが、その後も続いていました。
 マイケル・ジャクソンさんがKAをご覧になった後、「あのバトントワラーに会いたい。」と連絡をして下さったとき、もしかすると彼は私を子供と思ったのかもしれない、などと思ったものです。でも、もしかするとアーティストとしての目で私のことをご覧下さったのかもしれません。KAでの私の舞と、彼のコンサートで行われているだろうこととは、見た目にはあまり共通するところがないように思えますが、もしも彼がその舞の中に何かを見出して下さっていたのなら、光栄なことです。
 記事の続きを読むと、あの偉大なアーティストが本当に私のことを気に入って下さったことが分かりました。でも、この記事だけ読むと最近のことに思えますが、彼がKAを訪れたのはもう随分前のことです。今やもう、私のことなど忘れているかもしれません。そして、彼のツアーに参加をする話などきっとないことでしょう。でも、これがきっかけで何か変化が起こるかもしれないと思うと、楽しくなってきました。その日が来るまで、私は今まで通りに、毎日のKAの舞台を誠実に務めていきたいと思います。

 『REVIEW-JOURNAL』の記事はこちらでご覧いただけます。http://www.lvrj.com/news/45462952.html
 また、5月24日発売の小学館、雑誌『プラチナサライ』2009年7月号に掲載して頂きました。

お嬢さんに

2009-05-19 | KA
 バックステージテクニシャンのお嬢さんが、私がフルートを回しているのを見て「やりたい。」と言っていたので、バトンをプレゼントすることにしました。可愛く包むことが出来、早く渡したくてドキドキしていました。予想通り、今日は彼に会う事が出来ました。お嬢さんに喜んでもらえますように。
 練習を終え昼食をとっていると、頭痛があることに気付きました。右側だけ振動が加わるとなぜか痛いのです。まあ、これぐらいの痛みは大したことではありません。
 休暇明けの一回目、こちらも予想通り緊張していました。でも、身体の動きが良く、それに助けられた感じです。二回目は逆に、久しぶりの本番で少し疲れた身体を、舞台に立てる喜びが動かしてくれた感じでした。
 今週は六日間の勤務。緊張の日々が始まりました。

日常に戻っていく

2009-05-18 | 日記
 山で過ごしている間に、やらなければならないことが溜まってしまい、ほとんどの時間をコンピュータと共に過ごしました。幸い調子良く、仕事が捗ったので仕事を続けていると、お昼を食べる時間が夕方になりました。コンピュータが熱くなってしまったこともあり、夕方に友達と買い物に出掛けました。何よりの気分転換となりました。
 そこで、会社の悲しい対応や、物を見る目の無さなど、同じようなことに同じようにがっかりしていることを知りました。でも、自分自身は手を抜かず、即興について仲間から学んだ話や、彼が前向きにプロのアーティストとして細やかな心配りをしている様子を聞くと、とても嬉しく、私の気持ちを晴れやかにしてくれました。
 明日から私も仕事が始まるので、部屋もきれいにしておきたいところですが、夜からはコンピュータに向かうと捗りが悪く、疲れも出てきました。片付けは明日になりそうです。

ドライテックで腹痛

2009-05-17 | KA
 初めて日本語でジャイロキネシスのクラスをしました。私の教え方はともかく、この運動を気に入ってくれたので、とても嬉しくなりました。教えるにあたって私もきちんと身体を動かすことになり、休暇明けの始動に良い機会となりました。
 それからドライテックに向かいました。舞台を支えるバックステージテクニシャン達が、本番通りに全てのことを動かすところに参加させて頂いての一人リハーサル。
 アーティストは来ないことになっているので、この日は更衣室が開いていないことが時々あります。今日は忘れずにそのことを思い出したので、それなりの準備をして行ったのですが、開いていました。そういうものです。
 いつも時間が掛かる、テントを鳥にするところも、今日はそれ程時間が掛からずにスムースでした。しかし、私はとても緊張していました。お腹が痛くなるぐらい。今日も機会を頂けて本当に良かったです。
 帰りがけ、あまり疲れていないことに気付きました。確かに今日はフルートを回す場面を一回しただけでが、他の場面もするという事は、体力的には何でもないことですが、本番中は何が起こるか分からないので神経を研ぎ澄まさせ、また、場面と場面の間に階段を駆け上がったりすることは、エネルギーをたくさん使うということが良く分かりました。
 休暇が明けると6日間の勤務になります。緑の中でゆっくりとしてきたので、十分にそのエネルギーは蓄えられたことでしょう。

