陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

介護から看とりの周辺

2008-02-08 22:59:49 | Weblog
こんどの職場は有料老人ホーム内にある。
入居者は介護保険も利用して終身過ごされる事になっているが
スタッフは介護職しかいない。
診療所が併設してはいるが
医療面で充分しているとは決して言えない。

病院から退院を迫られてその後の終の棲家に
ウチのホーム入居をご家族が希望されたので
迎えることが出来る方かどうか
病院へと施設ヘルパー責任者を伴って
聞き取りに出かけた。

入居される方には留置カテーテルが入ったまま。
自然な排尿は見込まれない。
椅子に1時間くらいは座られるそうだが
もう歩くことはできない。
食事はスプーンや箸でなんとかご自分で食べられるが
食事の摂取量が少ないので高カロリー飲料を飲んで過ごされている。
94歳。
年齢からして元気をこれ以上回復される見込みはなく、
医療的な処置は何もないので退院を迫られている。

留置カテーテルが気になる。
きちんと食物だけの食事でないのが気になる。
尿路感染の恐れや免疫力の低下の危険が高い。
看護師はいないのだ。
訪問看護をカテーテル交換に頼むことになるだろうが
日常的には看護の目がない。
入居先としては療養型病床がベストな方ではないかと思われた。
病院の相談員がすぐに受け入れる療養型病床はないと言う。
本気で探したのか?とも私が探しましょうか?とも立場上言えない。

私はご家族に
介護スタッフしかいないが構わないか?
病状悪化の場合は、また病院へ逆戻りもありうるが構わないか?
念を押した。

横からヘルパー責任者が
病院へ運べばどうしても延命処置がとられます。
胃ろうやら経管栄養の処置をされて
スパゲッティで存える人は幸せだろうか?
と、言い始めた。
そうい状態に成られたら、ウチのホームでは看る事はできないが
家で自然に枯れるように亡くなるお世話と
同じことはさせてもらうとまで言った。

同じ職場の現場最前線の人間が
満足いく人手もない事を重々承知して
自分の生死観を口にすべきではなかった。
しかも
お元気になられない事を前提として話してしまっている。

何度も電話で話したおそらく一番お母さん思いの
娘さんの目から
大粒の涙が転がった。
死は決して簡単に受け入れられるものでもないのだ。

家族の気持ちはこれで決まったろうと思った。
『死の時間まで我々は責任を持ちます』
と、言ってしまったも同じ。

私は軽々しくそう言う事を口にして欲しくなかった。
医療がゼロで死を支える覚悟は私にはない。
ある程度、無責任な預かり方だと思っている。
それでもご家族が委ねられると言われるなら
出来うる限りの手は施す。
それ以上の責任は持ちようがないのだ。

私自身も自然な死を望んではいるが
緩和ケア病棟で医療スタップの手厚い看護を受けながら
死んで逝った夫を見ていただけに
介護の熱い思いだけで臨終が支えられるとは
私には到底考えられない。

しかも慢性人手不足。
募集をかけてもスタップが集まらないのか?
経営者の儲けとのそろばん勘定の所為なのか?
あるいはその両方なのか?

ベストなケアプランを提示しても
希望した時間帯にヘルパーは居ないなどと
返事をくれていつも困らせている張本人である
ヘルパー責任者の話ぶりは苦々しくもあった。

  お引受けしないとは決して言いませんが、
  介護スタッフしかないとお話した部分を
  もう一度よくお考えになってお返事を下さい。
 
私からの最後の拒否を込めた玉ぐし色挨拶をして
病院を辞した。
終業時間が過ぎて机をかたづけていると携帯がバイブした。
『入居を決定した』と言う意外に早い返答だった。

「ご本人はウチに来ることを承知しておられますか?」
と聞いたら、
「まだ、よく話していません」

本人は退院したら家へ帰るつもりで居られるのだろうと察する。
病院での世話も付添いさんがやっており、
今の介護上の細かな事は付き添いさんから聞きとった。
家族の介護は到底望める状態からほど遠い。

もっと重篤な人も引き継いではいるが
はじめから受け持つのでは、これまでで一番重たいケースだ。
まだ2年にならない新米もベテランも関係ない。
担当したらやるっきゃない。

今回のことはさておいても
国は療養型病床をなくす方向を向いている。
ウチのような不完全施設が受け入れを余儀なくされるケースは
これから多くなっていくのかもしれない。

禍転じて福と成す

2008-02-05 23:21:37 | Weblog
姑の心筋梗塞連絡が入って間なしに
息子から大学院受験失敗の電話が来た。
仕事中で抜ける訳にもいかず
終業まで動きが取れなかった。

息子の沈んだ声も気になったが、
職場からまっすぐ姑の病院へ走った。
姑の隣に住む親戚が病院へ付き添って
手術に立ち会ってくれてすでに帰っているとの事だった。
心筋梗塞は2箇所で、今日1か所処置して
1週間後に残りの手術と聞いてはいた。

