このブログ・・・
父が亡くなったので、書き込むことがなくなり、どうしようかと思いつつそのままにしていました。
久しぶりに開いてみました。
父がいた頃より多いアクセス数にびっくりしてます。
そして、コメントも何人かが書き込んでくださってる。
それなのに、気が付いてなくて、申し訳ありません。。。
自分の記録というか、気持ちのぶつけ場所として書き込んだものだったのですが、
今でもこんなにたくさんの方に見ていただいていることが分かってものすごく嬉しいです。
なにか少しでも参考になりことがあれば幸いです。
難病 ブログランキングへ
父が亡くなったので、書き込むことがなくなり、どうしようかと思いつつそのままにしていました。
久しぶりに開いてみました。
父がいた頃より多いアクセス数にびっくりしてます。
そして、コメントも何人かが書き込んでくださってる。
それなのに、気が付いてなくて、申し訳ありません。。。
自分の記録というか、気持ちのぶつけ場所として書き込んだものだったのですが、
今でもこんなにたくさんの方に見ていただいていることが分かってものすごく嬉しいです。
なにか少しでも参考になりことがあれば幸いです。

専門医へ行くことを拒んでいたため、
パーキンソン症候群から進行性核上性麻痺と診断されるまで2年程かかりました。
でも、父は今年の春に要介護認定を得られ
週3回の通所リハビリを楽しんでいるようでした。
だけど、もともと体が弱く父の介護どころではなかった母が7月の中旬に入院しました。
すでに嫁に出た私は、
自分でなんとかできると言う父の言葉を
信じ、ヘルパーさんと通所リハビリで
なんとかなるだろうと父を1人にしてしまいました。
それから、10日後父は高熱をだし、病院に緊急搬送されました。肺炎でした。
一度は回復したかに見えた父は入院してからたった10日余りで心肺停止となり、
その翌日には帰らぬ人となりました。
あまりにも突然の出来事 に私も妹も涙を流すことすらできませんでした。
父はまだ71歳でした。 父は病室で家に帰るとだだをこね、良くなったら迎えに来るからねと逃げるように病室を後にしました。
それが父との会話の最後でした。父の願いを叶えることができず、申し訳なく思っています。
長々と辛気くさい話をすみませんでした…
私も闘病6年半、地獄に堕ちるまでの残り2年半(?)を、どう過ごすか?
もう、エンディングノートのゲラは書いたし・・
これからも私達の心の支えとなって下さい。宜しくお願い致します。
父は精神科ではなかったでど、抗精神薬をいっぱい処方されていました。
のぞみの会のHPです。
http://www.pspjapan.org/
この中の、入会方法のところを見てください。
http://www.pspjapan.org/pukiwiki/index.php?%B2%F1%A4%CB%A4%C4%A4%A4%A4%C6%2F%C6%FE%B2%F1%CA%FD%CB%A1
私も世話人の一人です。
父は精神疾患はないです。ただ田舎の病院だった為、札幌の私の家から近いところ…と言う理由で精神科を紹介されたのだと思います。私も無知ですので言われるがままでしたが、ここ1ヶ月の間疑問ばかりでした。PSPのぞみの会はどこで入れるのか探してみます。また相談に乗っていただければ幸いです。
チルチル
チルチル}
やはりそうですよね・・・
そのときにできる精一杯のことをしてあげたいですよね!!
父も何度も膀胱炎や肺炎を繰り返しましたよ。
胃瘻にしてからかれこれ6年頑張りました。
きっと療養病棟へ移れますよ!!
大丈夫。祈ってます。応援してます。
コメントありがとうございます。
なんとも・・・心中お察しします。
PSPで精神科、違う気がします。
そういう方いっぱいいらっしゃいますが、
精神疾患ではないですよね。
札幌には療養型の病院はないですか?
PSPのことを理解してくださってるところでないと心配ですよね。
PSPのぞみの会の会員さんですか?
ML会員になるといっぱい情報がもらえますよ。
コメントありがとうございました!!
気が付くのが遅くなって本当にごめんなさい。
その後、いかがでしょうか?
お母様胃瘻にされましたか?