やさしい緑を後にして

2009-05-16 | 旅日記
 お礼の手紙を書いていると、下から名前を呼ばれました。「すぐ行きます。」と答えると、「生きているか確認しただけよ。」と。彼女は本当に面白いのです。それから手紙を書き終えるのに、少し時間が掛かってしまいました。降りていくと、朝食の支度をしていました。もっと早く来るべきでした。
 すぐに手伝えることは手伝って、素敵なダイニングルームで素敵な朝食を頂きました。ランチョンマットの脇にはそれに合うナプキンが用意され、フォークとナイフとスプーンが並べてある中央に、かわいらしい花柄のお皿にきれいに盛り付けられた朝食を頂くのは、彼らには“普通”のことのようですが、私にはもちろん特別で、一面のガラス窓から山の見える素敵なレストランに来ているかのようでした。
 そのように、私の日常とはかけ離れた生活をしているご夫妻ですが、親しみを感じることがしばしばありました。今朝は、私が飲まなかった朝食に出た水を、空のペットボトルに移し替えようとしていると、「これは母が使っていたものなのよ。」と言って、漏斗を出して下さいました。小さな事も物も大切にして、このような大きな家に住めるようになったのかもしれません。そしてそうなった今も、“私の日常”は歓迎して下さるのです。
 私は既に荷物をまとめ、出発するだけとなっていたのですが、まだ時間はあるようなので犬の散歩に出ました。玄関から郵便受けまでの長い道を、今日は初めて一人で犬を散歩させてみました。犬は自分の方がここを良く知っているという事を示したいかのように、私を見ながら進みました。私は犬に頼るように進みながら、木を見上げたり、花を眺めたり、茸を見付けたり。
 無事に犬の散歩を終えると、ベランダに出て目の前に広がる緑の山々を眺めながら、澄んだ空気を大きく吸いました。風にそよぐ木々の葉が心地の良い音を奏でます。
 さあ、いよいよ山の生活にさよならをしなくてはいけません。空港までの道、ご夫妻といろいろと話をしていると、あれも出来なかった、これも出来なかった、それも出来たね、といろいろなことが浮かび上がり、その度に「今度来た時ね。」と。それは空港に着くころにはあまりにもたくさんになってしまい、彼女の「覚え切れないから書き留めておきましょう。」という言葉通りにしないといけないような気がしてきました。
 ナッシュビルに入ると、彼女は街の地図を出しました。それを広げるとセロテープがカラカラに乾いていて、剥がれ掛けていました。きっと街の様子はその地図から変わったことでしょう。今度は地図をプレゼントしようと決めました。
 毎日が雨という天気予報は有り難くも外れ、傘をささずに過ごすことが出来ました。しかし、空港に着くと空が真っ暗になり、稲妻が光り雷が鳴りました。少し早目に着いたので、ご夫妻はしばらくの間待ち時間を共にして下さいました。私達は空の様子を見ながら、この数日間の出来事や、今度訪れた時のことを話しました。
 この数日間、このご夫妻と過ごさせて頂き、言葉がとても丁寧であることを感じました。私の職場で聞くような英語とは違う事が、この英語の出来ない私にも分かります。正確さをあまり気にし過ぎると、また話せなくなってしまうことは分かりますが、心に留めて過ごしたいと思いました。
 時間が来たので、私は手荷物検査所を入って行くことになりました。「部屋があることが分かったでしょ。あなたが来てくれるのは嬉しいことですし、私達はいつでも歓迎するからね。」ご夫妻はいつまでも手を振って下さいました。
 突然決めた私の訪問を、温かく迎えて下さったご夫妻とそのご家族。みなさんのお蔭で、思っていたよりもはるかにゆっくりとのんびりと時を過ごすことが出来、心身休まる休暇になりました。 
 ラスベガスに着く頃に窓の外を覗くと、当然のことながら乾いた土の山々が連なっていました。そして、この緑少なきラスベガスに住み始めて五年が経過していることに気付きました。降り立つととても暑く、五年前はこんなに暑かったのかと考えました。調べると、今日はこの日の最高気温の記録を更新したことが分かりました。
 この暑いラスベガスを訪れている友人がいるので、空港から直行で会いに行きました。すると、彼女とお嬢様だけではなく、私が以前受けたピラーティスのコースを今期受けている日本人の方もご一緒でした。彼女は気持ちの良い方で、とても頑張っているということがすぐに分かりました。その方も時間があるということなので、みんなでタウンスクエアを少し散歩して、それからいつも行く居酒屋に夕食を食べに行きました。彼女達は久しぶりの日本食をとても喜んで召し上がっていらして、私にもよりおいしく楽しい夕食の時間となりました。
 家に戻ると、金魚も植物も元気にしていてほっとしました。私の日常がまた始まります。 

