気の向くままに

終着はいつ、どこでもいい 気の向くままに書き記す

3月 弥生

2015-03-01 12:13:34 | 日記

 

 
 3月を弥生と言うのは「いよいよ生い茂る」という意の「いやおい」が転じたらしい。日差しが力を帯び、生きるものの勢いが増す月。だから争いも激しくなるのか。語源辞典によると、英語の3月(March)は戦争と農耕の神マルス(ラテン語でMars)に、2月(February)は古代ローマの贖罪(しょくざい)の祭り(同Februa)に、それぞれ由来するようだ。

▲古代ローマでは2月が1年最後の月とされ、この月に汚れや罪をあがなう儀式をして3月から心機一転、新たな生活を始めたらしい。2月は清めの月で3月は戦い始める月だったのか。

▲これにならったわけではないが、2月にお伊勢参りをしてきた。神宮の深い木立の中を歩き、五十鈴(いすず)川の冷たい水に指をひたすと、心が洗われるようだ。年初から欧州でテロが続き、日本人2人もイスラム過激派の毒牙にかかった。この暗い流れを変えたいとの思いも込めた遅ればせの参拝、つまりは苦しい時の神頼みだ。

▲御利益のほどは心もとないが、伊勢神宮近くで泊まったホテルは故山崎豊子(やまさき・とよこ)さんと縁が深く、大作家ご愛用の机と椅子を公開していたのがうれしかった。窓際の机に手を置き、英虞(あご)湾を見事に染める夕日を見ていると、少し力が湧いてきた。

▲小紙出身の山崎さんは2009年、毎日出版文化賞特別賞の贈呈式で「私も弾磨きをいたしました。人を殺す弾を磨きました」と戦時体験を語っている。戦争で死んだ仲間の無念に応えようと書き続けた山崎さんを思い出し、争いのない3月になるよう願う。

▲過激派や軍隊の動きが目立つ国際情勢も、安全保障を論じる国内政治も、なにやらきな臭いけれど。

毎日新聞 2015年03月01日 [余録]