栄養状態が悪くなるとどうしても感染症になりやすくなるので、栄養確保と口腔ケアが一番かと思います。
またコメントくださいね。
北海道の田舎に実家がある為、私の住んでいる札幌の大学病院で検査しました。検査が終わり、治療法もなく施設を探しますかU+2047と聞かれましたが、家に帰りたいたと、強い希望で在宅介護で3ヶ月間頑張りましたが、母も末期ガンを患っており、入退院を繰り返すようになってしまい、実家の精神科へ次の施設が決まるまでと言う約束で入院させていただき、2015年12月札幌の精神科を紹介され介護タクシーで6時間かけ転院してきました。ここへ来てからまだ1ヶ月足らずですが、病気の進行が早いのか、精神科の薬が強いのか…寝たきりになってしまいました。
精神科の為か、眠れない、イライラする…と言う理由から薬が強いのではないかと思うくらいの弱りようなのです。進行性角上性麻痺の患者は、精神科へ入院するしかないのでしょうかU+2047私も仕事をしている為、毎日病院へ行くのは不可能なのです。父が看護師にお願い事をすると、人手が足りないから明日ね。といい、その後も何もしてくれないようなのです。ここの病院でいいのか…疑問に思い始めてモヤモヤしていますが、誰に相談していいものやら分からず、メッセージを送らせいもらいました。突然で本当に申し訳ございません。毎日、父の事を考えると不安で夜も眠れません。何かアドバイスいただけると本当に助かります。わがままで申し訳ございません。
1日1回の注入だけですか・・・
少しずつ回数を多くしてもダメなのかしら?
最後の一文。
お察しします。
お父様のお気持ちが聞けててよかったですね。
うちは聞けぬままだったので、父が何を望んでいるのかわからず、それもしんどかったです。
だれもが後悔することのなく毎日が過ごせるといいですね。
今年の四月に痰がつまり入院してから口からは何も食べていません。
本人が飢餓感に耐えられず希望、当初しない予定だった胃ろうにしました。母はお腹がいっぱいになることを望んでいたのですが、体が一日一回の栄養しか受け入れられず、現在27キロまで痩せてしまい。力もなくお話もできません。仕事をやめて毎日病院で手を握ってポツリポツリと一方的に私が話してます。吸引は辛いしグーグーなっているお腹も辛い。
早く楽にしてあげたい気持ちと別れが辛い気持ちです。
一言一言に重みを感じ、ご理解いただいて嬉しいです。
父は今67歳です
我慢強い父は症状などは、一切言わず今思えば3年前位から、うつの状態の様になり様子が変わっていた様に思います。
今年の4月に母と私に支えながら、桜を見に行ったきり、1日1日の変化が早く7月には寝たきりになり入院して今に至ります。
始めは、パーキンソン、ヤコブと疑われましたが検査結果が出て陰性で、病名もようやく決まり調べれば調べる程症状が合致しました。
父は胃瘻も人口呼吸もしてません。
家族で揉めました。
でも、父は延命治療はやめてくれと母に言っていたらしく、母の強い希望でした。
今は栄養剤の点滴も、痰が詰まり呼吸不全になるので中止になり、食塩水の様な点滴のみです。
限られた時間が、無知な私でも感じ恐くなります。
今日も仕事終わりに顔を見に行こうて思います。
beneさんのように強くなりたいです。
コメントありがとうございます。
お気持ちお察しします・・・
お父さま、手を握ってくださったんですね!!すごいです。
お父さまきっとはっちさんが納得できる気持ちになれるまで頑張られますよ!!
父も何度もそういう時がありましたが、私たちの気持ちがわかってるんだろうなって感じました。
いつもドキドキひやひやしてました。。。
病院からの着信にはドキッとしていました。
あるところまでは病名のとおり進行が早かったけど、進むだけ進んだらそこからは長かったですよ。
主治医の先生が、進行が止まった?って言われたくらいに。
ケアをしっかりすると、大丈夫!!
きっとまだまだ、話しかけてあげるとお父様に伝わりますよ!
同じ感情、共感出来る所が沢山あります。
私の父も、ようやく病名が決まり進行性核上性麻痺です。
頑固で短気だけど一本筋な父が今は寝たきりで話す事すらできません。悔しくてたまりません。
最近、酸素濃度が低くなり危篤が2回ありました。
今は少し落ち付き、今日は手が握れました。
最後の力かなと思ってしまい、その日が恐くてたまりません。