アトランタ経由でテネシーへ

2009-05-12 | 日記
 マリレンの結婚式、その後のパーティから帰宅したのが午前1時過ぎ。思っていたよりもずいぶん遅くなってしまいました。
 急いで旅の支度を始め、どうにか整い、3時間ほど寝ることができました。
 いよいよ約束を果たしに、テネシーへ向けて出発です。楽しい旅となりますように。

マリレンの結婚式

2009-05-11 | 日記
 バレーオブファイアでの結婚式には何を着て行ったらいいのか、本当に分からないまま、とりあえず着るものを一つ用意しておきました。それは、スカートを足して長いドレスに作り変えようと思って買った中古のドレス。そんな暇はなく、短いタイトスカートのままですが、着られないことはありません。少し切れていたスリットを縫っておきました。
 髪の毛の準備から取り掛かりました。最近そういうことをしていないので、髪を上げるのに思ったよりも時間が掛かってしまいました。そしてお化粧をしました。黒のドレスなので赤の口紅をつけると、それだけで華やかになりました。
 ひとつ、友人から借りているドレスがあり、暑さの中では薄手でとても良いドレスと思われましたが、外で着て痛めるといけないので、やはり、9ドル99セントのドレスを着ることにしました。
 そのドレスは、背中の半分ぐらいがボタンになっています。昨日一度着て様子を見た時は、このドレスでも良いかなと確認し、ボタンにも手は届くと触っただけで、実際に全部ボタンを閉めることはしませんでした。そして今日着てみると、たくさんのボタンのうちの二つをなかなか閉めることができません。こういうとき一人で住んでいると不便です。ドレスを上げてみたり、なるべく下ろしてみたり、いろいろしましたが、どうも上手くいきません。片腕を後ろに回して、もう片方の手で後ろに回した腕の肘を押しストレッチをしているようにして手をボタンに近づけると、ようやく一つボタンがはまりました。そして腕を変えてもう一つ。身体がおかしくなりそうでした。
 そして、「ああ、閉まった…。」と安心して姿勢を変えようとすると「ビリッ!」と。スリットが切れたようでした。でも、ようやく閉めたボタンをどうにかして開けて、それをまた着る時間はもうありません。身体を後ろにひねってスリットの破れ具合を見ようとしても良く見えません。良く見えませんが、大きく切れているようではないので、そのままでも大丈夫という事にしました。
 さあ、あとは靴を履いて出発です。かかとの高い靴で運転をするのは良くないかと、運動靴で行き、着いたら履き替えようかと思っていました。そして、用意したかかとの高い靴を手に取ろうとすると、身体が曲げられず、膝を曲げても膝が曲げ切れず、床の方に手が届きません。仕方なくスカートを持ち上げて、靴を手にしたのですが、こんなことはここには誰もいないから出来ることであって、靴は外では履き替えられないという事が分かりました。いろいろなことが起きる度に「ああ、不便…。」と言いながら、どれだけ笑ったことか。
 全ての支度をして、玄関でまたスカートを持ち上げて靴を履こうとすると、今度は、もしスリットが上まで切れてしまったら…という事が不安になり、着替えを持って行くことにしました。そして、ようやく靴を履き、念のために運動靴を持ち、車に乗ろうとすると、今度は簡単に車に乗れませんでした。本当に不便で一人でまた笑いました。
