進行性核上性麻痺と闘った父とその家族の記録

進行性核上性麻痺と診断され6年2か月。89歳まで闘い抜いた父、それを支えた家族の記録。

介護短歌

2013-03-04 00:29:21 | Weblog
島根県にお住いののぞみの会郵送会員さんからの代理投稿です。



介護短歌

作:岩田清子さん(島根県安来市在住)

 私の夫は発症時パーキンソン病と診断を受けましたが、家庭介護六年に限界を感じ、入院した際に進行性核上性麻痺であるとわかりました。74歳で八年の闘病生活を終えました。



要介護3度の夫を受けて立つ 我の力量如何程有りや

ここに来て夫にまさかのこの病 天は私に何を望むか

支えつつ入浴終えて差し向う 夕餉の卓はひと際和む

手直しのエプロン着けて食す夫 難有りながら舌鼓鳴る

病む手持て畑の草引く夫の背に 農の誇りは尚も満ちおり

授かりし夫の病を友とする 誓いし心今日は乱れて

久々にバリカン当てて整えし 夫の横顔少年の笑み

何故の試練なのかと思うほど 介護の道はやさしからざり

病得て耕作休みし田に立てる 夫の胸中計り難しや

噛んで呑むただそれだけが何故できぬ 朝昼夕に「噛んでよ呑んでよ」

外は雨 孫の作りし紙ボール 投げるや打つわ病むは忘れて

世に多き病む友ありと報ぜらる されど国は冷ややかを言う

幾許の錠が残るか永田町 忍び難しと法は直さず

ご時世と言えど支援の有難き 迎えの笑顔に今日もよろしく

ショートステイほっとしつつも一人居の 部屋の広きにしばし戸惑う

スムーズに御用が足せて身繕う 手元軽やか窓に春風

生まれ日も今日の日付もままならぬ なれど互いの呼び名忘れず

課せられた使命だなどと胸張らず 夫の看とりはマイペース

病み五年重ねし夫と新しき 春寿きて屠蘇をいただく

返答は来ぬと承知の夫なれど 野菜の施肥等問いかけてみる

大木を転がすごとく夫を看る ヨイショコラショごめんなさいね

職人は檜柱に手すり当て ためらいながら ビスを打つなり

「おはようさん」私大声あなたは小声 リズムとり合いさあ始めましょう

「お父さん!」大声かけても眼を開けぬ 冷たきタオル押し当ててみる

介護暮れ寝息穏やか冬の夜 冷チューハイの心地よきかな

旨いともそうでないとも言えぬ夫 眼差し緩む夕餉の秋刀魚

もう一歩あと一足と寄り添いて 食卓に着く今日もできたね

その実は少数極まる名であると 名医は診断に徐に告ぐ

常日頃管など要らぬと強気夫 今三本で穏やかな日々

ただじっと天井仰ぐ夫に向け 「私ここよ」と手を打ち鳴らす

握り込む手指押し開き今日もまた 洗顔料で洗いてやりぬ

初めてに1人で屠蘇を頂きぬ 話せば夫はマジマジと見る

「仕事です」さらりと言いて青年は 夫におむつ難無しと当てる

夫の身は瞳左右に動くのみ 我は手を振り首も降りやる

何処と無く春の色合い窓の外 ベッド廻して夫に見せやる

介護五度身障1級あなた様 お仕えできてわたし幸せ

八年の病歴静かに閉じる夫 まだ明けやらぬ酷暑の朝に

過ぎし日の介護は如何で有ったかと 遺影の笑みに伺いたてる

新盆を送りて祈る今一度 彼の地に多き御霊安らかを

(東日本大震災では多くの初盆の御霊がおられました)

満天を仰ぎ小さく呼んでみる 温もり返す星ひとつあり


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コメント (2)
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