何色何番ぴろりろ

何色何番の村井ブログ。人生全て私の宝物にするために生きています。

学童さん日誌 捕食

2007-08-07 20:07:01 | Weblog
悲しいていうか怖い。
学童さん、バッタとカマキリとっ捕まえて
「戦わす」と言う。
わざわざ喧嘩させんでもいいやないか」
という私の発言もむなしく、お互いに絡みたくなさそうなバッタとカマキリをひたすら正面からぶつけよる。
で、いいかげん5回も6回もはち合わせられたころ、
「あっ」
カマキリがバッタを鎌でとらえて噛みついた。

…う

バッタは動いているが、がっちり囚われて逃げられない。
カマキリ後ろ右足根元当たりを静かに食いついとる。

「…食べてる」
「…えぐい」
5人くらいの学童さんがそれをただ黙ってみている。
こうなったらもう…

「いらんことせんかったらこんなことにはならんかったのに…」
いい加減残酷だったのか、学童さんバッタとカマキリを無理やり引き離す。
バッタ後ろ右足がもげている。
ジャンプしたら裏返る。



今日はまた学童さん間で激しめの喧嘩が。
手を上げた彼を叱ると
「家でお父さんに、『やられたらとことんやり返せ』って言われてる」という。
「家と学童は違います、学童でそれは許されません」とは言うが、家で言われてたら聞くわけないよな…
ただ、彼は手を上げる喧嘩の中心によくいるのです。
手を上げることにさ、慣れてたら、そうもなりかねんわな。

自分もそうだったしな。
家では手を上げる喧嘩が横行していたので、結局腕っ節だと本気で思っていたので、小さい頃はそりゃあガラ悪かった思います。
兄・姉いるしことばがきついし手も上げますから、兄・姉を思うと同級生になんか負けてられませんっしたから。
当時私は「アジャコング」と呼ばれていました。
そう呼ぶ男子諸君のTシャツを、ひっ捕まえてはどれだけ伸ばしたか、計りしれません。
そのような思いで。
あれからはだいぶ丸くなったはず、だー。

で、そのよく喧嘩になる学童さん、自分がする分にゃ
「そんなんで痛がるのがおかしい」とふざけます。
「自分が痛くなくても人は痛いていうてんねん」と言いますが、聞く耳無い様子。
いつもろくすっぽまともに謝りません、そして次から次へとほかの子とぶつかります。
それこそ調子いい時は誰ともぶつかりませんが、波があるのか
荒れてる時は多い。
今日は荒れていました。

私はお昼その話にあたっていたのですが、最終的には先に手を上げた彼がまがりなりにも「ごめん」を言って終えました。が、夕方
今度はお昼手を上げられた方の子がやり返し、やられた彼は大泣きでやり返そうと飛びつく事態に。
話し合いで解決、と言っても難しいですが。
「やられたらやりかえされる」ことは、どうしようもないループです。
らせん階段上に、落ちていく構図です。
だからお互いに「手をあげる」ことを始めないこと、「やり返す」行為は結局、自分も相手にも怖いことになるからしないこと、と話をつけていました。

「自分がされたら嫌なこと人にしない」
ものすごく簡単なようで、実は想像力のいること。
想像力は、経験に比例する、とすれば、手を上げるということは、やり返されなければ分らないこと。


小さい頃、やられた分はやり返すつもりででっかく育とう、殴ったやつ全員殴り返してやる、と思いながら成長してました。
今は殴ったり殴られたりよりも、降り積もった思い出とかが、そうしたいと思う力をげんなりさせます。

私に無理やりとめられたり怒られたりした学童さんは
「いつか目に物見せてやる」と思いながら育つかもしれません、そら怖いこってす。ね

なんでもいいから、先に繋げれるものをちびっとでも、渡せたらいい。
先に生まれただけで、先生です。

知ってることだけしか渡せないし、渡すの下手っぽいけども


痛いことは痛くて当たり前で、
厭なことは厭で本当にたまらない。

なんで謝らないんだ、なんでそんなことが横行してるんだ
歴史修正主義ってなんなんだ
あほか
やったことに修正なんかきかねえよ
重ねをとっぱらうなんてさ、そもそも時間軸にゆがみ起こしてさ、どうすんの

経験が先を結ぶんだろうが、想像力はどこに行ったんだ
そんな想像力なんかいらないと、核武装だなんだと
他人が怖いって言って軍事整えるようなもんだろ、あー

力が、あることを知らないといけない
力が、あることを理解して振るわなければならない

無いはずがないのよ、子供にだってあるんだから。
だれも生まれた時から丸腰なんてこたないの。




その力は、どうやって使うのか
考え続けなければいけない。
コメント
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