 ベラッジオに宿泊している友達を迎えに行き、マリレンの家に向かいました。到着するとすぐに大きな車に乗り換えて、新郎新婦のご家族やお友達と、式場となるバレーオブファイアに向かいました。私は車中で寝て、明日からの旅に備えるつもりでしたが、みなさん良く話をするので寝る機会がありませんでした。
 バレーオブファイアには予定よりも早く着き、みんなで日陰に入って待機しました。そしていよいよ結婚式。
 赤い岩に囲まれた小さな場所に牧師さんがいらして、少し待っているとマリレンがお父さまと歩いてきました。真っ白なシンプルなドレスに黄色いひまわりのブーケ、それが大自然の赤に映えてとても素敵でした。
 新郎は終始と言ってもいいぐらい泣いていました。顔がぐちゃぐちゃになるぐらい泣いていました。後のパーティで話していましたが、初めて出会った時にもうこの人しかいないと思ったようです。だから初めて自分が積極的に動いたとか。新婦も同じように、一度会ってすぐに、「こんな人には会ったことがない、もう一度会いたい。」と思ったそうです。出会って一年で婚約は、彼らには遅いことだったのかもしれません。
 そんな彼らなので、「お幸せに。」などと他人が言うような隙間は少しもなく、私は“ベストフレンド”として招待されていたようですが、外から結婚式を見ているようでした。
 式が終わるとみなで写真を撮り、その後二人だけで写真を撮り、私は写真家の友達を待っていたので最後まで残ることになり、また大型車で来た道を戻りました。
 新郎新婦の家に着くと、パーティは始まりました。まずは空いているお腹を満たして、そのあとゲームをしたり、スピーチがあったり。KAの仲間は休暇中なのであまり見られませんでしたが、たくさんの人が訪れていました。
 そろそろ帰ろうかと思ったところに、親しい友達が来ました。私がいつも絶対に着ないような服を着ているので、とてもびっくりしていました。しばらくゆっくりと話が出来て良かったです。
 まだまだみなさん残るようでしたが、私は明日のことがありますし、お先に失礼することにしました。
 マリレンが彼に出会ってから、私は彼女と過ごす時間が減りました。そして赤ちゃんが生まれたら、その時間はもっと減ることでしょう。ちょっと淋しいような気もしますが、彼女の幸せを見ているのは嬉しいことです。

あれとこれとそれの準備

2009-05-10 | 日記
 明日の結婚式参列の準備と、その翌朝出発の旅の準備と、留守にするのでそのまた準備と、一つに集中しないで、あれもこれも少しずつ進めて行きました。暑さもあり、一つのことに集中していると、すぐに飽きそうでした。でも、時間を上手く使わないと、全てはできないと思ったのです。三つとも完了はしませんでしたが、全部前には進みました。
 旅先の天気は、どうやら毎日雨のよう。ラスベガスに住んでいると、みなさん雨が降ると喜びます。私は、未だに心からは喜べませんが、母がよく言うように、自然に逆らってはいけません。雨が降ったらゆっくりと、雨の景色を楽しめますように。

え、ポスター?