ナースステーション繋ぎの処置室のカーテンの向こうで
酸素の管と点滴に繋がれて、姑は寝ていた。
相変わらず顔には描き眉がある。
即入院手術の容体であったろう出掛けに
ちゃんと身仕舞いが出来たとは、さすが姑らしい。

話しかけると少し小さいがしっかりと声が出る。
返答もさっき手術が済んだとは思えないほど普通。
家の牛乳やら新聞のストップの依頼を受けた。
親戚には冷蔵庫内の処分を依頼したと聞いた。
相変わらずの気丈夫。
「随分早く来たのね」と言うから「今は夕方の6時。」
職場からまっすぐに来たと言ったら、
「朝かと思った」と言う。
麻酔から覚めて一昼夜過ぎたと錯覚したようだ。

入院は最低10日との事。
たぶん大事には至らなかったらしい。

入院保証人やらやたら書き込む書類を仕上げて、各所に提出。
入院に必要な物品をナースに聞いた。
取りあえずしばらく紙おむつが必要らしい。
明日で良いと言われたけれど、
姑の様子は思ったよりしっかりしているから
明日もできたら仕事に行きたい。
その足で買いに行って届けた。

ひとり暮らしの家を病人がさかんに気にするから
取りあえず承った用事をしに姑の家に行く。
一人で入っては後から物盗られ妄想が怖い。
一緒に冷蔵庫や鍋、炊飯器等生モノの処理をして
牛乳屋や新聞屋の電話番号が分かりそうなモノを探す事にする。
日常、お互いに生活状況を知らない者同志。
真っ暗な家のスイッチの位置から分からなかった。

やっと我が家に辿りついて息子を見れば
予想どおりズドーンと漂う空気が重い。
うなだれて目が据わっている。
よろしくない兆候だ。

一応、残念だったねと労をねぎらってから姑の病状を話した。
私はだんだん疲れを感じてきた。

息子はいつもの

 「あきれているのか?」
 「怒っているのか?」

を連発する。
その内に、
明日でないと連絡の出来ない
牛乳屋やら新聞屋への電話は自分がしてストップすると言いだした。
母は仕事だが、幸い受験に決着がついたし自分は無職だと言う。
自分に出来る事はすると言うのだ。
この気持ちを大切に、私は任せる事にした。

「よろしくお願いね。どうもありがとう。」
と言ったら
「よし!それを言ってもらわなくっちゃ。」
と息子。

一言多い。人の気持ちが分からないから確認するんだろうが。
私は息子に姑の病院へ通ってもらうことにした。
どこまで頼りに出来るか?頼れるだけ頼ってみようと思う。
息子にも『成す事あり』っていいんじゃないかしらん?

神様がくれた弱さとほほえみ  西村 隆著

2008-02-04 23:33:49 | 
神様がくれた弱さとほほえみ―20編の小さな物語
西村 隆
いのちのことば社フォレストブックス

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くりすさんご推奨の本が届いた。

進行性の難病『筋委縮性側策硬化症(ALS)』に罹患した著者の
闘病記ではなく『共病記』と帯封にある。

出来ていた事がどんどんできなくなって
誰かの手を借りなければ生きてゆけなくなって
本当の生きる意味が
研ぎ澄まされて伝わってくるような
なんと恵まれた自分が不服いっぱいで傲慢であることか。

日々、動かなくなる筋肉が声も奪い、字を書くことも奪う。
この本は
左足の親指で意志伝達ソフトを使って時間をかけてパソコン入力。
メールとして送られたものを編集されて出来上がったそうだ。

著者は発病して辞めるまで
知的障害者を社会へ送り出すための訓練施設の援助者だった。
最後に自ら世話を受ける側となって援助者であった時の自分を
反省された言葉は
今、援助業務をしている私にも耳が痛い。

以下、原文抜粋

 援助者の基本は利用者を観ることです。
 上司や同僚の顔を見過ぎた自分を反省しての一文です。

規模が大きくなれば管理がどうしても派生することにも触れてあった。
介護スタッフのケース会議の資料は
普通、私たちケアマネジャーが本人に成り替わって作るけれども
著者は自分が作るそうだ。
ご本人の気持ちはご本人が一番良く分かる。
成り替わりでは
机上のプラン作成をしているような気持ちが常時しているから
こういう利用者さんが私だったら一番ありがたい。

日々、機能が奪われるのは何もALSだけではない。
自然な誰にでも訪れる『老い』もおんなじ事ではないだろうか?
また
末期ガン最期の亡夫のこころもちにもだぶって思いをはせた。
そしてこう言う事は
これからの自分の事でもあるのだ。

題名のまんまの著者の笑顔がたまらなく素敵。


結婚しようよ

2008-02-03 09:44:16 | 映画(DVD)
昨日の朝刊に映画評が載っていていた。
全編に吉田拓郎の曲が20数曲とある。
もうそれだけでリフレッシュになりそう。

