みみずのたわごと

多忙老人の独り言

幕末の京都

2010-05-24 16:42:00 | 独り言
 京都は平安の都であったと同時に近代日本に転換させた血みどろの舞台でもあった。
八坂神社の東山斜面にある霊山歴史館はその歴史をビジュアルに展示している。



 入り口正面には国事に奔走して処刑された脱藩志士・平野国臣の辞世の句が掲げられている。今回の京都案内人の父の祖父に当たるという。



 京都での事件は多いが、池田屋事件と寺田屋事件が混乱しているのは私だけだろうか。
ここでちょっと自分のために整理してみました。



 池田屋事件は1864.7.8 

 三条木屋町の池田屋旅館で京都治安維持隊の新撰組が尊王攘夷派である長州・土佐藩士を襲撃した事件。



 坂本竜馬ブームとあって川原町近くの竜馬寓居跡(右端の石碑)には若い女性が訪れていた。



 寺田屋事件は本当は寺田屋襲撃事件 1866.3.8 

 龍馬や長州の三吉慎蔵らが深夜2時に幕府伏見奉行の取り方百数十人に囲まれ、入浴中のお龍は裸のまま裏階段を2階へ駆け上がり龍馬らにその危機を知らせた。この時腰や指などに傷を負った竜馬は恋人のお龍と薩摩の温泉へ湯治・潜伏に行ったのが日本初の新婚旅行とされている。


 そして近江屋事件 1867.12.10

 夜に客が近江屋を訪れ龍馬に会いたいと願い出た。その刺客は音もなく階段を駆け上がり、ふすまを開けて部屋に侵入し龍馬は額を斬られた。その後龍馬は後頭部から背中、再度額を深く斬られ、とどめを刺されて絶命した。解説では脳漿が飛び出したと言っていた。丸い写真で鞘ごと受け止めたが相手の刀が頭を深く切りつけた。



 川原町通りに面している近江屋(醤油店)跡は今はコンビニになっている。



 歴史館の直ぐ上の霊山護国神社は明治になって維新に活躍した志士たち1.356名を集めて慰霊している。急坂の中ごろには一緒に襲撃された中岡慎太郎と並んで竜馬の墓標(左側)が立っている。
ここから京都の町が箱庭のように見渡せる。



 竜馬も遊んだ先斗町の夕方7時ごろ。先をャ唐ニ読むのはャ泣gガル語で先をャ唐ニ発音するからという。



 このような小路が先斗町と木屋町通りを沢山つないでおり、その間に店が3~4件ある。



 先斗町から入った店の奥へ行くと鴨川が見える(川床)席は風流だが、この時期はまだ寒く、ひざ鰍ッをかしてくれたので女性は助かっている。下流に南座が見える。