2009-05-09 | KA
 久しぶりにKAのグッズを売っているお店に行くと、私のキャラクターの写真が飾ってありました。あまり気にせずにお店を一回り。そして、飾ってある所はセール品が置いてあるところなので戻ることになり、また、ふとその写真を見ると、隣に“KA”のロゴと“$16”と書いてあります。「え、もしかして、これポスター?売っているの?」。それから、KAのロゴのポスターを探すと、同じように16ドルと書いてあります。また戻って、今度はまじまじと見てしまいました。こんなに大きなポスター、しかも16ドルもして…。店員さんが来たので尋ねると、やはり売っているとのこと。私は思わず「こんなの買う人いるのですか。」と尋ねてしまいました。店員さんが不思議そうにこちらを見るので、「あ、すみません。ちょっと失礼な質問に聞こえてしまいましたよね。実はこれ、私なのでビックリして。」と謝りました。すると今度は店員さんが驚いて、「これ、あなたなの。」と何度も。そして、「本当にあなたなら知っているはずでしょ。会社が言うだろうし、お金だってもらえるんでしょ。」と。いえいえ、お金どころか自分のキャラクターが付いた新商品も頂けませんし、それを作ったことさえ教えて頂けないのです。「お金を頂けていたら、『75ドル買うと10%オフか…。』などと考えませんよ。」とお店の人に言うと、笑っていました。私のキャラクターはTシャツになったり、今日は顔の付いたカップがKAのお店で売り出されてるようになったのも見ました。いろいろと使って頂けることが、何よりも嬉しく、光栄なことです。
 その後その店員さんが、「この人知っている。」と別のポスターを見せてくれました。双子の男の子でした。更衣室へ戻り、お化粧をしているとシェリーが来たので教えてあげると、すぐに彼女はお店に行きました。そして、私のポスターの写真も撮って来てくれました。

 休暇の行き先を決めたので、質問に答えられるようになりました。しかし、答えると「どうしてそこなの?」と必ず訊かれます。「推測した時に一番最後に考える場所だね。」とまで言われてしまいました。私はますます楽しみです。

 バトルフィールドの終わりが少しいつもと違いました。それでもエピローグは普通に始まったので、いつもと同じところでステージマネージメントからキューが出ると思って待っていたのですが、出ません。私は覗き込むと、ピエールルックが尋ねているような姿が見えるところに、ズラが「まだ?まだ?」と尋ねていました。そして、いつもとはだいぶ遅れてキューが出ました。そのキューは、前回走らなければならなかった時よりもさらに遅く、もう間に合わないことが確実に思われました。ステージまで一生懸命に走り、階段を駆け上がり、一緒に登場するピエールルックを確認するのに斜め後ろを振り返ると、ステージに飛び乗ったところでした。前回同様、衣装をたくしあげている姿がおかしく、笑いました。私達は、いつもお時儀をする曲の後半ぐらいにようやく辿り着いたので、その後登場するキャラクター達は全く間に合いませんでした。
 このキューの遅れは、ステージマネージメントが忘れてしまっただけとのこと。休暇はすぐそこです。そういう時こそ気を引き締めて、いい休暇を迎えたいと私はいつも思います。だから緊張をするところに、今日はお客様。二回目のショーに、友人がお嬢様と一緒にいらしてくれました。子供は素直なので、いろいろなことを良く観ています。緊張したら、それも見えるのだろうな、と思いながらショーに臨みました。
 舞台に立つと、素直な子供のエネルギーを受け取れたのでしょうか、自然に素直に身体は動きました。そして、終わってからお会いするととても喜んで下さっていて、お嬢様は、話しかけてもそれが聞こえないぐらいショーに夢中になっていたとのことで、ほっとしました。休暇前の最後のショー、お客様に喜んで頂いて気持ち良く終えることが出来良かったです。
 長い休みの前は、更衣室をきれいにして帰らなければなりません。今日それが終わったのが午前一時。それでも明日からは休みということもあり、ニコニコとMGMを後にしました。