近くのシネコンの上映時間を観たら
今から行けばちょうどOK。
土曜ではあるし、
シニア夫婦割の人が多いのだろうと
ボツイチの身はちょっとためらった。
田舎の事ゆえ、
シネコンでばったり知り合い夫婦に会うことも多い。
「仲がおよろしいこと」
なんて社交辞令を言うのもうっとうしいが、
そんな事言っててはこの地で暮らしていけないんで
ぱぁ~と着替えて出かけた。
観終わって帰ったらやっと起きただろう息子を
カウンセリングと受診に連れてゆくのにちょうど良い時間になる。

映画は
いきなり新小金井駅の路上ライブで
若きミュージシャンが『洛陽』を歌っているシーン。
会社帰りで駅から出てきたサラリーマンにはまり役の三宅祐司が
足を止めて一緒に思わず熱唱からはじまった。
『家族揃って夕食』という家のマイルールを
固辞する頑固なところもあるオヤジと言う設定。
妻と大学生の娘2人と言う平均的4人家族。
家は同じような家が並ぶ新興住宅地一戸建て。
妻は韓国に伝わるパッチワークを趣味とする専業主婦。
絵に描いたような平均家庭像で、
多少親への反抗や反発をしつつも、芯のところで父、母思いと言う
これまた出来過ぎた子供たち。

ラストシーンは
2006つま恋のかぐや姫と拓郎のコンサート会場の
熱狂する中年たちの中に抵抗なく存在する夫婦と言う構図。
そして
一昨年秋の本物ステージの映像。
歌い終わって感激の中にある拓郎のアップ。

発売五分で完売したと言うコンサートチケットは
新婚旅行やりなおしとして娘たちから送られたもの。
どうやって手に入れたの?
何もかも出来過ぎのご都合展開なのと
あまりに中年像がステレオタイプなのには
ちょっとしらけた。

平平凡凡にもいろいろな歴史あり出来事ありと
涙を誘い、パッピイエンドであったかな思いをさせてくれ
なにより懐かしい気分を満喫させてくれたからヨシとしよう。

昨日、封切りで
今朝のテレビではさっそくに映画のワンシーンが
なんとか記念指輪のコマーシャルに使われていた。
『これで夫婦の絆を確かめましょうね』
と安っぽい関連商法。
世の中、こう言う商魂で回っているのか?

まんまとチョコレート屋の陰謀に
乗せられてバレンタインはもうすぐ。

そころで
拓郎は去年晩秋に体調を崩してコンサートツアーが中止になった。
つま恋前にはガンの手術も受けたとか聞いていたけれど
今、現在の体調はどうなのか?
元気な姿がそう遠くないモノだけに気になった。

中高年の明日は本当に見とおしが効かない。
昨夜もガンと告知されたと言う知らせと
ちょっと前までお元気な人の訃報が届いた。
生も死もまた自然なものではあるけれど…



今ある自分への自信や肯定

2008-02-01 07:05:11 | Weblog
くりすさんやまいける母さんからいただいたコメントに
答えながらふと思ったこと。

自信ってなんだろう?
今ある自分を全部肯定できるって?

自信がない人ほど虚勢を張る。
昨日、締切の間ぎわ川柳に
身近にいるケアマネ責任者の姿をちょいと拝借。

  負けまいと虚勢の姿すでに負け

年下で居宅経験も私より短いけれど、
ケアマネ出ない事務所の責任者に成られないと言う規則で
順繰り上がりで私が就職したのと同時に責任者になって
彼女は私におかしなライバル意識を持っているらしい。
負けるも勝つもない。
同じ事務所内で相談したり助け合ったりしながら
お互い円滑に仕事をしてゆけば良いものを、
おかしな意地がギクシャクした空気を生み出している。

息子がそうなのだ。
アスペルガーと言う
どうしてもすんなり周りに溶け込めない素因を持って生まれた。
人の評価が気になってしょうがない。
回りの反応が自分が思う事とズレている事が多いから
常にビクビクしている。

びくびくの反動で自分をやたらビッグに見せたがる。
すでに負けの虚勢なのだ。
よけいにまわりがギクシャクする。

進行性の難病の人、
残念だけど余命を宣告された人、
もうそう長く自分は生きない思う高齢で
あちこち痛みのある人
人の手を借りないと今が保てない人

全部、全部今ここにある以上
今の自分が肯定できて
おかれている状況も肯定できて

こころ穏やかに過ごせるものだろうか?

くりすさんおすすめの
『神様がくれた弱さとほほえみ』
読みたいと思います。

こんな世の中の片隅のブログから交流が生まれることが
なんだかとてもうれしい。
案外、イヤなこといっぱいの中に
ちょっとづつあるうれしいことを紡いで
笑って日々を過ごすこと中に
こころ穏やかのヒントはあるのかな?と思ったりも。